はじめまして

今回、新しくブログを開設しました。

ホシガラス 湯河原奥の幕山へ行く。

2010-03-29 17:28:37 | Weblog
 3月28日

 長期予報では、もう晴れて暖かくなる予定でしたが近くなると寒さは去らず
今日は、曇り夕方から雨と変わりました。
 兎に角、降らない前に帰る事にして出掛けました。
 行き先は、湯河原の奥に聳える程で無い幕山(628m)山麓の幕山公園です。
 此処は桜よりも梅の名所で2月は人出も多く賑わいますが、3月も桜まつりとかで
イベントも多いようですが、生憎の曇り空で人影も疎らです。

 湯河原駅には9時半頃に着きました。今日の参加人員は18名です。
 寒さにもめげず、元気で熱心なことです。駅前の桜は二分咲きでした。
 果たして公園ではと期待しながら出発します。駅の裏へ出て坂を登ります。

 人家に、エリカが咲いていました。ヨーロッパ・南アフリカ原産で園芸植物
として栽培されています。淡いピンクの小さな花が一面に咲きます。



 少し昇ると今度はアフリカで良く見かける、ジャカランダが繁っていました。
 マメ科でアカシアの仲間です。



 眺望の良い高台に上がると、真鶴岬の三石が遠くに見えます。



 目を転ずると、初島が霞んで見えます。



 周囲は蜜柑畑ばかりです。その中に、アカハラを参加者のM氏が見つけました。
 折角ですが遠くてサマになりませんが一応は撮りました。



 キブシも、まだ寒さに震えていました。



 山の桜も二分咲きです。



 鳥も特にこれと言った種が見られませんので、”撮り鉄”よろしく東海道線を
撮ります。





 撮り鉄ファンなら、さしづめキハ何型とかモハ何型とかと言うのでしょうが、
ホシガラスには判りません。

 山を下って鍛冶屋中央の通りに出ました。お地蔵さんが通りの安全を見守って
います。



 鳥影は少ないものの、何かを期待しながら、だらだらと緩い勾配を歩くので
時間がかかります。

 途中で見られたのはキジバトだけでした。



 12時近く、やっと公園に着きました。駐車場にホオジロが降りていました。





 桜の咲き方には、色々あります。少し賑やかな咲き方もあります。





 公園内には、西洋シャクナゲが咲き誇っています。



 水仙も咲いていました。専ら花ばかりで済みません。



 18人もいると36の目が有るので誰かが何かを見つけるので心強いです。
 この時も遠くにオシドリの♀を見つけました。
 普通なら気づかずに通り過ぎた事でしょう。

 



 ここの常連はカワガラスですが、今日はなかなか姿を現しませんが、やっと
出て呉れました。カワガラスと言ってもカラスの仲間では有りません。
 体長22Cmで、ミソサザイの親戚に分類されます。





 川の中に潜り水に棲む虫を食べます。目にはゴーグルのように瞬幕があり
水の中でも良く見えるようです。

 此処にも桜がありました。



 ルリビタキの綺麗な♂にも出逢えましたが、一瞬のことでした。

 その代わり、外来種でありながら、日本に定着した相思鳥がいました。

 相思鳥(ソウシチョウ)は、中国の鶯と言われるように飼い鳥として嘗ては
沢山輸入されましたが、何かのはずみに逃げ出した鳥が生き延びて繁殖し最近では
各地で見られるようになりました。
 


 幕山の側面には岩場が有り、岩登りの訓練や練習に若者が励んでいます。



 14時頃、西の空が怪しくなって来たので帰ることになりました。
 何時もの通り、今日見聞きした鳥の確認する為に鳥合わせをしますと35種に
なりました。天気も良くなく寒い時期としては、まずまずの成果でした。

 帰りがけに山の中なのに電線にイソヒヨドリが止まっていました。



 また、川の中にセグロセキレイがいましたので撮って今日の最後としました。



 駅まで歩くのも億劫になりましたので途中の森下公園からバスに乗って
しまいました。
 15時38分の電車で、それぞれ帰途につきました、遂に雨に降られず
この点でもラッキーでした。

