何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

あがいている

2024-03-20 21:56:00 | ひとりごと

ワンコが天上界の住犬になって8年と2カ月

忙しくて報告書は書けなくてもお告げ本だけは読んでいたのに、この半年ほどはそれもかなわないほどの日々を過ごしている。
元旦の地震に二日の航空機事故 今年はとんでもない幕開けで始まったが、私自身この三カ月は曜日の感覚もなくなるほどの日々だ。

大切な人を応援する流儀を教えて下さった人生の先輩から届いた真っ赤な苺

年明け早々の父の手術、いくつかの腫瘍の一つが癌と判明、詳しい検査により半年後の経過観察で良いことにホッとしたのも束の間、両親や家族が相次いでコロナに感染、両親のコロナは比較的軽症だったことに安堵していたのだが、コロナを切っ掛けにもともと徐脈の気があった父の心臓が弱り何度も救急で運ばねばならぬ事態に。この間私自身の仕事は多忙を極め…私一人コロナにも罹らず(今でも人と接する時にはマスクは二重、手ピカジェルは必需品の私ゆえ?)よくぞ倒れずやっているものだと、自分を褒めてやりたいほどの日々だった、いや今もまだ大変だ。

こんな日々を支えてくれているのが、やはりワンコなんだな、そして本を読むことなんだな
これだけ心身ともにしんどく大変な日々だけど、気が付くと年明けからまたお告げ本を読んでいる
ワンコを思いながら本を読むその時間が、本当に今は救いなんだよ
「さいはての彼女」(原田マハ)の「人生を、もっと足掻こう」という言葉に何かを感じたり、
絡新婦の糸―警視庁サイバー犯罪対策課―』(中山七里)の中で見つけたこのブログのタイトルの和訳「最後に笑うものが一番よく笑う」に、少し前までは感じなかった切なさを感じた自分に驚いたり。
でも、ねぇワンコ 
心と頭を空っぽにできる素敵な本をこれからもお告げしておくれ

玄関の石垣に咲く 黄梅
花言葉は 期待

 


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富士 桜 祈り

2023-03-27 17:30:15 | ひとりごと

五分咲きのところを激しい雨にうたれてしまい、今年の桜は期待できない、と寂しく思っていると、思いがけないところから、もとい大切な友人から桜が届いた。

京都 源水さんの有平糖 桜

こんなきれいな桜を愛でながら、いや可憐できれいで儚げな桜だからこそ・・・同期の桜ということもあるかもしれないが、先日の百貨店でのある場面を思い出した。
先日の休日のこと。
近くの百貨店に行くと、あちこちにビシッとした制服に、身のこなしも俊敏な人たちが、いた。
階をかえるためエスカレーターやエレベーターを利用するたび、そこには物々しさを身にまとった人が慣れない笑みを顔に張り付かせ、最敬礼とまでは言わないまでも下にも置かない態度で出迎えてくれる。
ぼけっと買い物しているうちに、アチラの国のポンコツミサイルが着弾してしまったのか?と一瞬思うほど、そこかしこに制服組が、いる。
目的の文具書籍贈答品コーナーで長居していると、制服たちが結集してきた。
すわ!・・・・
と身構えると、自衛隊の音楽隊の方たちの演奏会が始まるという。

曲目は、それはそれはよく考えられていて、誰もが耳にしたことのあるクラッシックのメドレーだったりディズニーのメドレーだったりで、和やかに演奏会は進んでいった。
思えば、(そこそこ)クラッシックは好きなのだが、このコロナ禍ということもあり、なんと生演奏を聴くのは4年以上ぶり。
しかも、その4年ぶりの生演奏が自衛隊によるもの、ということに時節柄 何とも云えない気持ちになり、最後の「ふるさと」を聴きながら、自分でも本当に思いがけないことだったのだが、目頭が熱くなってしまった。

しゃもじさんが突然、斧だか愛国心だかを購入するとぶち上げる一方で、パンダ国の大使の挨拶は無視するという時代。

ふるさとを守るために職務についてくださっている方々
この方々が、前線に立たねばならないような時代がこないよう、強く強く願った

桜は、潔く散るからこそ美しいのではない

桜を皆で愛でる優しい時間が続くこと願っている

春3月
平らかな世を祈る旅に出かけたことを思い出し、今再び穏やかな世を祈っている

水脈の果て、富士の高嶺に祈る平和 - 何を見ても何かを思い出す


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27年

2023-03-06 15:23:54 | ひとりごと

お誕生日のお祝いが遅れるなど、まして天皇陛下のお誕生日に寄せる「おめでとうございます」の言葉が遅れるなどもってのほかだが、あまりに忙しく色々あり、今日になってしまった。
月もかわった今となっては、それを記す方が失礼なのかもしれないが、こんなニュース&お写真を拝見してしまったので、記録のために。

