はじめまして

今回、新しくブログを開設しました。

年末のホシガラス その2

2008-12-31 10:05:13 | Weblog

 28日 相変わらずの晴天続きです。

 酒匂川の定例探鳥会です。
 年末の企画なので、おそらく2~3人の集まりではないか
と思っていましたが、17人もの参加で主催者としては嬉し
い限りです。天気は良く気温は昨日より上がるようです。

 皆さん年末の支度よりも鳥の方が好きなようです。
 気温が上がるので順次脱ぐように注意申し上げます。
 然し、私は多少暑くても寒いより好きです。

 河原に出ると鳥は何時もより少な目です。少し寂しい感じ
です。
 初めて参加した人が遠くにタゲリがいると言いますが、こ
こでタゲリが居る筈が無いと頭から決めつけて考えている
ので、皆が無視します。それが後で大変な事になりました。

 建物の屋上にイソヒヨドリの♀が、じーっと止まっていま
す。距離は50mくらいです。



 箱根の山越しに富士山が見えます。



 富士山は何時見ても美しく、日本に居る幸せ感を感じます。


 ダムの堰堤にセグロセキレイです。


 
 上空に珍しくもないトビが輪を描いています。



 ダム湖にも水鳥が何時もより格段に少なく、ゴイサギが
一羽もいません。
 アンパンマンこと、カイツブリが潜ったり浮いたりして
います。



 どうやら、ダムのゴミさらいの機械が音を立てて起動し
ているので、数少ない鴨達が対岸に寄っているようです。
 遠くにカワアイサの♀が見えますが、とても遠くて写真
どころではありません。

 酒匂大橋からは、カワアイサ♂2羽と♀23羽が見えました。
 その極く一部です。照れくさいのか広く分散しています。



 酒匂川の右岸ではセキレイの仲間のタヒバリが見え隠れ
しています。



 ナポレオンハットのヨシガモは、専らお寝すみ中です。



 夏にはコアジサシの繁殖地になる中州の灌木にカシラダカ
が止まっていました。



 カシラダカと言っても鷹の仲間では無く、緊張すると頭に
冠毛が逆立つ事から名付けられたホオジロの仲間です。
 雀より心持ち大きいくらいです。

 何時もの場所でトイレ休憩にしましたが、肝心のトイレが
年末の為か閉まっていましたので、近くにある某有名メーカー
の住宅機器ショールームへ行き、見学旁々お世話になりました。
 申し訳ないので、厨房機器の説明も十分に聴き、今後の
参考にさせて頂きました。

 小田原大橋の下流の中州には、いつもの常連であるイカル
チドリが、じーっとしています。



 そしてです。そして暫く見ていると誰かがタゲリが居ると
叫びます。本場の寒川に4羽だけと言う最近滅法希少種とな
ったタゲリに耳を疑いましたが、矢張り何でここにと言う程
のタゲリです。
 酒匂川では、記録によると95年12月26日に小田原大
橋近くで見られている他は大体上流の栢山付近の田圃に出て
いる位です。
 珍しいことです。先ほど遠くからタゲリが居ると言われた
方に脱帽です。







 思わぬ冬の貴婦人ならぬ珍鳥に会えて皆さん大喜びでした。

 サシバやオオタカも出ましたが、全く影が薄く話題にもな
らなくなりました。

 小田原大橋の街灯にチョウゲンボウが止まっていましたが
お義理に撮ったようなものです。



 9時から15時近くまで途中、来ている物を脱ぐ程の暖か
さで、冬とは思えぬ快適で、尚かつ楽しい収穫多い探鳥会で
した。今年最後の探鳥会は57種を数えて終わりました。

 29日  今日も晴天心地よい日です。

 菩提寺に年末のお参りに出掛けました。
 田端は以前とは様変わりして近代的な駅になりました。



 駅の近くには文士村記念館があります。
 この付近には多くの文士が住んでいました。荻窪・高円寺
が文士エリアになる前は、この田端付近の根岸近辺に多くの
文人墨客が集まりました。
 館内には、竜之介・犀星・朔太郎・菊池寛や岩谷破山等の
美術家の紹介や記念品が展示してあります。

