はじめまして

今回、新しくブログを開設しました。

パリの街を歩いて来ました。その11の続き

2007-09-29 21:28:13 | Weblog
ルーヴル美術館を出て、隣接するチュールリー公園で一休みしました。
日曜日なので市民が、日光浴をしたりジョギングしたり、友達同士でおしゃべり
を楽しんだり思い思いの休日を楽しんでおりました。

仲良し小母さんの4人が、おしやべりを楽しんでいました。



オランジュリー美術館には長蛇の列です。見ていても入れないので思い
切って並びました。約30分で入場出来ました。



コンコルド広場では、観覧車の設置作業をしていました。



オランジュリー美術館は最近改装され、自然光を採り入れて新しい形式
の美術館です。

先ずはモネの睡蓮です。













モネの睡蓮は円形の2部屋に別れ、計8点が展示されていました。春夏秋冬、
朝昼夕のそれぞれの太陽の光の変化を表していますが、必ずしも季節毎の
朝昼夕では有りませんでした。

睡蓮の他は、有名画家の作品も展示されていました。

ルノアール



セザンヌ



モディリアーニ



ローランサン



ルソー





マティス



ピカソ



ユトリロ



所謂、巨匠の作品をたっぷりと堪能して退館しました。既に夕陽になって
いました。
若い二人が楽しそうに語らっていました。



観覧車の設置工事もほぼ完成に近づいていました。



昨日、夜景を撮ったコンコルド広場も夕陽に光っています。



オランジュリー美術館の横からバスに乗りポン・ヌフで下車。
セーヌ河畔に並ぶ古本屋さん(ブキニスト)が、どうして自分の小屋を
確保しているのか、見たくて探しました。昔は、小屋の横に番号を書いて
いたのですが、現在では何か訳の分からないサインで区別しているようです。



パリは紀元前セーヌ川の中島であるシテ島で漁業をしていたケルト系の
パリン族(これがパリの由来となっている)に始まる。
最初は無秩序な町であったのを、1853年オスマン知事によって大改造
された。然し、オスマンの失脚によってシテ島も完全に改造されずに残った
場所があります。

セーヌ川に沿ってシャントル通りを右折し、ユルサン通りに入った細い道
です。ここは非常に狭く、両側に壁が迫り振り返るとノートル・ダム寺院
の後陣の尖塔が空を貫いて見えます。

19世紀以前の古いパリがそこにあります。



セーヌ川の流れを何時も見ているノートル・ダム寺院は何時見ても荘厳な
感じがします。



今日も外で食事をして21時過ぎアパートに戻りましたが、一カ所メトロ
の駅で変わった壁があるので、途中下車して見に行きました。
メトロ9番線のボーン・ヌーベル駅です。駅名の表示板の字が湾曲してい
ます。



本当にパリはおしゃれを楽しんでいる街です。楽しい街です。

これで今回予定した見所の大半を見尽くしたことになりました。
明日はパリの西北部のビュット・ショーモン公園に鳥と廃線の蹟を見、シャ
ンゼリゼの夜景を撮り、出来れば郵便博物館を見学することにします。




パリの街を歩いて来ました。その11

2007-09-29 17:06:10 | Weblog


9月02日 薄曇りの一日でした。

パリでは毎月第一日曜日は博物館・美術館が無料開放なので、ルーヴルも、
オランジェリーも以前見学していますが、この機会を利用して、もう一度
行って見ようと思い立ち出掛けました。

その前に、パリが今より遙かに小さかった頃に街の入り口として門を設置した
ようで、その名残のゲートを今回、是非見たく思っていましたが娘は、その
界隈が余り品が良くなく物騒なので気が進まないのを無理に頼んで案内して
貰いました。

オーベルカンフからメトロで2駅目のサン・ドニで外に出ると直ぐにサン・マ
ルタン門がありました。ここはまだ良いのです。



この門から200m余に、もう一つの門、サン・ドニ門があります。
メトロのサン・ドニ駅を挟んで東西に有りました。
サン・ドニでは、余りきょろきょろするなと、娘に注意されました。
案の定、黒人が大声張り上げて喚いて暴れていました。何か物騒でした。



