はじめまして

今回、新しくブログを開設しました。

クマゲラを尋ねて道央・道東の旅、五日間です。

2008-06-24 17:47:10 | Weblog
 2008年6月17日  晴れ
 
 7時55分羽田発、女満別行きJAL1183便に
乗るには5時30分のリムジンに乗らなければなりま
せん。
 その為に前夜タクシーを予約して、3時半には起き
るべく満全の準備をしたつもりでした。

 前夜は講座があり、帰宅したのが21時でしたが
最近は夜明けも早く、年寄りになっているので大丈夫
だろうと安心していましたが、不覚や不覚です。

 何と目が覚めて時計を見ると4時38分でした。
 セットしたラジオは4時半で既に切れていました。

 大急ぎで支度をし、洗顔とご先祖様への朝のご挨拶
お詣りをそそくさと済ませていると早くもタクシーが
家の前に止まりました。朝食どころでは有りません。

 昨年ヴァンクーバーでの寝坊以来です。

 それでも何とか間に合い、リムジンで羽田へ行き
搭乗しました。8時15分に離陸し、一時間半で9時
45分に女満別空港に着陸しました。やれやれです。

 今回の主目的は、18年来の願望であった日本の
珍鳥クマゲラの子育て観察です。

 1990年2月25日、北海道川湯温泉で始めて見た
クマゲラの巨大な食痕に目を見張り、何時かこの主を見
たいものと思っていました。

 これまでも2回ほど、ちらっと見る事は見ましたが遠
かったり、一瞬だったりで満足には見ていません。

 今回は何時もご一緒するM氏のご厚意でお誘いを受け
やっと念願が叶う事になりましたので、早くからわくわく
でした。それも天然記念物であり宿所の関係もあり4人
限定です。全くの幸運です。

 M氏の情報集めで可成りの確実性と、その上、珍鳥に
かけては定評のあるラッキーレディー二人が同行なので
大船に乗った気分です。

 女満別でレンタカーを借りて10時30分、いよいよ
旅の始まりです。



 この広い北海道の針のような一点にクマゲラが棲んで
いるなんて神様だけが知るようなものです。

 今日は層雲峡泊まりです。時間があるので北見市の
中之島公園に寄りました。

 常呂川が途中で分岐し、やがて合流する中州に有る
公園で、探鳥地としても知られている所です。

 吊り橋を渡ると楡や楢や榛の木の大木が茂っています。
 ムクドリの雛が孵ったのか大群が騒いでいました。

 既に新緑が繁っているので鳥の姿はなかなか見えません。

 枯れた葦に夏姿のノビタキ雄が盛んに雌を呼んでいます。


 遠くでツツドリの、ポンポンポンと言う声がします。
 本州では高原の風情です。

 丘の上で飛び交う鳥を見ながら、お弁当を食べ2時間ほど
散策して13時25分、出発しました。天気は快晴で暑い
くらいです。

 公園の吊り橋です。


 層雲峡の手前に有る大雪ダム湖にも10分程寄りました。
 遠くの大雪連山は冬姿です。風が滅法冷たくて長居が出来
ません。標高800mの地点です。


 ダムから24分で層雲峡の宿に着いてしまいました。
 少し早いので、オーナーも留守でしたが近くの人が
いろいろと教えて呉れましたので近くを散策しました。

 

 層雲峡独特の岩です。見方によると、イースター島の
モアイの像のように見えます。

 林道を歩いて行くと、キビタキやオオルリの声がします。
 そして、クマゲラの原と言う場所がありました。
 何年か前に居たのかも知れません。余りこの種の名称は
信用出来ません。
 良く有る、野鳥の森とか小鳥の森とかも同様に信用出来ま
せん。客寄せに言って居るだけで、鳥が好む木を植えている
でも無く、冬の餌の無い時に餌台を置くでも無く唯、木が茂
っているので、そのような名を付けているだけです。