 菩提寺には正岡子規一族の墓があります。





 このお寺は慶長年間に創建され天明年間に再建されたと
北区教育委員会作成の寺碑に書かれています。

 戦災で消失してから二度の建て替えの後、現在に至って
います。

 我が家では両親と私の妻が眠っています。
 今年一年間の無事に守って頂いたお礼と来年の無事をお願
いして、お寺にもご挨拶して辞去しました。

 お詣りの後、少しぶらぶらして帰宅の途中、松飾りを買い
帰ったら飾ろうと思っていると29日は良くないと、ご近所
の人に教えられましたので明日にしました。
 テレビでは、大掃除も29日は良くないと報じていました
ので、これ幸いと今日は総て中止してのんびりしました。

 30日 引き続き暖かい晴れ日です。
 北陸や北海道に住まわれている方々には申し訳ないくらい
です。

 昨日のんびりしたお陰で朝から洗濯、掃除、買い物、正月
飾りと一日忙しく動き回り夕方には、くたくたになりました。

 今年は床磨きと窓拭きは省略しました。春になって暖かく
なってからにします。

 もっと早くから始めれば良かったと後悔しても後の祭りです。

 それでも曲がりなりにも綺麗になったと言うよりも、した
感じです。

 この年末に、市の防災放送で84歳のお婆さんが行方不明に
なったので協力してくださいと報じていましたが、間もなく
無事救出されたとアナウンスされ、やれやれです。

 そんな老後にならないように頑張ります。

 咳をしても ひとり の人生なので気を付けます。
 ひとりだけに何時も気を張って頑張れるのでしょう。

 31日  いよいよ大晦日です。

 時は静かに流れて行きます。川の流れのようにです。
 今年も今日で終わりです。
 特に変わった事もありません。

 今年一年、無事に過ごせた事に心から感謝し、支えて
下さった友人・知人にも感謝します。

 このような友人・知人が、もし居なかったら今頃は老い
さらばえて惨めな人生を送っていたことと思います。

 来年も頑張りますので、このブログ同様宜しくお願い
申し上げます。

 また時にはコメントも宜しくお願いします。


年末のホシガラス

2008-12-30 17:45:27 | Weblog

 いろいろな事があった今年も旬日を残すのみとなりましたが
余り良い事が無かった一年を慰めるように、穏やかな晴天が続
きます。日本海岸は大変でしょうが、太平洋岸は嬉しい事です。

 22日から30日まで、穏やかな日が続きます。

 22日は年賀状を作成し投函。これで今年の仕事が終わった
ようなものです。
 暖かくて一日、ストーブ無しで過ごせました。

 23日、手紙を書いたり機関誌の校正で一日が終わりました。

 24日、スポーツ吹き矢の日です。今日こそはと期待して出
掛けましたが、練習の時は好調なのに本番になると、からっき
し駄目です。
 最初は薄着で頑張って見たものの余りの寒さに厚着をしたの
が、良くないようです。寒さで基本的な事が疎かになっている
ようです。少なくとも自分では、そのように思っています。
 来年、頑張りましょう。

 午後から友人の誕生祝いで銀座に出ました。

 銀座はクリスマス一色でしたが、何かいつもの元気さ、華や
かさが有りません。矢張り不況なのです。
 10年来の友人で、毎回楽しく過ごしています。
 北海道の蟹料理を、ご馳走しました。24時近くの帰宅とな
りました。

 25日も暖かい日です。年末なので何もしないのに気忙しく
思うだけです。年が変わると言っても別に感慨が沸きません。
 それでも何かしなければと思うだけです。
 年のせいとは思いたくありません。

 26日。ミヤマホオジロが、横浜の公園に出ているとの情報
なので出掛けるつもりで用意しましたが、ふと思うと普段服用
している薬が切れています。
 考えると今日は丁度、主治医さんの診察日ですが、今日を外
すと一週間後になり、正月休みに入ると更に遅れる事になって
しまうので急遽思い直して病院へ行きました。

