まあ、世の中いろいろあるわけだ。
思わぬ僥倖もあれば、納得いかないことも。
理不尽に震えたり、安堵に包まれたり…。
(写真と文は関係ありません)
そんな事象にどう向き合うか。飲み込まれず、どう乗り越えるか。
まったく簡単ではない。
53年も生きてくると、いろいろなことがあった。
果たして乗り越えてきたのか、やり過ごしてきたのか。さてさて。
(写真と文は関係ありません)
私自身はそう深く考えない方なのであるが、生真面目に問題に相対する人はいる。
そんな人たちは決まっていいヤツばかりなんだけど、そこは年寄りなりにアドバイスしたくもある。
起こったことを、あえて正視しないって感じとでもいうか。
「思考停止は諸悪の根源」というのが私の人生観だが、突き詰めたっていいことがないって話はまたいくらでもある。
その辺りは融通無碍にいくのがよろしいのだろう。
(写真と文は関係ありません)
ただ、俺の場合もそうなんだけど、なかなか難しいよね。
ついついガツンといきたくなる。
しかしながら、世の中、適者生存だ。
生きるために、自分の精神衛生のために「身をかわす」というのも、これまた立派なテクニックだと思う。
(写真と文は関係ありません)
しなやかに、それでも自分を失わずに粘り強くってところか。
そんな時、最後まで味方になったり支えてくれたりする奴がいれば、ずいぶんと楽だ。
たいていそれは家族なんだろうけど、それ以外にだっているだろうし、そういう働きができればいいような気もする。
(写真と文は関係あります)
少し話は変わってくるが、定年後の身の処し方を考えたりする。
苦しんでいる人にアドバイスするとか、少しでも助けになるとか、そんな方向をぼんやりと思う。
相談員とかって感じかな。
それは例えば、いのちの電話方面であってもいいし、犯罪被害者支援の方向であっても。
まあ、体系的な理論や資格も何もない身が「あってもいい」なんていうのは生意気な話である。
ただ、これまで現場でムダにむやみに培ってきた知恵とか経験を生かし、多少でも世の中に役立ちたい気はするな。
(写真と文は関係ありません)
世に知られない偉人ってたくさんいる。
俺の知る限り、この方なんてそう。
古江の学校に通った男子なら誰もが知るロサドさんだ。
http://www.hiroshimagakuin.ed.jp/tayori/tayori_201702161/
ものすごくざっくりというと、校務員さんか。
椅子やらハンガーやらいろんなものを自作なさり、生徒たちはそれを愛用。
校庭や裏山の手入れに汗を流す姿が目に焼き付いている。
バリカンをかけてもらう奴らもいたな。
彼がどこからいつ来日されたのかもよく知らない。
ただ、大いなる信仰と限りない善意に支えられた行為なのだろう。
俺たちが通ってたあの頃、ロサドさんの目には何が見えていたのかなあ。
(写真と文は関係ありません)
なぞと思う今日この頃だ。
てらいのない真っ直ぐさというのは価値があるし、いい年を重ねると眩しくもある。
ここまでの写真のいくつかは、パソコンの中から偶然見つけたもの。
自分を向上させようとする「熱」を感じたので、ムダに使ってみました。うんうん。
思わぬ僥倖もあれば、納得いかないことも。
理不尽に震えたり、安堵に包まれたり…。
(写真と文は関係ありません)
そんな事象にどう向き合うか。飲み込まれず、どう乗り越えるか。
まったく簡単ではない。
53年も生きてくると、いろいろなことがあった。
果たして乗り越えてきたのか、やり過ごしてきたのか。さてさて。
(写真と文は関係ありません)
私自身はそう深く考えない方なのであるが、生真面目に問題に相対する人はいる。
そんな人たちは決まっていいヤツばかりなんだけど、そこは年寄りなりにアドバイスしたくもある。
起こったことを、あえて正視しないって感じとでもいうか。
「思考停止は諸悪の根源」というのが私の人生観だが、突き詰めたっていいことがないって話はまたいくらでもある。
その辺りは融通無碍にいくのがよろしいのだろう。
(写真と文は関係ありません)
ただ、俺の場合もそうなんだけど、なかなか難しいよね。
ついついガツンといきたくなる。
しかしながら、世の中、適者生存だ。
生きるために、自分の精神衛生のために「身をかわす」というのも、これまた立派なテクニックだと思う。
(写真と文は関係ありません)
しなやかに、それでも自分を失わずに粘り強くってところか。
そんな時、最後まで味方になったり支えてくれたりする奴がいれば、ずいぶんと楽だ。
たいていそれは家族なんだろうけど、それ以外にだっているだろうし、そういう働きができればいいような気もする。
(写真と文は関係あります)
少し話は変わってくるが、定年後の身の処し方を考えたりする。
苦しんでいる人にアドバイスするとか、少しでも助けになるとか、そんな方向をぼんやりと思う。
相談員とかって感じかな。
それは例えば、いのちの電話方面であってもいいし、犯罪被害者支援の方向であっても。
まあ、体系的な理論や資格も何もない身が「あってもいい」なんていうのは生意気な話である。
ただ、これまで現場でムダにむやみに培ってきた知恵とか経験を生かし、多少でも世の中に役立ちたい気はするな。
(写真と文は関係ありません)
世に知られない偉人ってたくさんいる。
俺の知る限り、この方なんてそう。
古江の学校に通った男子なら誰もが知るロサドさんだ。
http://www.hiroshimagakuin.ed.jp/tayori/tayori_201702161/
ものすごくざっくりというと、校務員さんか。
椅子やらハンガーやらいろんなものを自作なさり、生徒たちはそれを愛用。
校庭や裏山の手入れに汗を流す姿が目に焼き付いている。
バリカンをかけてもらう奴らもいたな。
彼がどこからいつ来日されたのかもよく知らない。
ただ、大いなる信仰と限りない善意に支えられた行為なのだろう。
俺たちが通ってたあの頃、ロサドさんの目には何が見えていたのかなあ。
(写真と文は関係ありません)
なぞと思う今日この頃だ。
てらいのない真っ直ぐさというのは価値があるし、いい年を重ねると眩しくもある。
ここまでの写真のいくつかは、パソコンの中から偶然見つけたもの。
自分を向上させようとする「熱」を感じたので、ムダに使ってみました。うんうん。