 17時になったので、宿に入りました。

 オーナーは、層雲峡で生まれ育ったとのことで、昆虫に
詳しく中で蝶を羽化させていました。
 今朝、羽化したオオイチモンジが床で、バタバタして
いました。


 壁には今朝、脱けて行ったオオイチモンジの蛹が
張り付いていました。


 カラスアゲハも窓の傍で、バタバタしていました。


 温泉に入り、夕食はイタリア料理です。

 いよいよ明日が期待です。
 恐らく100%見られるでしょう。それを夢見て21時半
就寝しました。

 それでは明日まで。

諏訪大社とその周辺

2008-06-16 15:18:32 | Weblog
 6月5日  高原の朝は鳥達の声で明けました。

 晴れていれば、すがすがしいと言えるのでしょうが一面の雲
です。梅雨時なのですから諦めます。
 しきりと、ほととぎすが啼きながら飛んでいます。空き家募集
でしょうか。自分で探さなければいけません。
 それでなくても鶯達からは嫌われ恐れられているのに、あんな
に啼いては探せません。
 それとも、お人好しの鶯でもいるのでしょうか?

 6時に起きて周辺の林内を散策しました。
 センダイムシクイやキビタキの声がします。
 良い気分です。

 ホテルお決まりのバイキング形式の朝食を済ませ、8時45分
に出発です。
 直ぐ近くの清泉寮へ寄りました。


 ライラックが綺麗でした。


 南アルプスは雲の中です。


 美味しい名物のソフトクリームに列が出来ていました。
 ご相伴しました。

 清泉寮では、カッコウが啼いていました。高原の声です。

 バスは甲府市内に入りました。
 ここでは山梨県立美術館と文学館の見学です。

 まず、美術館でミレーの ”種を蒔く人”を見学します。

 暗い、暗い絵です。19世紀後半の作品です。

 一番、奥に有りました。何方かが言っていましたが、
これが県民性の違いだそうです。
 長野県では、北沢美術館で、ガレの作品が入って直ぐの
場所にありましたが、ここでは最後の出口の直前です。
 どちらが良いとも言えません。

