~ 夢の途中 ~

強い?弱い?上手い?下手?そんなの関係ない!
全員が全力疾走!そんな『何か』を感じさせてくれるチームを応援します!

ドバイへ! Vol.2

2016年12月13日 | 日記

自転車から49時間後、やっとの思いでمطار دبي الدولي 到着。(Dubai International airport)
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到着は現地時間で早朝5時。Dubai支社のanyi(チュニジア人)さんが出迎えてくれ、まずはホテルへチェックイン。
 

ホテルの真ん前が世界一高いブルジェ・ハリファ、隣が世界一広いドバイ・モールと云うオイルバブル臭全開の『ザ パレス ジ オールド タウン』






部屋の窓から見る景色、プールの向こうにブルジェ・ハリファとドバイ・モール。




プールを渡った反対側からの景色。ホテルの向こうに見える高層ビル郡に圧倒される。



研修まで2時間ほどがあるのでとりあえずドバイ・モールへ。

説明では東京ドーム50個分って言う事だったがモールの中には


こんなのホッケーのリンクや、


なにやら有名らしい水族館。これを見てもなお『美ら海水族館』に勝る水族館はないと思っているし、クロマグロが回遊する『葛西臨海水族館』より美味しそうな水族館は存在しないと思っている。

ちなみにドバイでもPL学園ベイTで通そうと思ったがやはり宗教は怖いのでモールから出たと当時に着替えた。



そして初日の研修へ・・・いかにもアラブ圏ってぽい建造物







カタコトの、それも久留米弁なまりの英語なんぞ通用するハズもなく、ましてや聞き取れる単語を何とかつなぎ合わせて行ってるだけで撃沈。
後は適当に流す。



この病院で研修。

そして終了。



もう書くのも恥ずかしいし面倒くさいんで2日目以降は記憶・記録ともなし。そんなこったから今日この現在もレポートなんぞ完成していないのは言うまでもない。


そして本日のメインイベントは世界一の展望台で夕日見学。
なるほど・・・世界一高い展望台は入場料もベラボーに高かったがそれ以上の見返りは充分に頂いた。








夜はこのままマディナト ジュメイラでのディナーへ突入。









たまたま同じホテルでドバイ国際映画祭が開催されていた。
そこには凄まじいまでに顔が小さい男女の白人さんが入り乱れて、中でもエヴァ ロンゴリアさんを直接目の当たりにしたのは感激!
「怖そうな方々が写真は撮るな!」みたいな感じで叫んでいたんで写真は撮れなかったがしっかりと目に焼き付けてきた。




めっちゃ高そうなワインを頂いたが、個人的には『赤玉パンチ』が一番美味いと思う。


~以降VOL.3に続く~

ドバイへ! Vol.1

2016年12月10日 | 日記

هذا آيلو 

今日はアラビア語で「こんにちわ」から始める。


前回予告した通り自分探しの旅にドバイへと発つ・・・はずだった。

初めてのUAE(アラブ首長国連邦)、しかもそれがドバイと云う世界のセレブが集まる国で胸が弾みっぱなし。
ちなみにUAEとは『アブダビ』、『アジュマーン』、『フジャイラ』、『シャールジャ』、『ドバイ』、『ラアス・アル=ハイマ』、『ウンム・アル=カイワイン』と7つの首長国から構成される連邦国家です。

土曜の早朝6時に家を出る→
8時過ぎから糸島で壮行会ならぬ走行会で100キロほど自転車を漕ぐ→
JAL福岡19時発羽田行きに乗り20時30分に羽田着→
軽く食事をして待つって事で生3杯と焼酎4杯飲みながら深夜0時30分発Dubai行きを待つ→




23時に欠航が決まる




完全に酔いが醒める→
羽田で次の便を探すが2日に1便。48時間羽田で過ごす訳にも行かず成田便への振り替え依頼をする→
翌日の深夜23時発を何とか押さえる(エミレーツ航空に感謝する)→
高速バスで成田に移動→
深夜2時にホテル日航成田着→
18時間ホテルで過ごす→



