何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

豚は、誰? ①

2018-05-31 12:00:00 | 
このところワンコお告げの本すら読む時間がないほど忙しなく過ごしていたのだが、ようやっと少し時間ができたので、図書館に予約していた本など ’’積読'' を崩しにかかっている。

「テロリストの処方」(久坂部羊)

本の帯には、連続テロが発生!と赤い大文字が踊っているし、有栖川有栖氏の「一読して二度震えた。まずは緊迫のサスペンスに。次に医療破綻という現実に。」との推薦文があるので、どれほど怖い本かと大いに期待?して読んでみた。

一読して・・・有栖川有栖氏と同じ視点では震えなかったものの、二つの点でやはり恐ろしいと感じたが、そんな私の感想を記す前に、有栖川氏が震えたという日本の医療破綻の現実が記された箇所を引用しておきたい。

(『 』「テロリストの処方」より)
『医療の勝ち組と負け組が言われだしたのは、ここ数年のことである。2010年代の末から、日本の医療はセレブ向けの高級医療と、一般向けの標準医療に二分され、明らかな格差が発生した。背景となったのは、医療費の高騰である。
安全な医療には経費がかかる。安全で良質な医療は自ずと高額になり、それに連動して、保険料も値上がりした。公的医療保険の滞納世帯が30パーセントを超え、実質的な無保険者は二千万人に膨れ上がった。高額医療費の還付も、自己負担の上方改定が繰り返され、低所得者には救済の意味をなさなくなった。入院や手術は自己破産の危険を伴い、病院にいきたくとも行けない人が急増した。そういう人々にとって、医療保険は意味がないので、保険料を滞納し、結果として無保険に転落する人が相次いだ。’’医療負け組’’の発生である。』

『他方、政府の方針により「医療特区」が増え、混合診療枠が拡大して、外資や大企業が医療に参入した。医療のビジネス化にはじまり、富裕層をターゲットとした自由診療が横行した。富裕層は健康に投資するから、病気になりにくく、なっても早期に治療するから回復も早い。’’医療勝ち組’’の誕生である。』


これで思い出した話がある。
数年前、中高生3人の子供を育てる知人の父に癌が見つかり入院された。
知人の父は、若い頃に胃癌を患い完治された後 定期的の検査を続けておられたところ、petで新たな癌が見つかったという。
幾つかの臓器に転移も懸念される大手術だったうえに、予後がかなり悪く入院も長引いたので、金銭面でも友人は心配したようだが、その費用は、あまりにも安かったそうだ。
「高額療養費制度」

思いの外 治療費がかからなかった友人は、最初のうちこそ安堵し制度に感謝していたが、そのうち三人の子供の将来を考え不安になったという。
これでは早晩 医療制度は破綻するだろう、と。
このツケは全部、若者や子供にいくだろう、と。

もちろん本書で指摘されている通り、’’高額医療費還付の自己負担の上方改定は繰り返され’’ており、政治もただ手を拱いてるだけではないが、それにも限度があるため、実際には座視しているも同然である。

年金をはじめ、さまざまな分野で世代間の格差が云われるが、医療制度の恩恵を受けるうえでも世代間の格差は厳然と存在する。
しかもその格差は、本人たちではどうしようもない、’’勝ち組と負け組’’を生んでしまう。

だが、’’勝ち組と負け組’’が生じるのは、患者だけではない。

『勝ち組と負け組の格差は患者ばかりでなく、医療者にも波及した。もともと日本は医療機関が多すぎ、人間ドッグやメタボ検診で無理やり患者を増やしてようやく業界が成り立っていた。ところが、医療負け組が受診しなくなったため、経営難に陥る病院やクリニックが相次いだ。リストラされた医師やクリニックを手放した医師は、低額の外来診察や、当直のアルバイトをするしかなく、’’負け組医師’’と呼ばれるようになった。
その一方で、混合診療や自由診療で稼ぐ医師は、診療にホテル並の快適さや豪華さの付加価値をつけ、より高額な医療で破格の収入を得るようになった。’’勝ち組医師’’である。彼らは先行きの不安もなく、豊かな生活を楽しんでいた。』