 

両陛下、ルーマニア大統領夫妻と会見へ 3月6日~3月12日 (朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

モンゴル国家大会議議長夫妻と面会した天皇、皇后両陛下=2023年3月3日午後2時30分、皇居・御所の小広間、宮内庁提供 - Yahoo!ニュース(朝日新聞デジタル)

Yahoo!ニュース

 

上記の2023年3月3日モンゴル国家大会議長御夫妻と懇談される両陛下のお写真を拝見し、アッと声をあげてしまった。

皇后陛下のこのロイヤルブルーの御召し物 
私の印象に残っていたのは、1998年当時のスペイン皇太子殿下がご来日された時の、この素敵なロイヤルブルーだ。スペインの爽やかな青い海を彷彿させるロイヤルブルーの御召し物でお出迎えになられた、と当時のマスコミは伝えていた。

             1998年スペイン皇太子殿下を車寄せでお出迎え
             https://8760.news-postseven.com/55012よりお写真


が、実はその二年前の1996年にはもうお召しになっていたというのだ。                      1996年

 

実に27年前の御召し物をブラウスや小物を変えることで、まったく年代物と感じさせずにお召しになっている。(とはいえ1990年代と比較すると、サイズを直しておられることは明らかで、そうして着まわしておられることの素晴らしさと哀しさを感じる)
ちなみに、先日3日につけておられるブローチは、ご婚約の頃に頻繁にお使いになっていたものだ。(母が素敵だといい、同じものを購入したのでハッキリと覚えている)

 

先月の天皇陛下のお誕生日で、さらには昨年12月9日の皇后陛下のお誕生日でも、
皇后陛下が29歳と半年でご成婚になられてから、昨年12月9日で29年と半年が過ぎたことを感慨深いとご感想を述べておられた両陛下だが、その年月とほぼ同じ年数の御召し物を今も大切に着ておられることに、驚きと喜びと感銘と、哀しさを覚える。

女児しか産めなかったと責められ心を病まれ、公務をお休みされるしかなかった日々・・・
両陛下の29年と半年を振り返るご感想はともに、悲しみの時にも言及されている。

悲しみの時も共に経た御召し物が、今、変わらず美しさを放っていることに、両陛下の喜びと悲しみの時間が見事に昇華されているのを感じ、深い感動に包まれている。

令和が永遠に続くことを願っている。

 

世界には、たった数回着まわしただけで、節約家だと称賛されるロイヤルファミリーもおられる(お国柄ということもあり、これは別にその方をどうこう言いたいのではない)。
兄の一世一代の国家的な儀式には、身の丈にあったたものにすべしと簡略化を主張しながら、自分の御殿改修&新築仮住まいには総額50億近い金額を要求する方もいる。(ちなみに兄のお住まい改修費は国内外の要人を接遇する公的スペースも含め8億ほど)
身の丈にあうことが重要といいながら、盗作や横入入学は平気な方もいる。

令和が永遠に続くことを強く願っている。


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令和5年 平らけき世を祈る

2023-01-03 11:11:11 | ひとりごと

令和5年
おめでとうございます

毎年お参りする日本でも有数の歴史ある一之宮
今年は拝殿の正面ちかくに天皇陛下の御製が
(毎年新年にはお参りしているが、御製が掲げられるのは初めて)

 

天皇陛下 御製
人々の願いと努力が実を結び 平らけき世の到るを祈る


御製をカメラに収めたかったが、
御製であるし拝殿も映り込んでしまうし、不敬な気がしてカメラをおろした
であるので、
天皇陛下のお誕生日 
富士山の日にちなみ、一 富士の写真を

コロナ禍に急激な円安物価高。
正直なところ、あまり明るい先行きが見込めない年明けだが、御歌を拝見し、目頭が熱くなった。
そんな思いの人は多かったようで、 あちこちで御製を見つめながら、目頭を押さえたり空を見上げてこみあげるものを抑えている人の姿が目に留まった。

天皇陛下は歴史学者でもあられるので、地形上地質上災害が多い我が国のことを十分ご存知なうえで、そこを乗り越えてきた、努力する国民であることを信じておられるのだと思う。