 今日の歩数は、15024歩で、余り歩いていませんでした。

 
 

春遠しのホシガラス

2010-03-29 15:19:55 | Weblog
 前回のブログで画像を本文に嵌めこもうとして何回やっても先頭に飛んでしまって
所定の場所に納まらないので途中で新しくしました。
 吹き矢の大会会場です。

 48チームで約450名の参加で、大会役員の話では神奈川県会員の三分の一の
参加とのことです。



 障害の有る方も車椅子で参加します。



 大会の結果については当事者として書くほどの事も有りません。
 参加賞だけを頂いて帰りました。

 優勝賞品には四国の大手製紙メーカーから、ティッシュペーパー一年分として
36箱が贈呈されましたが、クルマでなければ持って帰れません。
 参加賞にも矢二本とポケットティッシュが入っていました。


 
 

彼岸過ぎてのホシガラス

2010-03-29 12:45:37 | Weblog
 お彼岸過ぎて、其処まで来られていたご先祖様も又、遠くへ戻られてしまいました。
 後は自分一人で生きて行かなければなりませんが、どこかで見守って下さる事と思い
ます。

 22日と23日は、5月に文化サークルで出掛ける群馬の富岡製糸所と貫前神社・多
胡碑の資料纏めに没頭しました。
 5月なので、まだ余裕が大有りですが、もともと試験の答案や宿題は早く片づけない
と落ち着かないので仕上げました。
 21日に主催者から依頼されたので、完成してほっとしています。

 23日の夜に、当日同行される講師の先生に渡して校正をお願いしました。

 現在は、何を調べるにもインターネットが有るので、わざわざ図書館へ出掛けたり、
資料を集めに観光案内所まで出向く必要が無く便利な世の中になりました。

 二日間、家に居てパソコンに向かっていましたが、目が疲れます。
 序でに、鳥のクラブのデーターの取り纏めも完成出来ました。

 彼岸過ぎても、まだ寒くてストーブが必要でした。

 24日  夜来の雨が朝になっても冷たく降っていました。

 吹き矢に出掛けました。27日の県大会に備えての練習ですが全く心細い限り
です。スコアは今日の雨同様、湿りっ放しです。
 
 25日  昨日からの雨が降り続いています。冬の再来です。
 一日中、ストーブ無しでは過ごせない寒さです。その中で雑用を片づけました。

 26日  晴れる予報を信じて鎌倉の海岸へ出掛けました。

 久しぶりに歩く海岸は人も疎らです。遠くに7~8人の人だかりが見えます。
 近づいて見ると警官が近寄ってはいけないと止められました。
 初老と思われる男性の漂着死体でした。横目で見て通り過ぎました。
 いろいろな人生の結末があるものです。無惨です。気の毒です。
 人間は、幸せに生き幸せな死に方をしたいものです。

 こんな事も新聞にも載らないくらい、何処にも普通にあるようです。気の毒な
死に方です。曇り空なので余計に悲劇的です。

 何事も知らないように、アオサギは黙然と佇んで海を眺めています。



 干潮の時間なので、遙か昔の1232年に唐との交流を図って造られた日本最古の
港と言われる和賀江島が見えます。飯島崎の沖に長さ約200m、幅約40mの東西
に細長い島状で直径約40Cmほどの石で構築されています。



 暫く、海を眺めてから江ノ島へ向かいました。その頃から晴れて来ました。
 晴れて来たので観光客で賑わって中には日本語でない言葉も飛び交っていました。

 カモメの群れの中からシロカモメを探しますがオオセグロカモメ・セグロカモメ・
ウミネコ・ユリカモメしか見当たりません。



 ヨットハーバーには無数のヨットが繋留されていて壮観です。
 こんなヨットで遊べる人も多いのに、世の中本当に様々です。



 防波堤に上がると離れた岩礁にミヤコドリが一羽いました。
 セグロカモメの幼鳥らしい個体と遊ぶように並んでいます。









 ミヤコドリは分類上、チドリの親戚のような位置にいる鳥で体長45Cmと
やや大型の冬鳥で、中国の西北部で繁殖します。

 シロカモメもやっと一羽いましたが眠っていて中々起きそうもありません。

 写真真ん中のやや白いカモメです。体長71Cmで翼を広げると135Cm
で、カモメの中では最大級です。

 

