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E・コッカーと戯れる浪費派リーマンのゆるい生活

みちのくを駆け足で…の巻

2014-06-16 22:45:22 | 旅行記
お仕事の関係で東北へ。



いつものように、にやにやと回ってきました。




ってわけにもいかなかった今回。




被災地の現実に打ちのめされたって感じだね。






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主に訪れたのは、気仙沼市と南三陸町。






3年でここまでと捉えるか、3年でこれだけしかと考えるか。





ただ、言葉を選ばずに言えば、絶望的な破壊と蹂躙。





空恐ろしい「現場」がそこにあった。






そして、「現場」は今も未来も続いていく。








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とにかく壊れていた。





失われていた。






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津波に襲われる前と、その後。







「暮らし」が根こそぎ奪われているのがよくわかる。














こどもたち74人と教職員10人が命を落とした大川小。









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この青い空が哀しみを増幅させる。














今、遺族が訴訟を起こしています。






この山に登れば助かったのだろうなあ。









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引率した教師も遺族も同じ集落に暮らす。







津波は、まさに地域を分断したわけだ。














気仙沼も変わり果てていた。











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女性職員が最期まで無線で避難を求めた、例の防災庁舎。





取り壊すか、震災遺構として保存するか、ここでも町は二分されている。








東北の漁業の拠点だった気仙沼は今、その輝きを失っている。

















そんな気仙沼の夜、我々の前に、こつぜんと輝きが姿を見せた。





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JBLのスピーカーから流れる、「ホテル カリフォルニア」。













この店も津波にやられ、スピーカーも泥水に浸かった。






それを市民やボランティアが懸命に直し、音を取り戻したのだという。









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みなで聞き入り、それは心に染み入った。








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夢のような時間を過ごし、一歩外に出ると、漆黒の闇が広がっていた。














明かりはない。





かつて船員のドラ声とあでやかな嬌声がこだました夜の街も、そこにはない。









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それぞれになにができるのか。











考え、伝え続けるしかないのだろう。












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