はじめまして

今回、新しくブログを開設しました。

ホシガラスあちこちへ

2009-10-20 15:11:40 | Weblog
 10月11日  

 酒匂川の定例探鳥会です。9月に引き続きまだ本番では有りませんが、こ
れも記録です。

 昨夜が遅かったので少し大儀ですが、前から予定していた事で、その前に
飛び入りの北海道行きが入ったのでやむを得ません。
 7時半に家を出ます。気持ちの良い晴天です。

 何時ものように鴨の宮で下車して酒匂川の土手に上がると案の定、鳥影は
少なくモズだけが元気良く高鳴きしていました。



 抜けるような青空の下、ミサゴが飛来して来ました。何時見ても美しい
姿です。



 飯泉ダムにも鴨類が、まだまばらです。遠くの対岸にぱらぱらと見えます。
 ダムの上流にある飯泉橋の上にも紺碧の空が拡がっています。
 昨日の今頃は春国岱でタンチョウを見ていたのに、今日はこうして温かい
日射しの下で酒匂川に立って居ます。

 凄い時間の短縮を感じます。昔なら一ヶ月もかかる事だったでしょう。
 江戸時代の人に比べると、その何百倍もの人生が送れる現代に感謝すべき
でしょうか?不思議な気持ちです。



 飯泉橋の下では、オオフサモ(別名キンギョモ)が蔓延っていました。



 オオフサモの中にチュウサギが、佇んでいましたがやがて川の縁に
出て来ました。本来は夏の鳥ですがまだ残っていました。



 箱根連山と丹沢の山々の中間に聳える矢倉岳(標高870m)が見えます。
 サシバの渡りの季節には山頂が賑わう山です。近くには万葉公園があります。



 雲に隠れて見えなかった富士山が、うっすらと見えだしました。
 雪に覆われています。



 鳥も少ないので、何時もより早めにコースを歩きます。
 相変わらずモズだけが目立ちます。

 右岸の河川敷を河口へ向かいますが、川の中には多数の鮎釣りの釣り師が
入っているので河原に下りる事は諦めました。

 河川敷のグラゥンドには時々、救急のドクターヘリコプターが下ります。
 今日も何処かから急病人が救急車で運ばれて来て、リレーで処置の出来る
病院へ運ばれて行きました。暫く経緯を眺めていました。
 自分で無くて良かったと思う気持ちですが、こうして処置される現在の
高度医療が受けられる事の幸運も思います。





 サワグルミの梢でモズが啼いていました。



 河口近くの中州でアオアシシギが歩いています。



 天気が良いので大島が見えました。海岸では投網をしていました。



 9時近くから歩き出して14時迄で40種の鳥が見聞き出来ました。
 天気が良いので少し汗ばむ程でしたが秋晴れで快適な探鳥会でした。

 10月12日   今日も晴れです。

 鳥を見て俳句を吟ずる俳句探鳥会が、戸塚の舞岡公園で開催されるので参加
しました。
 地下鉄で舞岡下車して外に出ると、十月桜(別名オエシキザクラ)が咲いて
いました。



 園内にはキビタキやアリスイが居るのでカメラマンが蝟集していましたが
無視しました。
 ツリガネニンジンが楚々として咲いています。



 谷戸の一部では古代米を栽培しています。丁度刈り取りの場面に遇いました。
 古代米は鎌で刈り取るので無く、穂を掌でしごいて穫るようです。



 アザミにヒメクロホウジャクと言う小さな蛾がホバリングしながら吸蜜して
います。体長15mmくらいの小さな蛾ですが綺麗です。



 正に黄金の稲穂が秋の陽に輝いていました。



 芒も秋の色です。



 谷戸には刈り取られた稲が稲架に架けられています。のどかな風景です。



 見るとキイロスズメバチの大きな巣が有ります。まだ出入りしています。



 道路にアカスジキンカメムシが歩いていました。体長1Cm位のカメムシ
の仲間ですが、臭いカメムシの中でも綺麗な種類です。



 午前中で余り鳥を見ない探鳥会を終えて午後は場所を移して句会となり
18人が参加しました。
 一人3句を投句して5句づつ選句しました。
 私は3点句と2点句だけで可もなく不可もなしでした。