 今日も良く歩きました。満足して帰途に就きました。

 27日  漸く晴れそうですが、朝のうちは寒くて冬支度で第8回のスポーツ吹き矢
神奈川県大会へでかけました。
 場所は相模一宮の寒川神社のある寒川市の体育館です。
 会場の観客席は約1000人が座れる規模です。
 今回の大会は県内各地から450名余が参加しました。我がチームも13名で参加
しましたが一人は審判長、一人は審判に出ましたので選手は11名です。

 これまで書いて画像を入れようとすると何回やっても、新規にやっても画像が先頭へ飛んでしまうので項を改め、途中切れになりました。

 続きは別のタイトルで書きます。













ホシガラスの泪

2010-03-22 10:28:17 | Weblog
 3月21日  強風の吹く日です。

 3月弥生は一見穏やかなように見えますが、イギリスでは3月は獅子のようにやって来る
と言われるように、季節の変わり目なので荒れる月です。
 今月も二度も強い風が吹き、災害もありました。
 その中でも、鎌倉市民にとって尤も悲しい事は、八幡様の大銀杏が倒れた事です。
 鎌倉にとっては、この世の終わりのような寂しさです。

 鎌倉が好きで移り住み、愛して来たホシガラスにとっても大きな悲しみです。
 倒れた当初は、とても見に行く事が憚られましたが、最後の姿を見に行かなくては
と思い出掛けました。

 倒れた切り株が移設されて安置されていました。傍で狛犬さんが見守っています。



 残った根も無惨です。痛々しいものです。弱った巨体を懸命に支えていたのでしょう。
 ご苦労様でした。





 石段から見ると倒れた木の中は空洞になっていました。矢張り1000年の命だった
のでしょう。腐って居なければ樹木の年数は成長錐で測定出来ますが、腐っていては測定の
方法がありません。



 全景です。今更ながらその大きさが判ります。銀杏の特徴である乳を含む気根が下がって
います。



 普段は石段を登りながら気楽に眺めていましたが、倒れてからは覗き込む人が多く
手すりの無い石段は危険なので、臨時にフェンスが設置され警官が注意しながら見張って
いました。

 こんな日でも舞殿では、結婚式があったのか式台が並んでいました。そう言えば先刻
結婚式を終えたばかりの新郎新婦が、これから披露宴会場へ向かうのか参道を歩いて
いました。



 鎌倉では、大銀杏が倒れた悲しみの反面、新しく洋画の父母とも言うべき故 川喜多夫妻
を偲ぶ記念館が出来ました。
 私の若い頃、フランス映画、アメリカ映画を始め多くの洋画は総てこの川喜多夫妻の手に
よって輸入され楽しませて呉れました。
 まだ館内には入っていませんが近く行って見ようと思っています。
 観光地から離れた閑静な佇まいの中に静かに建っています。川喜多夫妻の旧居です。







 これから、観光人力車で寿福寺か英勝寺、それとも佐助稲荷か銭洗い弁天にでも行くの
でしょうか?若い女の子を乗せて走って行きました。



 小町通りのギャラリーで、知人が陶芸の個展を開催しているので見学しました。
 作者は、梟をテーマに毎年作品を発表していますが、今年はシーサーも採り入れて
作風一変でした。今年で12回目なので我が家でも、京 のサインの入った、ぐい飲み
や茶碗が12個溜まりました。

 今日の最後は、かまくら落語会で、今夜の演者は上方の桂 春團冶師匠の一門です。
 流石に上方では人間国宝の米朝と並ぶ噺家だけに所作と間は見事な演技でしたが、
終わってから大阪まで新幹線で帰るとかで僅か25分足らずの出演でした。
 二つ目さんが二人話しましたが、全部で1時間半の出演でそそくさと終わったので
何か鎌倉へは序でに来た感じで不愉快でした。

