はじめまして

今回、新しくブログを開設しました。

猛暑に喘ぐホシガラス

2010-08-28 12:30:26 | Weblog
 8月27日  もう言うのも書くのも嫌になる程の暑さです。

 東京港野鳥公園でのBWが有りましたが、今日から屋根の修理に業者が入る事になった
ので残念ながら断念しました。
 築40年にもなると今の家はあちこち支障が出て来ます。修理にも莫大な経費がかかり
財政に頭を悩まします。
 一人暮らしに40坪余の家は持てあまします。

 業者と一緒に屋根に上がると暑い事です。風も生暖かいだけの風が抜けて行きます。
 この暑いのに一日、ごたごたとして過ごしました。

 今日は負の生活で何も残りません。昨夜の暑気払いの余韻が残って時折、心の中だけ
涼しい風が快く吹き抜けて行きます。この幸せ感を大事にしたいものです。

 8月28日  朝からぎんぎらぎんの太陽が耀いています。

 土曜日は近くの町内集会所でのスポーツ吹き矢に出掛けます。水曜日と違って冷暖房
完備なので天国です。今日は参加者11名でこじんまりとプレーします。
 小学6年生の女の子から私が最年長です。
 的レーンは4レーンしか取れませんがメンバーも少ないので何とか間に合います。
 我が家から7~8分の場所なので、これも快適です。

 







 午後は新聞のパズルをしたりテレビを観たりで過ごします。

 嗚呼、何時になったら涼しくなるのでしょう。気象予報官は当分望めないと冷たい
宣言です。恨めしくなります。

暑い、暑いと言うだけのホシガラス

2010-08-27 14:46:56 | Weblog
 異常な暑さが続く今年の夏です。連日35℃前後の日が続き夜までこの暑さが残ります。
 一体、どうしたのでしょうか?気象予報官は事もなげにまだまだ暑さが続くと言ってい
ます。9月も10月も高温続きとのことです。蝉だけが元気に鳴いていますが今年は何故
かその声も少ないようです。例年、高校野球が終わり、徳島の阿波踊りも終わると秋風が
吹くのですが今年は秋が訪れて呉れるのでしょうか?

 物騒な噂では、関東大震災の年がこんな状況だったと古老は言っておりますが、そんな
事の無いように願いたいものです。

 この所、暑さに負けて何処にも出掛けません。少しは動かなければ思いつつ大汗が邪魔
して出掛ける気持ちをそいで行きます。
 熱中症も気になり炎天下のグラゥンドゴルフも敬遠しています。

 8月22日 ブログを更新したり最低限の買い物に夕方少し涼しくなってから出掛けて
       一日が終わりました。それでも寝るのは22時半になりました。

   23日 パリに居る次女の滞在手続きの書類をEMS便で送り、少し買い物をして
       帰宅後、往年の名画ヘクトール・バベンコ監督の【黄昏に燃えて】を取り
       出して観ます。今は発売されていないLDですから、二枚組両面で四回引
       き繰り返して観ますので面倒です。現在はDVDやブルーレイディスクで
       一回の挿入だけで観られますがLDは大きいばかりで不便です。
       我が家には、このような古物が多いのですが捨てられません。
       暑い日は家で静かにしているに限りますが、体力の衰えが増し馬鹿になり
       そうです。でも仕方ないです。

   24日 本来ならグラゥンドゴルフの日ですが、日影の無いサッカー場では敬遠し
       たくなります。その代わり市民講座に出掛けました。
       事前申し込み制を知らずに行きましたが運良く空席があったので座れまし
       た。話は昭和36年3月28日に三重県名張市で起きた毒入りブドウ酒事
       件です。村の集会所で農薬入りのブドウ酒を呑んで5人が亡くなりました。
       犯人は村で三角関係の噂が立てられていた当時30歳の男でした。
       一度は証拠不十分で無罪になりましたが、その後再審の結果死刑が確定し
       以後、現在まで控訴・控訴で50年が経過し容疑者も85歳になりました。
       演者は当時、名張に在勤していた新聞記者でこのニュースを報じておりま
       したので、この事件について良く知っておりました。
       ポイントは、この事件が初動調査で警察より先に保健所と医師が調べだし
       た点にあります。その為に現場保存が疎かになった事がその後の捜査を難
       しくしました。それにしても50年も拘置所で暮らす事も大変なものです。

