何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

君は何をしたいのか①

2019-09-29 20:13:07 | ニュース

2019年9月26日

私が長年心をこめて応援してきた世界が崩壊することが、ほぼ確定する日となった。
それは、民主主義を愚弄する暴挙だと、私は思う。
8割を超える国民の声を無視し、秘密裏に既成事実を積み重ねてしまう、いと高い(のか下衆なのかもはや理解不能)処と為政者と。
それを知れば、違和感や嫌悪は有しても、今日の自分の生活に直接影響なければ、スルーする国民と。

味をしめた力の中枢は、同じ手法で、国民をゆでガエルにしていくのだろう。

だから、9月26日は終わりの始まりの日に思える。

そんな思いで、9月26日のニュースをみていると、9月26日は特異日だという。
昭和史に残るような甚大な被害をもたらした台風が、9月26日に集中してことから、9月26日は「台風の日」とされているのだそうだ。

その台風の一つが、洞爺丸事故を引き起こした1954年の台風15号だったのだが、この台風は規模もさることながら、台風の直撃を受けた青函連絡船が乗客乗員1155人の死者行方不明者をだし、日本の海難史上最大の事故となったことで知られている。

海難事故での人道的行為というと、タイタニック号の「女性や子供を優先的に救助した話」や「乗客が平常心を保てるようにと、最後の最後まで演奏を続けた演奏家たちの話」が有名だが、洞爺丸事故でも、自らの救命胴衣を差し出し他人を救った牧師がいたことが、描かれている小説がある。

民主国家の根幹である議論も手続きの適正化も透明性もすべて蔑ろにしてしまう、そんな醜い我欲が大手を振って歩いてしまうことを見せつけられた9月26日に、洞爺丸の人道的行為を用いて人間の自分勝手さや醜さの業を浮かび上がらせた小説を思いした皮肉を感じつつ、週末久しぶりに、その本を手にとってみた。

「氷点」(三浦綾子)

感想などは、又つづく


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格闘と戯れ

2019-09-20 09:51:25 | ひとりごと
ワンコが天上界の住犬となって、3年と8か月
本格的な夜コーラスと丑三つ時チッチが始まり、私の腕枕で寝るようになったのが、
ちょうど四年前の今頃の時期だったよね
夜ごとワンコと庭に出たおかげで、神々しいお月様やお星さまを一緒に見ることができたし、
ワンコとの約束の星に誓った約束は、今の私を元気づけてくれているから
ワンコに感謝しているんだよ
ありがとうね ワンコ

家族みんなで上高地に行くときは、ワンコはいつもお預けの身になっていたから、
ワンコのお山の麓の上高地をワンコは好きではなかったかもしれないけれど、
今では、いつでもどこでもワンコと一緒に旅するから、楽しいね ワンコ
奥穂からの下山後、いつもなら相部屋なのだけど、
今年は徳沢ロッヂのテラス付きの個室(沢とロの間のお部屋)でゆったり過ごせて快適だったね
これからも、いろんなところを一緒に旅しようね ワンコ
                
そんなお山のお話は、又いずれ書くとして、今月のお告げの本について報告しておくね
 
「格闘」(高樹のぶ子)
 
ねぇワンコ
さっぱり分からなかったよ
書かれていることも、ワンコが本書をお告げした意図も
もう、何もかもさっぱり分からなかったのは、私が時間を継ぎ接ぎしながら読んだせいばかりではないと思うんだよ
 
本書の帯より
『駆出しの作家だった頃の私が取り組み、完成できなかったノンフィクション。それは、ある忘れられた柔道家の型破りな半生を追ったものだった。だが、彼に寄り添う女、高校時代の恩師など、取材を進める毎にその実像はぼやけていく。一方、本人と私の間には感情のさざ波が立ち始め――相対する二つの魂の闘争と交歓を描く。』

今まで髙樹のぶ子氏の作品を読んだことがないということは、
私のアンテナにかからないジャンルを手掛ける作家さんということなので、
お告げとはいえ、読むのを躊躇ったのだけど、
型破りな柔道家の半生を描いた作品、という一点に興味をもって読んだんだよ
 
本書は例えば、第一章「出足払」、二章「浮腰」、三章「双手刈」といったぐあいに、
一章ごとに柔道の技がタイトルとなっていて、章の冒頭には作者による技の解説があるんだよ
だから、柔の道を説くお話しかと思うと、そうではなくて恋愛ものなんだな、これが
そして、その技の説明が、その章の恋愛模様を模しているあたりに、髙樹氏の力量が感じられはするのだけれど、
高樹氏の作風なのか、しょっぱなで分かってしまう道ならぬ道は遅々として進まない
このじれったさが大人の香りだというのかもしれないが、それを味わう趣味も時間もないので、
本書のあらすじとは無関係に気になったところを、記しておくね(『 』「格闘」より)
 
