何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

祈りの旅 静かな山 ①

2022-08-12 10:36:20 | ひとりごと

何カ月ぶりかの更新となり自分ながら呆れている。
この間もワンコお告げの本は読んでいたのだが、それを書く時間がなく、また気分が乗らなかった、というものある。

八月に入り、怒涛のような日々から少しだけ解放されたので、この間の記録もかね何か少し書いてみることにする。

恒例の夏の上高地
コロナ禍ということもあるが、四十肩(五十肩)のせいか腕と肩に激痛がはしり、そのため可動域が狭まり、岩登りどころではないので、今年も上高地の地べたを這ってきた。
今年の上高地は何といっても、無事に両親を連れていくことが至上命題だった。
最近何をするのも億劫がる両親には、あの懐かしくも美しい景色のなかで細胞の隅々までリフレッシュする必要があると思ったからだが、七月半ばに父が熱中症で倒れ、また周囲の人(のご家族)が次々感染していく状況で、行っても良いのだろうか?と迷いながらの出発となった。

結論からいうと、行って良かった。
いつもお世話になるお宿は、ここで感染するはずがないというほど感染対策が徹底されていたし、久しぶりにマスクを外して長時間歩けたことは私自身にとっても大いにリフレッシュとなった。(人とすれ違う時にすぐできるよう絶えず顎マスクにしてはいたが)
コロナに打ち勝つには抵抗力が必要だとするならば、旅のリフレッシュ効果は大いに抵抗力を高めてくれたと思っている。

食事をする大広間の入り口にあった、「奮起」の文字
いつもお世話になるお宿は、ロビーや壁のいたるところに、
青蓮院門跡の門主の書や画家さんたちの絵が収められており、
         ちょっとした山の美術館の雰囲気があるので、         
これまでも、この文字は大広間の前にあったのかもしれないが、
コロナ禍の今、この言葉は強く心に刺さった。
このコロナ禍、
多くの観光業の方々は何度この言葉を胸に自らを奮い立たせて来られたことだろう。

 

だが、そこかしこでコロナの影響を痛感する旅でもあった。
お盆前の今の時期なら例年、河童橋は橋が落ちてしまうというくらいの大勢の人で賑わっているのだが、人もまばらで静かな上高地だった。
上高地旅の道中立ち寄る、信州のそば屋さんや飛騨高山の古い町並み朝市も、いつもの賑わいはなかった。
これだけ感染状況が悪ければ、良識のある人が(政府が経済経済と旗を振ろうが)自ら自粛するのはやむを得ないという思いと、でもそれは人口減と国際競争力低下が著しい日本の、そう遠くない未来を見るようで、辛い寂しい旅でもあった。

この数カ月、いろいろあった。
それを考えながら、いや考えても仕方がないと思いながら、でも目の前の出来ることは一つ一つ精一杯頑張るしかないと一歩一歩あるく静かな山だった。

たぶん、つづく

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