写真もゆっくり撮っていられません。

サン・マルタン門は1674年に戦勝記念として建てられ、彫刻はヴェルサ
イユ宮殿の飾り付けをした彫刻師らによって施されている立派なものです。
高さは17mと小柄です。

サン・ドニ門もルイ14世の戦勝記念で1672年の建設、高さは24mと、
当時としては高い門でした。

日曜で人通りも少なく、危険なので早々に引き揚げました。どこにもこんな
場所があるものです。

そこからまた、パッサージュ・デュ・ケールを探しに行きました。
大分歩いてやっと判りましたが、日曜日なので閉まっていてがっかりでした。



然し、目的はここの入り口にあるファサード(建物の正面壁の飾り)です。

エジプトの女神を象った不思議な彫像が三体、三階の壁面に飾られています。
そして、その上にも更にその上の壁面にもエジプトの壁面絵画のようなレリ
ーフが描かれています。ケールはカイロのことです。

1798年にナポレオンがエジプト遠征で勝利すると、パリでは空前のエジ
プトブームになったようです。それから200年余、この彫像はパッサージュ
に出入りする人を見続けているのです。





パッサージュの中は歩けなくても、この彫り物を見ただけで満足でした。

途中で路央溝のある細道を見つけてしまいました。黙って通り過ごせません。



そこから又、歩いてレ・アールまで行きました。レ・アールはターミナルで
長い長い動く歩道に乗り、迷路のような地下道を歩き、シャトレからメトロ
で、ルーヴルへ出ました。

無料開放なので、さぞや混んでいるかと思いましたが、入場は荷物検査(こ
れはどこでもやっています)だけで、すいすいでした。

暫くは館内をご覧下さい。
先ずはルーヴル名物のガラスのピラミッドの内部です。



サモトラケのニケ(翼)です。2mくらいの高さがあります。



天井画の一部です。



同じく天井画の続きです。



ダ・ヴィンチのサン・ジヤン・バチュスト。上を指す指が印象的です。



いよいよモナ・リザの展示会場です。流石に大混雑です。フラッシュ撮影
が禁止されているのに観光客はお構いなしに発光させており、係員もお手
上げの態です。



10分程で、やっと正面に出られました。以前はいとも無造作に展示され
簡単に見られ、ガラス張りでも無かったのが嘘のようです。



ナポレオンの戴冠式を描いた絵は大きく、全部が入りません。



これも有名な、デカミエ夫人像です。



ナポレオンの戴冠式の画の前にも人々が佇んで鑑賞しています。



再び、サモトラケのニケです。



館内の混雑ぶり。



ミロのヴィーナスも大分汚れて来ました。96年に始めて見た時はもっと
綺麗でした。ヴィーナスも年を取ったのでしょうか?



美術館の中庭です。



フランス絵画コーナーに入ります。ダビッドの未完成のナポレオン像です。



セザンヌ



シスレー



モネ



ルノアール



ジョルジュ・ド・ラ・トゥールのいかさま師



トゥールは人工光を採り入れた絵画を始めました。



コローのモルト・フォンティーヌの想い出



天井の彫り物です。



絵画を重点に約2時間、鑑賞すると疲れます。まだ、オランジェリーにも
行く予定です。
外に出ました。



1808年に建てられたカルーゼルの凱旋門。ここから天気が良く空気が
澄んでいる時は、次のエトアールの凱旋門と、一番新しいデファンスの凱
旋門が通して見られると言われていますが、これまで一度だけ双眼鏡で微
かに見えただけです。