 句会よりも有志による終了後の反省会の方が楽しみです。

 一日、満足な時間が過ぎました。幸せです。

 13日以降は定例的な事で過ぎて行き、特筆すべき事も無いので省略しま
すが、唯一嬉しかった事はスポーツ吹き矢でこれまでの最高点168を記録
した事です。

 1ラウンド5矢吹いて最高が35点ですが、これは滅多に出来ません。
 それを6ラウンドプレーすると210点が最高ですが、これは神業です。

 恐らく北海道に行っていて暫くパソコンから離れていたので目が疲れず
的が良く見えた為と思われます。17日に別の練習場では最初の2ラウンド
こそ好調でしたが直ぐに元に戻ってしまいました。
 パソコンは目に良くないと知っていながら放棄する訳にもいかず困った
ものです。

 10月18日  

 藤沢市北部の石川丸山地区の谷戸と耕地を歩きました。
 田園地帯を歩く事は何時も市街地ばかりで暮らしている者にとっては癒し
になります。
 相変わらず鳥は少なく余り見かけません。ここでもモズだけが立役者です。
 そこいら中で啼いていました。

 谷戸なので稲の収穫も終わって稲架が秋の陽を浴びています。



 耕地には刈り取られた稲藁が束ねられて乾されていました。
 秋のひとつの風景になっいます。



 ツマグロヒョウモンが遊んでいます。



 大庭地区の広々とした風景です。



 最後にノビタキが遠い杭に止まっているのが見えたので、隠れて待って
いると近く迄来ましたが、持って行ったカメラが小型なのでピンボケでした。



 一週間ホシガラスなりに、あちこち歩きました。
 又、何か載せるような事が出来ましたら更新します。




ホシガラスぶらり独りで道東へ その4最終編

2009-10-19 14:58:27 | Weblog
 10月10日  台風一過の後の快晴です。

 5時20分に防寒対策を充分にして外へ出ました。気温は6℃を差して
います。
 流石に寒い朝ですが、まだ知床の山々がくっきりと見える迄にはもっと冷え
ないと見られません。

 何時ものコースで風蓮湖の木道を歩きます。昨日の台風の名残で何か見えな
いかと期待しますが、海鳥たちは全部飛び去ったようです。

 木道を歩いているとアッケシソウと言われ、又の名をサンゴソウ(珊瑚草)
が咲いています。潮水がひたひたするような場所に育ち網走の能取湖は有名
です。網走では広い範囲に咲いて一面燃えるような赤ですが、ここではぱら
ぱらです。形は本当に紅珊瑚のようです。


 
 風蓮湖を名残惜しく眺めます。今日で最後ですが帰る便は釧路空港最終便
の20時25分なので午前中はまだゆっくり出来ます。



 木道を歩いていると湖面に何か動きます。双眼鏡で見ると昨日沢山飛んで
いた、ハイイロヒレアシシギです。体長22Cmのシギです。
 見られる機会が最近少なくなった鳥で珍しく嬉しくなりました。



 ヒレアシの名の有るように足の鰭が見たくて粘りましたが、何時も
水面の中でなかなか見られません。





 二羽が揃いました。



 風蓮湖の長く伸びた木道です。前方の黒い森はアカエゾマツの純林
ですが、中には多くの木が倒れていて以前は林内を一周出来たのに、
今は途中までしか入れません。
 又、海水に浸蝕されて年々枯死する木が増えているので何時まで
この純林が残るか判りませんが生態的に貴重な自然を保存することは
残念ながら非常に難しいことです。



 アオジがさっと飛んできて杭の上に一瞬止まり直ぐに草むらの中に
隠れました。



 湖と集落を結ぶ橋には相変わらずカモメたちが休んでいます。
 近づくと一斉に飛び立ちます。



 もう一度振り返って風蓮湖を眺めます。快晴です。



 遠くの斜里岳に昨夜の寒波で雪が降ったようですが、薄くしか見えません。
 羅臼岳も白くなっていました。いよいよ冬到来です。



 宿に戻って朝食を摂っていると、バンディングに出掛けた宿のご主人
から電話でタンチョウの親子が見られると知らせて来ました。
 早速出掛けます。国道44号線の対岸に3羽の家族が餌を摂っていました。
 夫婦と若鳥です。