『人間も犬も同じなの。
 牙を剥いて吠えていた相手に、あるとき噛みつかれたら、それ以後は怖くなって牙を剥くことが出来なくなる。
 そして二度と吠えなくなる。吠えても遠吠え程度』
 
これは、子供のときに犬に噛まれて以来 犬が大嫌いだという柔道家の言葉なんだよ。
この柔道家、
犬の居る家の近くを通ることすら避けていたけれど、
世界中どこへいっても犬はいるし、犬は怯える相手を襲うから、
一大決心をして、犬に噛みついたんだよ
それ以来、世界中の犬が柔道家にひれ伏し、それ以後吠えられることはなくなったんだって
肝心なのは、コイツは吠えても無駄だと犬に思い知らせることなんだって
 
犬嫌いな人が書けば、こうなるかな、というもんだね、これは
もっとも私だって、いつまでも「話せば分かる」と思ってるほどお人よしでもないけれど、
100%は承服しかねる論理だね
 
100%というと、
本書では、100パーセントは美しくないという柔道家の考えが示されているんだよ
 
『100パーセントを目指すよりも九九パーセントを狙う方が困難で上等です』
 
ねぇワンコ
この意味わかるかい?
柔道家は、九九パーセントは美しいけれど、100パーセントは醜いって言うんだよ
 
『(九九パーセントは)・・・・・美しいだけではなくてですね、深いから人を惹きつけるし、動かすと思いますよ。
 おまけに情ない。情なさが良いんです。
 永遠の運動も100パーセントまで行けば終わるけれど、九九パーセントであればまた振出しから始めることができるでしょう。
 それが馬鹿げた積み重ねであっても、生きていけるではありませんか、毎日が続いて行くでしょう』
 
およそ格闘家らしくない言葉だけど、言いたいことは分かるよね
ただ、
100を目指して努力しても70にも達しなさそうな私なので、
振出しから始めることができるから九九が美しいという論理を、今納得するのは難しいけれど、
あとの1パーセントの重みをしみじみかみしめる年は、そう遠くはないとも思うんだよ
そんなことを考えていると、この夏初めて出会った自分の写真を思い出したんだよ  
夕日を背に、穂高岳山荘のテラスから蝶が岳や常念岳を見ていると、
たちまち雲が湧きあがり、光の輪ができたんだよ
その真ん中にいるのは、妖怪なのか神なのか
上手く云えないんだけどさ、
自分の中の善と悪を、時々しっかり見つめて、
欠けている1パーセントを好いものにするべく日々精進するしかないんだな きっと
見守り見張っておくれよ ワンコ
 
 
 
追記
題名の「格闘」が示す通り、主人公は何を話すときも恋愛する時も、一瞬一瞬「勝った負けた」と、相手や 時に自分自身と戦っているのだが、そんな主人公の性格が、私にとって本書を読みづらいものにしていたのかもしれない。
ワンコが本書をお告げしてくれた理由が、まさか「もっと戦闘的に頑張りたまえ」ということではないと思うけれど、私には、誰かと争ってまで何かを手に入れたい、という強い思いが根本的に欠如している。
そこからくる弱さを、ワンコは心配してくれているのかもしれない、などとふと今気づいた次第。
 
ところで、作者は 100は100パーセントと表記しながら、99はなぜ九九パーセントと表記するのだろうか?
 
 

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チャラ!②

2019-09-13 20:03:33 | ひとりごと

「チャラ①」 より

もはやこれまでか!というミスをしでかしてしまったと愕然とし、たった一日で2,5キロ体重が落ちたのだが、それは元々この夏たった三日で増えたものが、減っただけ。

つまり、チャラなのである。
前々から不思議なのだが、なぜ山に登ると、体重が増えるのだろう?

 涸沢小屋テラスから前穂を望みながら

山では必ずソフトクリームを食べるからだろうか?

 

日頃さしたる運動もせず、箸より重いものも持たない(笑)生活をしている私が、一夏に一度、10㎏近いザックを背負い、デトックスとばかりに全身から滝のような汗を流しながら、一日15~16㎞歩き、岩やハシゴをよじ登り、穂高や槍や蝶が岳の山頂に立つというということを始めて何年たつだろうか。

山素人の私は、決して無理な計画は立てず???、登山計画には必ず一日余裕をもたせるため、下山後すぐに帰宅するのではなく、徳澤か上高地で過ごす予備日を設けているのだが、下山直後の徳澤や上高地ですら、なぜか山へ出発する時よりも体重が増えている。
まして、徳澤や上高地でマッタリしようものなら、あっという間に2㎏くらい増えてしまうのだ。

なぜだろう?