セーヌ川に沿って隣接するチュールリー公園では、スズメ小父さんがパン
屑を持ってイエスズメに与えていました。



14時30分になりました。ここで一旦休憩です。










パリの街を歩いて来ました。その10 続き

2007-09-29 12:01:19 | Weblog
モンパルナスのメトロのホームです。電車もバスもフランスでは右側通行
なのでホームでも道でも左から電車ヤバスが来るので最初は戸惑います。
エスカレーターも普通の人は右側に寄ります。急ぐ人は左側を昇って行き
ます。日本では大阪のエスカレーターがパリ風です。



メトロも一号線は新式で、日本の新幹線並みに電車が来るとホームの扉が
自動的に開きます。



アパートから一番近いパルメンチェのホームの壁の装飾です。メトロでは
全部では有りませんが、駅毎にデザインが違います。それを見るのも楽し
みです。



午後からはモンマルトルに出掛けました。
パルモンチェからメトロで、ベール・ラ・シューズ乗り換えアンベスで
降りるとモンマルトルは直ぐです。

モンマルトルの丘に昇るのには階段かケーブルカーです。
階段はパリの写真家ブラッサイの作品で有名です。



ブラッサイのようには撮れませんでした。
私たちは定期があるので、ケーブルに乗りました。僅か2分程です。



モンマルトルはパリの北端に位置しますので、パリの街が一望出来ます。
セーヌ川の南岸には高層建築が建ち始めています。



午前中行ったモンパルナスタワーが,一際高く見えます。



サクレ・クール寺院の前は観光客でいっぱいです。



写真の中央部の緑の大きな屋根は北駅です。パリは行き先によって駅名が
違います。サン・ラザール、北、東、リヨンの四つの駅があります。



サクレ・クール寺院はもう何回も訪れてパリの街を眺める事を楽しみに
していますが、外観では大きな変化が無いのが嬉しい事です。



寺院の裏側にモンマルトル美術館が有ります。





小さな美術館で、展示はその都度変わっているようですが、私には美術館
より、裏の葡萄畑に興味があるのでショップを覗いただけで素通りしました。

嘗て、このモンマルトルの丘は太陽が燦々と降り注ぐので『クロ・モンマル
トル』と呼ばれる早飲みワインの産地でした。その頃はまだパリの郊外でした
が、パリ市に併合されて都市化が進み1920年代の後半には殆どが全滅して
しまいました。これを嘆いて風刺画家のプルボが、モンマルトル在住の芸術家
に呼びかけ、この畑が不動産屋に渡らないように住民運動を展開し守ったので
残った曰く付きの畑です。
最初は公園にして、それから葡萄を植え今日に至ったとの事です。

そして1934年の10月に第一回の収穫が出来ました。

以後、毎年10月の第一土曜日には、ここ18区の区長主催の収穫祭が行われ
集められた葡萄は18区の区役所の地下で醸造され、700本前後が限定で
『クロ・モンマルトル』のブランド名でオークションにかけられるそうです。



バスの停留所名も Vignes(葡萄畑)となっていました。

そして、その向かいは有名なラパン・アジルです。ロートレックを始め多くの
芸術家達の溜まり場となったカフェです。今はひっそりと蔦に絡まれて静かに
昔の華やかさを偲んでおりました。



少し下ると、ユトリロが描いたピンク色の家が残っていました。



(パリの歴史) 標識が立っていて観光客が見物していました。

裏から見た、サクレ・クール寺院です。



小さな公園が有り、中に入ると首を持った司祭の像がありました。
この司祭は大変に立派な司祭だったのですが、宗教上の迫害で斬首されました
のにも拘わらず、切られた自分の首を持って数歩歩いたとの事で、この銅像が
840年に建てられたと、(パリの歴史)に記されていました。等身大より少
し大きめな立派な銅像です。サン・ドニと言う司祭です。



更に丘をうろうろしていると突然、公園があり、その隅の壁に抜け出すように
黒い男の像が見えました。
フランスの映画俳優ジャン・マレーの作になる、壁抜け男です。
ジャン・マレーは、ジャン・コクトーの美女と野獣とかオルフェで主演を演じ
20世紀前半のフランスを代表するスターで日本でも馴染みのある俳優です。