 美術館の外観です。


 文学館では、山梨県出身や関係の有る文学者の資料が展示
されていました。

 三坂峠で、”富士には月見草が良く似合う”と言った太宰治、
芥川龍之介、樋口一葉、俳人の飯田蛇笏等、山梨県ゆかりの
作家の資料がありました。

 文学館の外観で、なかなか瀟洒です。


 お昼は葡萄畑に囲まれた、勝沼の大善寺で精進料理です。

 精進料理と言っても、お昼にしては豪勢な、そして量も多く
食べるのに大変なくらいです。

 ここの薬師堂に安置されている薬師如来像は国宝です。
 その他、国または県指定の重要文化財が沢山あります。

 庫裡でお昼を頂いて、薬師堂を拝観しに行きました。

 高い階段です。118段ありました。腹ごなしには
丁度良いでしょう。

 階段の途中の山門で、睨みをきかしている仁王様は立派
です。




 上が阿で、下が吽です。

 お寺の紋は、三段重ねの松でした。


 大善寺の薬師堂は25m四方です。


 中に国宝の薬師如来が安置されていますが、ご開帳は
今年の10月とのことでした。

 なだらかな女坂を下った所に、芭蕉の句碑がありました。


 ”蛤の生ける甲斐あれ年の暮”  と書いてありました。

 蛤は生きた甲斐あって年末にもてはやされる、と言う
意味でしょうか?甲斐と貝を重ねているようです。

 さて、いよいよ最後の見学場所である、酒折宮へ行き
ました。

 日本武尊が東征の帰途、立ち寄ったとの謂われのある
お社です。


 小さな神社で、東京から中央線で甲府のひとつ手前の
酒折駅の近くにありました。

 スポーツで有名な山梨学園の高校がありました。

 日本武尊が、常陸の国から武蔵を経て相模の足柄御坂
を越えて、ここに至り休まれたと古事記、日本書紀に
書かれています。

 ここで宴を開いて群臣を労った折り、日本武尊が過ぎ
来し事どもを思い出し、

 新治筑波を過ぎて幾夜かねつる   と詠まれたが
誰も、これに応える者がいなかった所、庭で篝火を焚
いていた翁が、

 かがなべて夜には九夜日には十日を
 
 と続けたので、尊は厚くその智を賞したとの事です。

 これが、後に連歌の始まりとなったと言われています。

 110年頃のことです。

 近くに連歌の碑があると案内板が出ているので尋ねる
ことになりましたが、これが今回最大の難所となりました。

 山道を登り、10分程歩きましたが急坂で着いた所に
大きな岩の碑がありました。

 歴史はこんなものです。

 下りは楽でした。知らない細い山道は遠く感じるもの
です。帰りはたいした距離に感じません。500mぐらい
だったでしょうか。

 いよいよ最後の場所、酒折ワイナリーです。

 酒折宮から、くねくねとした上り坂を上がった山の中腹
にありました。



 ここでワインが出来る工程を案内され、ほんのちょっ
ぴりの試飲をして16時近く、横浜へ向かいました。

 良い案配に雨はまだ降って来ません。
 笹子トンネルを出たら霧雨になっていましたが、横浜へ
近づくに従って薄日も差すようになり、梅雨時の旅行に
拘わらず傘不要の旅が出来ました。

 19時近く、横浜天理ビル横に無事到着し解散となり
ました。

                   おわり

 

諏訪大社とその周辺

2008-06-16 11:07:30 | Weblog
 梅雨空催いの中、或る文化サークルに参加して諏訪大社
と、その周辺を見学して参りました。
 諏訪大社の御柱が見たいのがメインです。


 2008年6月4日 7時15分に横浜西口天理ビル傍
に35人が集まりました。その中で男性は5人だけでした。
 7時半に出発して横羽線から首都を経由して中央高速
に入り、途中三箇所で休憩し11時10分、諏訪大社上社
本宮に着きました。


 諏訪湖の南側です。
 有りました、高さ17m、直径1.2mの巨大なもみの木です。


 これが4本、本宮を守るように角角に立てられています。
 諏訪大社には上社に、本宮と前宮があり、下社に春宮と秋宮が
有りますが、上社の前宮は現在その跡があるだけです。

 然し、御柱は全部で16本建てられているとのことです。

 本宮には、信州出身の力士で江戸末期に活躍した名大関
雷電為右衛門の銅像が建てられていました。


 諏訪大社の紋は、梶の葉を象ったもので上社が4本の足
で、下社は5本になっています。




 御柱は、寅年と申の年に20数Km離れた山から数千人の
氏子の奉仕によって運ばれます。その壮大な行事は、何時も
テレビで報道されますので、有名です。
 その時に使われる元綱が展示されていました。メドテコと
言うようです。


 11時51分、上社を後にして諏訪湖畔の北沢美術館新館
へ向かいました。
 お昼です。併設のレストランでパンのバイキングでした。
 思い思いのパンを取り、いろいろと揃っているサラダ、
スープ、果物で諏訪湖を眺めながら頂きました。


 北沢美術館は主にガラス工芸品が展示されていました。


 次は、諏訪湖をぐるりと回って下社の秋宮です。
まず最初に樹齢700年の根入りの杉です。
 この杉は夜中に枝を下げて眠るといびきをかくそうです。
 この葉を煎じて子供に飲ますと夜泣きが治るとの
ことです。



