7月31日 2010年の7月も今日で永遠に終わりです。暑い日でした。
然し、暑さはまだこれからですが人間は柔軟性が有るのか慣れでこれからの暑さに対応
出来る幸せをもち併せていますのが救いとなります。
最近、幼児虐待のニュースに心が痛みます。今朝の新聞にも3歳の姉と1歳の弟が鍵の
かかった部屋に置き去りにされ餓死したと可愛い写真と共に報じられていました。
汚れの無いつぶらな眸をした幼い姉弟の写真を見て、心の痛まない人がいるでしょうか。
何故このようなむごい事が起きるのでしょうか?23歳の母は我が子が生まれた当時
光明を得た喜びを味わっていたとの事です。それが心変わりした裏には、それなりの
理由があるようです。
それにしても、親しか頼りに出来ない幼い子を何故捨てる事が出来るのでしょうか?
このケースの他にも、躾けの為と理由つけて幼い無抵抗な子を殴る蹴るの仕打ちで
死なせる親もあります。本当に情けなく心の痛むことです。
毎年4万件を超す幼児虐待事件があるとの事ですが、解決されたケースは数件に過ぎない
ようです。全国的に見ればミリ単位の事かも知れませんがショック度は大きいです。
これを私なりに考えると最近の社会観があります。そしてその遠因は戦後の教育制度
に有るような気がしてなりません。特に生命軽視の風潮が大きく作用しています。
人間性喪失の知識詰め込みの教育が、その後の社会を変えてしまい更にその教育を受けた
人の子も多数それを受け継ぎ今日に及んでいます。勿論、総てでは無く中には心優しい
人間性を持って育った人も沢山おります。
経済社会の発展により、生活文化も向上する反面、家計の助けとばかり教育の大事な
世代の子を置いて母親が働きに出るようになると、学校から帰った子供は冷えた自宅に
入る事になります。子供にとって学校から帰って優しく迎えて呉れる母親ほど心休まる
存在は有りません。
譬え、母親がいなくても祖父・祖母でも居れば良いのですが最近は独立家庭が多く
それすら不可能な家庭が多い事も問題です。
優勝劣敗の風潮を政府自身が奨励した内閣もありました。人間は皆、平等の筈です。
それぞれに社会に於ける持ち分があります。それを優った人間だけが正当化される
社会を政府自身が作る事に問題があります。
総てでは有りませんが、このような社会制度が人間を動物化もしくは、それ以下に
してしまうのでは無いでしょうか?
今の社会でも優しく人間味の有る立派な人も沢山居ますが、兎角そのような人の意見は
少数派として無視されがちです。政治でも一票でも多ければ正当化され過半数に達しない
意見は尊重もされないどころか無視されてしまいます。
これが戦後の民主主義社会で、本来の日本的良さが失われてしまいました。
年寄りの意見は過去のものとして捨て去られ勝ちでは日本本来の伝統的な良さが無く
なります。これで良いのかと幼児虐待から発して思う今日この頃です。
私自身の身辺では、昨年末に長年お互いに許し合って親しく付き合っていた友人に
先立たれ、今回これも自宅近くで気安く親しくしていた人が71歳の若さで亡くなら
れ相次ぐ悲報に落ち込んでいます。
昨年末なくなった友人は私より1歳上なので有る意味ではやむを得ないと諦めますが
ご近所の方は私より10歳も若いので残念でなりません。
通夜・葬儀と参列させて頂き特に最後の対面では、生前と同じ顔色で白い薔薇に囲まれ
たお姿を拝見していると、泪が止まりませんでした。いろいろと有り難う と言うのが
やっとでした。人間的にも大らかでユーモアが有り何時も気遣いのある佳い人でした。
生者必滅・会者定離とは申せ現実に直面すると耐え難いことですが、やがては時が
少しづつ解決することでしょうが悲しみは永遠に残ります。
私自身、妻に先立たれて22年になりますが未だに悲しみは少しも消えていません。
今、私を支えて下さるのは二人の子供と多くの友人知人なので、何時も感謝しています。
暗い気持ちに覆われている時、最近素晴らしい人に出会い少し明るくなりました。
この世も、まだまだ捨てたものでは無いと嬉しくなります。
世の中には優しい人、立派な人は沢山存在するのでしょうが、身近に現れると現実味を
帯び心楽しくなります。
その方は心底から心優しく特に、お年寄りの接しかたに真心が籠もっている反面、勇気
も有り車内暴力にも敢然と立ち向かい、また近隣社会では率先してサービスする人間とし
て完璧な人です。
傍で見ているだけで嬉しくなります。
そんな事で少し浮き浮きして暑い中、知人が出展している写真展を見学しに出掛けました。
今日は二つのグループの展示がありました。私の知人は20年に亘って【愛しき野鳥たち】
と言うテーマで毎回、歳時記風に12ケ月のそれぞれに相応しい野鳥の写真を展示しています。
余裕の有る方なので、時には長期に亘って独りで撮影旅行に出掛けています。
今年も20日間ぐらい、秋田から白神山地・北海道へと出掛け多くの写真を撮って来られた
ようです。総てフィルムカメラで撮られているので色彩も鮮明でした。
終わってから二人でコーヒーを飲みながら写真談義に花を咲かせて別れました。
暫く鶴ヶ岡八幡宮の倒れた銀杏を見ていないので行って見ました。
境内に入ると丁度、蓮の時期でした。 花は朝開くので時間的に見頃ではありません
でしたが、青い大きな葉を見下ろすように咲いている処は威厳があります。
何故か源氏池に平家の赤旗ならぬ赤い蓮が咲いています。平家を滅ぼしたからでしょうか?
