生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

仏陀曰く「権威にもとづいて物事を信じてはならない」

2014年08月12日 21時28分22秒 | 秘教/オカルト科学
2014年8月12日-2
仏陀曰く「権威にもとづいて物事を信じてはならない」


 なんらかの権威によることなく、自らの意識(知性または直観=直知識)によって、ものごとを判断すること。
 これは、H.P. ブラヴァツキーによれば、(地球でのゴータマ王子を通じて地上に顕現した第四代)仏陀の言葉だと言われる。
 (将来に第五代の仏陀職[仏陀エネルギーを体現する階層の地位]につくのは、現在キリスト職[つまり地球的キリスト意識またはエネルギーを体現する弥勒如来だという]。)

   「Our Lord Buddha has said that we must not believe in a thing said merely because it is said; nor traditions because they have been handed down from antiquity; nor rumours, as such; nor writings by sages, because sages wrote them; nor fancies that we may suspect to have been inspired in us by a Deva (that is, in presumed spiritual inspiration); nor from inferences drawn from some haphazard assumption we may have made; nor because of what seems an analogical necessity; nor on the mere authority of our teachers of masters. But we are to believe when the writing, doctrine, or saying is corroborated by our own reason and consciousness. “For this,” says he in concluding, “ I taught you not to believe merely because you have heard, but when you believed of your consciousness, then to act accordingly and abundantly.”」
(The Secret Doctrine Volume III: 401)
[http://www.theosophical.ca/books/SecretDoctrine,The_HPBlavatsky.pdf[受信:2014年8月12日]ではpp.317-318]

  「〔われらの主〕仏陀は言われた。
 「ただ言われていることだからといって、それだけで物事を信じてはならない。昔から伝えられてきたからといってそれだけで、伝統を信じてはならない。また噂がそうだからといってそれを信じてはならない。 聖者が書いたからっていってその著作を信じてはならない。天[デーヴァ〔神々または天使たち〕]に霊感を与えられたと思い込んで(つまり霊的インスピレーションだと思い込んで)空想の類を信じてはならない。自分が勝手につくったいい加減な仮定から結論を引き出してもならない。また、相似の法則から見て必然だからといってそれを信じてはならない。自分の教師や師匠の権威に基づいて物事を信じてもならない。自分自身の理性と意識とによって確証されて初めて、著作や教義や言葉を信じるべきである。」
 「 従って」仏陀は結論を言われた。「私が教えたのは、ただ聞いただけで信じてはならないこと、そして自分の心から〔?→意識で〕信じられたなら、その信念に従って一生懸命に行動せよ、ということである。」
(『シークレット・ドクトリン』第三巻、401ページ)
」(仲里誠桔・小島露観 共訳 1986/9: 10頁)。


 個人の自由意志に任せること、しかし開かれた心で聞くように求めるのは、秘教の教師たちの態度である。


  「チベット人の言葉からの抜粋 1934年8月
〔略〕
 私が書いた本は、受け入れられるよう要求することなく世に出される。それらは正しく真実で有益なものかもしれないし、そうではないかもしれない。それせが真実であるとかどうかを適切な実践と直観の修練によって確信するのはあなた方の役目である。〔略〕
もしそれが真理を、世界にすでに提供されているものに続くような形で表わしているならば、そしてまた、もし与えられた情報が熱誠や奉仕したいという意志を情緒の界層からマインドの界層へと〔感情界から知性界へと[仲里誠桔・小島露観 訳 1986/9: 10頁]〕高めるならば目的を果たしたことになる。


(ベイリー 1922(AABライブラリー 訳,2001/12: )。



参考:
  「Blind Faith Not Expected - (Page 401)
〔略〕
Are there any dogmas in Buddhism which we are required to accept on faith?
A. No. We are earnestly enjoined to accept nothing whatsoever on faith, whether it be written in books, handed down from our ancestors, or taught by sages.