 暑さ寒さも彼岸までと言うように気候的にも楽になりました。




お彼岸を迎えるホシガラス

2010-03-20 14:32:58 | Weblog
 3月15日  曇り空で夜になってから雨となる

 滅多に家の中まで入る来客の無い我が家に今日は珍しく二組のお客を迎える事になりました。
 家主としては、もう大変です。早くから起きて片づけやら掃除やらで大童です。男寡婦に何
とやらで普段、気随気儘に暮らしているので家の中は雑然として、とても他人様に見せられる
状態では有りません。まして午前中の来客は、中年らしい女性3人です。
 5月20日の私の写真展示の担当者の皆さんです。

 約束の10時に見えられ約一時間打ち合わせをして帰られました。

 午後は米寿を迎えた小父さんです。嘗ては大学の山岳部であちこちの山に登り、中でも信州
の栂池はホームグラゥンドとされ、私も何回かご一緒したことのある先輩です。
 カメラに就いての相談です。いろいろなカタログ持参で見えられましたが、結局は何を主眼
に撮るかで決まります。高齢なので重たい物は駄目、さりとてコンパクトデジカメでは不満と
の事なので結論は、今持っているレンズも使え比較的軽い一眼レフのカメラをお奨めしました。

 16時半に出掛けました。夜の平家物語受講です。

 夜に備えて夕食の為に或る店に入りました。中に見覚えのある人が私を見ています。
 何処かでお会いしている方と判りますが何時何処で、何と言う人か思い出せません。
 同席させて頂き、取り留めのない雑談をしながら考えますが、どうしても判りません。
 食事の味もそぞろです。食事が終わる頃、意を決してお住まいを尋ねると何と同じ町内です。
 それでも判らず、いろいろと思いを巡らし突然思いつきました。最近は余りお会いする事も
有りませんでしたが以前は会合で、ご一緒したり路上で会って挨拶を交わしていた人ですが、
外で見かけるのと室内でお会いするのとでは服装も違うので、すっかり失念していました。
 飛んだ大失敗です。これを、ボケと言うのでしょうか?少し寂しくなりました。

 平家物語は、弓流し の条です。これは嘗て小学校の国語の教科書に、那須与一の扇当て
と共に載っていた物語です。
 風雨の中を鳴門の渦潮を乗り越えて僅か80騎を従えて阿波に上陸した義経の軍勢は三日
三晩不眠不休で平家を追いつめ八島へ着きました。その頃、軍監の梶原景時は大阪にいて何
も行動を起こして居ませんでしたが、漸く波も静まったので200騎で追って来ました。

 それを見た平家軍は何万もの源氏の援軍が攻めて来たと思い、慌てふためき敗走します。
 これがきっかけで壇ノ浦まで行き着き遂には滅亡することになりますが、関東武者の源氏
と違い、平家は京都で雅な暮らしをしていたので戦争に赴くにも夫人子供を同伴し、まして
この場では幼帝の安徳天皇を擁しているので、どうしても動きが鈍くなり少しの事にも消極
的になるので一般の兵達も弱気が先行します。これは以前に富士川で鳥の羽音に驚き一斉に
逃げ出している事にも伺えます。

 平家物語も所詮、読み物、語り物なので歴史書では有りませんから必ずしも総てが史実と
は言えませんから随所に興味をひくように脚色されています。
 果たして義経が、あのように戦巧者だったのか、頼朝があのように猜疑心の強い人間だった
のか、梶原景時が讒言者であったのか、或る程度は真実かもしれませんが、総てでは無く意外
と、その反対であったかも知れません。
 然し、何れにしても平家は滅びた事は事実のようです。

 いろいろと考えさせられます。

 3月16日  夜来の雨が上がり朝から気持ちの良い朝です。

 グラゥンドゴルフと体操教室と重なりましたが体操教室は私の主宰なので欠かせません。
 今日の先生は年配の方ですが、ダンスが好きで何時も後半はダンスを採り入れた体操になり
ますので男性は苦手です。それでも身体を動かすことは良いことです。

