いやあ、ついにレース当日。
ふふふ。
これをドキドキと言わずに何をドキドキ。
極道のガサ入れに初出動したときに匹敵しますな(笑)
って、まあ、ホントはそれほどでもないんだけど、
「自転車で遠くに行きたい」の米津さんが仰るように、
四十路も半ばになるとこのドキドキ感は貴重なもの。
ことさら楽しんだ感じかな。
ゼッケンを張りながら、
「いやあ、俺も遠くまで来たなあ」って、しみじみ。
なぜ、この大会に参加したかというと、
それはもちろん体育の田中さんたちのお誘いというかご好意によるもの。
ただ、それも一度はお断りしました。
それを後日、「やっぱり行きまーす!」
それはこの5月3日ってのが、
俺にとっては何だか特別な日だからなのさ。
レース当日からちょうど10年前の5月3日。
人生が「暗転」じゃなくて、「変転」し始めた日でした。
その日、ある大きな事件が発生。
抜かれるわけにはいきません。
当時のあたしゃ、ダチとともに、相当必死こいて取り組みました。
日ごろの不摂生ですでに不整脈も散見されてたのに、
ぶかぶかタバコ吸って、3,4時間の睡眠時間でGO!
2ヶ月続けました。
アホですかって話ですね。
結果、ひっくり返って、一時、心停止。
その後、さすがに生き方を変えました。
とゆーか、変えざるを得なかった。
わがままを言って、面倒なこと、大変なことは回避。
申し訳ないと思いながら、にやにやぶらぶら。
そんなことしながら、ちょうど10年が経ったわけです。
で、これからどーするべって考えたのさ。
「もういいだろ、どうなったって!」とも思うんだけど、ショーネンはまだ中学生。
結論は出しにくい話です。
「じゃ、160キロ走りながら考えよう!」
天啓のごとく閃いたわけです。
いやあ、いつもながら、稲妻のような頭の冴えですなあ(笑)
そんなどーでもいい繰言はさておいて、出発でございます。
抜けるような青空です。
これが後に、参加者全員を苦しめるんですけどね。
で、以下、レースの写真はありません。
何故なら、そんな状況ではなかったからです。
レース中、3つのフレーズがひたすら去来しました。
「ありえん…」、「嘘やろ…」、そして、「死ねばいいのに…」
まことに穏当でない発言をお許しください。
で、マヂに怖かったのは、トンネルだ。
35キロほど走って、山をいくつか越えた辺りだったろうか、
おそらく第一エイドの後。
暗いトンネルに入りました。
すると前方のLOOKのテールランプが物凄い勢いで近寄ってくる!
そう、急ブレーキを掛けてるわけ。
で、こっちが急ブレーキを掛けると追突されそうだし、
何よりもう間に合わない!
右にハンドルを切って、対向車線に飛び出したのさ。
その瞬間、真後ろで、「ガッシャーン」
連続する激突音とともに、「落車ぁっ!」って声。そして悲鳴…
止まろうにも止まれず、走り抜けました。
後続の方々、無事だったかなあ。
大怪我してなきゃいいけど…
そんなこんな落車事故はそこかしこで。
オーバーランして転倒してる人はいくらでもいるし、
救急車も走ってるし。
下りで抜いちゃダメだよね。
ホントのレースじゃないんだからさ。
で、この辺り、ぐだぐだ書くばかりで、
まーるで写真がありません。
だって、撮れなかったんだもん、辛くて(逆ギレ)
エイドの写真ならわずかに。
いやあ、このバナナ、美味しかったなあ。
そして、これがエイドでの最後の補給になるたあ、
慧眼をもって鳴るアタシもちーとも気が付かなかった…
そもそもエイドの充実で知られる、このツール・ド・国東。
なぜ、あたしゃ、その恩恵に与れなかったのか。
お答えしましょう。
攣ったからです。それも激しく!