旗揚げの時の白旗弁天の幟が風に揺れていました。
参道では8月に始まる、ぼんぼり祭の用意の柱が並んでいました。
さて、銀杏はどうでしょうか?見ると移設された切り株から逞しくも雄々しくも若芽が
伸びています。
元の切り株からも沢山の芽が伸びていました。
後、700年経ったら又大きな銀杏になることでしょう。生まれ変わって天国に居る妻と
一緒に見に来ようと思いました。何時の事でしょうか?その頃、日本は有るでしょうか?
立派な日本になっていて貰いたいものです。
逞しい銀杏を見て、その生命力を少し貰い安心して今度は、川喜多映画記念館へ寄り
ました。ここは前にも訪れていますが何回来ても往年の映画ファンには楽しい所です。
それに歩いて汗を掻いたので少し涼みたい気持ちもありました。
小町通りは、この暑いのに観光客で賑わっています。ご苦労様です。沢山お金を落とし
て鎌倉市の財政に寄与して欲しいものです。
川喜多記念館は静かな佇まいの中に、ひつそりと建っています。
外の通りから抜けられる散策路が有ります。
この辺りは観光客の雑踏も無く時折、観光人力車が客を乗せて即席の史跡説明を
しながら通るぐらいです。
鎌倉特有の細い路地です。
涼しい海風に吹かれ乍ら散策し17時頃、帰宅しました。家に入ると、どっと汗が出て
お風呂場に直行です。
いろいろと考えさせられた一日が終わりました。
然し、暑さはまだこれからですが人間は柔軟性が有るのか慣れでこれからの暑さに対応
出来る幸せをもち併せていますのが救いとなります。
最近、幼児虐待のニュースに心が痛みます。今朝の新聞にも3歳の姉と1歳の弟が鍵の
かかった部屋に置き去りにされ餓死したと可愛い写真と共に報じられていました。
汚れの無いつぶらな眸をした幼い姉弟の写真を見て、心の痛まない人がいるでしょうか。
何故このようなむごい事が起きるのでしょうか?23歳の母は我が子が生まれた当時
光明を得た喜びを味わっていたとの事です。それが心変わりした裏には、それなりの
理由があるようです。
それにしても、親しか頼りに出来ない幼い子を何故捨てる事が出来るのでしょうか?
このケースの他にも、躾けの為と理由つけて幼い無抵抗な子を殴る蹴るの仕打ちで
死なせる親もあります。本当に情けなく心の痛むことです。
毎年4万件を超す幼児虐待事件があるとの事ですが、解決されたケースは数件に過ぎない
ようです。全国的に見ればミリ単位の事かも知れませんがショック度は大きいです。
これを私なりに考えると最近の社会観があります。そしてその遠因は戦後の教育制度
に有るような気がしてなりません。特に生命軽視の風潮が大きく作用しています。
人間性喪失の知識詰め込みの教育が、その後の社会を変えてしまい更にその教育を受けた
人の子も多数それを受け継ぎ今日に及んでいます。勿論、総てでは無く中には心優しい
人間性を持って育った人も沢山おります。
経済社会の発展により、生活文化も向上する反面、家計の助けとばかり教育の大事な
世代の子を置いて母親が働きに出るようになると、学校から帰った子供は冷えた自宅に
入る事になります。子供にとって学校から帰って優しく迎えて呉れる母親ほど心休まる
存在は有りません。
譬え、母親がいなくても祖父・祖母でも居れば良いのですが最近は独立家庭が多く
それすら不可能な家庭が多い事も問題です。
優勝劣敗の風潮を政府自身が奨励した内閣もありました。人間は皆、平等の筈です。
それぞれに社会に於ける持ち分があります。それを優った人間だけが正当化される
社会を政府自身が作る事に問題があります。
総てでは有りませんが、このような社会制度が人間を動物化もしくは、それ以下に
してしまうのでは無いでしょうか?