やっと出国出来た。



~以降VOL.2に続く~

藍(あい)より出でて藍より青し

2016年07月12日 | 日記

針は小さくても呑まれぬ・・・・






まさにこの言葉を体現してくれた少年の夏が終わった。



誰よりも小さい体を精一杯大きく、

誰よりも大きな声でチームを鼓舞し、

誰にも負けないガッツでチームを引っ張った主将。


初めて少年野球で出会った時のシャイな笑顔そのままに・・・最後の夏が終わった。



昨春の選抜で好投したエースを引きずり出せず



生還するのは九産大九州の走者ばかり



それでも一つの打球に喰らいつき、チームのために相手の打者を殺して行く。





ホントに良い選手に育ってくれた。

ただ・・・・「打球を処理する時は口は閉じとけ」これは少年野球の頃から何度も注意してきたがクセは治らないままだった・・・。



1点どころか1人の走者も出せず中盤まで進み、攻略の欠片すら見当たらず5回コールドがちらついても・・・どんなに点差が開いても最後まで諦めず、

5回に2点返した意地は見事だった。









『藍より出でて藍より青し』

教え子が師匠を超えて行く瞬間を見るのは何よりの至福の時間だ。


唖然

2016年03月19日 | 日記

久々に息子2号の中学部活野球部を見学・・・『唖然』とした。



そこには今まで経験したことがないような光景が広がっている。

ベンチに無造作に置かれたグラブ、煩雑に脱ぎ捨てられたシューズやスパイク。

ボールやバットも地面に寝そべっている・・・・正直ショックしかなかった。

グラウンドの外がこんな感じだから練習も・・・いや、とても練習と呼べるもんじゃない。

ただなんとなくアップしてるような運動、寒い日は肩をケガするからボールは投げないように・・・と指導?されているらしい。たけどテニスボールを打つと言うバッティング練習っぽい事をしてる時の打撃投手は選手が務める。キャッチボールもせずに硬式テニスボールを投げている。

フライを捕る練習と称して選手が高くテニスボールを投げそれを相手の選手が捕り・・・・もう少年野球、それも低学年がするような風景・・・。

とても野球の練習と呼べるようなものではない。


よく中学硬式と軟式の差は?なんて比較される事がある。

それはバットの重さだったりボールの重さだったり。でも一番大きな差は『選手の意識』、それと『指導者の差』これが全て。

硬式クラブを選ぶような選手は高みを目指している。つまり高校野球を目指し練習に励んでいる。
仮になんとなく入団したとしても3年間みっちり練習すればそれなりに体力や技術は習得出来るだろう。

また硬式クラブの監督を含めコーチの方々は大抵は野球経験者(野球経験者が良いと言ってる訳ではありません)であり、それまでの自分の経験に照らし合わせ、また技術指導の勉強も深くされいてる。

勿論、中学の顧問の先生も大変熱心な先生もいらっしゃる事は知っている。先生と云う激務をこなし、土日チームの練習を行い自らの家庭も顧みず・・・・そんな熱心な顧問に巡り会える生徒は幸せだ。

でも・・・・甲子園出場選手の出身を見ると軟式4割、硬式6割。これだけだとあまり変わらないように見えるが、(今年の選抜ベンチ入りに当てはめ単純に比率で割ると軟式230人、硬式345人となる)中学軟式は全国で約29万人、硬式は・・・色んな組織・リーグがあり統計は出てないが約2万人とのこと。

という事は軟式出身者で甲子園に出場出来るのは29万分の230人、つまり1,260人に1人となり、硬式は2万分の345人、58人に1人となる。1,260人に1人対58人に1人・・・・これが高みを目指している選手の差です。