 神様は今、春宮へ行っていて留守でした。
 
 立派な狛犬さんが、留守を守っていました。
 青銅の狛犬としては日本一だそうです。
 これは、阿吽の阿のほうです。


 こちらが、吽の方です。


 本殿です。


 拝殿には大きな、しめ縄が下がっていました。
 出雲大社のように、お賽銭が刺さっていません。


 下社の紋は五本あしです。


 神様が留守なので、ほどほどで引き揚げました。

 北沢美術館本館で、世界的に著名なガレのガラス工芸品
を見学しました。
 合わせガラスと言って3枚のガラスを合わせたものです。


 ガレの作品の中でも特に優れたスタンドで世界に4点しか
無いうちの一つです。


 直ぐ近くに間欠泉が有るので、見に行きました。
 時間で噴出するそうですが、何か不思議です。
 地熱の高まりによって噴出するのでしょうが、規則正しく
決まっている所に一抹の疑問を感じます。
 15時が予定です。15時になったら予定通り吹き出し
ました。




 高く上がる時は10mくらい上がるとのことです。
 毎日、10時、11時半、13時半、15時、16時半
と決まっていて、夏の観光シーズンには17時半もある
ようです。どうも怪しい。
 11時半から13時半の間、2時間あるのは昼休みで
しょうか?そして観光シーズンにサービスがあるのも何か
変です。

 後でバスのガイドさんの説明によると、バルブで調節
しているとのことで、興ざめの感です。

 思い直して、中山道を歩いて春宮へ行きました。
 家の玄関に弓矢の魔除けがありました。


 途中に下諏訪宿本陣がありました。
 春宮の本殿です。


 真ん中が御幣を奉じる弊殿と拝殿が一緒になった弊拝殿で
左右が片拝殿になっています。

 春宮本殿から少し離れた場所に、万治の石仏があります。


 春宮の大鳥居を作る時、石に鑿を入れたら血が流れたので
石工が作業を止めました。その晩、夢のお告げで良い石の
有る場所が告げられ、そこに石が見つかったとの事が伝説
になり、血の出た石は石仏として安置されたとされています。
 万治3年(1660年)のことです。

 川が二つに分かれている場所に浮島宮が有り、ここにも
小さいながら御柱が建てられていました。


 16時半になり、今日の予定が終わりましたので大泉に
有るホテルへ向かいました。

 空は降らないながらも、どんよりとして八ヶ岳連峰も
雲の中でした。


 今日一日、降られる事も無く時には太陽が出て暑い位に
なったこともありましたが、まずまずの日和でした。

 八ヶ岳南麓の、大泉高原八ヶ岳ロイヤルホテルです。


 これで6月4日が終わりました。5日は又。
 

伊豆七島の島じまん大会

2008-06-14 21:52:34 | Weblog
6月1日  
 
 良く晴れて暑い日でした。
 二年毎に伊豆七島から島民が集まって島じまん大会が
今年も5月31日と6月1日に東京の竹芝桟橋で開催
されました。

 大島、利島、新島・式根島、神津島、三宅島、御蔵島、
八丈島、そして青ヶ島からです。

 青ヶ島は、還住太鼓と島踊りを披露しました。


 青ヶ島は天明5年(1785)3月の大噴火で島民は
命からがら八丈島へ逃れました。
 然し、当時340人のうち、八丈島へ逃れられたのは
203人だけでした。
 後の137人は、八丈島へ渡る舟に乗れず、乗れても
途中で舟から落ちて亡くなったりして悲惨な運命を辿り
ました。
 八丈島へ渡れた島民は、その後艱難辛苦の末、何度か
青ヶ島へ還住を試みたが、いろいろな障害から実現せず
遂に50年後の天保6年(1835)、やっと全員の還
住が実現したのでした。勿論、50年の月日の間には戻
る事なく亡くなった人もおり、また生まれた人もいた事
でしょうが、兎に角悲願の還住が実現したのです。
 それを記念して島ではこの還住太鼓を昭和55年に
創作したのです。

 折角、出掛けたので特産の青酎とウコンを買って帰り
ました。
 お昼は、八丈島・青ヶ島共通の名物である島寿司です。

 わさびを使わず、辛子を挟み島だれと言う特別な醤油
で食べます。

 周囲9Km、人口200人の小さな自治体です。
 断崖絶壁のお椀を伏せたような島ですが、人情が厚く
ボランティアで出掛けた女性は大体、居着いてしまうよう
です。
 島の事は、ネットで青ヶ島と検索すると毎日、更新された
情報が見られます。

