チョコハナな日々

ちょこっとした日常のさまざまなことに対する想いを書いていきます。

本日再会

2013-10-09 | 風見 治さんとハンセン病問題
台風が去った。

強い風...といっていたけど、大したことなかった。

風見さんは鹿児島から雲仙の旅館に着いたのだろうか...

連絡してみると、キャンセルしようか考えたらしいが、強行し、今○○旅館にいるという。

予定通り長崎の○○でランチ。

鹿児島からのお供と長崎のお友らといっしょに。

わたしもお邪魔して

久しぶりの再会を楽しむつもりである。








おくんちに...

2013-09-04 | 風見 治さんとハンセン病問題
風見さんから連絡が入る。

おくんちに長崎へ来る、と。


8日は雲仙に1泊して、翌日長崎市内でランチ予定。

そのとき、久しぶりの再会となる。

が、県の事業で来るので、お供が何人かいっしょ。

時間はありそうですが、2人でゆっくり話せるかどうか...不明


高齢と障害の2重苦で、ますますしんどいのでしょうが、

電話の声にはまだ張りがあった。

愛犬ムンクも健在だという。


今度はお互いの犬の話で盛り上がるかも。


酷暑から一気に秋になってしまったので体調崩さないで

会いましょう。

来訪者で

2011-06-16 | 風見 治さんとハンセン病問題
時々、風見さんのことを思い出す。

ご無沙汰していて、連絡していない...な...と。

昨日も、ちょっと考えていたら

本人から電話がかかってきた。

風見さんが連絡してきたのは、

数日前に風見さんをたずねて来た人がいて

そのときわたしの名前が出て

その人も知っているといっていた、

まぁ、それでわたしのことを思い出し

電話をしてみたということだった。

今年の秋にも、里帰りがあるけど、

前回のようにわたしとの会う時間もないような企画なので

「いかない」そうだ。

「県の里帰りがお金はかからないけど、自分で行くほうが自由になるから」。

「足腰が弱くなった」というけれど、電話の声はいつもと変わらない。

うちの親より少し下の年齢だが、風見さんのほうが大分若い感じがするのは

「今度、瀬戸へ行く」というように、まだまだ意欲があるからなのだろうか?

それとも被爆の関係(うちの親は被爆者)もあるのかな...

風見さんの元気な声に

自分の背筋がちょっとだけしゃんとした気がする。












帰宅

2010-10-29 | 風見 治さんとハンセン病問題
風見さんから昨日連絡が入った。
「明日、軍艦島へ行くというけど、僕は行かなくてもいいんだけど、4人で来たんだけど、」。
県のふるさと事業で長崎へ里帰りした風見さん、療養所からスタッフが同行し、県職員と共にあちらこちらとVIP待遇で観光名所巡り。

明日は同行者にはどこかで時間をつぶしてもらってその間前回同様県美術館で会いましょう、明日の朝、また連絡する、という内容だった。
う~ん、風見さんと久しぶりおしゃべりしたいけど、果たしてそれが出来るものか...
風見さんから離れてスタッフが軍艦島クルーズなんてしたら、それが見つかったら...
今回は無理かな、と思う。
今朝の風見さんの電話も「午後2時半なら会える」となった。

「僕も軍艦島へ行くようになって。4時に帰るので、2時半からならお土産を買う時間でアミュで会えるけど、」と風見さん。
「4時には、娘が修学旅行から帰ってくるので午後2時半からは無理ですね」とわたし。
「お正月でも娘と一緒にそちらへ行きますよ、一泊ではそちらへ行くのには遠くて。お盆かお正月ぐらいしか行けないですね」
「あぁ、お盆は暑いから、お正月がいいね、おせちとか料理が沢山出されるけど、僕ひとりでは食べきれないから」

4時に娘が戻ってくる。同じ時間に風見さんは鹿児島の療養所へ帰っていく。


元気でした

2010-10-07 | 風見 治さんとハンセン病問題
風見さんから音沙汰がなくなった。

気になりながら、こちらから連絡することもなく何ヶ月か過ぎていた。

8月に残暑見舞いのはがきを出してみたが、何もかえってこない。

多分大丈夫なのだろうけど、念のために携帯へかけてみる。

しばらく鳴らしてみると風見さんの声が聞こえた。

「返事を書こうと思って...そのままになっていたのだが、あなたがはがきにそちらへ行こうかと思っている、また連絡しますと書いていたので」、

わたしからの連絡を待っていた..らしい。

今月末に県のふるさと事業で長崎へ来るから時間があったら会いましょう、ということで℡を切った。

風見さんの元気な声が聞けてよかった。







中傷する人

2010-03-30 | 風見 治さんとハンセン病問題
昨年、風見さんから手紙とともに一枚の紙が送られてきました。
それは菊池恵風園の志村団長宛の葉書のコピー。
内容は元ハンセン病患者への誹謗中傷文です。
差出人は熊本市60才女性。
熊本東 2003.11.28の消印があります。

☆後でしっかり書きたいと思いますが、記憶に残っているのは...黒川温泉のある宿が、過去ハンセン病だった人たち、元患者らの宿泊を拒否したことがあった。それに対する元患者らの抗議の模様がテレビで全国放送されたが、映像の切り口の仕方により謝罪している女将のほうに同情が集まってしまう。放送直後から菊池恵風園に全国から多数の誹謗中傷の手紙や電話などがくるようになった。また、誹謗中傷する人たちが普段は理解のある人であっただけに元患者らは「暗闇から石を投げられる」ような気持ちになった。
 