 平和な一家団欒の所へ侵入者が飛んで来ました。親鳥が怒って声を
立てます。



 間もなく近くに舞い降りました。仲間に入れて貰いたそうですが、
この付近一帯をテリトリーにしている一家にとっては邪魔者です。



 夫婦で追い立てます。子供は遠くに離れています。



 夫婦は先回りして見張ります。アオサギも応援に駆けつけました。



 簡単には立ち去らないので翼を広げて威嚇します。



 威嚇の効果で流石に仲間に入れて貰えないと悟り、逃げだします。



 尚も夫婦で威嚇します。



 執拗に威嚇します。



 いつこく威嚇を続けます。



 騒ぎを聞きつけアオサギの群れが集まって来ました。



 とても堪らず遂に逃げて行きました。何時も独り者は可哀想です。



 夫婦は意気揚々と引き揚げて行きます。



 一家に平和が戻りました。



 温かい朝の陽を浴びて一家はのんびりと餌を漁ります。



 まだ朝の9時です。風速4m 気温11℃に上がって来ました。



 一騒動が終わったので春国岱(しゅんくにたい)のネイチャーセンター
へ向かいます。
 東梅の入口の標識にもロシア語が書かれています。根室・釧路はロシア
との関わりが多いようです。



 森の中では先日まで見られなかった所にヒラタケの一種が生えて
いました。雨で急に出てきたようです。道は随所でぬかり、歩くのに
苦労します。



 キタキツネが現れました。オシッコでマーキングしています。



 恥ずかしい所を見られバツ悪そうに森の中へ逃げて行きました。



 宿で作って頂いたお弁当は木道の縁に腰掛けて食べました。
 何処までも晴れ渡る大空の下、北の大地を我が物にして過ごすひとときは
格別な思いです。周囲何Kmかは私独りです。世の中の煩わしい事を一切
忘れます。そして自分の歳も。

 13時過ぎ、宿に戻り荷物を纏め、宅急便を頼み土日は2便しかない
バスの15時17分で釧路へ向かいました。相客は三人だけでした。
 何処までも続く一本道を西へ向かって走るので、夕日がまぶしくドライ
バーさんは大変です。



 今日も夕焼けはさっぱりでした。
 17時半頃、釧路に着き飛行場行きのバスの時間を聞くと18時55分
とのこと。どこまでも接続悪く良く言えばゆったりのんびりで大陸的です。

 ゆっくりと駅ビルで夕食を済ませてバスに乗り、お馴染みの夜道を眺め
ながら19時半近くに釧路空港に着きました。

 20時25分発JAL1148便は20時40分に離陸しました。

 これで想い出多い北海道とも当分お別れです。

 22時04分、羽田に着陸しました。荷物が少ないので22時25分の
バスに間に合ったので23時過ぎに最寄り駅に着き、23時半過ぎ帰宅と
なりました。

 5泊6日の短い旅でしたが無事に帰って来れた事に感謝して、そそくさ
と片づけて久しぶりに自分の匂いのする布団に入りました。

 長いだけで詰まらないブログをご覧頂き有り難うございます。







ホシガラスぶらり独りで道東へ その3

2009-10-18 20:05:15 | Weblog
 10月 8日  

 台風18号が接近している余波で朝から曇り空です。予報では15時頃から
雨になるとの事ですが朝のうちは降るような気配がありません。

 いつもの通り5時に起床して外へ出ます。気温は10℃を示しています。
 薄暗い中でタンチョウの声がします。見ると4羽がいます。

 
 北に目をやりますと曇り空ながら遠く知床の山脈がうっすらと見えます。
 右の方には国後島も見え更に、その右には国後島の茶々岳
も山頂に雲を戴きながら、これもうっすらと見えています。

 国後島の西南部です。



 国後島の東北部に聳える茶々岳です。



 6時に宿のご主人が依頼を受けて実施しているバンディングを見学させて
戴きました。湿地なので長靴を借用して現場に入りましたが、所々ずぶずぶ
とぬかる大変な場所です。
 ネットにはアオジがかかっていました。直ぐに回収してナンバーリング
を脚に付けて素早く放鳥しないと死んでしまうので大忙しです。

