はじめまして

今回、新しくブログを開設しました。

諏訪大社とその周辺

2008-06-16 15:18:32 | Weblog
 6月5日  高原の朝は鳥達の声で明けました。

 晴れていれば、すがすがしいと言えるのでしょうが一面の雲
です。梅雨時なのですから諦めます。
 しきりと、ほととぎすが啼きながら飛んでいます。空き家募集
でしょうか。自分で探さなければいけません。
 それでなくても鶯達からは嫌われ恐れられているのに、あんな
に啼いては探せません。
 それとも、お人好しの鶯でもいるのでしょうか?

 6時に起きて周辺の林内を散策しました。
 センダイムシクイやキビタキの声がします。
 良い気分です。

 ホテルお決まりのバイキング形式の朝食を済ませ、8時45分
に出発です。
 直ぐ近くの清泉寮へ寄りました。


 ライラックが綺麗でした。


 南アルプスは雲の中です。


 美味しい名物のソフトクリームに列が出来ていました。
 ご相伴しました。

 清泉寮では、カッコウが啼いていました。高原の声です。

 バスは甲府市内に入りました。
 ここでは山梨県立美術館と文学館の見学です。

 まず、美術館でミレーの ”種を蒔く人”を見学します。

 暗い、暗い絵です。19世紀後半の作品です。

 一番、奥に有りました。何方かが言っていましたが、
これが県民性の違いだそうです。
 長野県では、北沢美術館で、ガレの作品が入って直ぐの
場所にありましたが、ここでは最後の出口の直前です。
 どちらが良いとも言えません。

 美術館の外観です。


 文学館では、山梨県出身や関係の有る文学者の資料が展示
されていました。

 三坂峠で、”富士には月見草が良く似合う”と言った太宰治、
芥川龍之介、樋口一葉、俳人の飯田蛇笏等、山梨県ゆかりの
作家の資料がありました。

 文学館の外観で、なかなか瀟洒です。


 お昼は葡萄畑に囲まれた、勝沼の大善寺で精進料理です。

 精進料理と言っても、お昼にしては豪勢な、そして量も多く
食べるのに大変なくらいです。

 ここの薬師堂に安置されている薬師如来像は国宝です。
 その他、国または県指定の重要文化財が沢山あります。

 庫裡でお昼を頂いて、薬師堂を拝観しに行きました。

 高い階段です。118段ありました。腹ごなしには
丁度良いでしょう。

 階段の途中の山門で、睨みをきかしている仁王様は立派
です。




 上が阿で、下が吽です。

 お寺の紋は、三段重ねの松でした。


 大善寺の薬師堂は25m四方です。


 中に国宝の薬師如来が安置されていますが、ご開帳は
今年の10月とのことでした。

 なだらかな女坂を下った所に、芭蕉の句碑がありました。


 ”蛤の生ける甲斐あれ年の暮”  と書いてありました。

 蛤は生きた甲斐あって年末にもてはやされる、と言う
意味でしょうか?甲斐と貝を重ねているようです。

 さて、いよいよ最後の見学場所である、酒折宮へ行き
ました。

 日本武尊が東征の帰途、立ち寄ったとの謂われのある
お社です。


 小さな神社で、東京から中央線で甲府のひとつ手前の
酒折駅の近くにありました。

 スポーツで有名な山梨学園の高校がありました。

 日本武尊が、常陸の国から武蔵を経て相模の足柄御坂
を越えて、ここに至り休まれたと古事記、日本書紀に
書かれています。

 ここで宴を開いて群臣を労った折り、日本武尊が過ぎ
来し事どもを思い出し、

 新治筑波を過ぎて幾夜かねつる   と詠まれたが
誰も、これに応える者がいなかった所、庭で篝火を焚
いていた翁が、

 かがなべて夜には九夜日には十日を
 
 と続けたので、尊は厚くその智を賞したとの事です。

 これが、後に連歌の始まりとなったと言われています。

 110年頃のことです。

 近くに連歌の碑があると案内板が出ているので尋ねる
ことになりましたが、これが今回最大の難所となりました。

 山道を登り、10分程歩きましたが急坂で着いた所に
大きな岩の碑がありました。

 歴史はこんなものです。

 下りは楽でした。知らない細い山道は遠く感じるもの
です。帰りはたいした距離に感じません。500mぐらい
だったでしょうか。

 いよいよ最後の場所、酒折ワイナリーです。

 酒折宮から、くねくねとした上り坂を上がった山の中腹
にありました。



 ここでワインが出来る工程を案内され、ほんのちょっ
ぴりの試飲をして16時近く、横浜へ向かいました。

 良い案配に雨はまだ降って来ません。
 笹子トンネルを出たら霧雨になっていましたが、横浜へ
近づくに従って薄日も差すようになり、梅雨時の旅行に
拘わらず傘不要の旅が出来ました。

