花百蓮(百姿鏡、魂の王女)、創価学会~~未来に向かって、花百蓮のブログ

花百蓮(百姿鏡、魂の王女)、(はなももれん)のブログです。池田先生から頂いた福智は私の信心の原点です。

己心、仏心異なるといえども、妙法五字の本尊は異ならない。

2010-02-18 22:46:29 | 日記
※己心と仏心と一なりと観ずるとは、仏心も妙法五字の本尊である。


ある法華講の掲示板を見て、デタラメなことを言っていたので、では・どうして、異ならないか・ということを書いてみます。


私たち衆生の「信力・行力」にあるのです。折伏されて、はじめて御本尊様のことをなにも知らなくても、一心に信じて、信力、行力に励むならば、自然に・・・
己心と仏心が冥合(みょうごう)する状態になるからです。

ここに、御本尊様の法力・仏力が、私たち衆生の生命のなかに、厳然と現れ・功徳を成ずるということですし、


御本尊様に向かって、お題目を唱えている・人・それ自身が、本尊の体・となることは明らかだということです。


その証拠の御文は、いくつかありますが、そのひとつには、
※法華初心成仏抄の
途中から書きますが、「一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚(よ)び現し奉る功徳・無量無辺なり、

我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて 我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて現れ給う処(ところ)を仏とは云うなり」

の御文が、証明されていますね。


で、どこがと言うと、私たちが、御本尊様に向かって・拝んで・結果が出る・叶うことの証明は、

一の信力・一の行力は、一の法力・一の仏力となって現れる。
百の信力・行力は、百の法力・百の仏力となって現れる。

が、厳然と証明となってきちんと願いが叶う結果が出てくるからです。

この境智冥合(きょうちみょうごう)が御本尊様にできるとによって、証明になりますから。

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