郷土教育全国協議会(郷土全協)

“土着の思想と行動を!”をキャッチフレーズにした「郷土教育」の今を伝えます。

ミステリーツアーで訪ねた九州 (2) 肥前浜宿の酒蔵通り

2019年02月13日 | 日記


バスは空港から有明海の干拓地の田園地帯を通り抜け、有明海に沿って南下して進みます。
佐賀市から白石町を経由して鹿嶋市に入って行きました。

どこへ行くかは分かりませんが、行程表には「とある空港〜とある重要伝統的建造物群保存地区)と書いてあります。
それに該当するもにをスマホで検索しますが、たまたま付近にはいくつか点在しています。
それだけ、この地域には伝統的建造物が残っているわけです。

嬉野市かな…と思っていましたが、予想は外れてJR長崎本線沿いに南下し、到着した所はちょっと鄙びた川沿いの街でした。



バスから降りると旗を持ち半纏を着た男の人がやって来ました。
早速案内されたのが、見学地の入り口に建つ造り酒屋の中でした。

ここで、当地の酒造りの歴史や酒の種類について説明を受け、酒の試飲をしてお好みの酒を買う…という段取りです。
残念ながらここでは酒造りの見学は出来ませんでした。



やがて、ボランティアガイドの女性がやって来ました。
齢は既に80歳を超えたと思しき小柄な方でしたが、張りのある声で淡々とした説明はとてもこの街に似合うものでした。

今では3軒のみになったものの、ここは江戸時代から昭和にかけて酒造りや醤油造りが盛んで、白い土蔵が立ち並ぶ賑やかな通りだったということです。

今でも通称は「酒蔵通り」と言われているようです。

この街、肥前浜宿の歴史は古く鎌倉・室町時代にまで遡り、近世になってからは港町・宿場町として栄えたといいます。
特に浜川の豊富な水と佐賀平野の米が酒造りを発展させたものです。








今ではこじんまりした街ですが、当時の白壁の建物を始め洋風な建築も目につきました。
「継場」だったという建物は宿場当時の面影を伝えていました。

保存地区だけに通りに電柱や電線はなく派手な看板もありません。
今でも人々が生活する街ですが、往時の盛んな時は魚市場を始め生活必需品の店から病院まで何でもそろう自立した街だったということです。


関東周辺にある極度に観光化され土産物屋が並ぶ古い街並みとは違って、白壁と水路があり何故か素朴で落ち着いた雰囲気のある街でした。

-s.s-


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