予兆は35キロ地点から。
40キロ地点では左右の太ももの裏表がパキーン。
45キロ地点辺りのヒルクライムゾーンでは、
左右のふくらはぎも追随。
ダンシングした瞬間に攣るんですよ。
騙し騙しももう限界。
まさに「ありえへん」世界ですね。
自転車から降りても踏ん張れず、そのまま横倒し。
いやあ、行き倒れか、俺(笑)
一生懸命マッサージして、またバイクに。
そして攣って、またマッサージ。
その後、6時間、120キロにわたって、
一連の行動を繰り返しました。
偉人か、俺は(笑)
で、笑えたのは、
路肩でマッサージしてる俺にいろんな励ましがあるわけ。
「大丈夫ですか?」
(大丈夫じゃねーよ…)
「頑張ってください!」
(頑張れねーんだよぉ…)
満面に笑みを湛えながら、心の中で毒づくアタシです。
そんなところに、ある見知らぬ男性が「正座したら直りますよぉ!」
心が弱ってたんでしょうね、
反射的に正座しちゃいました、道端で。
俺はおばあちゃんか…
ウイットとペーソスに富む同行の方々はレース後、
「地蔵か、あんた!」
「ヘルメットを裏返しにしときゃ、賽銭もらえたで、グハハ」
たくさんの温かいお言葉をいただきました。
そーいえば、同行の方々にはお世話になりました。
Kooさんにいただいたエナジーバーは辛い旅を助けてくれました。
第一エイドを終えたアタシに近寄ってきたkazuyさんも勇気付けてくださいました。
「HAPPYMANさん、この後120キロはもう坂はないよ。
いやいや、嘘じゃない。
僕は練習のときは嘘言うけど、本番じゃ言わないよ。
団地のところが、ちょっと坂めいてるけど、まあ丘だね」
この後、120キロ、私の記憶では、
坂「しか」ありませんでした。
世を呪い、わが身を呪い、kazuyさんをひたすら呪い、
あたしゃ、呪術者になるかと思いましたですよ、ええ。
そんな皆さんに助けられ、ひたすらゴールを目指すHAPPYMAN。
しかしまあ、遠いわ。160キロ。
攣り攣りの身には地獄です。
そして気温は27度。
暑くて汗かくから、余計に攣るんだよね。
レース後、温泉に移動することになっており、食事は7時から。
どっちにしてもグループ最後のゴールになるだろうから、
皆さんを待たせるわけ。
少しでも迷惑を掛けないようにと、その辺は殊勝な私。
イチゴやたこ焼き満載の第四エイドも素通りです。
尺取虫のようにゴールを目指します。
すみません、走ってる写真はありません。
押してるのはあります、たんまりと。
午後5時40分過ぎでしょうか、
感動のゴールではなく、よれよれのゴール。
自転車を降りた瞬間、脚がすべて攣って歩けません。
いやあ、ロボットか、俺は。
いやあ、辛かったなあ。
ゴール後、同行の皆さんから、
「あんなに攣ったのによく完走できたね」って褒めていただきました。
でも、違うんです。
リタイアする機会がなかっただけなんです(笑)
リタイア組を乗せたリムジンバスを呆然と見送った私。
いやあ、乗りたかったですぅ、マヂに。
肉体的にと言えば、人生最大級の辛さでした。
だけど、こうしてブログを書いてると、
何だかまた挑戦したくなってくるから不思議だね。
「脚さえ攣らなければ」とか「もう少し走り込んでたら」とか。
生来の負けず嫌いがムクムク。
とりあえず次は、「下関」だな(笑)
おまけ。
レース後、九重?の温泉郷「はげの湯」へ。
まつ屋さんにご宿泊。
こんなのやら
こんなのやら、あんなのやら。
大変美味しゅうございました。
皆々様との語らいもサイコー。
いやあ、楽しかったなあ。
これからの生き方を160キロ走りながら考えるっていうミッション。
残念ながら、あまりの辛さの前に、雲散霧消いたしました。
とりあえず、今のペースで生きていきましょう。
愉快に、暢気に、ゆっくりと。
あらあら、なんとなく結論が出たセンチュリーランでございました。