 朝食後、ネイチャーセンターへ行きいろいろな資料を見たり外を眺めたり
レンジャーと話をしたりした後、森をぶらぶらとしました。鳥は相変わらず
少なく、直ぐに出てきたのがエゾシカでした。20分程対面していましたが
根負けしてこちらが立ち去りました。



 北向きの崖の木は強風で傾いています。



 森の中を散策しても鳥影が少ないので、樹木の肌を撮りました。

 北海道を代表するハルニレです。この樹は大きくなります。
 樹高30m 周囲6mにも及び樹洞にはフクロウが棲みます。



 本州では高地に生育するダケカンバも北海道では低地で育っています。



 居ない居ないと言っても時折、鳥の声がします。
 見るとハシブトガラです。コガラと良く似ていて区別が付きませんが
北海道のこの付近では殆どがハシブトガラとなっています。



 森の忍者と言われるカケスは、北海道では亜種のミヤマカケスです。
 本州のカケスと違って頭のゴマシオが無くつるりとしています。



 コゲラも出ましたが暗いので、ぼんやり写真になりました。



 知床の山々が雲に覆われて来ました。間もなく雨になりそうです。

 15時になると予報通り雨が降り出しましたので宿に戻りました。
 だんだんと雨風が激しくなって来ました。その嵐の中を今夜は台湾の
台北からの観光客4人と同宿となりました。
 ニーハオで挨拶するものの中国語は通ぜず、片言英語での対応になり
ました。台北の人は歯医者さん夫妻と、そこで働いている若い女性二人の
四人のグループでした。
 なかなか感じの良い人たちで、本場のウーロン茶を入れて、ご馳走して
下さいました。

 最近は、この宿も楽天に出しているので鳥見の客ばかりで無く一般の
観光客も国海外を問わず訪れるようです。

 今回も鳥見のオフシーズンもあり、同宿した人は全部一般の観光客と
仕事で来たお客さんばかりでした。

 10月 9日   嵐です。

 夜中に風雨が強くなり1時半に目が覚め眠れなくなりました。
 イヤホーンでラジオを聴きながら一喜一憂して過ごしました。
 築30年の上に、湖に面して海抜0mなので家は揺れ、風でがたがた
ときしみ高潮警報も出るので起きて荷物を纏め何時でも避難出来るよう
に準備しました。
 朝方、根室では瞬間最大風速40mを超えたとラジオで報道していました。

 ようやく朝になりましたが、雨風は相変わらずです。
 その雨の中を台湾のお客さんはレンタカーで出掛け行きました。
 今日は釧路へ行くようです。

 雨風で外に出れず今日は一日宿でゆっくりすることにしました。

 9時頃、宿のご主人が夥しい数のトウゾクカモメが飛んでいると教えて
下さり二階の観察部屋に案内して下さいました。

 強風の中を台風を避難して風蓮湖に集まった海鳥たちです。
 トウゾクカモメを主に、フルマカモメ、ミツユビカモメ、ハイイロ
ヒレアシシギ、コシジロウミツバメそしてウミネコやオオセグロカモメ
の群れです。壮観です。







 二階の観察部屋は幸いに西向きで、風は北風なので窓を開けていても
雨が吹き込む事も無く写真も撮れました。

 トウビクカモメです。体長51Cm 翼開長122Cmで、ウミネコ
より少し大きい海鳥です。ご主人のカウントでは600羽以上との事
でした。兎に角、もの凄い数が次から次へと飛来していました。







 トウゾクカモメとミツユビカモメです。
 ミツユビカモメは体長39Cm 翼開長92Cmの小型のカモメです。



 トウゾクカモメとハイイロヒレアシシギです。ハイイロヒレアシシギ
は体長22Cmと、タシギより少し小さめです。群れをなして飛びます。



 ミツユビカモメとハイイロヒレアシシギ



 ヒレアシシギの群れです。



 ミツユビカモメと判らない海鳥です。おわかりの方がいらしたら
お教え頂ければ幸甚です。



 コシジロウミツバメと思いますが違っていたら、ご免なさい。



 ミツユビカモメです。



 午前中は海鳥観察で過ごし、午後は図鑑を見たりカメラのサムネールを
見たりして過ごすうちに、風も静まって来ました。

 明日は、もう帰る日です。早いものです。
 明日の事は、その4にします。お粗末様でした。

ホシカラスぶらり独りで道東へ その2

2009-10-17 16:23:53 | Weblog
 10月 6日  16時近くに今日からの宿に入ると天気が良いので
嘗て見た素晴らしい夕焼けを想い出し期待しました。