 午後は、知人が加盟している写真サークルのグループ展が開催されているので見学に行き
閉館近くまで知人と写真を観たり話しをしたりして過ごしました。

 17時になると、もしかしてあの人に会えるのでは?と思い駅前をうろうろしていると
果たしてやって来ました。
 この人は私より少し年上で、色々なことに関心を持ち、勉強家で博学の小父さんです。
 近くの喫茶店に入り、一時間半ほど広範囲に亘る雑談を交わし別れました。

 3月17日  今日も晴れて暖かくなるとの予報でしたが気温は、それ程ではありません
でした。

 気持ちのよい季節になったせいか、吹き矢には33名も参加し大盛況です。
 さしもの広い体育館も狭く感じます。用意したレーンもフルに使いました。
 27日の県大会に備えて出場する人は練習に励みます。新しい人は6mで吹けるので
チャンスがありますが、私は10mなので望み薄より絶望的です。

 午後は句会があるので直行します。7名の小さな句会ですが今日は一句も選ばれません。
 こんな日もあるのです。

 夕食の配食は彼岸を前にして、おはぎ でした。配食は水曜日と木曜日に受けていて
この二日間は上げ膳据え膳で楽します。

 3月18日  晴れですが悲しい日です。

 22年前の今日、妻は半年の療養の末、59歳で天国に旅立ちました。
 あの日も今日のように良く晴れた日でした。30年間、私を支えて助けて励まして
呉れた妻の死は私にとって何物にも増して悲しいことです。

 暫くは茫然として何も手につきません。心も乱れました。その為、子供達にも迷惑を
かけました。じーっと耐えるしか有りませんでした。苦しい日々でした。

 一周忌が過ぎ、三回忌が過ぎてから何とか気持ちの整理が出来て来ましたが心の中には
何時も妻が存在し、その事は今でも同じです。
 それからは妻から受け継いだ命を大事にして生きて行く事にし、それが妻の供養とも思う
ようになりました。
 妻は今でも何時も私と子供達を見守っていると信じています。
 治癒しなかった肝臓疾患もお陰で奇跡的に治癒し今では健康体で過ごしています。
 毎日、その妻に感謝して生きています。

 3月19日   今日も晴れです。

 今日は忙しい日です。お墓詣りと会合と東京落語会です。
 早く出掛けるつもりが遅くなり、結局10時近くになりました。
 まずは、お寺へ向かいます。我が家の墓二基と親戚の墓にお詣りして新宿へ出ます。
 新宿は、旧制中学のクラスの中で東横線で通学したクラスメートの集まりです。
 一年に一度この時期に集まりますが今年は昨年一人亡くなり5名になりました。
 12時半から15時半まで3時間を歓談し来年の再会を約して別れました。
 予約を入れておいた銀座の老舗の最中を受け取り、東京落語会へ向かいます。
 今日の前座さんは、なかなか落ち着いていて好演で将来が楽しみです。
 新真打ちの大楽さんは120Kgの大きな体で相撲噺で笑わせて呉れました。
 中トリを勤めた歌司師匠の、百川 は久しぶりに聴く噺で名演でした。
 中入り後の鯉昇師匠は独特の間とマクラで面白く気持ちよく聴けました。
 トリの圓蔵さんは個人的に余り好きで無いので友人と一緒にカットして会場を出て
いつもの店で食事をしていつものように深夜バスで帰宅しました。

 3月20日  晴れてはいますが風の強い日でした。

 箱根の明神岳に誘われていましたが昨夜が遅く睡眠不足の登山では万が一皆さんに迷惑が
かかってもと思い断念しました。
 その代わり、吹き矢に出掛け11時半からの町内の会合に間に合うべく11時で中断して
失礼しました。
 奇数月の第三土曜日の会合は世話人さんの肝いりで続いています。小人数ですが、和気藹々
と好き勝手な事を言い合って懇親を深めています。

 外は強風です。お彼岸も明日は中日です。おはぎを供えましょう。
 妻が居る時は沢山作って、ご近所にも配って喜ばれていました。今でもその話が出ます。

 本当に私にとっては最高のかけがえの無い良妻でした。