勿論身体能力の差と云うのもあるでしょう。でも・・・でもこの差。

だからと言って軟式が悪い、ダメだとは思わない。軟式でもキチンと目標と目的を持ち中学3年間練習に励めば硬式出身者と十分に渡り合える体力と技術は習得出来るハズだ。むしろ部活は広い校庭で毎日練習出来ると云うアドバンテージすらある。

先日部活の練習を手伝った後選手に訪ねてみた。「高校で野球をやりたい人」・・・大勢の選手が手を上げた。
だけど正直このままではダメだ。
高校3年間一生懸命練習しました、だけど補欠でした。これならいい、レギュラーだろうが補欠だろうが結果は関係ない。大事なのは途中だ。目標に向かい如何に自分の情熱を燃焼させたか?これが大事なんです。

今のままであれば、今のような練習をどれだけ続けても彼等はレギュラー争いにすら参加出来ないだろう。
そんな辛い思いをさせていいんだろうか?
毎日競争し競争し競争し・・・・それでも毎日競争し・・・それで得た結果なら補欠だろうがレギュラーだろうが関係ない。たくさんの収穫を得て高校野球を終われるだろう。でもその競争にすら入れないなら・・・・。



グラウンドで寂しい言葉を聞いた。「選手たちにやる気がないんです」。この言葉が今の全てだ。この現状の全てを物語っている。

やる気がないのは選手のせいではない!指導者の責任だ。野球の楽しさを子供たちに伝えきれていないからだ。

野球の本当の楽しさは「ここで俺がアウトになったら試合に負ける」、「ここでエラーしたらサヨナラ負けだ」こんな胃が縮み上がるような緊張感を味あわせ、その緊張感に負けた悔しさや乗り越えた達成感を味わうことであり、練習を積み重ね今まで打てなかったボールが打てたり今まで捕れなかった打球に追いついたり・・・そんな自分の上達を感じられることが野球と云うスポーツの楽しさだ。



これで自分の心に火が付いた。来年は全国中学校軟式野球大会と全日本少年軟式野球大会、二つの全国大会の出場を目指す!
例え地区予選の一回戦でコールド負けするような実力しかなくても全国大会を目指す!声高らかに宣言する。

そのためにあと2年、中学軟式野球にドップリはまる決意を固めた。

観光どころじゃない!

2016年03月10日 | 日記

北九州市の公式観光動画。


北九州は完全に人選ミスだ。


この動画で何を紹介しようがどんなステキな観光スポットを紹介しようが無駄に終わるだろう。


















これはどんな構造になってんだ?


何カップなんだ?おっぱいだけにOかPぐらいなのか?


もしこんなのが目の前に現れたら「コノヤロー!何の目的で地球にやってきたんだ!」そんな言葉が出るほどの衝撃だろう。


ただし北九州市には続編を期待したい。

梅雨明け宣言の今日・・・・

2015年07月29日 | 日記

福岡管区気象台が平年より10日ほど遅く梅雨明けを久留米の街に告げた今日、7月29日・・・それは偶然にも私の誕生日であった。


何の因果なんだろうか?ちょうど1年前の今日も偶然にも私の誕生日であり、2年前の今日も私の誕生日と言う偶然が重なった7月29日。


そして30年前の今日、福岡大会決勝戦、平和台球場でキラキラ輝く3年生の先輩達に精一杯の声援を送っていた。


優勝した瞬間・・・・甲子園を決めた瞬間の感動を超えるモノに未だ出逢えていない。


が、それも10分後には「かぁ~まだ3年と野球せないかんバイ。はよ引退してくれんやろうか!はよ俺たちの練習したかバイ!」そんな複雑な心境を覚えたのも30年前の今日だった。


ちなみにその年の甲子園は強烈だった。選抜でK・Kコンビ率いるPL学園をキリキリ舞いさせた伊野商業・渡辺投手、その伊野商業を高知大会で破った高知商の豪腕・中山投手、その控えが岡林投手と言う豪華さ、後に大魔神と呼ばれる東北高校・佐々木投手、その控え投手が葛西投手、のちにメジャーで活躍する長谷川投手を控えに追いやった東洋大姫路のサブマリン・豊田投手は誰よりも低いリリースポイントで打者を翻弄していた。
銚子商業の快速右腕・片平投手、宇部商業の田上投手も煌めいていた。