有栖川有栖氏は、頻発するテロと医療破綻という現実に震えたと云うが、「私のとは、違うな~」(「臨場」内野聖陽ふうに)

本書がサスペンスと位置付けられるのは、’’豚に死を!’’ というメッセージとともに ’’勝ち組医師’’ を狙ったテロが頻発するからであるが、私がサスペンス(不安)を感じたのは、そこではない。

ツケを回される世代としては、医療制度の格差は気になるが、あの後期高齢者医療制度改革のドタバタが、政権交代の道具に使われただけで何の改善も無かったのを見てしまったため、もはや諦めの境地でしかなく、不安ではあるが身震いするものでもない。

それよりも怖いと感じたのは、医療被曝の問題だ。
『一回の(CTスキャン)検査でどれくらいの放射能を浴びるか知っていますか。胸のx線撮影の600倍ですよ。人間が一年間に自然から浴びる放射能の16倍から32倍です。それを10分ほどの短時間で浴びるんです。時間あたりにすれば、どれほど強烈な被爆かおわかりでしょう』

本書は、『医療を自由に任せているから、金もうけが大好きな病院と医療機器メーカーがやりたい放題するんです。それで日本は検査被曝大国ですよ』と云うが、危険にもかかわらず(不要な)検査が横行するには、果たして金儲け主義の医療関係者のせいだけだろうか。

あれほど被爆や放射能に敏感なはずの国民が、こと医療被曝に関しては無言を貫き、せっせと被爆を伴う検査を受けに行く。
多くの検査をしてくれ、多くの薬を笑顔で処方してくれる病院が、ウケる傾向にあるのは、事実だ。
患者さんのニーズあっての、CTスキャンなのだ。
ニーズの応えた病院がCTスキャンを導入すれば、収益をあげるために、どんどん使うしかなくなる。
必要のない患者さんにまで使う。

悪循環の堂々巡りの結果、日本は、100万人あたりのCTスキャンの保有台数が世界一で、全世界のCTスキャンの三分の一が日本にあると言われているそうだが、果たしてそれで良いのだろうか。

医療被曝に関する記述、それが本書で怖いと感じた、一点である。

もう一点については又つづく。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雅で強いお蚕さんの命の糸

2018-05-28 20:58:15 | 
次作が出るのを心待ちにしているシリーズの最新作を読んだ。

「あきない世傳 金と銀 五 転流篇」(高田郁)

本シリーズについては、これまで此処に何度も書いてきたので、それぞれの巻で印象に残った箇所を再度記すことは控えたいし、今回心に残った場面は、実は物語の筋とは無関係とも云える場面であるので、本書のあらすじについては、本の裏の説明書きを転載しておきたい。

本の裏の説明書きより
『大坂天満の呉服商、五鈴屋の六代目店主の女房となった主人公、幸。三兄弟に嫁す、という数奇な運命を受け容れた彼女に、お家さんの富久は五鈴屋の将来を託して息を引き取った。「女名前禁止」の掟のある大坂で、幸は、夫・智蔵の理解のもと、奉公人らと心をひとつにして商いを広げていく。だが、そんな幸たちの前に新たな試練が待ち受けていた。果たして幸は、そして五鈴屋は、あきない戦国時代を勝ち進んでいくことができるのか。話題沸騰の大人気シリーズ待望の第五弾!』

毎回さまざまな困難に襲われその度 乗り越えてきた幸だが、本書では、いよいよ’’商い戦国武将’’の本領発揮とばかり何度となく勝鬨をあげ、商いを更に広げていく。ただ、その成功が売上高を伸ばすことに汲々とした結果ではなく、「買うての幸い、売っての幸せ」という信念によるものであることが、読む者に心地よい。
とは云うものの、本書で私の印象に残ったのは、’’商い戦国武将’’としての幸の戦いっぷりではなく、五鈴屋の屋台骨を支える一つとなる「田舎絹」のお蚕さんを、幸が見る場面だ。

今でこそ丹後縮緬は有名だが、もともと京の織元は、丹後縮緬をはじめ京以外のものを、「田舎絹」と蔑んでいた。
その「田舎絹」に目をつけ、他では真似のできない見事な羽二重に育て上げようと試みたのが、幸だった。