葉書の文面以下

今回のホテルの件で、又、慰謝料とか賠償とかに話を持って行かれるつもりでしょう。
身体ばかり醜いだけではなく心までも醜いですね。謝罪をされたホテルの人に対して、声高らかに抗議している貴方達の見苦しさに我慢出来ずに便りしました。
今回、小国のホテル拒否の件で一言、もし私がホテルの支配人だったら、貴方達の申出は断る。何故かと尋ねられますか?まず御自分の顔や身体を鏡で見て下さい。気持ち悪くないですか?私は、10年前身体中に湿疹が出来ました。消毒薬にまけたのです。
それ以来、公衆浴場には入っていません。他の人が入らない家族風呂に入っています。何故ならば一緒に入った人に不快な思いをさせたくないという気配りです。貴方達ももう少し謙虚になりなさい。


読んで分かるように誹謗中傷する人は表立って意地悪な人ではありません。むしろ他人に対して気配りできるやさしい?人のようです。差別に耐えている状態なら可哀相だと同情するが、抗議という牙を見せると一見やさしい人も本心が噴出してしまうのでしょう。

黒川温泉の宿泊拒否には失望しましたが、そのあとの誹謗中傷にはすごい衝撃を受けました。
このような誹謗中傷は障害者問題にも通じることがありますが、ハンセン病問題のほうが差別や偏見について分かりやすいです。

今回の事件で深く学ぶことが出来ましたが、わたしたち(わたしもあなたも)人間の心には何て醜いものがあるのでしょうか...。


手紙

2009-11-22 | 風見 治さんとハンセン病問題
風見さんからの手紙がこない。

そろそろわたしからお手紙を書こうと思う。

風見さんは書きたくても書けないのだろうから。

ひと月前に会ったとき、彼は返事が出せない理由をいった。

「返事がこないのは、ボクがペンを握っても落とすから。手から滑って。ペンが落ちないような引っ掛けるひもをつけてもらおうと思っている」。

風見さんは、パソコンなどの機械は使わない。手書きで書く。
ハンセン病の後遺症で不自由になった手を使って書くのである。

私は、正直、風見さんの手でペンを持つというのは至難の業じゃないかと思っている。
多分、誰が見てもそう思うのではないか。
それなのにペンを持つという行為だけでなく、わたしより遥かにきれいな字を書けるのだ。

風見さんが書く文字を見て、その意志さえあれば、人間は努力すればここまでできるものかと知った。


「近頃ね、二重の苦しみよ、(ハンセン病による)もともとの障害に、年による老齢の障害があって...」。

風見さんがぽつりと弱音を吐いた。

風見さんは愚痴はいわない。

いったとしても他人には理解できないものだと知っているからだろう。

ただ、彼の小説を読むと、過去の想いというものを知ることができる。

絵や文章をかく作業により、彼は今を生きているのかもしれない。

彼の手が再びペンを持てたらいいなと願う。











県美術館のカフェで

2009-11-07 | 風見 治さんとハンセン病問題
先週の木曜日、診察が早く終わったので、これから風見さんと会ってもいいかと思い携帯にかけてみた。
「今、長崎に着いて、これから新地で紹興酒でも飲もうかと思っているところだけど、....14時に人権センターへ行くからそこで会ってもいいかな。」
金曜日は興福寺などの見学へ行くというので、結局鹿児島へ帰る日に会う約束をした。
土曜日の朝、風見さんから連絡がはいり、11時に県美術館で待ち合わせをすることにした。

館内のロビーを見渡すと風見さんが椅子に座っていた。
「風見さん、お久しぶりです」
「あぁ、アミちゃんがあなたが来たらあなたにボクを預けて買い物に出かけるというんよ。近くにいるはずだけど...」二人でキョロキョロ捜すと軽く会釈する女性がいた。

風見さんの絵のモデルであり、旅の御伴であるアミちゃんだ。
アミちゃんは、本名ではない。
アミちゃんが勤めているスナックのお店の名前らしい。

風見さんが描いた絵の女性は、アミちゃんなのだが、会うと絵の感じと違っていた。
雰囲気が全然違うのだ。
目の前にいるアミちゃんは、30代半ばの今時のかわいい女性。
でも、絵のモデルは古風な感じがする。良家のお嬢様というか既婚者の感じでもあったのだ。
今夏、風見さんに頼んで絵を見せてもらったとき、モデルが「行きつけのスナックの女の子」と聞いていた。
そのときから実際はどんな感じなのだろうかと思っていたが、絵というのは作者の想いで違うものになる。

若くお洒落なアミちゃんは「長崎のお店で買い物したい」と、13時までに戻ってくる約束をして足早に去っていった。お守り?を頼まれたわたしは、ふたりで13時まで時間つぶしをすることにした。
「時間が余ったら遊覧船でも乗ろうか」、「その前におしゃべりをしよう」ということになった。
風見さんはハンセン病の後遺症で階段を上るのが難しいので、透明のエレベータに乗って2階のカフェへ行く。






長崎へ

2009-10-29 | 風見 治さんとハンセン病問題
数日前、風見さんから電話があった。

「29日、木曜日に長崎へ来るから、あなたに知らせとこうと思って」という連絡だった。

一人で来るのか心配すると、絵のモデルの方が同行し、2泊3日の里帰り中は身内とは一切会わないといった。

「今回は、興福寺などを見たくて、金曜日に見に行こうと思っている」。

お互い都合の良い時間に会うことにして、「ともかく長崎に着いたら、また連絡するから」という話になった。

さて、今日はとてもいい天気。空からの眺めは格別だろうと思う。

風見さんが大村空港に着く頃、わたしも病院の中で診察の順番を待っているだろう。

風見さんからの手紙が来なくなったので心配していたが、土曜日までには再びお顔を拝見することができる。

それに絵のモデルの人と会えるのも楽しみだ。

きっといろんなお話が聴けるのかもしれない。