 2004年6月の春国岱(アイヌ語でエゾマツの生えている所の意)
の夕焼けは本当に素晴らしいものでした。
 その時の写真です。



 然し今日は空気中の水分の関係で余り綺麗な夕焼けにはなりませんでした。
 手前は風連湖です。風蓮湖は57.5㎢の周囲をキタヨシに囲まれた汽水
湖です。そして風蓮湖を含む春国岱は年間約300種の鳥が見られる
バードウォッチャーにとっては垂涎の地です。



 時節柄16時45分には日没となりました。旅人にとっては後は夕食を
済ませ寝るだけです。明日も台風18号は遙か南方に有るので天気は良い
ようです。

 10月 8日   予想どおり晴天です。

 旅に出ると晴天は何よりです。何か大きな得をしたように嬉しくなります。
 5時20分に太陽が上がります。
 5時に起きました。気温は11℃でした。それ程の寒さではありません。

 三脚にカメラを装着して肩にかつぎ首からは双眼鏡を下げて出掛けます。
 夜明けと共に鴨たちが飛び回ります。



 海水温と気温の差が有るので湖面には湯気が立っています。
 漁船では昆布でしょうか?竿で穫っています。



 空には昨夜の名残の月が白く浮いていました。



 やがて、くるるる くるるる と声がしてタンチョウが飛んで来ました。
 北海道に来て、タンチョウを見なければ北海道に来た気がしません。





 日本でも唯一のアカエゾマツの純林へ通ずる木道が延々と続いています。
 何やら小さな鳥がいます。まだ残っていたヒバリでした。



 拡大して見ます。



 対岸には夥しい数のアオサギの群れです。木道の橋の欄干から湖岸に
ずらりと並び、その数500~600羽ぐらいです。
 アカエゾマツの枝や梢にも鈴なりです。





 それが何の目的か一斉に飛び立つ事があります。



 杭の上にも何やら止まっています。セキレイの仲間のタヒバリでした。



 先刻、飛んで行ったタンチョウが餌を漁りながら近づいて来ました。



 木道には私独りで、それも石のように動かずに眺めているので
どんどん近づいて来ます。右側のタンチョウの脚環には026の標識が
見られました。
 


 7時半近くなったので、8時の朝食に間に合うように引き揚げました。
 橋の欄干には何時ものようにカモメ達が止まっていて一番近くに
シロカモメが居ましたので、パチリです。



 オナガガモは逆立ちになって水生植物(主に藻類)を漁っています。



 食後、3Km程離れた白鳥台センターへ行くことにしました。
 今回は私一人でクルマ無しなので総て歩くか、バス利用しか有りません。
 そのバスも一日に2~3本程度です。
 時刻表を見ると10時04分に釧路行きが有るのでバス停で待ちました。

 5分程遅れて来ましたが、このバスは都市間交通で根室と釧路の市内しか
乗り降り出来ず、直ぐ次の停留所には止まらないとの事で乗せて呉れません。
 50人乗りくらいの大型バスに4人しか乗っていません。
 何と融通の利かない事でしょう。

 仕方なく、その辺をぶらぶらして10時33分の中標津空港行きのバスを
待ちました。これも6分程遅れて来ました。4~5人しか乗っていません。
 これは乗せて呉れました。近くでもベルトをして下さいとの事で小銭入れ
から料金260円を払ったり、ベルトを締めたりで忙しい事でした。
 3分もかからずに着いてしまいました。

 帰りの時間を調べておいて道の駅でも有る館内に入りました。
 ここも道東に来ると必ず寄るので何回も来ていますが、何時も閑散として
います。
 風蓮湖が続いていて、この部分だけ冬は結氷しますがオオワシやオジロワシ
が見られる場所です。凍らない所にはオオハクチョウが飛来します。

