はじめまして

今回、新しくブログを開設しました。

強風の酒匂川

2009-04-27 14:40:28 | Weblog
 4月22日 晴れです。

 スボーツ吹き矢の日です。プレーと年度総会の日でした。
 矢の調整と、的を狙う位置を少し改善したのでスコアもほんの少し
ですが良くなりました。然し、まだまだです。
 どうも目が少し悪いようです。

 4月23日 晴れです。

 グラゥンドゴルフの春のコンペでした。
 練習ラウンドではバーディーの連続で好調だったのに、本番では
ボギーが3もありスコアも散々でした。18人中、後半の部類です。
 それでも天気も良く、気温も快適で心地よい日でした。

 4月24日 天気は下り坂になりました。

 昨年秋に解散した鎌倉の鳥の会がOBOG会を開催したので、銀座
へ出ました。薄ら寒い日でした。

 会合には14名が集まりました。
 40年に亘ってお付き合いした仲間なので、解散したからと言って
簡単に、さよなら は出来ません。
 積もる話に花を咲かせ、約3時間近く歓談を重ねました。
 今回は銀座でしたが、次回は会員の多い鎌倉で、となり幹事を
引き受けました。

 4月25日  朝から雨です。

 吹き矢のサークル もう一カ所での練習日で雨の中を出掛けました。
 ここでも少し改善されていましたが時々、基本を忘れるので失敗
します。自信を持って吹けた時は正確に的の中央に入ります。
 これの持続がなかなか難しいです。スコアを気にせず健康を意識し
てプレーをすれば、スコアは自ずから附いてくると言われますが
まだまだ修養が足りません。

 午後からは体操教室のお仲間が日本舞踊の発表会に出演するので
傘を差して出掛けました。鎌倉芸術館の小ホールです。700人位
入る会場でした。
 夜は同じ会館の大ホールで、町内の親しくしている方のバレー教室
創設45周年記念公演があるので、芸術館に居続けました。
 大ホールは1500人ぐらいの収容ですが、ほぼ満席でした。

 日本舞踊は毎年、発表会がありますが何時も他の用事で失礼してい
ましたが、今年は丁度空いていたので鑑賞させて頂きました。
 素人目の見方しか出来ませんが、それぞれ佳い雰囲気でした。

 小さい女の子の踊りは可愛いことです。



 名取りさんの踊りは流石に貫禄充分です。





 4月26日 定例の酒匂川探鳥会です。

 予報でも晴れてはいるが風が強いと報じていました。

 気温は21℃と予想されているので、長袖のシャツとベストで出掛け
ましたが朝は寒いくらいでした。

 天気は良いが風が強いので集まったメンバーは6人だけでした。

 鴨宮に降り立った時は、それ程でも無いと思っていましたが堤防に
出ると箱根方面から吹いてくる西北の風が強く当たり、体重共に80Kg
近い身体が動かされます。その為に双眼鏡も揺れて見難い事です。

 カメラや望遠鏡の三脚も倒されないよう皆で注意します。

 富士山は白雪が厚く覆っていました。

 昨日の雨で水嵩が増して流れも早く感じます。

 風が強いので鳥影も疎らです。左岸は風当たりが強いので早々にして
右岸へ回ります。

 右岸の堤防の下に降りると流石に風当たりが弱く暖かくなりました。

 オカヨシガモの♀です。黒パンツ姿の♂に比べると地味です。



 カイツブリも完全な夏羽になり、相変わらず良く潜ります。


 
 ダム下の中州の草むらにナポレオンハットのヨシガモの♂が
蹲っていました。鴨たちは、もう北の繁殖地へ向かわなければ
ならないのに暢気な性格の個体もいるのです。



 嘴の広いハシビロガモの♂もいました。



 オオバンは関東では一年中見られるクイナの仲間ですから良く
見られます。


 
 コガモもぼつぼつ旅立たなくてはなりません。暑くなると辛いので
早く涼しい所へ行くべきです。



 海は荒れています。兎跳びの白波が立ち、時折大きな波が濱に打ち
上がります。沖には何も見えません。



 一昨年の秋に打ち上げられた流木が、雨風に晒されて大分小さく
なりました。



 2007年10月28日に見た流木です。



 今日はキジが良く啼きましたが姿が見えません。対岸の草むらから
漸く♂の姿が現れました。
 遠くても大きいので良く写ります。



 尾羽を絶えず上下に動かしてバランスを取るイソシギも出て来ました。



 何時もより一時間程も早く切り上げました。
 今日の見聞きした鳥は39種でした。一昨日に他のグループが見た
鳥は43種との事で少し少ないのは強風のせいです。


 藤沢市の内陸部にムナグロが来ているとの情報で、早めに終わった
帰り道に寄って見ました。

 番いの二羽が、まだ水を張っていない水田で採餌していました。
 体長24Cmの中型のチドリの仲間です。
 良く似ている鳥にダイゼンと言うチドリがいますが、ムナグロは
英名でGolden Prover と言われるように金色がかつた体色をして
います。ダイゼンは、これに対して Grey Plover と言われる通り
灰色がかった体色で、大きさも29Cmと少し大きめです。