       一旦、帰宅し夕方再び学習センターへ出掛けました。日本書紀の受講です。
       講義の前に先日聴いた、大三輪セミナーイン東京の話で盛り上がりました。
       卑弥呼が魏の国から送られた鏡は、どのような役割が有るのかと言う事です。
       皇室の伝統である三種の神器にも八咫鏡があります。
       一体、鏡の効用は何だったのでしょう?権力者のシンボルであれば一枚で良
       いものなのに卑弥呼は数十枚も贈られています。特に古代の鏡は今のように
       顔形が良く映るものでなく単に銅を磨いた物に過ぎません。不思議です。
       歴史学者でも解明されていないようです。
       日本書紀は、敏達天皇12年の条です。高麗との交流が盛んな時代です。

   25日 スポーツ吹き矢の日です。暑いので参加者が何人になるか心配です。
       20名の参加となり、ほっとします。成績は平均に良くありません。
       これも暑さのせいです。汗吹き吹きのプレーです。
       何か、この夏一番の暑さのようでした。

       余りの暑さに暑気払いをしたくなり友人に声をかけると明日にとの事で
       暫しの涼を感じました。

   26日 朝から夕方が待ち遠しく、昼間から暑気払いをしたくなる程です。
       やっと16時になり出掛けました。そして5時間ビール・焼酎と料理で
       暑さを忘れました。
       帰りにバスで寝過ごして運転手さんに起こされた場所は我が家から遙かに
       離れた所で戻りのバスは無し、タクシーも少なくやっと通りかかったタク
       シーを拾って23時過ぎ無事に我が家に辿り着きました。
       涼しい夜を過ごせました。明日から又、頑張る気持ちが湧いて来ました。

酷暑の中のホシガラス

2010-08-22 10:44:52 | Weblog
 最近の暑さには私だけでなく日本中の人が一様に閉口しています。こればかりは
誰にも文句の言えない事で、ひたすら耐えるしかありません。
 この暑さ、まだまだ続くとの事で全くの我慢較べです。

 8月14日  晴れです。当分晴れで小学生の日記の天気欄に書くにも楽です。
 近くのスポーツ吹き矢の教室もお盆と暑さでお休みです。クーラーも有るので水曜日の
教室に較べれば遙かに楽で勿体ないくらいです。一日中ごろごろと雷様よろしく過ごしま
したが、雨は降りません。

 8月15日  朝からぎらぎらの太陽が出ています。今日も暑くなりそうです。

 65年前の、この日も暑い日でした。正午に私は西武線の所沢駅で終戦の詔勅を途切れ
途切れと雑音の中で聞き、何が何だか判らないけれども戦争が終わったのだと言う事だけが
判り、ほっとした事だけを覚えています。
 昨日までの何時、空襲があるか判らず毎日ゲートル(脚絆)を巻いて寝ることと電気も
暗くする必要も無くなり、夜も明るく灯りを点けられ伸び伸びと寝られる喜びの反面、食べ
物の不自由さが続く恐怖感は依然として消えずにいました。
 勤労動員も解除され復学出来る喜びは若い胸を大きく膨らませました。

 あれから65年です。当時生まれた人も既に還暦を過ぎています。年々、戦争の馬鹿らし
さ、むなしさが風化されて行く危険を孕んでいます。それを防ぐのも戦争の時代を生きた
我々年代の義務と思っています。争いは人類の文化発展に必要ですが、相互の殺し合いだけ
は、もう一度パンドーラの函の奥底深く閉じこめて置きたいものです。

 メディアが、8月15日が近づくといろいろと戦争について報道することは良いことです。
 交番では国旗が半旗になっていました。

 私が入っている探鳥クラブの10月例会を横浜自然観察の森(横浜市栄区上郷)で開催し
その担当になっているので下見に出掛けました。個人的には既に何回も訪れていますが、9
月の機関誌に案内を掲載する必要上一応見ておかなければと二人の会員を誘って出掛けまし
た。本番通り9時に大船駅笠間口に集まり金沢八景行きのバスで長倉町で降りました。



 横浜霊園前の通りです。クルマの往来も激しい場所です。
 バス停が観察の森へのアプローチに繋がっています。



 時期にはホタルも良く見られる場所です。鼬川が細々と流れています。
 700haの大きな森です。この時期、鳥は居ませんが、ちらりとカワセミが現れました。

 鬱蒼とした森に覆われています。



 振り返ると隣接している住宅街が見られました。



 花も少なく余り見かけませんが、タマアジサイが蕾の状態で待機していました。



 2時間程歩くと大汗です。隣接している上郷森の家のレストランで呑んだビールの旨さ
は、ひとしおでした。熱中症も心配なので早めに切り上げ大船に戻りました。

 帰宅後は又、ごろごろです。

 8月16日    晴れて相変わらずの暑さです。

 演劇鑑賞会の一員として今日明日、公演されるお芝居の舞台装置の搬入を手伝いました。
 鎌倉芸術館に10時に集合しますと既に大きなトラックが横付けされています。
 劇団の人や関係者が手際良く指図するので我々は指示通りに運べば良いので楽でした。
 7月29日に通し稽古を見ているので、今運んでいる装置が何処に使われるか少しは判る
ので結構楽しめました。40分程で完了し後は組み立てですが、これは専門家が担当するの
で我々は引き揚げました。

 この鑑賞会はNPO法人で会員約1300人が年6回の公演をそれぞれ手分けして担当し
全くの手作りで仕上げて演劇を鑑賞するもので、単純に売り場でチケットを買って観るのと
は違う面白さがあります。
 今回は、劇団青年座の、【妻と社長と九ちゃん】です。

 今日の公演は18時からなので、一旦帰宅し夕方出掛けました。

 鎌倉芸術館です。







 中庭には竹林が有ります。



 開演前に舞台を覗いて見ました。



 舞台緞帳です。



 開演前のロビーでは、劇団から依頼されたパンフレットや台本、Tシャツや協賛団体の
クッキーの販売を会員が担当します。



 鎌倉芸術館の大ホールは三階席まで含めて1500人の収容能力が有りますが、この公演
は二日間に亘るので殆ど一階席だけで間に合っています。

 演劇の内容は、昭和の気質を頑固に守る文具会社の社長と、その奥さん(後妻さん)の支え、
そして九ちゃんと言われる社長お気に入りの社員とその三人を取り巻く家族や社員のやりとり
を会社のグラゥンドで開催される春のお花見、夏の盆踊り、秋の運動会、冬の餅つきを背景に
演出しましたが最後は社長の息子が会社を新しい時代にに合うように改革することで親子と社
内の派閥が荒れて、社長は倒れ結局会社は新しい方向に向かいますが、それを機に奥さんは独
立し九ちゃんも会社を去っていくストーリーでした。
 三人の主役さんが、それぞれに生きて来た時代背景を背負って個性を出した演技に素晴らし
さを感じました。

 8月17日  変わる事の無い暑い日です。

 午前中は体操教室でしたが、先生のお身内にご不幸が有り急に来られなくなり仕方なく皆さ
んで簡単な体操をして11時頃解散しました。

 今日は、昨日に引き続き昼間の公演があるので通しで担当しました。時々、舞台を覗いたり
気楽に勤めました。
 終了後、近くのレストランで出演の主力俳優さん達との交流会に参加しました。写真撮影を
担当しましたが、これはプライバシーの関係でブログには載せられません。舞台俳優さんと身
近に接しられる事も楽しみの一つです。

 8月18日   良く晴れていました。夕立も有りません。

 午前中は吹き矢ですが、体育館の暑さのせいか会員39人中、16人の参加でした。
 お陰で低スコアながら、私がトップでした。

 午後は鳥の会の句会に参加しました。5句出して5句とも選ばれました、まずまずです。
 終わってから有志6人で近くのレストランに入り暑気払いをしました。

 8月19日   グラゥンドゴルフの日ですが、流石に熱中症予防で休みました。

 先日の鎌倉演劇鑑賞会交流会の写真を整理してアルバム造りで一日が終わりました。
 160カットから70カットほど選びメモリーに収納しましたが、メモリー満杯を知らな
かったので、タイトルだけで肝腎の写真が入っておらず総てやり直しです。
 この為。一日9時間PCに貼り付けになり19時頃やっと完成です。

 8月20日  少ーし涼しくなった感じです。

 14時から鎌倉演劇鑑賞会今回公演担当の反省会に出席しました。いろいろと意見がでまし
たが、兎に角成功裏に終わった事を皆さんで喜び合いました。

 私としては、初めての体験でしたが知らなかった世界を見られた事で楽しく過ごせました。

 8月21日  昨日よりは暑くなりましたが以前の暑さに較べれば少し楽な日でした。

 毎年、この時期になると開催される奈良県櫻井市の三輪山セミナー・イン東京が有楽町の
よみうりホールで今年は今日になりました。
 毎回あの広い、よみうりホールを埋め尽くす盛況で今年も申し込みましたが、満席で断ら
れて仕舞いました。然し、知り合いに関係者がいますので聞くと招待券があるとの事で譲って
頂き今年も無事、受講できました。
 場内は撮影禁止ですが、休憩時間に少しパチリです。

 

 内容は二部に別れており、
 第一部  纏向遺跡の大型建物と邪馬台国    国立歴史民俗博物館名誉教授
                            白石太一郎 氏

 第二部  三輪山をめぐる芸能について     映画監督
                            篠田 正浩 氏

 第一部では、纏向遺跡から発掘された当時の大王が使ったであろう大型建物(とは言え
4間*2間)から卑弥呼が此処にいたとする邪馬台国大和説を提唱する白石氏のお話です。
 前方後円の古墳群の他に前方後方の古墳が見つかった事も邪馬台国を実証できるのでは
とも述べられた。この大型建物は一説では8間*4間とも言われるので、それならば32
坪なので判りますが前者の8坪では納得出来ません。
 何れにしても私個人的には邪馬台国は大和ではと思っています。
 歴史は特に古代になると推理ですから、いろいろと説が建てられ、それだけ面白くなり
ます。一時間半の講演でした。

 第二部では、映画【卑弥呼】を製作された篠田氏が古代に対する蘊蓄から古事記・日本書紀
に記載された史実を採り上げ、特に古事記は稗田阿礼が当時の語り部から聞き出した言い伝え
を歌に表現し、それを太安万侶が筆記したが、その時の歌が日本の歌謡の原点と言われた。
 又、日本は神国であったが朝鮮から仏教が伝えられると天皇家は代々寺院を建立し、生前は
寺院にお詣りし、死ぬと神社に祀られるようになったと述べられ日本の宗教の特質を指摘され
面白く聴きました。16時45分に全講演が終了しました。

 暑いし、帰宅しても暑いし序での事に寄席を覗く事にしました。
 
 いろいろ考えて近い所で、池袋演芸場に決めました。

 夕暮れの池袋西一番街の中に、ひっそりと池袋演芸場は有ります。チケット売り場と
演芸場入口は離れていて、その上会場は地下室で変な構えで如何にも落語的です。



 何時も空いているので気楽にチケットを買うと、立ち見かも知れませんと言われてびっくり。
 場内に連絡してくれると、まだ空席が有るとのことで一安心でした。

 成る程、入るとほぼ満席で改めてびっくりです。やっと補助椅子に座りました。

 ここは月の最後は、日替わりの独演会のような形式で今日は、柳亭市馬師匠でした。
 まだ、49歳の若手ですが最近伸びて来て唄も歌うし中々の人気で、それもあり満席なの
でしょう。と言っても120人くらいでしょうか。立ち見の人も10人ぐらいいました。

 前座さんが桃太郎を演じ、その後 市馬師匠の 二人旅でした。小屋が狭いのでマイク
無しでも良く聞こえ、それだけ親密感が湧きます。
 橘家蔵之助師匠は、おなじみの だくだく でした。

 中入りが有り、とっつきは五明楼玉の輔師匠は神奈川県出身なのに何故か突然、網走を
舞台にした新作でした。
 トリは、再び市馬さんの お化け屋敷でした。

 古典は大体判っているので、見所はどのように演ずるかに興味があります。
 落語も発音が明瞭でないと聞きにくいものです。中には口の中に籠もるような噺をする
人もいますが、聞きづらいものです。志ん生師匠は声は低いが、発音ははっきりしていました。

 噺家にもいろいろなタイプがありますので、それぞれ贔屓がある事でしょう。


 大分長くなりました。少しは暑気払いになりましたでしょうか?
 余りの長さに反対に暑くなったかもしれません。お許し下さい。では又。


 

 




ホシガラスのおのぼりさん紀行

2010-08-14 19:26:23 | Weblog
 8月13日 風が有るので少し涼しさを感じる日です。13日の金曜日です。数年に一回
ぐらいの割で訪れますが、そんなに悪い事は有りません。今日もそうです。

 パリに居る娘の滞在ビザが、もう7年に及びパスポートも今年いっぱいで切れるので更新の
手続きが必要になり本籍地の豊島区へ出掛けました。

 鎌倉に移って40年、私の生涯で一番長く棲んでいます。元来は池袋でしたが、戦災で焼け
たり、都合で動いたりしましたが池袋には学生時代を通して生活していましたので、ここも
25年は棲んでいました。
 鎌倉へ移っても東京に未練が有るのか本籍だけは残して、お墓も山手線の中に有るので
死んだら都心に入れる事になります。

 そんな事で最近は郵便でも戸籍関係の書類は入手出来ますが、他に用事もあるので朝から
出掛けました。

 久しぶりの池袋東口は、すっかり様相が変わってしまい区役所が判らなくなり郵便配達の
人に聞く始末です。
 やがて古色蒼然たる懐かしい建物が見えて来ました。



 戸籍関係の窓口は以前と同じ位置にあり、まごまごしていると若い女性係員さんが親切に
教えて下さいました。銀行や郵便局並みに番号札を取って待っていますと間もなく呼ばれて
短時間で戸籍謄本が渡されました。見てびっくりです。昔は謄本と言えば縦書きで一族郎党
総てが記載されていましたが、今は一枚の紙切れだけです。これなら時間がかからない筈で
すが、何か頼りない感じです。先ほどの係員さんに聞いても、これで良いのですと言われれば
納得して引き下がるしか有りませんでした。

 通りから見た豊島区役所です。もう50年は経っているでしょう。兎角、役所を必要以上に
立派にする風潮の中で頑張っている豊島区に声援を送りたくなります。



 池袋東口は相変わらずごたごたしています。いかにも池袋らしいです。



 駅ビルの中身は変わっても外からの眺めは昔の面影を残していました。



 戸籍謄本を持って外務省へ行き、アポスティーユと言う公印を貰わなければならないので
外務省へ出向こうとしましたら既に11時半で、向こうに着くと昼休みになって閉庁タイム
になりますので、先に目白へ行く事にしました。
 何時もの、鳥の切手の仕入れです。終わってから何時も入るトンカツ屋さんへ行くと盆休み
でした。仕方なく池袋の方を写真にしました。サンシャインビルが聳えていますが嘗ては
高層建築の名所になっていたのに最近は、これを上回るビルが林立するので、すっかり影が
薄くなりました。



 学習院脇のナンキンハゼの実は、まだ青々としています。秋には赤くなります。



 池袋に戻り、地下街を歩きました。すっかりの変貌です。昔は丸ノ内線だけのメトロが
副都心線、有楽町線と交差し、地上では山手線、埼京線、新宿湘南ライン、西武線、東武
東上線と5ラインが発着し一大ターミナル駅になりました。

 前には無かったエチカが遠くまで延びています。何処までいけるのでしょう?
 時間のある時に試して見たくなりました。



 メトロ丸ノ内線のホームは日本文字が無ければパリのメトロかと見まごうばかりです。
 電車の発着に合わせて自動的に防護壁が開閉するのは、東京でも数少ない事ではょう。





 以前、棲んで何年も通い慣れた場所ですが、完全におのぼりさん然と、きょろきょろです。

 13時を過ぎたので丸ノ内線で霞ヶ関へ向かいます。メトロを降りると直ぐでした。
 国会議事堂も近く官庁街だけに警備も、ものものしく各所に警官や警備員が立っています。

 南館の証明班は閑散としていました。パキスタン人らしい人が係官と話し合っていました。
 ここも番号札を取って待つと0番なので、直ぐに窓口でアポスティーユの申請をして
いとも簡単に終わりました。まだ14時です。
 夕方まで、どうして時間を潰そうかと思案しました。取りあえず周辺の写真を撮ります。

 昔、良く通った農水省のはいっている合同庁舎です。



 外務省は、この合同庁舎の向かいに有ります。



 何の役所か判りませんが立派な建物です。二階建ての観光バスが通って行きます。



 警備員さんは、いかめしいですがガイドもして呉れます。



 外務省の隣は警視庁です。



 特に用も無いのに知らない場所で、余りうろうろも出来ません。以前、東京落語会が
50年にも亘って開かれていたイイノホールも母体のイイノビルが今、立て替え中なので
ニッショウホールへ移転していますが、何時になったら戻れるのか、その儘なのか判りま
せんが建設中のイイノビルです。



 ここは東京のと言うより日本の中心です。近くに六本木ヒルズが見えました。



 そこで考えました。六本木のこの森ビルの上で今、恐竜展が開催されているので、そうだ
それを見に行こうとメトロに乗りました。
 六本木ヒルズも人混みで、道も慣れないとややこしくなかなか会場に着きません。

 やっと着いたと思ったらチケットを買うのに長蛇の列です。もっとも今日辺りから盆休み
で、子供さん連れの親子さんが、どっと押し寄せるので無理も有りません。
 とてもこの混雑の中で、恐竜展を見る元気も希望も有りません。あっさりと諦めました。
 大体、何の展覧会でも押し合いへし合いで見る物ではありません。譬え見ても記憶に残り
ません。界隈を又、うろうろとしました。
 六本木ヒルの超高級マンションです。災害の時を考えると恐ろしくなります。



 テレビ朝日のビルの前は、日本庭園になっています。以前にダビンチコードの展覧会を
見に来た時、寄って庭園の名前を覚えましたが忘れました。



 珍しくも有りませんが東京タワーが見えます。一時は時代の寵児的存在でしたが、スカイ
ツリーがどんどん延びて行き、再来年には完成となると殆ど影が薄くなり可哀想な存在に
なりますので記念に撮りました。完全なおのぼりさんです。





 六本木も長くは居られませんので銀座へ出ました。矢張り銀座は長年勤めで通っていた処
なので何か落ち着きます。

 楽器店でCDを物色したり、デパートを覗いたりして久しぶりに勤務中では有りましょうが
昔の知人に電話して出てきて頂き、喫茶店で昔話に花を咲かせました。

 17時になったので、名残惜しく別れて虎ノ門へ向かい東京落語会に入りました。

 今日は特に目当ては有りませんが、談笑さんの壺算ならぬ薄型テレビ算が今の時代を背景に
上手く語っていました。圓丈師匠は新作ばかりでしたが今日は、死に神 と言う古典に挑戦
しましたが、もつと圓丈らしさが有った方が良いと思いました。
 中入り後は新進の、たい平さんが、青菜を噺ました。若手らしい新鮮で兎に角一生懸命さ
が伝わって来ました。トリの文楽師匠は、禁酒番屋 を演じましたが、たい平さんの後だけ
に余りの歳の差が感じられ、ぴんと来ませんでした。組み合わせが悪かったとしか言い様が
有りません。

 終演後、何時も行く店へ入ると様子が変わっていました。先月まで居たマスターが63歳
の若さで体調を崩して店を止めたとの事。料理を作っていた板前さんが今度はマスターに
なって店を切り盛りすることになったとの事で驚きました。

 食べ物の店は、味ばかりではなく雰囲気が大事なので新しいマスターが何処までやれるか?
従業員も日本語片言の女の子ではちょっと馴染めないなと思いました。
 長年、親しく通った店なので残念でした。帰宅は日にちが変わっていました。

 あちこちと、おのぼりさん的な一日が終わりました。


鎌倉のぼんぼり祭と東京

2010-08-09 09:13:40 | Weblog
 8月7日  今日も暑い朝を迎えました。
 午前中、会場が変わった吹き矢に出掛けました。隣の町内会の公会堂なので歩いて
7~8分の場所で、しかもクーラー付きと申し分無い環境ですが難を言いますと狭いので
4Rしか取れない事です。
 それでも会員数が少ないので何とかプレー出来ます。

 夕方、涼しい風が吹き始めましたので思い立って八幡宮へ、ぼんぼり祭を見に行きました。
 まだ19時少し前で薄暮でした。二の鳥居前です。



 ぼんぼりと言っても、段葛に立てられている物は一般応募らしく灯りが灯っていたり
暗い儘であったり様々でした。
 
 今年の冬に倒れた大銀杏を偲ぶ、ぼんぼりが目立ちます。



 段葛は、人も疎らでした。時折、海からの風が吹き抜けて行きます。



 子供さんの作品らしく可愛らしいぼんぼりも有りました。



 境内近くの段葛では少し人が増えました。丁度19時を過ぎました。



 境内は流石に人混みでした。



 最初に、NHKのニュースキャスターだった鎌倉市在住の宮崎 緑さんの作品が有りました。



 境内のぼんぼりの列です。19時を過ぎると完全に暗くなりました。



 何を表現しているのか、猫と魚をデザインしたぼんぼりです。沢山の猫たちがお皿に
載せられた魚を狙ったり眺めたりしています。



 鵜を描いたらしい作品も有りました。



 今年、亡くなられた 井上やすし さんを偲び感謝するぼんぼりです。



 鎌倉文学館館長の山内静夫さんの献納ぼんぼりです。



 メインの参道ばかりで無く、やぶさめ道にも展示されています。



 舞殿では、西川流の舞が奉納されていました。





 大銀杏を偲ぶ句もありました。



 虚子の孫に当たる星野高士さんの句ぼんぼりです。



 タウン誌、『鎌倉朝日』に連載されていた小山賢太郎さのぼんぼりも見られました。



 鎌倉市前市長の竹内 謙 氏も大銀杏を偲んでいました。



 銀杏の葉をデザインしたぼんぼりです。



 吹き矢で、ご一緒しているご夫妻にも、町内のご夫妻にもお逢いしました。

 二時間ほど見学して引き揚げました。



 奉納された、ぼんぼりは数百基になるでしょうか?見事でした。

 8月8日  晴れていましたが間もなく曇り空となり涼しくなりました。

 今日は谷中の全生庵で、三遊亭圓朝大師匠の圓朝まつりが落語家協会の主催で執り行われる
ので見物に行く予定でしたが昨日までの暑さの中、あの雑踏に紛れ込む勇気が無くなり敬遠
して六本木の国立新美術館で開催されている、1890年から1976年の間に35年に
亘ってパリで活躍した写真家マン・レイの作品展を見学することにしました。

 折しも同館で開催されているパリのオルセー美術館展は40分待ちの長蛇の列です。







 館内は明るい色調で、展示室が沢山あります。





 マン・レイは1921年から1940年と1951年から亡くなる1976年まで
パリに在住し写真を始め彫刻や絵画の作品を多く残しています。

 時期的にモノクロ写真の小版の作品ですので、ブレッソンやブラッサイのような派手な
写真は無く、人物写真が大半でした。今の時代で見れば劣る作品も有りますが当時としては
画期的なものだったのでしょう。

 見終わって出ると、六本木ヒルズが間近に聳えています。





 六本木と言えば脚光を浴びている地域ですが、明暗もあります。



 15時から銀座で写真のPC処理の講座が有りますのでメトロで銀座へ向かいます。
 銀座は歩行者天国です。京橋・日本橋方向です。



 新橋・汐留方向です。



 写真講座が終わってから、私の二日早い誕生日祝いをして下さる方と待ち合わせて日本橋
の袂にある料理店へ、ふらぶらと出掛けました。17時半から21時半までの4時間を歓談
し二日後に迫る81歳のバースデーを祝いました。

 涼しいので堀に面して張り出したテーブル席で、川風に吹かれて過ごしました。
 17時20分の日本橋です。上の高速道路が目障りです。
 堀なので流が無く、発泡ポリのゴミが何時までも浮いていました。



 19時44分、完全に夜の帳が降りて高速道路の下に日本橋の部分だけ灯りが灯りました。



 22時過ぎの東海道線に乗り、大船に着くと雨になっていました。