郷土教育全国協議会(郷土全協)

“土着の思想と行動を!”をキャッチフレーズにした「郷土教育」の今を伝えます。

ある安房・館山の一泊研修旅行記から(Ⅰ)

2023年04月21日 | 日記

青木繁「海の幸」記念館

 

青木繁が油絵「海の幸」を描いたのは、小谷(こたに)家であった。

小谷家が青木繁に油絵を描くからといってよくもまぁ、場所を貸してくれたものだと思う。

 

小谷家に現在ある「海の幸」の絵は複製がある。

本物の常設展示は石橋美術館であるという。

 

 

 

 

小谷家には、青木繁にまつわる資料がたくさんある。

小谷家の「婿」さんが一生懸命に私たちに青木繁のエピソードを教えてくれる。

27名で記念館に押しかけたから、小さな小谷住宅は一辺に案内できない。

私たち27名の半数を小谷住宅で説明し、後の半数を外のモニュメントの説明にあててもらった。

 

 

 

 

 

 青木繁の油絵「海の幸」は漁師が魚を吊しているところを、実際に見て描いたものではなかった。

もちろんゆかりの浜辺がある。

当時この辺の漁民はサメ漁をしていた。

青木繁は小谷家の畳の部屋の中で、図譜を参考にあの力強い油絵を描いたのだった。

 

「海の幸」に出てくる漁師がサメを吊した絵は圧巻だ。

その当時の漁村のサメ漁の一端を知ることができた。

 

地理的に見ると、白浜は勝浦や銚子に近く、これらの漁港には太刀打ちできるほどの漁港の規模ではなかった。

サメ漁で、だんだん遠くに出て行かざるを得なくなった。

漁師たちは無理をした。

サメ漁は衰退していった。

大島の方まで漁に出ていったという。

 

 小谷博物館には青木繁とその妻の福田たねの写真が置いてある。

それだけではなく、その息子である福田蘭童(映画「笛吹き童子」の作曲者)とその孫のクレージーキャッツの石橋エータローの写真が飾ってあった。

おもしろい「海の幸」記念館だと思った。

 

 

 

 

(つづく)

 

 

ーY.Kー

 

 


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