お蚕さんが育つ過程すべてを見たいと自ら産地に出向かう、ご寮さんの幸。
(『 』「あきない世傳 金と銀 五」より引用)
『卵から孵ったばかりの蚕は蟻のように黒くて小さい。直に灰色がかった白色に変わり、桑の葉を食べ続けて四十日ほどかけ、人の中指ほどの大きさに育つ。存外、神経質で病に弱いため、その生育には常に気が抜けない。身体が透き通り、桑の葉を食べなくなれば、糸を吐く合図なのだという。
「こないな姿になったら、蔟 まぶし いうて、繭を作る寝床へ移してやるんです」』

『狭く仕切られた中に置かれたお蚕さんは、頭をうねうねと捩らせながら、糸を吐いている。淡い糸の膜が少しずつ厚くなり、膜越しに動く蚕の姿が見える。全ての糸を吐き終えて丸い繭になるまで、休まずに三日ほどをかける、とのこと。
「健気ですやろ。こないな姿を見たら、糸を無駄にはでけしません」』

『眉をそのまま置けば、やがて中でさなぎが成虫となり、繭を破って出てくる。その前に、繭を天日に晒して乾燥させ、煮て糸を引く作業をする。これが糸繰りだった。』
『口の広い鍋で柔らかく煮られた白い繭たちは、湯の中で仲良く起立していた。』

小石丸繭
写真出展 
綾の手紬染織工房 http://www.ayasilk.com/workshop/koishimaru.html

細い細い、髪の毛よりも細い蚕の糸は、しかし、なかなかに強い。
この一本では細すぎて糸にはなれないものを、10本ほどまとめ紡ぎ、一本の絹糸にする。

この過程を具に見学し、『これはお蚕さんの命と引き換えに得た、いわば、命の糸だ。一本では細すぎて糸に出来ずとも、まとめることで太さと更なる強さを得る。ひとも、そして店も、こうありたい、と幸は密かに思うのだった。』

この場面が強く印象に残ったのは、来年5月に皇后陛下になられる雅子妃殿下が、養蚕を引き継がれるために御養蚕所を訪問されたというニュースを拝見した頃、本書を読んでいたからだ。

<雅子さま、養蚕引き継ぎで皇居へ=両陛下が施設案内> 時事通信2018/05/13-19:04配信より引用
皇太子妃雅子さまは13日、皇居で行われている養蚕を皇后さまから引き継ぐため、皇太子さまや長女愛子さまと共に皇居を訪問された。宮内庁によると、天皇、皇后両陛下が皇太子ご一家を皇居内の紅葉山御養蚕所に案内され、一緒に施設を見学した。
皇居での養蚕は明治天皇の皇后、昭憲皇太后が始め、その後の皇后が継承。養蚕所では、今はほとんど飼育されていない「小石丸」という日本在来種の蚕が飼われ、絹糸は正倉院の宝物の復元などに使われている。


皇后が手掛けることとなっている養蚕について、雅子妃殿下には無理だという心ないバッシングが長らくあった。
御病気の負担になってはならない、というエセ善意の衣をまとったものから、虫嫌いの雅子妃殿下は素手で蚕を触ることなど出来まいという ※ 幾重にも悪質なものまで様々なバッシングがあったが、それは皇后が務まらないというイメージを雅子妃殿下に定着させようとするかのような執拗なバッシングであった。

だが、それが底の浅い言い掛かりでしかないことは、皇太子御一家を応援し報道を見守っている者ならば容易に分かることでもあった。
皇太子御夫妻に男児誕生の可能性が低くなったのと時期を同じくして悍ましいバッシングが始まったが、それ以前には、小中学生の頃の雅子さんが生き物係として様々な生物を育てておられたこと、生き物を大切に思う気持ちの強さから獣医さんを目指されたことがあること、皇室にあがられてからは御用地で見つけた弱ったクワガタを捕獲し、大切に育て何年にもわたり繁殖を続けておられるという、ほのぼのとした明るく優しいエピソードが数多く伝えられていた。