打者もPL清原選手とホームランで競い合った宇部商業・藤井選手、個人的には一番格好良いと思ったPL内匠選手、あの漢字なんて読むんだ?そんな話題になった審判の西大立目さん。

そんな中、我が久留米商業は一回戦で土砂降りの雨の中、秋田・能代商を4-0、二回戦では雲ひとつない快晴の甲子園で延岡商を2-0で退け、そして三回戦・・・カクテルライトに照らされた球場全体を甲西高校ファンが埋め尽くした完全アウェイ





「ここはホントに日本なのか?」そんな衝撃が襲った大会中の宿舎があった天理市。

そんな30年前のあの夏も今日と同じアツい夏だった。


つまり何が言いたいのか?前置きが長くなったが・・・・

「みなさん、たくさんの誕生メッセージありがとうございました」なのである。


今日言いたかったのはそれだけなんである。

真似すべきところ・・・

2015年01月13日 | 日記

年が明け・・・まだこたつが恋しい季節


吐く息が白く輝く季節・・・・春光待ちきれず動き出す球聖たち。


この時期、九州各地では開幕に標準を向け、すでに定位置を約束されている選手、オープン戦から全力で飛ばして行かなければならない選手、色んな思惑悲喜交々の自主トレが行われている。


シーズン中には見れないプロ野球選手の表情を見れるのもこの時期、もはや九州地方の風物詩である。


そんな姿を羨望の眼差しで見る野球少年たち。


バッティングフォームを真似するのもよかろう。





ピッチングフォームを真似るのもいい。


走り方や捕球姿勢を真似するのもいいだろう。


でも・・・・一番真似して欲しいのはこの姿勢



グラウンドに出来た穴に水を入れ、土をかけ踏み固め、さらに水をかけ土をかけ踏み固め・・・・


丁寧に丁寧にグラウンド整備する姿を真似て欲しい。


プロ野球選手だからグラウンドを大事にするんじゃないんです。

グラウンドを大切にしてきたからプロ野球選手になれたんです。


練習が終わってすぐに帰るチーム・・・勿体無いです。


一番大事なのは何か?

