郷土教育全国協議会(郷土全協)

“土着の思想と行動を!”をキャッチフレーズにした「郷土教育」の今を伝えます。

郷土教育にブログ、相性が良くないかな?

2019年01月03日 | 機関誌


ここに約1年前の機関誌があります。

記念すべき700号の題字はいつもの桑原正雄さんの書ではなく、金崎結子さんによるポップ調な楽しいデザインになっています。

もちろん、中身も「郷土教育700号」に想いを寄せて、草創期からの会員である木下さんが郷土全協66年を振り返って執筆しています。
(2017年10月31日の郷土教育ブログ参照)

その隣の701号には表紙の下部に郷土教育ブログのアドレスが表示されています。
そして、この号に「郷土教育にブログ、相性が良くないかな?」という記事を掲載しました。

あれから1年以上が経過しましたが、はたして今、このブログが読者の皆様にどのように受け取られているのでしょうか…。
そして何より発信主体である私たちは、内部でどのように認識しているのでしょうか…。

とりあえず、ブログ発足時の問題提起とも言える701号の記事を以下に掲げます。



郷土教育にブログ、相性が良くないかな?


今までにも郷土教育全国協議会(全協)にはブログが存在しましたが、諸般の事情により長らく更新できていません。世話人の一人として責任の一端を感じています。


手作り機関誌にまで到達したが

過去を思い起こせば、故園部俊也さんが初めてホームページを立ち上げたことがありましたが、会員の多くはその意味や方法に深い関心は持たずに過ぎていきました。 
その後、故矢野宏さんをはじめ現在編集担当されている4人の方々の努力と力量に支えられ、機関誌は全て私たち会員の手作りで作成するまでになりました。その意味では必要最低限のデジタル化には到達しているわけです。
原稿は各々がメールに添付して編集部に届け、校正も不十分ながら互いにファイルを開いて行っています。さらに、世話人を中心にメーリングリストを通じて日常的な連絡等を行なっています。これは、少なくとも20年前には考えられないことです。
しかし、IT技術の深化は急速に進み、人々の日常生活を支えかつ支配するまでに至っているのが現実です。正直言って、組織としての全協はこの現実にどう立ち向かおうとしているのか明確にはなっていません。
それでは何故、再びブログに取り組むことになったのか、私の考えを中心に周辺状況と今後を展望してみたいと思います。
10月の世話人会で、とりあえずは私が新たに立ち上げてみるということで了承を得ました。今までと大きく状況が変わったわけでもないのに、実に心許ない再出発を決断したわけです。


客観的な目も必要

例えば、組織の顔とも言える機関誌「郷土教育」はいかにも古風な印象を持たれるかもしれません。前号こそ金崎さんのポップ調な題字で少しはお洒落感を持っていただけたかもしれませんが、事情を知らない古くからの会員の中には驚きと違和感を持たれた方も少なからずいたことでしょう。それは66年間、培ってきた実践や思索における思い入れが、題字「郷土教育」に凝縮されているからだと思います。
しかし、それは第三者的に言うならば、単なる内輪の自己満足にすぎないかもしれません。まして近年、会員の高齢化が進み地域に割拠(この表現自体が古いかもしれませんが)して活動するサークルや会員も大幅に減少しています。このことを自覚し、新たな会員・読者の拡大を目指して様々な取り組みをしてきましたが、容易に思いは達成できていません。労働組合の組織率低下とも軌 を一にしているかのようです。
前々号で若い方がSNSの活用等を提案されていましたが、若い人たちをはじめ普通の人々の感性に届く発想の柔らかさが必要だと思います。もちろん迎合ではなく・・・。


何故ブログなのか

ブログとはウエブ・ログ(web log)の省略語だと言われています。つまりインターネット上の記録(log)です。フェイスブック(Facebook)やツイッター(Twitter)等との違いは、記録が蓄積して残っていくことです。ですから、紙ベースの日記のように破棄しない限りはいつでも見たいときに何度でも、しかも誰でも見ることができるわけです。
さらに、他の二つと比べてインターネットの検索エンジンでヒットしやすく、多くの方に読んでもらえる可能性があります。その意味では、むしろホームページに似ています。同じウエブ上を飛び交うものでも、ブログはいわゆるSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)と同類にはできないものかもしれません。
 ブログで可能な限りホームページ的な側面もカバーできたらいいなと考えています。


人の温もりが伝わる手作り関係を基に

話は前後しますが、IT化の進行を組織の課題として真正面から取り組んだことはありませんが、敢えてその必要性を感じることなく活動してきたのだと思います。現に私自身も、個人や労働組合の活動ではSNSの活用もしてきましたが、全協の情報伝達という視点に立って深く考えることなく過ごしてきました。
 機関誌の手渡しで繋がるサークルに象徴的なように、全協は具体的に人の温もりが伝わるような手作り的関係の中で互いに主張し、人の輪を拡大していくというような作法が当たり前だった気がします。
今でも、そのような確かな関係を大事にしながら認識変革をし合い、「民主主義社会を創造するいとなみ」(綱領より)を志向していることに変わりはないと思います。
では、今後も何も変えることなく、情報伝達は紙ベースの機関誌と各種集会や身近な人たちとの会話だけで満足するのでしょうか。SNSで発信する若者の感性に驚き、感心するだけで良いのでしょうか・・・。
かつて私たちが若者だったころ、既成の価値観や現実社会を牛耳る大人たちの言動に反発して主張し行動していました。その人間が長じてジジババになった今、若者から学ぶべきものがあるに違いありません。
私たちが培ってきた関係の在り方を基に、新たなカオス(混沌)に参入すべきです。
全協とブログ、相性が良いか悪いか本格的に試してみる価値はあります。


ブログを楽しむ

私の経験から、ブログを最大限生かすには頻繁に更新することです。SNSほどではありませんが、情報のリアルタイム性に優れ、ホームページやまして機関誌のように一定の期間が空くこともありません。
しかし、今までの様に特定の人に任せきりでは更新も容易ではありません。会員の協力が必要です。そのために、ブログの位置づけなり性格を早期に明確にしなければなりません。そのたたき台として以下に思いつくまま箇条書き(重複しつつ順不同)にします。ご意見をお寄せ下さい。
・郷土教育の今を伝える。(仮にサブタイトル化してあるが、機関誌とは差別化し、リアルタイムの特性を生かした情報発信)
・全協関係の出版物の案内や解説、感想
・サークルや会員が係る団体の紹介や報告
・会員個々の生々しい日常(幅広く無限)
・写真を通して紹介したいものには最適
・パスワードを共有して各自が書き込む。
・不特定多数に発信されることを念頭に個人情報の扱いに配慮(原則の申し合わせ)
・機関誌の側面情報を載せるetc

 いずれにしても、やって楽しむ、見て楽しむような遊び感覚がないと続かないかもしれません。共に楽しみましょう!


(関川 俊一)  

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