<活動初日>
AM5:00 上高地バスターミナルにて朝食 サンドとおにぎり一つ
AM11:00 本谷橋で昼食 おにぎり一つ、クロワッサン一つ、葛羊羹一つ

<一日目宿泊地の涸沢小屋の夕食と朝食>
お盆期間ごったがえしている山小屋ゆえに小笠原流とはいかないが、生野菜にフルーツまでつき美味しい
          

 <二日目宿泊の穂高岳山荘の夕食と朝食>
穂高岳山荘では、奥穂登頂後ワンコとカレーライスも食べている(「チャラ①」
        
       

三日目、あとは下山するばかりなので、重い非常食を食べつくす所存。
よって今回は、鼻先の徳澤園のカレーうどんは諦めソフトクリームのみ・・・だが、このソフトの味が変わった(ミルクが薄くなった)と感じたのは、私だけではないようだ。
          
これまで何度も徳澤園に泊まったり食事もしてきたのだが、私が穂高を歩くようになった切っ掛けの一つの「氷壁」井上靖氏の直筆に気づいたのは、初めて。             

 

<山歩きのご褒美、三泊目の徳澤ロッヂの夕食>
フロントで宿泊手続きをとるのももどかしく向かったお風呂で突き付けられる、体重の微増。
日頃の食事量と活動量と、山での食事と運動量を比較すれば、一気にやせ細っていてもよいはずだが、何故かこの時点で、既に微増。
そこに、こんな食事とビールに舌鼓を打てばどうなることかは、一目瞭然。
          
いくら飲んでも顔に出ないほどアルコールには強いのだが、日常生活ではアルコールとくにビールをまったく美味しいと思わないため、日頃アルコールはほとんど口にしない。
だが、山で飲むビールはどうしてあんなに美味しいのだろう。
生ビール中ジョッキだけでは足りず、地ビール「穂高」も追加。

            
山素人の私たちなので、予備日を一日設け、下山後は徳澤で一泊することにしていて、いつもは相部屋に泊まるのだが、今年は早い段階で満室となってしまた。
今年はいよいよテント泊デビューかと覚悟を決めていたところ、直前にテラス付きの個室に空きがでた!
徳澤小屋も徳澤ロッヂも、相部屋とはいえ、かなりプライバシーが守られ快適であるし、相部屋には相部屋の良さもあるのだが、↑この空間で山の余韻に浸る時間のなんと豊かなことか。
こんな環境でマッタリしてしまえば、もはや体重など、どうでもよくなる。

<山最終日、徳澤から7㎞、いつものお宿の上高地温泉ホテルで、お風呂と昼食を頂くと・・・>
                      

はい
出発前から見事なまでの体重増で、ご帰還とあいなる。

それが、一瞬にしてすべてを変えてしまいかねない事態にうろたえた一日で、増えた2,5㎏が落ちてしまった。
体調というものが、いかにストレスに影響されるかということの証左である。

それはともかく、心配と不満の元だった後輩君が、彼にしては珍しく私を気遣い、出張のお土産を買ってきてくれた。
名古屋名物ういろう
明治12年創業という老舗 青柳総本家のご案内の言葉が、今の私にはピッタリだという。

『誇りは高く、
 敷居は低く。』

今の私にピッタリ???

意図するところが微妙に分かりにくいし、これまでの諸々な思いもあるのだが、ういろうがとても美味しかったことをもって、チャラにしなければならないのだろうか?


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チャラ!①

2019-09-09 18:00:00 | ひとりごと
たった一つのことを引き金に、それまでの全てが瓦解してしまうことがある、という経験をしてしまった。
あまりに忙しすぎたせいでミスをしてしまったのか? それとも、長らく不満と不安の原因だった後輩とようやく意思疎通がはかれ上手く回り出したと気が緩んだことが悪かったのか、石橋を叩いても渡らないような慎重(臆病)な私らしくないミスを、悔やんでも悔やみきれず、たった一日で2,5キロも体重が落ちてしまった。
 
結果的には、週末深夜に私のミスではないことが判明しただけでなく、元々の問題も解決に向かい始めたので、今こうしてブログなんぞを書いているのだが、自分のミスでとんでもない事態が発生するかもしれないとなった時には、これまで読んできた小説にある表現そのものの状態となった。
まさに、腰の力が抜け、膝が震え、立っていることすらままならない状態になったのだ。
 
ズボラと慎重さが同居している私は、自分の人生では多々大きなミスをおかしながらも、仕事においては大きなミスなくやってきた。
 
だが、今回のたった一つのことで一瞬にして何もかも変わりかねないという経験は、これからの仕事と人生への向き合い方に大きな教訓をもたらしてくれた、はずだ。
これを生かして、以後精進を重ねていこうと決意、、、しなければならない、はずだ。
 
だが、これが私の悪いところで、のど元過ぎれば何とやら、で、今回の感想は、ズバリ「チャラ!」

何がチャラかのヒントとなる写真
ねぇワンコ
ワンコが守ってくれたんだね


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