このような雅子妃殿下が、蚕が苦手で養蚕を嫌っておられるはずがないと思っていたが、この度引き継がれるにあたり発表になったところによると、やはり 雅子妃殿下は長く養蚕に心を寄せておられたが、皇后さまがなさるべきお務め故に、御自身の身位に鑑み、早くからご関心を示す事をご遠慮されていたということだ。

この細やかな御心づかいこそ大和撫子だと私は思うのだが、どうも最近では やった者勝ち言った者勝ち が大手を振って闊歩しているので、繊細な配慮など何処のあたりでも通用しないのだろう。

もっとも生き物の命を心から大切にされる雅子妃殿下だからこそ、ご養蚕ではお心を痛められることがあるだろうことは、本書のある場面からも拝察される。

三日三晩糸を吐きだし続け繭をつくるお蚕さんは、そのまま置けば成虫となり繭を破って世に出てくる。
だが養蚕業の お蚕さんは、その直前で天日干しにされ煮詰められる運命にあるのだ。

それが、小さな命を守り育てることを大切にされてきた雅子妃殿下のお心に疵をつけることにならないかは、気がかりだが、だからこそ雅子妃殿下は『命の糸』を心から大切にされると、私は信じている。

と、このように物語の主筋とは異なるところに関心を持って読み進めたが、次巻では幸がいよいよ商い戦国武将としてお江戸に乗り出す気配がある。
これは本書の大きなテーマ「女名前禁止」とも絡んでくるので楽しみだ。

学者である父からは「幸が男だったら(女に学問は不要だ)」と言われ、母からは「女は子供さえ生んでおれば良い」と言われ、悔しい思いで育った優秀な幸。
9つで奉公にあがり商才を見出されたものの、大阪なにわに厳然とある「女名前禁止(女では、いかに商才があろうと店の主人にはなれない)」に阻まれ、思う存分才能を生かせずにいる幸。
この幸が、次巻では「女名前禁止」という旧弊な仕来りがないお江戸に打って出そうだ。

陋習を改める先駆者としての幸を期待しながら読んできたが、それはそう簡単なことではなく、どうも新天地に赴かなければ、その才能は活かせないようだ。

だが、今も変わらず陋習に捉われているお膝元で、幸がいかに活躍するか、次巻を楽しみに待っている。

注 ※
幾重にも悪質なバッシング、と書いたのには理由がある。
雅子妃殿下が虫嫌い故に養蚕ができないという嘘を撒き散らすのも悪質だが、その根拠としてあげられる、虫嫌いの雅子様は蚕を素手では触れまいというものは、(本書でも指摘されている通り)そもそも神経質で病に弱い蚕は素手では触らない方が良いため、見当違いな非難であったという事を是非に追記しておきたい。
バッシングのためならば、あらゆる事実を捻じ曲げる日本の報道が恐ろしい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今、そして依所、ワンコ②

2018-05-25 23:15:15 | ひとりごと
「今、そして依所、ワンコ①」より

ワンコのお告げの本は読めなかったけれど、
南海トラフ大地震ニュース で思いだし再読した本に、今の私が必要とする言葉があったから、
ワンコの気遣いを感じ感謝しているんだよ ワンコ

「夢の花、咲く」(梶よう子)

本書はね、物語前半は捕物のお話として進んでいくのだけど、
途中で安政の大地震がおこり、捕物どころではなくなってしまうんだよ
その理由が、本書執筆中にあった東日本大地震のせいか否かは分からないけれど、
読む者には、被害の状況も、被災者の苦しみも嘆きも、痛いほど伝わってくるんだよ

特にね、物語の最終盤で、
御救い小屋(今でいう避難所)が十日後に閉鎖されると知った避難者が怒りを募らせる場面は、
今も日常生活の再建が困難な方がおられることから、胸が痛むのだけど、
ハッとさせられる言葉が、あるんだよ

それは、
お上と一緒に被災者を救援する大店の女将が、怨嗟の声をあげる被災者たちを一喝する言葉なんだ※

『いま居る場所に留まっていては、いくら経っても先は見えません』

この言葉に奮い立てる被災者ばかりでないことは、
多くの災害を目の当たりにしてきたので、十分に痛いほどに分かるのだけど、
それでも この言葉に心打たれたのは、この言葉を自分への叱咤激励と感じたからだと、思うんだよ

