程久保川の辺で

程久保川のほとりに住んで30数年、ここが私達家族の終の栖家となりました。

谷中散歩2

2009-10-07 18:58:30 | 随想
谷中銀座のどのお店も間口は狭いが、活気にあふれています。安くて美味しそうなお惣菜も一杯。これから歩くので残念ながら素通りです。



よみせ通りのお店の軒先の白猫、よく見たら人形でした。



坂下平和地蔵
この地にあった「鹿島湯」の石炭貯蔵庫を防空壕にしていました。1945年(終戦の年)3月4日の爆弾攻撃で、この防空壕に入っていた、赤ちゃんを含む23人が犠牲になりました。この方々の冥福を祈り、再び戦争を起こさないことを願って、1959年に、近所の人々によってお地蔵さまが建てられました。毎年この日に町あげて集いを行っているそうです。



みしま地蔵
3月4日空襲の爆弾で谷中一帯旧3か町では70余名が犠牲になりました。その3年後に、当時の三崎町・初音町4丁目・真島町の有志により、お地蔵様を建てました。みしまとは、それぞれの地名から1字をとったそうです。
坂下平和地蔵もみしま地蔵も、いまなお地域の人に大切に祀られています。



防災広場初音の森に長崎で被爆した柿の苗木が、この地に移植されています。ご覧のとおりまだ若い木ですが、平和への祈りをうけて大きな樹に成長することでしょう



大円寺の菊人形
谷中一帯はお寺がたくさんありますが、大円寺は菊人形が有名なお寺です。
境内のテントをのぞいたら、菊人形の制作中でした。



笠森お仙
鈴木春信描く幕末当代一の「美女笠森お仙」は、門前にあった水茶屋の茶汲み女。
境内にお仙のポスターとレリーフがありました。





谷中小学校校門
一見お寺かと見間違う校門。寺町の風情を損なわないためとか。珍しい造りです。



空襲の傷跡が残る谷中小のレンガ塀
木造校舎と体育館が全焼し、焼け残ったレンガ塀に激しい炎の跡がくっきり焼きついていました。





笑吉人形
大円寺にほど近い一画に露木さんという指人形作家の工房がありました。
露木さんの両手による指人形のお芝居を見ました。とても面白くあっというまの30分でした。
指人形はお爺さんお婆さんが多いので理由を尋ねたら「お年寄りのほうが、顔の皺に表情があって作りやすいのだ。」とか。
麻生さんの顔のほうが鳩山さんより真に迫っていると思いました。。






谷中路地裏
焼け残った路地もあって昔の風情が漂っていました。







追記 採用した写真は同行した我家のお嫁さんの写真です。
友人から、「嫁なんか姑なんぞと普通は一緒に歩きたがらないもんだよ。」と羨ましがられています。
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