Our Lord Buddha has said that we must not believe in a thing said merely because it is said; nor traditions because they have been handed down from antiquity; nor rumours, as such; nor writings by sages, because sages wrote them; nor fancies that we may suspect to have been inspired in us by a Deva (that is, in presumed spiritual inspiration); nor from inferences drawn from some haphazard assumption we may have made; nor because of what seems an analogical necessity; nor on the mere authority of our teachers of masters. But we are to believe when the writing, doctrine, or saying is corroborated by our own reason and consciousness. “For this,” says he in concluding, “ I taught you not to believe merely because you have heard, but when you believed of your consciousness, then to act accordingly and abundantly.” [See the Kalama Sutta of the Anguttaranikayo, as quoted in A Buddhist Catechism by H. S. Olcott, President of the Theosophical Society. pp. 55.56.]」
(http://www.theosophical.ca/books/SecretDoctrine,The_HPBlavatsky.pdf[受信:2014年8月12日] 〔The Secret Doctrine Volume 3〕pp.317-318〔p.401〕])。




□ 文献 □
[へ]
ベイリー, アリス・A.1922(1951)(仲里誠桔・小島露観 共訳 1986/9/25).イニシエーション 進化の原点・神智学の秘伝.283pp.たま出版.[定価2,400円][B19861020]

ベイリー,アリス.1922(AABライブラリー(土方三羊・李敬烈)訳,2001/12/10).秘教瞑想に関する手紙.430pp.AABライブラリー.[定価2,400円+税][B20011217]




グローバリズムの終焉/日本国債暴落後の生活防衛策

2014年08月12日 00時32分45秒 | 政治経済社会学
2014年8月12日-1
グローバリズムの終焉/日本国債暴落後の生活防衛策

 『グローバリズムの終焉』を第二章まで読んだ。
 関曠野 2014/3『グローバリズムの終焉』は、本質的な分析をしており、その内容はうなづける。貨幣について考察した、西部忠『貨幣という謎』も、~について同様の分析をしている。ただし、関曠野(2014/3)とは、市場の定義は、異なっているようだ。

市場の定義
  「
    」
 (関曠野 2014/3『グローバリズムの終焉』 : ??頁)。

  「多様な財・サービスが商品として売買される「場所」が市場である。〔略〕
 「場所」といっても、物理的な場所である必要はありません。インターネット上のオークション・サイトのような抽象的、比喩的な場所でもいいわけです。」
 (西部忠 2014/5 『貨幣という謎』: ??頁)。


第一章での問題点または調べるべき点。
 →成長の限界の値または条件は? 計算は? シミュレーション モデルの中身は?
 世界金融資本の中身は?

 下記の部分を引用しておこう。→現金決済。→物物交換と物労交換。→地域通貨。

  「ニクソン・ショックに始まるグローバリゼーションは国際金融資本の全面的破産に終わるしかなかった。この破産に対する庶民の反応が生活防衛のための取り付け騒ぎと闇経済である。中央銀行は信用創造の能力を失い経済をコントロールできなくなってきており、租税国家は税収を絶たれつつある。経済はカジノではなく人々が生活するというその原点に引き戻されたのである。このゼロ地点から経済におけるデモクラシーを確立するための模索が始まる。ウォール街に始まり世界に広まっている街の公共空間の占拠運動と、そこでの自由な討論は、そうした模索の一環である。」
(関曠野 2014/3: 71頁)。

 アルゼンチンの経済について詳細な分析をした本、また国民生活の実際を報告した本は無いだろうか。
 

[せ]
関曠野・藤澤雄一郎.2014/3/5.グローバリズムの終焉: 経済学的文明から地理学的文明へ[シリーズ地域の再生].279pp.農山漁村文化協会.[B20140526]

[に]
西部忠.2014/5/10.貨幣という謎 日銀券とビットコイン.254pp.NHK出版[新書].[B?][Rb20140731、Rh20140810?]