「石橋を叩いているうちに壊してしまい、渡れない」という私だけど、昨年来の変化は劇的なものがあったよ
思いがけない切っ掛けで生じた転機は、
私の気持ちとも望みとも違うところで あれよあれよと進んでいき、
気がつけば引き返せないところに来てしまい、それを未だに悔む日もあるのだけれど、
そんな自分に、この言葉は発破をかけてくれた気がするんだよ

長年思い描いてきた夢とは違う道を歩み始めているけれど、’’夢の花、咲け’’ と自らを鼓舞してるよ
心をこめて育てている若葉の ''夢の花、咲け'' と祈ってるよ 

そんな私をワンコが、応援してくれていると信じているよ
ねっ ワンコ

ワンコのお山が依所で、ワンコが拠り所の私を見守っていてね ワンコ

追伸
ねぇワンコ 
これを書いている今日、少し嬉しいことがあったよ
違う道だけど頑張ってみるか、と思わせてくれた若葉が、
落ち込む私を支えてやろうと言ってくれたんだよ
有難いね ワンコ
ワンコと同じでクールなイケメンのくせに優しいピンクを思わせる若葉を頼りながら、
頑張ってみるよ ワンコ

きっとこれもワンコの仕業だな ワンコ
ありがとうね ワンコ

追伸 ※
大店の女将は、ただ被災者を叱咤激励しただけでなく、
自らの材木問屋の資材 持ち出しで、今で云う仮設住宅を作るんだよ
これは著者・梶よう子氏から、被災者と被災者以外の人間への、
強烈なメッセージでもあるね ワンコ
どこが次の被災地になるか覚悟せねばならない現在、
防災グッズとともに、確かな気構えも必要だね ワンコ

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今、そして依所、ワンコ①

2018-05-24 12:00:00 | ひとりごと
もう何か月も気持ちが休まることがなかったのだけど、
そのせいで、今月は遂にワンコお告げの本を読めなかったのだけど、
優しいワンコはすべてお見通しだったんだよね
だって、ワンコからのメッセージはしっかり届いていたからね
それは、一つ一つは関連無さそうでありながら、トータルしてみると大きなメッセージに思えたんだよ

南海トラフ地震のニュースで、桜咲く名古屋城を思いだし、
名古屋城の虎の間(本丸御殿玄関)の「竹と虎の襖」から、
臨済宗の御住職の「あなたにとって、依所となる安住の地は何処ですか」という問いかけに出会ったんだよ
「那古野 名古屋 がんばれ!」

この時は、「依所」を よりどころ と読み、私の心の拠り所は何かな?誰かな?
もちろん一番はワンコだけど、次は何かな誰かな?と思ったんだよ 
でさ、「依所」で検索すると、
最澄の「おのずから住めば持戒のこの山は、まことなるかな依身より依所」という歌に辿り着いたんだけど、
これは、よりどころ、ではなく、「えしょ」と読み、
まさに場所を指す言葉なんだって

心の拠り所を、人や物や趣味に見出すのではなく、場所に求める
僧侶にとっては、修行する場所が大切で
俗人にとっては、心が安らぐ場所が大切ということなんだって
河童橋・明神岳の向こうから昇る朝日

そう考えると、昔の人はうまく言ったもんだね
「国破れて、山河あり」
・・・何もかも失い破壊されても、大地は残る

今となっては何で読んだか聞いたか忘れてしまったけれど、
「どんなに辛いことがあっても、懐かしくて愛おしくてならない風景を心にもってる人は大丈夫」という言葉
これも本当なんだね ワンコ
蝶が岳から拝するワンコのお山の峰々

ワンコ
私にとってのそれは、ワンコのお山だな
犀川から見上げる北アルプスの山々や、
河童橋から槍穂へつづく山道なんだな
井上靖氏が「穂高の月」で感動を記した、槍穂への道

一難去ってまた一難
新しいポジションと仕事に少し慣れてきたかと思ってきた矢先の厄介事に、
落ち込みそうになっていたけれど、
「依所」という言葉を検索し、自分にとっての其処を思い浮かべることができたことは、
今の私にとって、とっても大切なことだったよ ワンコ
ありがとうね ワンコ
槍の頂から拝するワンコの山々