今の社会でも優しく人間味の有る立派な人も沢山居ますが、兎角そのような人の意見は
少数派として無視されがちです。政治でも一票でも多ければ正当化され過半数に達しない
意見は尊重もされないどころか無視されてしまいます。
これが戦後の民主主義社会で、本来の日本的良さが失われてしまいました。
年寄りの意見は過去のものとして捨て去られ勝ちでは日本本来の伝統的な良さが無く
なります。これで良いのかと幼児虐待から発して思う今日この頃です。
私自身の身辺では、昨年末に長年お互いに許し合って親しく付き合っていた友人に
先立たれ、今回これも自宅近くで気安く親しくしていた人が71歳の若さで亡くなら
れ相次ぐ悲報に落ち込んでいます。
昨年末なくなった友人は私より1歳上なので有る意味ではやむを得ないと諦めますが
ご近所の方は私より10歳も若いので残念でなりません。
通夜・葬儀と参列させて頂き特に最後の対面では、生前と同じ顔色で白い薔薇に囲まれ
たお姿を拝見していると、泪が止まりませんでした。いろいろと有り難う と言うのが
やっとでした。人間的にも大らかでユーモアが有り何時も気遣いのある佳い人でした。
生者必滅・会者定離とは申せ現実に直面すると耐え難いことですが、やがては時が
少しづつ解決することでしょうが悲しみは永遠に残ります。
私自身、妻に先立たれて22年になりますが未だに悲しみは少しも消えていません。
今、私を支えて下さるのは二人の子供と多くの友人知人なので、何時も感謝しています。
暗い気持ちに覆われている時、最近素晴らしい人に出会い少し明るくなりました。
この世も、まだまだ捨てたものでは無いと嬉しくなります。
世の中には優しい人、立派な人は沢山存在するのでしょうが、身近に現れると現実味を
帯び心楽しくなります。
その方は心底から心優しく特に、お年寄りの接しかたに真心が籠もっている反面、勇気
も有り車内暴力にも敢然と立ち向かい、また近隣社会では率先してサービスする人間とし
て完璧な人です。
傍で見ているだけで嬉しくなります。
そんな事で少し浮き浮きして暑い中、知人が出展している写真展を見学しに出掛けました。
今日は二つのグループの展示がありました。私の知人は20年に亘って【愛しき野鳥たち】
と言うテーマで毎回、歳時記風に12ケ月のそれぞれに相応しい野鳥の写真を展示しています。
余裕の有る方なので、時には長期に亘って独りで撮影旅行に出掛けています。
今年も20日間ぐらい、秋田から白神山地・北海道へと出掛け多くの写真を撮って来られた
ようです。総てフィルムカメラで撮られているので色彩も鮮明でした。
終わってから二人でコーヒーを飲みながら写真談義に花を咲かせて別れました。
暫く鶴ヶ岡八幡宮の倒れた銀杏を見ていないので行って見ました。
境内に入ると丁度、蓮の時期でした。 花は朝開くので時間的に見頃ではありません
でしたが、青い大きな葉を見下ろすように咲いている処は威厳があります。
何故か源氏池に平家の赤旗ならぬ赤い蓮が咲いています。平家を滅ぼしたからでしょうか?
旗揚げの時の白旗弁天の幟が風に揺れていました。
参道では8月に始まる、ぼんぼり祭の用意の柱が並んでいました。
さて、銀杏はどうでしょうか?見ると移設された切り株から逞しくも雄々しくも若芽が
伸びています。
元の切り株からも沢山の芽が伸びていました。
後、700年経ったら又大きな銀杏になることでしょう。生まれ変わって天国に居る妻と
一緒に見に来ようと思いました。何時の事でしょうか?その頃、日本は有るでしょうか?
立派な日本になっていて貰いたいものです。
逞しい銀杏を見て、その生命力を少し貰い安心して今度は、川喜多映画記念館へ寄り
ました。ここは前にも訪れていますが何回来ても往年の映画ファンには楽しい所です。
それに歩いて汗を掻いたので少し涼みたい気持ちもありました。
小町通りは、この暑いのに観光客で賑わっています。ご苦労様です。沢山お金を落とし
て鎌倉市の財政に寄与して欲しいものです。
川喜多記念館は静かな佇まいの中に、ひつそりと建っています。
外の通りから抜けられる散策路が有ります。
この辺りは観光客の雑踏も無く時折、観光人力車が客を乗せて即席の史跡説明を
しながら通るぐらいです。
鎌倉特有の細い路地です。
涼しい海風に吹かれ乍ら散策し17時頃、帰宅しました。家に入ると、どっと汗が出て
お風呂場に直行です。
いろいろと考えさせられた一日が終わりました。