ヴァンクーバー最後の日です。

2008-06-14 18:21:44 | Weblog
5月26日  曇りのち晴れ

 5時起床。6時前に28階からエレベーターに乗ると
上の29階から、KさんHさんが降りて来、27階からは
KさんTさんが乗り、奇しくもエレベーター内で全員集合
です。フロントで待たず直ぐに出発出来ました。

 歩いて15分程でスタンレーパークの池に着きました。

 去年も来ましたが、反対側から入りました。
 今年は、町側から入りました。
 もの凄く広い公園です。日比谷公園が100個以上
拡げても足りないことでしょう。

 早朝なので、人通りも少なく時折ジョギングの人が
通るだけです。

 池にはワシカモメ、ハシビロガモ、オナガガモ、
アメリカオシ等がゆっくりと気持ち良さそうに泳いで
いました。

 持参のパンとコーヒー・バナナで簡単な朝食です。

 芝生にカナダガンが物欲しそうにうろうろしています。

 どこかの小父さんがカナダガンと話しをしながら、持参の
パンを与えていました。この小父さんはガン語がわかるので
しょうか?
 この群れには雛もいませんので恐らく独身達なのでしょう。




 池にはカナダガンの家族が泳いでいます。


 丘からは、続々と雛が降りて来ます。
 8羽の群れ、4羽の群れ、そしてたった一羽もいました。



 池から望むスタンレーパークの一部です。


 公園の中に、モネの絵のような風景がありましたのでパチリ。


 ここも花盛りです。名前は判りません。


 頭上をオオアオサギが巣材を銜えて往復しています。
 これから新婚家庭を築くのでしょう。


 小さなゴルフ場の傍に小さな花を付けたツツジが咲いて
いました。


 先ほどのオオアオサギが、林の中にいました。
 この辺から巣材を持って行っているようです。


 近くの大きな木の幹にセジロコゲラが来ています。




 1時間半ほど散策して海岸に出ました。
 海岸通りから見たコーストプラザホテルです。
35階建てですから我々の部屋は上の方で
 全部、海側に向いていました。


 8時半にホテルへ戻り、荷物を纏め9時50分ロビー
に降りてチェックアウトをして旅行社の担当者を待ちます。

 間もなく見えたので車に荷物を積み込み、空港へ向けて
出発します。

 いよいよヴァンクーバーともお別れです。

 町にはキバナフジやマロニエが咲き誇っています。

 空港近くで少し渋滞しましたが、無事に時間前に到着し
チケットを貰い、土産物店を物色しました。

 チェックインの時、うっかり手持ちにしたメープル
シロップが見つかり没収されて残念です。
 言葉が判れば何とか救済策があったのでしょうが、
判らないばかりに没収されっ放しになってしまいました。

 免税店を見たり、軽食を食べたりして13時15分に
搭乗しました。
 ここから日本時間になります。
 26日の13時15分は、日本時間で27日の5時15分
です。まだ早朝です。

 6時(14時)に離陸しました。今度は手許灯も点きます。
 離陸して1時間で食事が出ましたが、美味しいとは言え
ません。

 持参したMDで落語や朗読を聴いたり、同行のM氏と話し
をしたり、うとうとしたりして9時間を過ごします。

 日本に近くなってから震度4ぐらいの揺れが時々ありまし
たが、15時35分、無事に成田空港に着陸しました。

 それから入国手続き、荷物の受け取り、宅急便依託など
して19時40分、やれやれ帰宅となりました。

 長い間、お読み頂き有り難うございました。

 時々、鳥の名前を間違えて記しましたが、ご指摘頂き
直ぐに訂正しました。

 17日からは北海道です。

 またブログに載せます。では又、後ほど。