 共に夏羽では腹部が黒くなります。♂は黒い程ハンサムなのでしょう。
 1と2と4は♀で、3は♂です。









 傍の水田にコチドリの番いが仲良く餌を漁っていました。



 内陸部では風も弱くはなっていたものの矢張り時折突風が吹き付け
ました。

 今日は強風で二度も帽子を飛ばされ、一度は川の縁に落ちましたが
お仲間が拾って下さり助かりました。
 この帽子はアフリカのケニアへ行った時に求めたお気に入りの品だけ
に、お仲間に感謝します。

 強風に煽られた一日でしたが、佳き一日でもありました。

近くの丘を歩くと、いろいろな発見があります。

2009-04-20 21:17:41 | Weblog
 4月20日 天気は下り坂ですが今日は何とか持っています。
 
 午前中、市民講座で 鎌倉の切り通しを越えて来た人々 と言う
タイトルで講話を聴きました。

 鎌倉には七つの切り通しがあります。もともと存在していた切り通し
は少なく、鎌倉時代に防御上の目的や商品の流通の為に開発したものが
大半です。

 ホシガラスも東から、名越、朝比奈(正式には朝夷奈と言います)
釈迦堂口 化粧坂(けはいざか) 亀ヶ谷 巨福呂坂(こぶくろざか)
極楽寺坂 の七カ所を歩きましたが、もう一つ 大仏坂があります。

 大仏坂切り通しは、普通の地図には図示されていないので探して
探して、やっと見つけた想い出があります。

 1180年(治承4年)10月6日、頼朝が房総経由で鎌倉入り
してから、西行、鴨長明、阿仏尼、後深草院二条、そして有名なの
が、新田義貞です。この時、義貞は上野国を150騎の兵を率いて
出発し鎌倉に入る時は、60万騎に膨れ上がり化粧坂に40万騎、
極楽寺坂 10万騎、巨福呂坂 10万騎を配して、北条高時の軍
24万と対峠しました。

 この戦いで北条軍が敗れた後、鎌倉は政治の中枢から離れ、人も
住まなくなり寂れに寂れて行きました。

 鎌倉が賑わったのは僅か153年でした。その後は訪れる著名人
も無く、秀吉が小田原攻めの時に立ち寄り鶴ヶ岡八幡宮に参詣し、
頼朝の木像を叩いて、天下の友達と言って大声で笑った話は有名です。

 家康も会津攻めの途中、急に思い立って藤沢から江ノ島に寄り、
鎌倉に一泊して品川へ向かったとのことです。

 江戸時代になると、江戸に近い事もあって少し観光化するように
なりました。

 その頃になると、沢庵和尚、水戸光圀、高山彦九郎、吉田松陰、
長岡藩士河井継之助、等が訪れています。
 水戸光圀は、鎌倉の史跡を調査して鎌倉観光のバイブルとなった
新編鎌倉志 を編纂しています。

 そして明治天皇は、明治6年4月に鎌倉で行われた陸軍歩兵の
野外演習を観戦する為に行幸しています。
 この頃になると、新橋から汽車で神奈川まで乗り、神奈川からは
馬車と馬で巨福呂坂切り通しを通って鎌倉に入ったとの事です。

 明治22年には横須賀線が大船から横須賀まで開通して、鎌倉は
観光と生活面で賑わうようになりました。

 と言う話を聴きました。

 午後からは天気も持つようなので、近くの丘を散策しました。
 丘と言っても高い所は80mぐらいはありましょうか?
 登りは少し息が切れます。

 ホウチャクソウが咲いていました。花の形が五重塔の軒に下がる
宝鐸に似ている事から此の名が出来たようです。
 ユリ科チゴユリ属で高さ30~60Cmぐらいの多年生の草本です。
 この丘には群落がありました。



 ナツトウダイ(夏燈台)です。30~50Cmのトウダイグサ科の
多年草で全国の丘陵から山地で見られます。 



 ウラシマソウも良く見られました。北海道南部から九州北部の低山
の草地や林の中で見られる多年草です。花は、ほうの中にあり、その
花穂から長い糸状の物が伸びているので、それを浦島太郎の釣り糸に
見立てて浦島草と言われています。テンナンショウの仲間です。



