6月1日
良く晴れて暑い日でした。
二年毎に伊豆七島から島民が集まって島じまん大会が
今年も5月31日と6月1日に東京の竹芝桟橋で開催
されました。
大島、利島、新島・式根島、神津島、三宅島、御蔵島、
八丈島、そして青ヶ島からです。
青ヶ島は、還住太鼓と島踊りを披露しました。
青ヶ島は天明5年(1785)3月の大噴火で島民は
命からがら八丈島へ逃れました。
然し、当時340人のうち、八丈島へ逃れられたのは
203人だけでした。
後の137人は、八丈島へ渡る舟に乗れず、乗れても
途中で舟から落ちて亡くなったりして悲惨な運命を辿り
ました。
八丈島へ渡れた島民は、その後艱難辛苦の末、何度か
青ヶ島へ還住を試みたが、いろいろな障害から実現せず
遂に50年後の天保6年(1835)、やっと全員の還
住が実現したのでした。勿論、50年の月日の間には戻
る事なく亡くなった人もおり、また生まれた人もいた事
でしょうが、兎に角悲願の還住が実現したのです。
それを記念して島ではこの還住太鼓を昭和55年に
創作したのです。
折角、出掛けたので特産の青酎とウコンを買って帰り
ました。
お昼は、八丈島・青ヶ島共通の名物である島寿司です。
わさびを使わず、辛子を挟み島だれと言う特別な醤油
で食べます。
周囲9Km、人口200人の小さな自治体です。
断崖絶壁のお椀を伏せたような島ですが、人情が厚く
ボランティアで出掛けた女性は大体、居着いてしまうよう
です。
島の事は、ネットで青ヶ島と検索すると毎日、更新された
情報が見られます。
良く晴れて暑い日でした。
二年毎に伊豆七島から島民が集まって島じまん大会が
今年も5月31日と6月1日に東京の竹芝桟橋で開催
されました。
大島、利島、新島・式根島、神津島、三宅島、御蔵島、
八丈島、そして青ヶ島からです。
青ヶ島は、還住太鼓と島踊りを披露しました。
青ヶ島は天明5年(1785)3月の大噴火で島民は
命からがら八丈島へ逃れました。
然し、当時340人のうち、八丈島へ逃れられたのは
203人だけでした。
後の137人は、八丈島へ渡る舟に乗れず、乗れても
途中で舟から落ちて亡くなったりして悲惨な運命を辿り
ました。
八丈島へ渡れた島民は、その後艱難辛苦の末、何度か
青ヶ島へ還住を試みたが、いろいろな障害から実現せず
遂に50年後の天保6年(1835)、やっと全員の還
住が実現したのでした。勿論、50年の月日の間には戻
る事なく亡くなった人もおり、また生まれた人もいた事
でしょうが、兎に角悲願の還住が実現したのです。
それを記念して島ではこの還住太鼓を昭和55年に
創作したのです。
折角、出掛けたので特産の青酎とウコンを買って帰り
ました。
お昼は、八丈島・青ヶ島共通の名物である島寿司です。
わさびを使わず、辛子を挟み島だれと言う特別な醤油
で食べます。
周囲9Km、人口200人の小さな自治体です。
断崖絶壁のお椀を伏せたような島ですが、人情が厚く
ボランティアで出掛けた女性は大体、居着いてしまうよう
です。
島の事は、ネットで青ヶ島と検索すると毎日、更新された
情報が見られます。