 湖岸に出るとオジロワシが魚を獲っていました。暫く眺めていました。
 遠くからタンチョウも眺めています。



 溺れそうに見えますが水深が浅いので大丈夫です。



 後ろ向きなので何を食べているか判りません。



 大きな魚でした。



 食べ終わり満足そうです。この距離400mぐらいです。



 やがて飛び立ち空を旋回しました。





 オジロワシが飛び立つと遠くから眺めていたタンチョウが何か残って
いないかと探すように近寄って来ました。



 隣接している散策路では一昨年の低気圧で多数の木が倒れている為、
入林禁止になっていて入れません。
 ツタウルシが紅葉していました。



 マユミの実も赤くなっています。




 時間をもてあまし昼時になりましたたが道の駅のレストランより
1.5Km東梅寄りにある湖岸のレストラン・サンセットへ行き鳥の情報
でも聞きながら食事と思い歩き出しました。
 途中にも鳥影は少なく日射しだけが優しく包んで呉れました。

 もう一度、風蓮湖を眺めます。タンチョウも見えます。



 レストランに着くと生憎と水曜日定休でした。途端に空腹を感じました。
 付近には何も有りません。根室市は東西60Kmに及ぶ細長い市です。
 兎に角、宿に戻ると幸いにご夫妻とも在宅でしたので簡単な食事を作って
頂きやれやれとなりました。14時になっていました。

 食事も済んだので春国岱ネイチャーセンターへ行きました。
 自然観察林を歩きます。相変わらず鳥の姿も声も疎らです。
 森を抜けてオホーック海が見える所では、遺跡発掘をしていました。
 根室は今から1400年くらい前の擦文時代には人が住んでいて各所
にその遺跡が残っているとのことです。

 この春国岱の自然林の海を望む高台にも竪穴式の住居跡が数カ所発見
され今しも発掘の最中でした。
 大昔は陸地がもっと北の方に張り出していて今のように海岸で無かった
ようで、魚は捕れるし、クルミの木が多く食べ物に困らず、厳寒期も
薪燃料も豊富なので暮らしには差し支え無かったようです。

 当時の住まいの復元図が展示されていました。



 森の中を歩いているとキツツキの声がするので見るとアカゲラでした。



 何か動いたと思うとエゾシカの雌でした。警戒しながらもじーっと
こちらを見ていました。



 天気は良いのですが気温が高いので知床の山も霞んでいました。



 一日のんびりと大自然の中で至福の時間を過ごしました。

 然し、少しトラブルが発生です。

 宿で落ち着いていると、これまでの探鳥記録をメモしたフィールドノート
と小銭入れが数少ない荷物の中にいくら探しても見つかりません。

 いずれも、たいした物では無いものの記録は私にとって大事な物、小銭
入れに付いている家の鍵はスペアが有るとは言え、帰宅の際、直ぐに困る
のでいろいろと考えた末、どうやら午前中のバスの中に忘れたと思い携帯
からバス会社に電話し3回ほど、たらい回しされた結果事務所に保管されて
いるとの事で引き取りに行く事になり一段落でした。

 さて、引き取りは明日でも良いのですが気分的に早い方が気楽なので
直ぐに根室市内のバス会社へ行くことにしました。
 バス時刻を見ると17時55分の日に3本の最終便があるので、それに
乗る事にしました。然し、何せ街灯も無い暗闇で待つので、うっかりする
と気づかずに通り過ぎられる危険が有る為、白い手袋をはめて待ちました。

 案の定、危なく通り過ぎられるところを急停車で止まり乗せて貰いました。
 道東の夜は寒く車内の暖房で、ほっとした思いです。

 事務所で受け取り、帰りのバス便は無いのでタクシーを呼んで貰い10Km
程の道を帰り、やれやれの一日が終わりました。

 4日目の8日以降は、その3に載せますので宜しかったらご覧頂ければ
嬉しく思います。

 早速コメントを入れて下さったセソリさんには感謝感激です。
 反応が有ることは嬉しいことです。それでは又。



ホシガラスぶらり独りで道東へ その1

2009-10-15 21:42:45 | Weblog
 10月05日
 
 北海道に居る60年来の友人が、数年前から認知症で施設に入院
しているので3年前にも見舞いに訪れましたが、最近は病状が悪化し
食べられず点滴の生活に入ったので心配になり急に思い立って札幌へ
行きました。