ワンコお告げの本は読めていないけれど、
地震と名古屋城関連で手に取った本に、今の私に必要な言葉を見つけることが出来たのは、
やっぱりワンコの仕業なんだろう ワンコ
それについては、又つづくとするね

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時代を越えて ③

2018-05-22 20:05:50 | 
「時代を越えて ③」より

今年は ’’明治150年'’ などと言っており、そう云う辺りに限って「伝統伝統」と姦しいが、破壊令まで出して、その伝統ある建築物であるお城を破壊したのは、何処の何方であったか。

巨大な清国までも列強の手に堕ちたことを考えれば、西洋に追いつけ追い越せの掛け声は当然の事と思うので、散切り頭で文明開化の音を楽しむくらいは結構だが、和魂洋才などと云いながら、古来からの暦を捨て、日本原産の牡の馬を根絶やしにして西洋化しようとしたことに代表される行き過ぎと矛盾を、どう考えるのか。(参照、「五郎治殿御始末~西を向く侍」(浅田次郎)「颶風の王」(河崎秋子)

しかも、それに既視感がある現在は、後にどのような評価を受けるのだろうか。

このような人為的な破壊は論外だが、様々な災難に遭いながら、復活してきたお城もある。
「時代を越えて②」で記した、落雷で破壊された国宝犬山城の鯱もそうだし、このところ掲載してきた名古屋城も数々の試練を乗り越えてきたことを教えてくれる。
大正10年(1921)の暴風雨で石垣もろとも崩壊したこともある西南隅櫓

地震も暴風雨にも耐えたが、昭和20年(1945)5月14日の名古屋大空襲で焼失したこともある鯱

古来から様々な災害や災難に見舞われてきた日本だが、その度ごとに乗り越え更に発展してきた歴史がある。
その事実を伝える文化がある。
歴史と文化がある国に生まれたことを感謝するのは、このような時ではないだろうか。
他国に対しての優位性でのみしか自国を誇ることが出来ないでのは、寧ろ愛国心が足りない、と云えば言い過ぎだとお叱りを受けるだろうか。

そんな事実を教えてくれるのは、歴史的建造物や歴史書だけでない。
時に小説が、その役割を果たしてくれることがある。
これまでも、そんな本を記してきたが(「起返の記~宝永富士山大噴火」(嶋津義忠)「生きている山を活かす」)、もう一冊力強い本を思い出している。

「夢の花、咲く」(梶よう子)

本書「夢の花、咲く」は、朝顔同心と陰口をたたかれる奉行所の名簿作成係(閑職)中根興三郎を主人公にして第15回松本清張賞を受賞した「一朝の夢」(梶よう子)を遡ること5年前の話である。
(参照、「一朝の夢」については、「一朝の夢、つなぐ想い」 「朝顔同心とチャカポン様の’’夢 幻’’」 「一朝の夢を万年つなぐ」
あの 寝ても覚めても変化朝顔の作出しか頭になかった興三郎に、朝顔からキッパリ足を洗う決意をさせる事態が生じる。
それが、安政の大地震だ。

被害の甚大さに対して、お上の対応は鈍く、御救い小屋(現在でいう避難所)に派遣された興三郎は、さすがに朝顔どころではないと思う。
家族を亡くした者、仕事を失った者、家を失くした者、すべてに倦み疲れている人々を前にし、興三郎が 変化朝顔を咲かせるという「夢」に何の意味もないと考えたのも当然のことだと思う。

それほどに安政の大地震の被害は大きいのだが、本書でその様がリアルに描かれ又 読む者に実感を伴って伝わってくるのは、本書があの東日本大震災の最中に書かれたことと無関係ではないと思う。
だが、作者の意図はそこにはない(と思う)。

地震を食い物に金儲けを企む者や、地震など我関せずと我が道だけを行く者や、救いを求めるばかりの者や希望を見失っている者を目の当たりにした興三郎に、作者はもう一度朝顔の種を手に取らせる。
そうして、興三郎の口を借りて作者が伝えたかった事が、胸をうつ。
それが、東日本大震災発災から日を置かずして書かれた言葉だということが、心をうつ。