それが分かるのがプロ野球選手の自主トレです。


目を輝かせその姿を焼き付けてました。



今週末も自主トレ巡り・・・・

『狂』

2015年01月06日 | 日記

慣れないチェーンの付け外しと走行で疲れきった体を癒して・・・・くれたかどうかは不明だが

広島市内のおびただしいイルミネーションの中を歩き回り『広島風お好み焼き』を食し、生ビール2杯ほどでダウン。







二日目も積雪&チェーン規制が予想される中、大幅にスケジュール変更を余儀なくされる。

と言うか昨日の反省を踏まえほとんどの行程をカット。

なんせ今回の旅の最大の目標は『吉田松陰に会いに行く』・・・なんである。


とりあえず雪の宮島だけは見ておこう!って事で幻想的な雪景色を堪能。








カキでお腹を満たしたら「いざ鎌倉へ」ならぬ「いざ萩へ!」だ。


萩に入るやいなや吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞に出迎えれられると云う歓迎ぶり。





松陰神社で松下村塾の歴史に触れ









萩城下町では・・・幕末の志士に出会い


※後ろのオッサンに何度もずれてもらっていいですか?とお願いしてもがんとして動かず


高杉晋作には『常に前へ』の志に触れ


桂小五郎(後の木戸 孝允)生誕の地に情熱を感じ




今も風情が残る町並みに心震わされた。





吉田松陰の【狂】、長州志士のアツい情熱・・・大満足だった。


あと・・・町並みと言えばここ!死ぬまでに行きたい街がある。



え?こんな絵みたいな街があるの?・・・・それがあるんです。





メキシコのグアナファト・・・この統一感のカケラも感じない街並みに惹かれてる。

トラブルすら楽しもう

2015年01月05日 | 日記

2015年、いよいよ新年を迎え信念を固めた・・・なんて下らないダジャレから1年をスタート。


年が明けて2015年1月5日、今日が仕事始めと云う方も多いでしょう。

そんな皆様、今年も残す所あと361日です。今年のドラマもあと361話で終結します。

新たなロマンティック且つ感動のドラマを作り上げましょう。


正月からこんな駄作をお読み下さってる皆様・・・あらためまして・・・「明けましておめでとうございます」



さて恒例の家族旅行からスタートを切った我が家。

旅行にはトラブルが付き物・・・いや、トラブルがあるからこそ旅は楽しいのかもしれない。


1月2日AM5時・・・佐賀関に向け出発するも大分道は日田~別府間が雪のため通行止め。

一般道でチェーンを巻き、だたひたすら大分を目指すも怖くてアクセル踏み込めず・・・8時のフェリーに乗り9時に愛媛・三崎港に到着・・・の予定が2時間の遅れ。

少し天気を恨みつつも・・・最初の目的地である大洲神社で参拝する頃にはその景色に心奪われ穏やかな気持ちを取り戻す。




息を切らし登りきった体を癒しえてくれるのは・・・


カンチとリカも見たであろう大洲の町並み



その神社の麓には・・・カンチがリカを探し回った町並みや













リカがカンチに別れを告げる手紙を投函したポストも





そこから車を走らせる事1時間、家族を道後温泉本館に放り出し、どうしても1人で来たかった場所が梅津寺駅







極寒の中、30分電車を待った。


愛媛は良い。

地方都市には必須である街の中心地にでかいボーリング場もあり、


松山で久留米ラーメン?それも分校?胡散臭い店も地方都市ならではなんです。



残念ながら初日の最大の目的である『しまなみ海道』を渡り『瀬戸田のドルチェ本店』で伯方の塩ジェラートを食せなかったのは残念の極みだった。

もちろん道後温泉にもドルチェがあるのは知ってる。が、やはり本店で食してこそ・・・なんである。なんであるがなんせ本店の開店時間が日没までと云う不規則さ。

橋に乗る頃にはすでに太陽も沈んでこんな感じ


ついには2時間の遅れを取り戻すことが出来ず『尾道三部作』に触れられなかったがこれも旅の一部であり旅の良さでもある。

二日目はいよいよ萩に突入する・・・・。

締めくくるのは・・・・

2014年11月05日 | 日記

いよいよ来週末からアマチュア野球の1年を締めくくる『明治神宮大会』が開催される。


注目はなんと言っても1回戦の徳山大 (四国・中国3連盟代表/中国地区) VS 明治大 (東京六大学野球連盟代表)の対戦。


徳山大の井内投手(3年・祐誠高校卒・右/右)・・・・大注目です!


祐誠高校時代の彼の投球に一目惚れ。


(高3夏 VS東海第五戦)


彼の胸がピンと張り張り詰め、且つコンパクトに畳まれたテイクバックから投げ込まれる直球は目を見張るモノがあります。




高3の夏には既に完成の域に達していた投球フォームから投げ込まれるボールは1学年先輩・坂田投手(現・ソフトバンク)や1学年下の若松投手(現・中日)よりも輝いて見えた。


彼のボールが明大打線をキリキリ舞いさせる姿、そして今から各大学の応援合戦が楽しみでしかたない。



ちなみに・・・・今まで一番震えた応援は習志野高校のエルクンバンチェロだが






習志野高校吹奏楽部を超えた・・・そう思えたのが地元福岡のコレ




メチャクチャ元気が貰える。



でも・・・いまだにこのエスパニア・カーニを超える応援はない!




井内ーーーーがんばれ!