なかなか良い見通しはたちにくい状況ではあるが、縁起の良い美味しいお菓子をいただき、元気に努めていかねばと思っている。

 


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祈りの旅 静かな山 ②

2022-08-21 10:45:30 | ひとりごと

時々怖いなと思う。

このところ連日スマホが「三年前の今日」の写真とやらを届けてくれている(ということで今回の写真は三年前のもの)


ザイテングラードに取りつく前の、いよいよ登るぞ!と気がはやりだす地点

 


奥穂のてっぺんから望む槍

 

スマホから送られてくる写真のおかげで、三年前の夏はコロナもなく40肩(50肩)もなく、天気に恵まれご機嫌に山を歩いていたんだなとか、初めて奥穂に登った時に偶々ご一緒した(どこの何方とも知らぬ)素敵なご夫妻に明神館の前で偶然再会し旧交を温めたのもこの夏だったな、などと懐かしく思い出したのだが、月ごとにスマホに表示される行動(活動)履歴も含め、こんなちっぽけな機械に行動を見張られ管理されているような、うすら寒さを感じている。

三年前の夏は、その半年後に世界を揺るがすようなウィルスが出現することなど思いもしていなかった。
考えてみると近年は、大震災にしても大洪水にしても、「経験したことのない○○○」ということばかりなので、いつ自分が当事者になってもおかしくないという思いは持っている。そんな私でもコロナは思いもしないものだったが、それでも、どんなものであれ、明日そして一年後三年後が続いていくことを疑ってはいなかった。

それが、当たり前でないことを思い知らされる日々を過ごしている。

五月半ば、久しぶりに会った君は、かなりほっそりしていた。
久しぶり、といっても二月後半にコロナに罹患した直後にも会っていたので、たった二カ月ほどのことだった。
最近 合気道だか空手だかを始めたと聞いていたので、「体がしまってイケメンに磨きがかかってるね」と話しながらも、急激な変化に驚いていた。
そんな君がその次の週のある朝「コロナの後遺症か倦怠感が抜けないので病院に行ってみる」と知らせてくれた。その時 電話口から聞こえてきた君の声は、軽い後遺症か五月病か、と明るいものだったから、夕方の電話に衝撃を受けた。
「即刻の入院を告げられた。明日には骨髄穿刺をし、そのまま入院することになる」
君の声は震えていた。
私は、自分の声に涙が混じるのを必死で抑えていた。
それを聞くなり涙声になったのでは、どれほど不安を与えてしまうだろう、そう思い、必死にこらえた。

 

数年前「日々是好日」(森下典子)に出会って以来、自分なりに一期一会を大切にしてきたつもりだった。(『 』「日々是好日」より引用)

『人生に起こるできごとは、いつでも『突然』だった。昔も今も......。もしも、前もってわかっていたとしても、人は、本当にそうなるまで、何も心の準備なんかできないのだ。結局は、初めての感情に触れてうろたえ、悲しむことしかできない。そして、そうなって初めて、自分が失ったものは何だったのかに気づくのだ。
でも、いったい、他のどんな生き方ができるだろう? いつだって、本当にそうなるまで、心の準備なんかできず、そして、あとは時間をかけて少しずつ、その悲しみに慣れていくしかない人間に......』
『だからこそ、私は強く強く思う。会いたいと思ったら、会わなければいけない。好きな人がいたら、好きだと言わなければいけない。花が咲いたら、祝おう。恋をしたら、溺れよう。嬉しかったら、分かち合おう。幸せな時は、その幸せを抱きしめて、100パーセントかみしめる。それがたぶん、人間にできる、あらんかぎりのことなのだ。
だから、だいじな人に会えたら、共に食べ、共に生き、だんらんをかみしめる。一期一会とは、そういうことなんだ......』

 

だが、突然のしかも私より随分年下で元気印な君のそれは衝撃だった。

その日以来、景色の一部が色を失った。
とびきり優秀で人柄も良い君が突如病に襲われた不条理が許せず、治療が何やらはかばかしくない様子なのが許せず、読みものが全て噓くさく思えてきた。(それが本の感想が書けない理由の一つでもあった)

嘘が混じらないものに触れたい。

行きたいところに行き、それを100パーセント味わっておかなければならない。

そんな思いで、感染者急増のなか上高地へ向かった。

山へ向かう途中にメールをした。


奥穂から拝する朝日

きっと絶対必ず良くなる

 

つづく 


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