彼は万能の天才で彫刻もプロ級でした。

この彫像は、マルセル・エーメを顕彰して1989年に、設置されたものです。

この公園そのものが、マルセル・エーメ公園と言い、この壁抜け男の彫像を見
下ろせるアパートに住んでいたとの事です。

彫像の顔と脚と右手はマルセル・エーメで、左手はジャン・コクトーを表して
います。

マレーもエーメもコクトーも冥界から、この世に抜け出したい願望を持って
いたのかも知れません。



昔、パリには各所に風車が回っていましたが、今では数える程しか残ってい
ません。そのひとつがモンマルトルに残っているムーラン・ギャレットです。



ただ眺めただけで、その謂われを調べられませんでした。

これで、モンマルトルの丘を降りました。モンマルトル墓地が近いので異国の
墓地を見たくなり寄って見ました。



この墓地は17時45分になるとチャイムが鳴って閉門になりましたので、
早々にして出ました。

歩いていると当然のように、昨日通ったムーラン・ルージュの近くに出ました。
前を刺青をしたパリジェンヌが歩いていました。



これでモンマルトルの探索を終えてアパートに戻りました。

そして、今日三度目のお出かけ。コンコルド広場へ夜景を撮りに行きました。
エッフェル塔が、ライトアップされていました。





中央のオベリスクは高さ23m。紀元前13世紀に建造されたルクソール
神殿の記念碑を、エジブトのモハメッド・アリがシヤルル10世に贈った
ものです。



今日一日、満足して22時半アパートに戻りました。

パリの街を歩いて来ました。その10

2007-09-29 09:05:00 | Weblog

その10を始める前に、その8 8月30日の最後の写真、モンパルナスタワー
が見えているは場所と日付を間違えましたので訂正致します。
何しろ今回の訪仏では1000余のカットを撮影しましたので、多少の混乱はお
許し下さい。

9月1日  曇り時々晴れ間あり

今日はメートル標準器を見る事と、モンマルトル界隈の古蹟巡り、そして夜景
撮影です。

先ずはメートル標準器。アパートから少し歩いて改装中のサーカス小屋に近い
フィルデ・カルベからメトロに乗ります。マドレーヌで乗り換えレネで降りて
外へ出ると思わない処にモンパルナスタワーが見えました。(この写真を間違
えました)



リュクサンブール公園に近く、フランス上院議院の裏に通じています。
横道には、嬉しくなるような石畳みの小道が何本もありました。



ここは次の名前の通りです。フランス語は読み方が難しいので敢えて原語で
表示します。



フランス革命の後、それまでばらばらだった度量衡を地球の北極点から赤道
までの距離の一千万分の一を1メートルとし、4℃の水、1立方センチの質
量を1グラムとした事は世界全体の殆どに行き渡り、統一されたものとした
フランスの功績は大なるものがあります。

1795年に国民公会で可決され、標準器を大理石で作り各地に設置され、
パリ市内でも16ケ所に設置されましたが、現存しているのは二つだけ。
そのうち元の場所に原型のまま保存されている貴重なものを見に行きました。

それは6区のヴォージラール通り36番地にありました。







先人にならつて触って見ました。2世紀前の歴史が感じられました。

私が熱心に見ていた事に刺激されたのか、パリジャンも丹念に見学していま
した。



反対側のビルには回廊が有りましたのでパチリ。



向かいは上院議院の裏になっています。



ひっそりと佇むメートル標準器に満足して戻る途中、また石畳みの道です。





不動産の店が有りましたので、覗いて見ました。アパートと言っても日本
ではマンションの感覚です。



バス・トイレ・エアコン付きで41万ユーロは、日本円では6、560万円
になり場所も良い事から同じくらいのレベルと思います。

近くに合歓の花が咲いていました。パリは緑が多い街です。



午前中はここまで。ここで少し休憩します。

パリの街を歩いて来ました。その9

2007-09-28 14:25:27 | Weblog
8月31日 今日は薄曇り

8月も終わりになりました。帰国の日、娘と別れる日がだんだん近づいて来ます。
今日は、パリに来る度に寄る中央郵便局とモンソー公園の徴税事務所蹟と異様な
骨董店の見学です。