 19時近く、横浜天理ビル横に無事到着し解散となり
ました。

                   おわり

 

諏訪大社とその周辺

2008-06-16 11:07:30 | Weblog
 梅雨空催いの中、或る文化サークルに参加して諏訪大社
と、その周辺を見学して参りました。
 諏訪大社の御柱が見たいのがメインです。


 2008年6月4日 7時15分に横浜西口天理ビル傍
に35人が集まりました。その中で男性は5人だけでした。
 7時半に出発して横羽線から首都を経由して中央高速
に入り、途中三箇所で休憩し11時10分、諏訪大社上社
本宮に着きました。


 諏訪湖の南側です。
 有りました、高さ17m、直径1.2mの巨大なもみの木です。


 これが4本、本宮を守るように角角に立てられています。
 諏訪大社には上社に、本宮と前宮があり、下社に春宮と秋宮が
有りますが、上社の前宮は現在その跡があるだけです。

 然し、御柱は全部で16本建てられているとのことです。

 本宮には、信州出身の力士で江戸末期に活躍した名大関
雷電為右衛門の銅像が建てられていました。


 諏訪大社の紋は、梶の葉を象ったもので上社が4本の足
で、下社は5本になっています。




 御柱は、寅年と申の年に20数Km離れた山から数千人の
氏子の奉仕によって運ばれます。その壮大な行事は、何時も
テレビで報道されますので、有名です。
 その時に使われる元綱が展示されていました。メドテコと
言うようです。


 11時51分、上社を後にして諏訪湖畔の北沢美術館新館
へ向かいました。
 お昼です。併設のレストランでパンのバイキングでした。
 思い思いのパンを取り、いろいろと揃っているサラダ、
スープ、果物で諏訪湖を眺めながら頂きました。


 北沢美術館は主にガラス工芸品が展示されていました。


 次は、諏訪湖をぐるりと回って下社の秋宮です。
まず最初に樹齢700年の根入りの杉です。
 この杉は夜中に枝を下げて眠るといびきをかくそうです。
 この葉を煎じて子供に飲ますと夜泣きが治るとの
ことです。



 神様は今、春宮へ行っていて留守でした。
 
 立派な狛犬さんが、留守を守っていました。
 青銅の狛犬としては日本一だそうです。
 これは、阿吽の阿のほうです。


 こちらが、吽の方です。


 本殿です。


 拝殿には大きな、しめ縄が下がっていました。
 出雲大社のように、お賽銭が刺さっていません。


 下社の紋は五本あしです。


 神様が留守なので、ほどほどで引き揚げました。

 北沢美術館本館で、世界的に著名なガレのガラス工芸品
を見学しました。
 合わせガラスと言って3枚のガラスを合わせたものです。


 ガレの作品の中でも特に優れたスタンドで世界に4点しか
無いうちの一つです。


 直ぐ近くに間欠泉が有るので、見に行きました。
 時間で噴出するそうですが、何か不思議です。
 地熱の高まりによって噴出するのでしょうが、規則正しく
決まっている所に一抹の疑問を感じます。
 15時が予定です。15時になったら予定通り吹き出し
ました。




 高く上がる時は10mくらい上がるとのことです。
 毎日、10時、11時半、13時半、15時、16時半
と決まっていて、夏の観光シーズンには17時半もある
ようです。どうも怪しい。
 11時半から13時半の間、2時間あるのは昼休みで
しょうか?そして観光シーズンにサービスがあるのも何か
変です。

 後でバスのガイドさんの説明によると、バルブで調節
しているとのことで、興ざめの感です。

 思い直して、中山道を歩いて春宮へ行きました。
 家の玄関に弓矢の魔除けがありました。


 途中に下諏訪宿本陣がありました。
 春宮の本殿です。


 真ん中が御幣を奉じる弊殿と拝殿が一緒になった弊拝殿で
左右が片拝殿になっています。

 春宮本殿から少し離れた場所に、万治の石仏があります。


 春宮の大鳥居を作る時、石に鑿を入れたら血が流れたので
石工が作業を止めました。その晩、夢のお告げで良い石の
有る場所が告げられ、そこに石が見つかったとの事が伝説
になり、血の出た石は石仏として安置されたとされています。
 万治3年(1660年)のことです。

 川が二つに分かれている場所に浮島宮が有り、ここにも
小さいながら御柱が建てられていました。


 16時半になり、今日の予定が終わりましたので大泉に
有るホテルへ向かいました。

 空は降らないながらも、どんよりとして八ヶ岳連峰も
雲の中でした。


 今日一日、降られる事も無く時には太陽が出て暑い位に
なったこともありましたが、まずまずの日和でした。

 八ヶ岳南麓の、大泉高原八ヶ岳ロイヤルホテルです。


 これで6月4日が終わりました。5日は又。