お仕事の関係で東北へ。
いつものように、にやにやと回ってきました。
ってわけにもいかなかった今回。
被災地の現実に打ちのめされたって感じだね。
主に訪れたのは、気仙沼市と南三陸町。
3年でここまでと捉えるか、3年でこれだけしかと考えるか。
ただ、言葉を選ばずに言えば、絶望的な破壊と蹂躙。
空恐ろしい「現場」がそこにあった。
そして、「現場」は今も未来も続いていく。
とにかく壊れていた。
失われていた。
津波に襲われる前と、その後。
「暮らし」が根こそぎ奪われているのがよくわかる。
こどもたち74人と教職員10人が命を落とした大川小。
この青い空が哀しみを増幅させる。
今、遺族が訴訟を起こしています。
この山に登れば助かったのだろうなあ。
引率した教師も遺族も同じ集落に暮らす。
津波は、まさに地域を分断したわけだ。
気仙沼も変わり果てていた。
女性職員が最期まで無線で避難を求めた、例の防災庁舎。
取り壊すか、震災遺構として保存するか、ここでも町は二分されている。
東北の漁業の拠点だった気仙沼は今、その輝きを失っている。
そんな気仙沼の夜、我々の前に、こつぜんと輝きが姿を見せた。
JBLのスピーカーから流れる、「ホテル カリフォルニア」。
この店も津波にやられ、スピーカーも泥水に浸かった。
それを市民やボランティアが懸命に直し、音を取り戻したのだという。
みなで聞き入り、それは心に染み入った。
夢のような時間を過ごし、一歩外に出ると、漆黒の闇が広がっていた。
明かりはない。
かつて船員のドラ声とあでやかな嬌声がこだました夜の街も、そこにはない。
それぞれになにができるのか。
考え、伝え続けるしかないのだろう。
いつものように、にやにやと回ってきました。
ってわけにもいかなかった今回。
被災地の現実に打ちのめされたって感じだね。
主に訪れたのは、気仙沼市と南三陸町。
3年でここまでと捉えるか、3年でこれだけしかと考えるか。
ただ、言葉を選ばずに言えば、絶望的な破壊と蹂躙。
空恐ろしい「現場」がそこにあった。
そして、「現場」は今も未来も続いていく。
とにかく壊れていた。
失われていた。
津波に襲われる前と、その後。
「暮らし」が根こそぎ奪われているのがよくわかる。
こどもたち74人と教職員10人が命を落とした大川小。
この青い空が哀しみを増幅させる。
今、遺族が訴訟を起こしています。
この山に登れば助かったのだろうなあ。
引率した教師も遺族も同じ集落に暮らす。
津波は、まさに地域を分断したわけだ。
気仙沼も変わり果てていた。
女性職員が最期まで無線で避難を求めた、例の防災庁舎。
取り壊すか、震災遺構として保存するか、ここでも町は二分されている。
東北の漁業の拠点だった気仙沼は今、その輝きを失っている。
そんな気仙沼の夜、我々の前に、こつぜんと輝きが姿を見せた。
JBLのスピーカーから流れる、「ホテル カリフォルニア」。
この店も津波にやられ、スピーカーも泥水に浸かった。
それを市民やボランティアが懸命に直し、音を取り戻したのだという。
みなで聞き入り、それは心に染み入った。
夢のような時間を過ごし、一歩外に出ると、漆黒の闇が広がっていた。
明かりはない。
かつて船員のドラ声とあでやかな嬌声がこだました夜の街も、そこにはない。
それぞれになにができるのか。
考え、伝え続けるしかないのだろう。