メトロ パルメンツェから7分程でセンシエに出る。ヴィクトワール広場をちら
ちら見ながら中央郵便局へ。重厚な建物です。





趣味にしている鳥の切手の収集も20年近くなり、間もなく1万種になります。
日本でも数少ない変わり者です。
ここでも,郵趣の窓口があります。



一般の郵便窓口です。



モンソー公園へ行く為にモンマルトルへ向かう。街をきょろきょろしていると
改築した家が見えました。新しい家は矢張り天井が低い。そして隣家との間が
どうなっているか判りました。隙間無く建てられています。日本の昔の棟割り
長屋見たいです。



モンマルトルの丘の下でバスを乗り換えるので、丁度ムーラン・ルージュの
傍に来ました。この辺は東京で言えば新宿歌舞伎町のような処です。
ごたごたしていて、いろいろなそれらしい店が並んでいます。

ムーラン・ルージュは今では出演者は、英米・北欧・東欧の芸人で、経営・
演出・装置はイタリア系。資本はアングロサクソンとフランス色は皆無に
近い国際コングロマリット的スペクタルになっているのに、観光客はそんな
ことはどうでも良いとばかりロートレックの世界を楽しんでいるようです。

ディナーショーだけで、23時からはショータイムとなるとのことです。
因みにディナーショーは160ユーロぐらいなので25,000円くらいの
ようです。ショータイムは半額くらいとのことです。

1889年に完成した建物は1915年に焼失したので、赤い風車以外は
当時の原型をとどめていないとされています。





モンマルトルの丘の上から降りて来た観光電車見たいな車が来ました。



モンマルトルの標識です。ドバトが飛んで行きました。



アダルト向けの店が並んでいます。



ここは、そこそこにモンソー公園です。1860年にパリの市域が拡大される
までは今より一回り小さく、市域の境界線には54ケ所の市門が設けられ、市内
に入る人々から税金を徴収していましたが、市域を拡大するに際して殆ど撤去
され辛うじて4ケ所だけが残されました。それが今、残っているパゴダ風の建物
です。そのひとつがモンソー公園の入り口にあるので見に行きました。

嘗ての徴税事務所ですが、今ではトイレとして使われており、中にはオシッコ
小母さんが控えていて今でも税金を取っています。0.40ユーロなので64
円と言うところでしょうか?とにかくその謂われある建物が見たかったのです。

03年の時にも見ていますが、漠然と見ていたので単に面白い建物だなーと思
っただけでした。



園内を横切ります。憩いの場として市民が利用しています。



芝生にクロジョウビタキと思われる鳥がいました。



裏門を出て、クールセル通りを右折しレンブラント通りに出ますと、そこに
パリにとても相応しくない異様な中国建築が現れます。






この建物は1926年、建築家フェルナン・ブロックの設計によって建てられ
ました。東洋の骨董品を扱うC・T・ロー商会の店です。

19世紀末、清朝の崩壊で貴重な骨董品が大量にパリに流れ込んだ時、この開祖
のロー氏が上手に捌いて巨利を得たようです。

とても中に入って見せて貰う勇気は有りませんでした。とても一介の旅人が買え
るような品は無いと最初から見放しました。

それにしても建築規制の厳しいパリに何故このような異様な建物が、しかも角地
に堂々と建ってしまった不思議さの方に興味が湧きました。



緩い坂を下ってフリードランド・オスマンからバスでオペラに出る。
少し疲れたのでデパート、ラ・ファイエットのレストランで休憩する。

直ぐ前にオペラ座の裏が見える。



ハーブの模様の彫刻が有りました。



曇り空の下、エッフェル塔が遙かに見えました。



今日は思わぬ処で、ムーラン・ルージュに始めて出会え、4ケ所を見て終わり
となりました。