 序でに季節的には鳥見に不向きながらも大好きな道東で4日ほど
のんびりと過ごそうと思い出掛けました。

 曇り空で雨の心配もあり月曜日の事で渋滞を心配して11時の便
なのに7時半の空港バスに乗りましたら順調で羽田には8時10分
に着いてしまいました。
 普段読めない本を読みながら待ちました。





 JAL521便は11時17分に離陸しました。
 揺れも無く12時20分に新千歳空港に着陸しました。
 以前は小さな空港なので迷わず楽に歩けたのに最近は慣れたとは言え
羽田並みに巨大化したので気を付けないと目的の場所になかなか行きつ
けない事が屡々です。

 それでも普通にJR千歳線に乗り札幌経由で江別に向かいました。
 江別では彼の息子さんの奥さんが出迎えて下さり病院へ直行しました。

 幸いにこの日に限り病状が良く、私の事を認識して呉れ話も出来ました。
 然し、点滴だけなのですっかりと痩せてしまい文字通り骨と皮で
情けなく涙が出そうでした。
 知り合いのお医者さんに聞くと点滴だけでも結構長く生きられるとの
事ですが、どれだけ生きられるのでしょうか?
 彼も奥さんを亡くして私同様20年近くなるので、息子さんの奥さんが
面倒を見ていますが、献身的に看病して貰えるので少しは安心です。

 余り長くても病人が疲れるので30分位で辞去して札幌へ戻りました。

 札幌では以前、藤沢に居た友人に会い歓談してホテルに入りました。

 10月06日   

 気持ちの良い晴天です。
 薄野から地下鉄で2駅先の札幌駅へ行き、9時04分発の特急おおぞら
で釧路へ向かいました。



 札幌を出ると間もなく広々とした空が拡がります。
 千歳近くでは空港に降りる飛行機が見えました。



 追分駅に停車しました。
 この駅には遠い昔の想い出があります。昭和25年6月 勤め始めて
最初の長期出張で会社の人たちと一緒にこの駅から今は無き夕張線で
南大夕張へ行く為に乗り換えました。

 その頃も閑散とした駅でしたが、今も余り変わっていません。



 南大夕張は炭坑の町で住んでいる人は殆ど炭坑関係か営林署をはじめ
林業関係の人ばかりです。
 炭坑住宅の共同風呂では、炭坑のおばさんと、もみ合うように入浴した
ものでした。20歳そこそこの私には驚異の生活でした。

 間もなく、町から森林鉄道で10Km先の山奥に入り渓流の傍に全員で
木を伐り板を打ち付け小屋を造って半年の住居としました。懐かしい想い
出です。

 そんな遠い想い出を思い出しながら、電車はやがて夕張山中へ入って
行きました。
 
 この辺りは標高が少し高いので紅葉が始まっていました。



 途中、十勝付近では、ここからは野生動物が線路を横切るので急に
停車することがあります とのアナウンスが有り流石に北海道と思い
ました。

 約4時間で釧路に到着しました。隔世の感です。昔は釧路と言えば
辺境の地で札幌から釧路へ行くとなると一日仕事でした。

 啄木も、

 さいはての駅に下り立ち 雪あかり さびしき町にあゆみ入りにき

 と詠んでいますほど寂しい町で昔は根釧と言って根室の方が都会
でしたが、最近では釧根と言うほどになりました。

 駅前の交番には、ロシア語の表示がありましたが、それ程ロシア人
は見かけません。



 釧路からは13時35分発のバスで根室へ向かいました。

 電車も根室本線とは言っても2輌編成で単線運転の各駅停車なので
バスを利用しました。

 広々とした道東の風景が続きます。



 16時前に予定より早く、今回の宿のある東梅と言うバス停に到着
しました。根室までは10Km程手前です。根室は東西60Kmもある
細長い町です。

 東梅(とうば)とはアイヌ語で湖のほとりと言う事だそうです。
 成る程、大きな風蓮湖の湖尻です。

 ここには今まで何回も来て泊まっているので顔なじみです。

 宿に落ち着いてやれやれです。矢張りここまでは一日仕事でした。
 これから道東ののんびりゆっくりの生活が始まりますが以下は
その2に譲ります。