 血圧は、少し高めながらもほぼ正常で薬を頂いて昼頃帰り、
午後は藤沢へ出ていろいろと買い物やら下見で終わりました。

 27日。4チャンネルで長女の居る離島が放映されるので
ビデオをセットしますが、最近の機器はいろいろな操作が出来
て便利になったのは良いのですが、リモコンのボタンが沢山有
り、その上小さいので非常に見難くセットに苦労します。
 それでも何とか収録出来そうなのでビデオと一緒に観ます。
 一時間番組の一部で15分くらいの放映でした。
 馴染みのある場面が観られました。

 観てから途中で昨日行く予定をしていた横浜の公園へ出掛け
ます。
 遅く出たので公園に着くと11時半です。



 暖かい陽が燦々と降り注いでいます。
 林にはカラ類の混群が飛び回っていました。コゲラです。



 シジュウカラもいます。

 

 エナガもいましたが、動きが早くて追えませんでした。

 池には、キンクロハジロが楽しそうに泳いでいます。





 ミヤマホオジロがいると言われている湿地は、森閑として動き
が有りません。何かあると直ぐに集まるカメラマンの姿も有りま
せん。



 日陰にある田圃には薄氷が張っていました。



 暫く待っていましたが、物見高いカメラマンも居ない所を見る
と今日は駄目かなと思い園内を一回りして再度、現場に来ました
が、何の動きも有りません。
 ごそごそと音がします。鳥かなと目を凝らして見るとタヌキで
した。然し、可哀想に腰から後ろの体毛がすっかり抜け落ちてい
ます。悪い皮膚病に冒されているのでしょう。



 非常に暗い場所なので、写真はぼけぼけです。

 今日は狸を見ただけで終わりかなと思い、もう一度園内の
別のコースを歩いて見ましたが収穫は有りません。
 15時近くなり、園内には何も売っていません。
 お昼抜きで歩き回りました。良く有ることです。

 駄目でもともとと三度、湿地に行って見ました。
 二人ばかり何か見ています。コジュケイがいると教えて
貰えました。見ると4羽が落ち葉の下を漁っています。
 この近さで見るのは初めてです。
 良く、チョットコイ チョットコイとけたたましく鳴く声
は聴きますがこんな近くで姿を見るのは八丈島で見た以来です。

 嬉しくなりました。空腹も忘れます。







 コジュケイで嬉しくなって、肝心目的のミヤマホオジロ
を忘れていましたが、今度はミヤマホオジロが現れました。
 傍にはアオジもいます。
 然し、日陰で暗いです。ストロボが焚けないので感度を800
に上げましたがスピードは1/15しか切れません。
 その上、相手は間断なく動きます。またもぼけぼけ写真に
なりました。








 このミヤマホオジロは♀です。♂は目の回りの黄色がもっと
鮮やかです。体長は15.5Cmと雀より少し大きめです。

 コジュケイとミヤマホオジロが見られた事で満足して16時
近く公園を後にしました。

 自宅付近からは富士山が夕陽に綺麗に浮かんでいました。
 あたかも今日の私を良かったね、と祝福して呉れているよう
です。



 今年も後4日しか有りません。名残惜しいことは有りません。

 今日が幸せであれば良しとしなければなりません。
 世の中いろいろな環境、境遇の人がいるものです。
 特に最近の不況で困っている人が沢山いるので、贅沢では
無くても、人並みに暮らせる事に感謝しなければなりません。

 政治に頼っても良くなる事は無いでしょう。所詮あの人達は
政治屋に過ぎませんが、その為に多くの国民が迷惑を蒙る事は
困ったものです。

 殊更、今年はその傾向が強いようです。誰が悪いのでしょうか?
 そんな人間を選んだ国民が悪いのです。

 今日は今日の幸せに免じて、これ位にして置きます。

 では又、近いうちに。




ホシガラスの鳥見

2008-12-22 10:47:59 | Weblog

 12月21日  晴れて暖かい日でした。
 気温は19℃になると予報されていましたが、朝は寒い
ので冬支度で出掛けます。
 18日に下見に行った舞岡公園の本番です。年末の慌た
だしさを余所にお天気が良いので22人の参加です。

 先日の赤い実は、矢張りガマズミでした。
 柿が昼前の陽を浴びて、たわわに下がっています。



 モズが鋭い声を出して飛んで行き50m程先の枝に止まり
ました。



 谷戸の日溜まりは暖かいので、もう鑞梅が咲き出しました。



 園内の、きざはしの池には今日も7~8人程のカメラマン
と、鳥見の人が来ていました。

 その目の先はアオシギです。今日は直ぐ近くに来ています。
 アオシギは体長30Cmの中型の鴫です。
 欲求不満のように、絶えず身体を上下しながら移動するのが
特徴です。鳥には尾を回したり(モズ)、上下させたり(セキ
レイやイソシギ等)する習性があります。何でしょう?
 バランスを取るようにも見えますが本当の事は鳥に聞いて見
なければ判りません。





 決して美しいとか、綺麗とか、可愛らしい鳥では有りません
が滅多に見られない鳥なので希少価値があります。

 シベリア方面で繁殖して、日本には冬鳥として訪れますが、
何時も孤独で単独行動です。
 尾の先の赤も特徴です。

 皆さんが、ざわざわしたと思うと反対側の芦原の中の50m
程先の灌木の枝にアリスイと言うキツツキの仲間が来ています。
 これも地味な鳥で、青森以北・北海道で繁殖し冬になると南
の方へ移動しますので関東では冬に多く見られますが少ないで
す。動作は余り活発ではありません。体長は18Cm位です。

 長い舌を出して蟻を好んで吸うように食べますので地上に居
る事があります。

 少しぼけぼけですが撮りました。





 アリスイは間もなく翔んで行きました。すると再びアオシギ
です。距離は10mくらいです。



 タシギ(体長26Cm)は朝寝坊です。10時になってやっと
起き出しましたが、まだ眠そうです。



 そして間もなく眠りの体勢です。薄目を開けて眠るでなく、起
きるで無い状態です。



 不活発なタシギより、アオシギの方が魅力です。
 またまたアオシギを観察します。何故か飽きません。





 充分にアオシギ・アリスイ・タシギを堪能した後、狐窪へ
入りましたが収穫無く、山道を登り見晴らしの良い丘で昼食
にしました。

 ここでも、ホオジロだ、カシラダカだと、賑やかです。



 食後は、隣の瓜窪の谷戸へ降ります。

 ヒヨドリが、撮ってよと言わぬばかりに枝に止まりました。



 瓜窪の谷戸では、イロハモミジがまだ赤く染まっていました。



 瓜窪の谷戸奥の斜面にコジュケイの家族が、しまった!と言わ
ぬばかりに大急ぎで隠れて行きます。
 私が行った時は、既に隠れてしまいました。

 また、尾根道に出て途中の四阿で鳥合わせ(その日見た鳥の確
認です)をすると27種になりました。

 尾根道では風が有りましたが、快晴で汗ばむ程でした。

 至福の一日でした。

途切れとぎれのホシガラスブログ

2008-12-20 16:33:51 | Weblog
 毎日が平凡なのか、話題が少ないと言うのか兎に角
綺麗なブログが出来ません。
 12月16日  良く晴れて暖かい日です。

 午前中の体操教室を終えて、友人と二人で体操教室にいた
友人の見舞いに行きました。
 中学時代からの親しい友人なので60年来のお付き合いです。
 北鎌倉から坂を登って見晴らしの良い場所に住んでいます。
 若い時は快適であったでしょうが、年を取るとこの坂道は大変
です。
 若い頃、この坂道を通って会社勤めしていた友人を思いながら
登って行きました。上がってでなく、昇ってでなく、登っての
感じです。

 友人は窓からの眺めが良い部屋にベッドを置いて寝ていました。
 酸素ボンベからは絶えず酸素を吸入して片時も外せない状態です。

 気の毒です。7月に病院へ見舞いに行った時はまだ歩けてボンベ
も時々で、話しも出来たのに今回は、話し役は専ら奥様です。
 最初は10分か20分で、おいとまする予定でしたが、奥様が
良く話されるので、ついつい1時間以上もお邪魔してしまいました。

 早く良くなって復帰してくださいとは言えない辛さで別れました。

 つくづくと健康の幸せを感じた一日でした。

 帰宅して大急ぎで、日本書紀の講座に出掛けました。
 今日は1ページ進んだだけで、年越しとなりました。

 12月17日  雨降りです。

 スポーツ吹き矢の日です。体育館の冬本番になりました。
 寒くて雨降りにも拘わらず23名も参加しました。

 今日こそはと張り切って見たものの、最初だけでした。
 もっとも皆さんも不調でした。150を越した人は二人
だけでした。

 午後は明日に備えて句づくりに励みました。
 そして明日は亡き妻の月命日なので雨の中をお花やお供え
を買いに行き仏前に供えました。

 12月18日   昨日の雨も上がって又、暖かい晴天です。

 21日の例会の下見に舞岡公園へ担当の人と出掛けました。
 久しぶりに7時半から8時の通勤ラッシュ電車と思っていま
したが案に相違して空いていて助かりました。
 もっとも大船から一駅の戸塚ですので混んでも知れています。

 現地には8時半前に着きました。
 公園内は朝靄が立ちこめていました。



 早いので人もいません。アオジがチッチッと鳴いて迎えて呉れ
ました。



 名前の判らない赤い実を沢山付けた灌木がありました。
 ガマズミでしょうか?



 何時も鳥見の人や写真を撮る人が集まる、きざはしの池へ
行くと既に数人のカメラマンが待機しています。

 アオシギが渡って来ていましたが、今日は少し遠くて300
mmのレンズでは無理なので諦めました。
 その代わり、クイナが時々出てきては直ぐに葦の茂みに入って
しまいます。暗い場所が好きなので写真向きでありません。
 それでも撮りましたが、案の定ぼけぼけです。





 それでも赤い嘴が見えます。

 タシギは朝寝坊で、深い眠りに落ちていましたが9時半頃
ようやく起きました。然し、まだ眠そうです。



 ここは田圃があってボランティアでお米も作っています。
 秋には収穫祭もあります。
 これは地元の農家の田圃で、稲穂が干してあります。



 谷戸があり、一つは狐窪と言われているので狐の石像が二つ
並んでいます。



 鳥はいませんでした。

 次の谷戸は、瓜窪と言って小さな沼があります。
 ここには河童が相撲をとっている像があります。河童の伝説が
ありそうです。
 沼のそばを通ると、おいてけー と言われそうですが今は相撲
に夢中です。



 ここで、やっとシメが傍に来て呉れました。



 舞岡公園は午前中で切り上げ、熊の堂と言うバス停から戸塚へ
出て藤沢へ向かいました。

 午後は句会で、今日は先生格の方に特別に来て頂き、一緒に
勉強させて頂きました。

 夜は句友7名と先生を交えて忘年会となりました。

 12月19日  今日も晴れです。
 そして暖かい日です。

 東京落語会です。お昼頃から出掛けました。
 東京駅の外へ出るとニューヨークへ行ったように高層ビルが
林立しています。
 東京中央郵便局も建て替え中で何処かへ移転しています。
 時計も針が有りません。



 以前は高層では皇居が丸見えになるので問題になった東京海上の
ビルも今では存在感が薄くなって、回りのビルに押しつぶされそう
です。



 戦後の1953年に当時としては綺麗で珍しい新丸ビルも建て
替えられて堂々たる偉容です。



 三菱通りの銀杏並木は、まだ黄色い葉を僅かに付けていました。
 明治大正の文明開化の時代に瀟洒な建物として脚光を浴びた
三菱一号館も今では後ろに聳える高層ビルの下で、縮こまっている
感じです。然し、佳き時代の面影は毅然として残しています。



 ぶらぶらと銀座に出ました。流石に銀座は落ち着きます。
 雑踏と言っても新宿・渋谷・池袋とは違った趣があり大人の
町を感じます。

 もうクリスマス一色でジングルベルが流れ、御木本のビルの
前はツリーが飾ってありました。



 京橋の方を向くと小さなネオンがちらちらしていました。



 こんな華やかな光の陰には、不況で解雇されて困っている人
が沢山いる事を思うと心が痛みます。
 政治の世界は、おざなりの政策ばかりで実効の無い事で明け
暮れています。
 与党も野党も自分たちの主張ばかり唱えていないで、もっと
国の為、国民の為を考えて貰いたいものです。

 18時から、第594回東京落語会です。
 来年6月には600回を迎えます。

 新真打ちの三遊亭円福さんは、新作で接待ゴルフです。
 舞台にポリ袋を持って来て、何が出てくるかと思っている
と、ドライバーでは、ねじ回しを、スプーンでは匙を出して小道具
にしていました。これまで初めての演出でした。

 橘家圓太郎師匠の浮き世床は、爆笑に次ぐ爆笑でした。
 古今亭寿輔師匠の親子酒は、先日新宿の末広亭で聴いた噺と
完全に同じ流れでした。
 柳家さん喬師匠は、寝床を演じましたがなかなかの熱演でした。
 ここで中入りとなり、その後は林家たい平さんの干物箱で結構
真剣に演じていました。
 トリの金馬さんはカットして帰りました。

 新橋のいつもの店で友人と23時まで呑み食いして東京駅まで
行き東海道線に乗りました。

 深夜バスで、ちょっぴりの午前様となりました。

 12月20日  いよいよ今年も後11日となりました。

 麻生内閣は財政建て直し全治3年と言いながら、税収とその他
収入を入れても55兆円しか無いのに、予算は89兆円も組んで
またまた借金が増える事になります。

 これまでの国債の金利だけでも20兆円が必要のようで正常な
支出は35兆円しか使えない事になります。

 これでは何時まで経っても健全財政は望めないと誰でも判ります。

 どうせ次の選挙では今の内閣が替わる事を見越しての、やけくそ
の政策としか思えません。本当に情けない日本になってしまいました。

 こんな政府しか持てない日本なのでしょうか?
 
 私達は後、数年で消えて行くので見届けられませんが、残された
今の若い人たちが可哀想です。

 こんな事を考えていると自分だけで、どうにもならないだけに
気が滅入ります。考え過ぎでしょうか。

 そのうち、どこからともなく黄金バットか、ウルトラマンが
現れて本当の改革をして世直しをして呉れるでしょうか?
 そう願いたいものです。

 明日は自然の中で総てを忘れて楽しみます。

 佳い明日でありますように。


  

ホシガラスの静かな何も無い日々。

2008-12-15 11:23:57 | Weblog

 12月9日からの一週間は特別に書く事も無い静かな日々
でした。

 その日々はグラゥンドゴルフで、漸くホールインワンを年間
で100本達成したり(これはアベレージで3.2本/日)
バーディーが単日で55%になったり年末に向けて今年の
グラゥンドゴルフも私としては、まずまずの成果で終わりました。

 日本書紀・平家物語も遅々ではありますが進み、日本書紀は
安閑天皇の条が終わり年内には宣化天皇が3ページだけなので
無事に終わることでしょう。もっともこの二人の天皇は特に何
も功績が無く、妃のこと、役人の任命と朝鮮特に新羅との交流
ぐらいでした。これに反して次の欽明天皇は60ページもの長
さなので半年はかかるようです。

 平家物語は、重衛が捕らわれる条から謡曲で有名な敦盛の条
に入るところで、いよいよ佳境になります。

 吹き矢は序々に向上しつつありますが、まだ顕著には現れて
おりません。

 12月10日は暖かい日でした。吹き矢の後、鎌倉へ出て用
足しを終えてから丁度来合わせたバスに乗って鎌倉山へ行き、
整備されたと聞いていた夫婦池を見ましたが、ほぼ出来上がっ
ているのに開園は来年4月とのことでがっかりでした。
 整備された柵には黴が出ていました。
 早く活用しないと設置した柵や階段が腐って来ます。
 もったいないことです。

 後ろを見ると嶮しい崖を削って、その中間から高層のマンショ
ンが建設されていました。建築技術が向上しているとは言え、
このような急斜面に建設を許可した行政の意図に疑問が感じら
れました。
 鎌倉は地盤が緩いので、もしも地震でもあったら倒壊の危険
は大きいと思いました。

 夜は先日買ったグレンミラー物語のDVDを観ているうちに
スイングジャズの快さに刺激されて懐かしくなり、手持ちの
CDには無いので、ベニー・グツドマンで青春を回顧しました。

 戦後、何も無い時にラジオから流れる米軍向け放送で聴いた
ジャズに新鮮さを感じたものです。
 それからはスイングジャズ全盛の時代になりました。
 昭和20年代後半には、いろいろな音楽が聴かれるようにな
り取り分け私はアルゼンチンタンゴの歯切れ良さに魅せられ
毎月発売されるレコードを買い漁ったものでした。
 懐かしい想い出で、今も時々CDで聴いています。
 秋から冬はアルゼンチンタンゴの季節です。

 新聞には渡りをするアサギマダラが岐阜から奄美大島までの
1110Kmを40日かけて飛行したと報じられていました。
 あの小さな身体で凄いことです。
 秋の渥美半島伊良湖岬では良く見られる蝶です。

 11日、12日とも暖かく、ベランダに布団を干しましたの
で、ふっくらとした布団で快適に眠れました。

 13日は冬の季節に戻りました。
 勤めていた会社の0B会に出席で銀座に出ました。
 この不況の時代なので会社の経営も苦しいようです。
 会社の現況報告では何時も楽だとの話しを聞いた事は有りま
せんが、100年以上も続いていると言うのは歴代の経営者と
従業員の努力の賜と思い、僅かでは有りますが私もその一員で
あったことに小さな誇りが持てます。

 終わってから暫く銀座をぶらぶらと歩き、目白へ出て鳥切手
の仕入れをして夕方も近いので新宿末広亭の夜の部に入りまし
た。



 入った時は満席で可楽師匠が、手紙無筆 を演じていました。
 先代の可楽とは違った味の演技でした。

 夜の部のトリは、小柳枝師匠の 文七元結 でした。
 涙が出そうになる、なかなかの名演でした。
 噺も、心から笑えたり、食べたくなるような演技になると名人
の域になります。
 落語と言っても泣ける人情噺もあります。

 嘗て、志ん生師匠の『大津絵』を聴いて、小泉信三さんが毎回
涙を流したと言う逸話がありました。

 21過ぎて終演となり、外へ出ると21時半から始まる若手芸
能家の会を待つお客さん(殆ど若い人)が長蛇の列でした。

 昼間の銀座は、ゆったりした流れでしたが、新宿は昼も夜も
若い人が多いので流れが速く、その上高い音が加わり猥雑さが
有り疲れます。

 14日は雨で、これまで暫く続いた暖かく晴れた後だけに
ひとしお寒さが応えます。

 鎌倉で40年続いた鳥の会が、40年の記念誌を出したので
その記念パーティーの日です。26人が集まりました。

 これで、この会の総てが終わりました。会計を担当していた
私の役目も僅かな残金で終わり、残金は然るべき団体に寄付
することにしました。

 最後に相応しい雨でした。

 昼から紹興酒を呑んだので、夜はそこそこにして早寝です。

 15日は朝からの晴れです。
 昨夜から今朝にかけて冷え込んだので、戸外に出していた
君子蘭の鉢を家の中に入れました。

 今週も講座、吹き矢、鳥見、句会、落語会で毎日が過ぎて
行きます。
 風邪をひかないように頑張ります。

 またまた絵のない詰まらない、ながながブログで申し訳
有りません。

 最後まで読んで下さった方には心から御礼申し上げます。