『天災はさまざまなものを奪った。ですが、未来まで失ったわけではありません。
 人は生き、町は必ず再生します。
 こたび、命を長らえた私たちが、すべてを背負い、繋げていかなければいけない。
 花が咲くころには、もっと町は復興しているでしょう。
 でも、それを果たすためには各々の力や、強さがいつもよりも必要だと思うのです』

『恥ずかしながら私が思いついたのはこんなていどです。
 花を咲かせたいと思ってくれるだけでいい。夏を思ってくれるだけでもいい。
 少しでも先を考えることが希望になります。
 長屋の軒下で、通りの端で、朝顔を見かけたら、皆が元気だと分かる。
 私はそれを楽しみにしております』

上記の言葉とともに興三郎は、明日には御救い小屋を追い出される被災者たちに夢の花である朝顔の種を手渡すのだ。

もちろん本書が小説であり、この言葉が架空のものであるのは承知しているが、先人がこのような言葉を掛けあい力強く立ち上がってきたことは、その後のお江戸を思えば、容易に想像がつく。
そしてそれは、今を生きる人に勇気を与えるのではないだろうか。

それこそが、歴史とそれを伝える文化を有することの強みではないだろうか。

・・・と、名古屋に始まった一連のものを書いていると、嬉しく しかも打ってつけのニュースが愛知から届いた。

皇太子様がライフワークとされている水の研究のため愛知をご訪問されたのだ。
<皇太子さま、船頭平閘門に=水研究関連の視察-愛知> 時事通信 2018/05/21-19:57配信より一部引用 
皇太子さまは21日、日帰りで愛知県を訪れ、木曽川と長良川をつなぐ重要文化財「船頭平閘門(せんどうひらこうもん)」(愛西市)を視察された。ライフワークとしている水問題研究の一環で、名古屋市の美術館訪問に合わせて実現した。
「閘門」は水面の高さが違う川や水路を船で行き来できるよう、水量を調節する施設。船頭平閘門は木曽、長良、揖斐の三川が1887年に工事で分離されたため、並行する木曽川と長良川の間を往来できるように1899~1902年に建設された。


皇太子様がライフワークとされている水問題は、幼い頃に赤坂御用地を歩いておられた時に御覧になった鎌倉時代の「道」を契機に、大学時代「水の道(水運業)」を研究されたことに始まるそうだが、年を追うごとに水問題に関するご関心の対象は広がり、現在では水を中心に教育・衛生や災害問題に取り組まれ、度々 国連で基調講演もされている。
その基調講演を拝読すると、歴史と文化ある国を体現されるのが皇太子様でいらっしゃることが有難く誇らしく感じられる。

皇太子様は講演などで、古代から現代までの日本の水に関わる文化を世界に発信されていたが、東日本大震災以降は、災害と平和という観点が強く滲み出ている。
講演では、歴史的資料で災害を具体的に示されるだけでなく、和歌集や方丈記に記されている災害時の民の嘆きも紹介される。
だが皇太子様は、災害の悲惨さを直視しながらも、ただ嘆いておられるのではなく、それを乗り越えてきた先人の知恵に学びつつ最先端の科学技術も採用し、人々の幸福につながるよう発展することを信じていると講演されている。

そこに、過去と現在、歴史的書物と科学技術をつなぐ貴重な何かを私は感じている。

防災対策は、災害の種類に応じてそれぞれ専門家がいるのだろうが、広く過去の文献にあたりつつ新しい技術も理解される方がおられることは心強い。
その方が、いかなる苦難の時も乗り越えてきた過去あっての現在だと体現される御存在なのだから、尚更のこと心強い。

地球的規模で活動期となった現在、南海トラフ地震をはじめ三連動や富士山などの噴火に何時見舞われんとも限らない。
歴史家であられる皇太子様は、その厳しさを見据えながらも、先人達と同じく乗り越えていかねばならないと、静かに覚悟を固めておられると拝察している。
そう信じさせてくれる御講演を記して、名古屋紀行を終えたい。
宮内庁ホームページ 皇太子殿下のご講演 http://www.kunaicho.go.jp/page/koen

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする