11月24日
最近、歯が弱くなって医者通いです。歯は歯周病予防の歯磨きを常用し
ているのに効果無いようです。歯磨きは塩でも良く、要は良く磨くことと
歯ブラシが問題のようです。1~2回の通院で済むかと思っていましら何
と大分かかるようで数か月かかるみたいです。
医者通いは大嫌いですが、痛いと我慢出来ずついつい出掛けてしまいます。
何か最近の病院は医術よりも経営に重点が有るみたいで信用出来ずにいま
す。何処か悪いと良い鴨とばかりに検査にかこつけて収入を増やす算段に利
用されると思うのは私だけでしょうか?
そんな事で時間を取られて残念です。
夜は日本書紀の講座です。欽明天皇の御代で朝鮮との交流が多い時代で
朝鮮は高麗と新羅と百済が争い、それに小国連合の任那が巻き込まれ日本
にも援助を申し出る事が多く、そんな事でごたごたしていた時代です。
日本は古来、中国と朝鮮との交流多く朝鮮を経由して中国の文化が輸入
され朝鮮からの帰化人で日本の文化の基礎が作られたと言っても過言では
無いと思います。
欽明の欽は、そもそも足りない物を補うの意で、ひいては文化を指すの
で欽明天皇は文化流入に積極的に働いたのでこの名が出来たのでは無い
でしょうか?
そんな事を考えながら一日が過ぎて行きました。
11月25日 雨のち曇りのち晴れ
予報では9時頃には雨が上がると言っていましたので傘持参で出掛け
ました。
勤めていた会社のOB会で都内をぶらりと歩く会に参加しました。
9時半に水天宮集合でしたので早めに着きました。雨は止みません。
参加者23人で9時半にスタートしました。コースを撮るべくカメラ
は軽い機種を持って行き、その都度シャッターを切りましたが途中から
何か不調になりました。然し、シャッターが落ちるので撮影されたもの
と思い安心して帰宅してからPCに読み込んで見ると全然写っていません。
唖然としました。そんな事で写真が載せられません。
コースは、水天宮を出て隅田川河畔を歩き清洲橋を渡って小名木川に
かかる万年橋を過ぎると芭蕉像の有る芭蕉庵史跡庭園で一休みし、更に
江東区立の芭蕉記念館を見学しました。
この付近は何でも芭蕉の名が出て、蕎麦屋さんにも芭蕉蕎麦ののれん
が立っています。その後、のらくろ道路から田河水泡のらくろ記念館へ
向かいます。コースの略図です。
芭蕉記念館のパンフレットです。記念館では句会が開かれていました。
田河水泡さんには三人の弟子がいて、その一人の永田竹丸さんを知っている
人が参加者にいて事前に連絡してあったと見えて人数分の色紙が記念館に届い
ていました。
のらくろは我々の年代では懐かしい存在です。ホシガラスの家にも全集が
あります。
のらくろ記念館を出て清澄庭園に向かいました。この付近は嘗て木場として
運河が縦横に走っていましたが、今では江戸時代から数えて三度目の移転で
新木場へ全部移転しました。
清澄庭園は不確かながらも紀伊国屋文左衛門の屋敷跡とされているようです。
明治にはいってから、岩崎彌太郎が社員の慰安や貴賓を招待する場所として
造園整備した約8㌶の庭園です。池を巡って散策しました。
池にはキンクロハジロ、オナガガモ、カルガモなどが冬の日射しを受けての
んびりと浮いていました。
庭園から清澄公園の中を抜けて清澄通りを歩き冨岡八幡宮へ向かいました。
冨岡八幡宮には力士の碑が有り歴代の横綱の名前が刻まれています。
横綱にはなれなかった雷電為衛門も名誉で加えられて、最近の朝青龍や
白鵬も既に入っていました。
冨岡八幡宮から深川不動尊の前を通ると名物のあげまんの店は生憎と
お休みでした。
さて、今日の最後の目的地である門前仲町の、お蕎麦やさん ほうせい庵
に着いた時は13時半近くになっていました。行程約7Kmでした。
帰宅後に期待した写真が駄目と判って大がっかりでした。
11月26日 昨日後半からの晴れが続いていました。
グラゥンドゴルフの日です。昨日の雨でグラゥンドが少しぬかっています。
記録会でしたが、ホールインワンが年間180本を越して11月の月間賞
にもなりました。
11月27日 晴れです。急に思い立って県央の二カ所の公園へ出掛け
ました。紅葉が綺麗です。
アメリカヒドリが来ていると大分前に聞いていましたが、なかなか
出掛けられず漸く念願が叶いました。
アメリカヒドリは、普通に見られるヒドリガモの顔の上部がメタリック
グリーンに輝いている所が特徴です。殆ど♂の単独で♀の記録は少ないよ
うです。交雑種が多く少しグリーンが見えるとアメリカヒドリと思いがち
ですが大抵は違います。
アメリカヒドリですが、まだ完全な成鳥ではないようです。
普通に見られるヒドリガモです。コガモと同じくらい秋に早く渡って
きます。
ホシハジロです。大きさは鴨類は殆ど似たような体長です。
目が金色で翼が黒く、お腹が白いキンクロハジロです。
尾がピンとしていているので英名ではピンテールと言われるオナガガモ
です。
クイナの仲間のオオバンで鼻柱の白が特徴です。
同じクイナの仲間のバンです。オオバンより少し貧乏かも知れません。
カイツブリの若鳥が一羽で頑張っています。
誰かが投げるパン屑に群がる鴨達の中で、小さい身体のカイツブリは
もみくちゃにされています。
自衛隊の基地が近いので自衛隊機が良く飛んで行きます。
プロペラ機なので騒音はジェット機のように五月蠅く無いもののジェット
機の離着陸する沖縄の米軍基地周辺は本当に気の毒に思います。
戦後60年も経つのに何故、米軍の犠牲にならなければならないのでしょ
うか疑問に思います。
場所を移動するとカワセミが飛んで来ました。下嘴に口紅を付けていない
ので♂です。なかなか魚が捕れませんでした。
もう一カ所の公園へ電車・バスを乗り継いで移動しました。
ここも紅葉が午後の陽に映えていました。
湿地には何時ものようにコジュケイの家族が餌漁りに訪れました。
全部で8羽いました。
ジョウビタキの♀は、来ても直ぐに飛び去り遂に現れませんでした。
学習田にはキセキレイが一羽尻尾を振っていました。
マガンまがいが大きな図体で泳いでいます。鴨類に比べると遙かに
大きいです。
公園の入口近くの暗い斜面で何かが動きます。見るとコジュケイの
家族12羽の行進です。カメラは既にリュックの中です。
残念ながら見過ごしました。
藤沢に着くと駅前の欅にムクドリの大群が塒入りで大騒ぎしていました。
今日一日の情報交換をしているのでしょう。鳥は言葉で無く声や身振り
で表現します。人間には判らない情報交換の手段が有る筈です。
カラスは、いろいろな手段を使うようです。人間の気持ちを察する能力
も持っていて対応しているようです。
長い物を持った人間には警戒することは良く知られています。
鳥と思って侮れません。
かくして気儘な鳥見の一日が終わりました。
11月28日 良く晴れて暖かい日でした。
前に勤めていた職場の年に一度の会合で銀座へ出ました。16人が
集まりました。本来、年に一回の予定でしたが私自身歳を重ねると段々
億劫になってきて昨年は、さぼってしまったので二年ぶりの会合でした。
21年前から続けて来ましたが二度さぼったので今回が19回になって
しまいました。
最初は50数名の参加でしたが、年々人数が少なくなって来ました。
限定されたグループなので、新人の入会が無くメンバーは減る一方です。
集まれる人の幸せを感じる会になって来ました。後、何年続けられる事
でしょうか?ホシガラス一人になるまで続けられるか心配です。
それでも新幹線を利用して迄参加して下さる会員がいる限り続けて行こ
うと思っています。
最近、歯が弱くなって医者通いです。歯は歯周病予防の歯磨きを常用し
ているのに効果無いようです。歯磨きは塩でも良く、要は良く磨くことと
歯ブラシが問題のようです。1~2回の通院で済むかと思っていましら何
と大分かかるようで数か月かかるみたいです。
医者通いは大嫌いですが、痛いと我慢出来ずついつい出掛けてしまいます。
何か最近の病院は医術よりも経営に重点が有るみたいで信用出来ずにいま
す。何処か悪いと良い鴨とばかりに検査にかこつけて収入を増やす算段に利
用されると思うのは私だけでしょうか?
そんな事で時間を取られて残念です。
夜は日本書紀の講座です。欽明天皇の御代で朝鮮との交流が多い時代で
朝鮮は高麗と新羅と百済が争い、それに小国連合の任那が巻き込まれ日本
にも援助を申し出る事が多く、そんな事でごたごたしていた時代です。
日本は古来、中国と朝鮮との交流多く朝鮮を経由して中国の文化が輸入
され朝鮮からの帰化人で日本の文化の基礎が作られたと言っても過言では
無いと思います。
欽明の欽は、そもそも足りない物を補うの意で、ひいては文化を指すの
で欽明天皇は文化流入に積極的に働いたのでこの名が出来たのでは無い
でしょうか?
そんな事を考えながら一日が過ぎて行きました。
11月25日 雨のち曇りのち晴れ
予報では9時頃には雨が上がると言っていましたので傘持参で出掛け
ました。
勤めていた会社のOB会で都内をぶらりと歩く会に参加しました。
9時半に水天宮集合でしたので早めに着きました。雨は止みません。
参加者23人で9時半にスタートしました。コースを撮るべくカメラ
は軽い機種を持って行き、その都度シャッターを切りましたが途中から
何か不調になりました。然し、シャッターが落ちるので撮影されたもの
と思い安心して帰宅してからPCに読み込んで見ると全然写っていません。
唖然としました。そんな事で写真が載せられません。
コースは、水天宮を出て隅田川河畔を歩き清洲橋を渡って小名木川に
かかる万年橋を過ぎると芭蕉像の有る芭蕉庵史跡庭園で一休みし、更に
江東区立の芭蕉記念館を見学しました。
この付近は何でも芭蕉の名が出て、蕎麦屋さんにも芭蕉蕎麦ののれん
が立っています。その後、のらくろ道路から田河水泡のらくろ記念館へ
向かいます。コースの略図です。
芭蕉記念館のパンフレットです。記念館では句会が開かれていました。
田河水泡さんには三人の弟子がいて、その一人の永田竹丸さんを知っている
人が参加者にいて事前に連絡してあったと見えて人数分の色紙が記念館に届い
ていました。
のらくろは我々の年代では懐かしい存在です。ホシガラスの家にも全集が
あります。
のらくろ記念館を出て清澄庭園に向かいました。この付近は嘗て木場として
運河が縦横に走っていましたが、今では江戸時代から数えて三度目の移転で
新木場へ全部移転しました。
清澄庭園は不確かながらも紀伊国屋文左衛門の屋敷跡とされているようです。
明治にはいってから、岩崎彌太郎が社員の慰安や貴賓を招待する場所として
造園整備した約8㌶の庭園です。池を巡って散策しました。
池にはキンクロハジロ、オナガガモ、カルガモなどが冬の日射しを受けての
んびりと浮いていました。
庭園から清澄公園の中を抜けて清澄通りを歩き冨岡八幡宮へ向かいました。
冨岡八幡宮には力士の碑が有り歴代の横綱の名前が刻まれています。
横綱にはなれなかった雷電為衛門も名誉で加えられて、最近の朝青龍や
白鵬も既に入っていました。
冨岡八幡宮から深川不動尊の前を通ると名物のあげまんの店は生憎と
お休みでした。
さて、今日の最後の目的地である門前仲町の、お蕎麦やさん ほうせい庵
に着いた時は13時半近くになっていました。行程約7Kmでした。
帰宅後に期待した写真が駄目と判って大がっかりでした。
11月26日 昨日後半からの晴れが続いていました。
グラゥンドゴルフの日です。昨日の雨でグラゥンドが少しぬかっています。
記録会でしたが、ホールインワンが年間180本を越して11月の月間賞
にもなりました。
11月27日 晴れです。急に思い立って県央の二カ所の公園へ出掛け
ました。紅葉が綺麗です。
アメリカヒドリが来ていると大分前に聞いていましたが、なかなか
出掛けられず漸く念願が叶いました。
アメリカヒドリは、普通に見られるヒドリガモの顔の上部がメタリック
グリーンに輝いている所が特徴です。殆ど♂の単独で♀の記録は少ないよ
うです。交雑種が多く少しグリーンが見えるとアメリカヒドリと思いがち
ですが大抵は違います。
アメリカヒドリですが、まだ完全な成鳥ではないようです。
普通に見られるヒドリガモです。コガモと同じくらい秋に早く渡って
きます。
ホシハジロです。大きさは鴨類は殆ど似たような体長です。
目が金色で翼が黒く、お腹が白いキンクロハジロです。
尾がピンとしていているので英名ではピンテールと言われるオナガガモ
です。
クイナの仲間のオオバンで鼻柱の白が特徴です。
同じクイナの仲間のバンです。オオバンより少し貧乏かも知れません。
カイツブリの若鳥が一羽で頑張っています。
誰かが投げるパン屑に群がる鴨達の中で、小さい身体のカイツブリは
もみくちゃにされています。
自衛隊の基地が近いので自衛隊機が良く飛んで行きます。
プロペラ機なので騒音はジェット機のように五月蠅く無いもののジェット
機の離着陸する沖縄の米軍基地周辺は本当に気の毒に思います。
戦後60年も経つのに何故、米軍の犠牲にならなければならないのでしょ
うか疑問に思います。
場所を移動するとカワセミが飛んで来ました。下嘴に口紅を付けていない
ので♂です。なかなか魚が捕れませんでした。
もう一カ所の公園へ電車・バスを乗り継いで移動しました。
ここも紅葉が午後の陽に映えていました。
湿地には何時ものようにコジュケイの家族が餌漁りに訪れました。
全部で8羽いました。
ジョウビタキの♀は、来ても直ぐに飛び去り遂に現れませんでした。
学習田にはキセキレイが一羽尻尾を振っていました。
マガンまがいが大きな図体で泳いでいます。鴨類に比べると遙かに
大きいです。
公園の入口近くの暗い斜面で何かが動きます。見るとコジュケイの
家族12羽の行進です。カメラは既にリュックの中です。
残念ながら見過ごしました。
藤沢に着くと駅前の欅にムクドリの大群が塒入りで大騒ぎしていました。
今日一日の情報交換をしているのでしょう。鳥は言葉で無く声や身振り
で表現します。人間には判らない情報交換の手段が有る筈です。
カラスは、いろいろな手段を使うようです。人間の気持ちを察する能力
も持っていて対応しているようです。
長い物を持った人間には警戒することは良く知られています。
鳥と思って侮れません。
かくして気儘な鳥見の一日が終わりました。
11月28日 良く晴れて暖かい日でした。
前に勤めていた職場の年に一度の会合で銀座へ出ました。16人が
集まりました。本来、年に一回の予定でしたが私自身歳を重ねると段々
億劫になってきて昨年は、さぼってしまったので二年ぶりの会合でした。
21年前から続けて来ましたが二度さぼったので今回が19回になって
しまいました。
最初は50数名の参加でしたが、年々人数が少なくなって来ました。
限定されたグループなので、新人の入会が無くメンバーは減る一方です。
集まれる人の幸せを感じる会になって来ました。後、何年続けられる事
でしょうか?ホシガラス一人になるまで続けられるか心配です。
それでも新幹線を利用して迄参加して下さる会員がいる限り続けて行こ
うと思っています。