ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

稲刈り

2007-10-15 07:19:18 | Weblog
いよいよ実りの秋も深まって我が家の周囲でも稲刈りが始まりました。
昔、稲の取り入れといえば一家総出、いや、猫の手も借りたいほどの中で、親戚まで借り集めての人海戦術で2、3日は要したものであるが、今はご覧の通り一人か二人の人間でそれだけの作業を短時間でこなしてしまいます。
農作業の合理化というのも実にすさまじいものがあるように思います。
戦後60年間の我々の生活の変わりようというのはまさしく驚異そのものです。
この変化は、すべてテクノロジーの進化の賜物ですが、ただここで注意しなければならないことは、テクノロジーは進化するが人間の心は一向に進化しないということです。
心の進化といえば、当然、モラルの向上のことですが、このモラルの向上というのは21世紀に至っても原始時代となんら変わるものが無いように思います。
国会で政治活動の経費を1円から領収書をつけるかつけないかでもめているが、こんなことを国会議員たるものが口角泡を飛ばして議論しなければならないことなのであろうか。
そのことは、国会議員たるものがまったく信用ならない、ということを如実に語っているわけで、だからこそ「1円の経費でも領収書をつけよ」というわけであり、徹頭徹尾、不信感のなせる業である。
その前に、国会議員としてのモラルはどこに行ってしまったのか?という問題の解決のほうが先だと思う。
機械は人間の言うことを実に忠実に聞いて、人間の思うとおりに動かすことができるが、人間のほうは、なまじっか「考える葦」なわけで、なまじ考えるからモラルが低下しているのではなかろうか。
人がものを考えるとき、「人が幸福に生きるには如何にすべきか」と考えればモラルの低下にはならないが、「自分が得するにはどうすれば良いか」と考えるからモラルが低下するのである。
国会議員がものを考えるとき、自分を選出してくれた選挙民のことを考えるよりも、自分自身が得をするほうを先に考えるからモラルがどこかに行ってしまうのである。
国民から選出された国会議員が、まったく信用ならないから、「経費の1円から領収書をつけよ」というアホさ加減、バカさ加減をどう考えたらいいのであろう。
経費を誤魔化すような国会議員に国政が本当に任せることができるであろうか。


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1 コメント

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進化について (三太)
2007-10-15 09:01:29
機械文明の進化には同感ですが、国会議員は確実に
進化していますね、昔の議員と言えば身銭を切り
給料など要らぬとばかりに威張りもしたが名誉職に
誇りを多少なりともお持ちであったように思います、
しかし昨今の議員には金儲けの権化の如くに進化して
それを助長する支援者と支援者の縁のある人が益々
政治を私物化していると思います。
しいて言えば国民の責任ですから選挙の時に判定すべき問題ですが残念ながら選択枝の不足です。
議員の削減と議員歳費の削減と選挙費用の削減を誰も提言しないのが問題です。
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