 今日の目的は、クマガイソウです。平家物語で有名な平敦盛と熊谷
次郎直実の場面は謡曲にも有り、戦国時代の悲しい物語です。
 
 戦国時代、流れ矢を避ける為に鎧の背中に付けた母衣に似ている
事から、華麗なアツモリソウに対して地味なクマガイソウは共に
ラン科アツモリソウ属の多年草です。

 最近は珍しい植物として心ない人の盗掘に遭っていますので保護
していますが、何時までも残して毎年眺めたいものです。

 このような植物は成育している土地が最適な条件の場所なので、
それを無理して盗掘して植え替えても決して育ちません。

 優しく眺めてこそ価値のあるものです。最近、湿原や高山の植物
が盗掘されています。嘆かわしい事です。

 自然が好きで自然を愛しているのであれば、決して出来る事では
有りません。広い心で眺めて貰いたいものです。
 
 この写真も望遠レンズで遠くから撮りました。





 一回りして下山しました。途中で見た判らない木の花です。
 お判りの方がおりましたら教えて頂ければ幸甚です。


葛西臨海公園へ

2009-04-20 20:53:36 | Weblog
4月19日  暖かく晴れです。まさに春爛漫です。

 葛西臨海公園へ出掛けました。
 東京都の最東端、旧江戸川を渡ると隣は直ぐに千葉県です。

 向かい側にディズニーランドが望見出来ます。
 天気予報で絶好の行楽日和と報じていたせいか、人出も多く公園は
家族連れで賑わっていました。

 芝生には、居心地が良いのか名残を惜しんでいるのか、それとも体力
を付けているのかツグミがまだ見えました。
 やがて北へ向けて旅立つことでしょう。



 スズメはのんびりランブシェードの下で遊んでいます。渡りをしない
鳥は幸せなのでしょうか?



 西の人工渚へ出ると沖合に300羽ぐらいのスズガモが浮いています。
 白く見えるのは♂で目立ちますが、数は圧倒的に♀が多く見えます。



 その手前には、夏羽になったハジロカイツブリがいました。
 何れも400mはあるでしょう。遠いです。やっと写っているだけです。



 西渚から東渚を見ると、これまた500mは離れているであろう遠方に
ミヤコドリが望見出来ました。
 東渚は野鳥保護区になっていて立ち入り禁止になっている聖域です。
 それだけに鳥も多く、干潟にはカモメ類がびっしりでした。



 杭にはコアジサシ2羽が仲睦まじく長い時間止まっています。



 水鳥は何れも遠いので写真ではこんなものです。

 渚を一望してから、鳥類園へ行きました。淡水池にはミシシッピー
アオミミガメの親子が甲羅干ししています。



 オオバンは何時も水の中にいるのに、水浴びをします。他の水鳥も
良くやります。羽根の中の虫を払うのでしょう。



 ホシハジロもコガモもいました。猛禽類もいないのに、葦原の縁に
隠れるように潜んでいます。用心しているでしょう。



 コガモの夫婦が仲良く泳いで来ました。


 
 ユリカモメは完全に夏羽になり頭を黒くしています。ズグロカモメ
と間違い易いのですが、ユリカモメは頬被り状態ですが、ズグロカモ
メは目出し帽のようになります。この姿を見ると夏を感じます。



 汽水池ではオオハシシギに会いました。体長29Cmとは言います
が、これは長い嘴の先から尾までですから身体だけは20Cmぐらい
です。夏羽根ではお腹が赤褐色になりますが、ここでは少し赤褐色に
なっていました。完全な夏羽根を見るにはシベリアの北極圏まで行か
なければなりません。



 汽水池ではコチドリもいました。胸の黒いリングが強烈です。体長
16Cmですから、スズメより一回り大きいぐらいです。夏鳥で日本
で繁殖します。目の回りの金色のアイリングが特徴です。



 タシギは、葦原の中で餌漁りをしていました。



 アオアシシギは、体長35Cmで少し大き目のシギです。繁殖の
為にカムチャッカやシベリアへ向かう途中、立ち寄ります。冬は沖縄
よりもっと南で過ごします。



 タシギは泥の中に嘴を突っ込んで餌漁りをしますので、嘴は泥だらけ
で、悪戯っ子のようです。



 タシギは羽根にいる虫がかゆいのか、かゆがっています。


 
 またまたアオアシシギです。



 イソシギも出て来ました。



 桐の花が咲いていました。



 園内を5時間程歩いて、45種の鳥に出逢えました。
 快い疲労感を抱いて帰路に就きました。幸せな一日でした。


ホシカラスのクラス会。

2009-04-12 14:30:12 | Weblog
 4月6日以降、晴天が続きます。

 そしてホシガラスの生活も平凡に緩やかに過ぎて行きました。
 特記すべき事も無く、毎日が体操、グラゥンドゴルフ、家の中
ではパソコンに向かってごそごそとやっていました。

 9日は何時ものようにグラゥンドゴルフです。この所、雨が
降らないのでグラゥンドは、ぼこぼこですが風がないので助かり
ます。風があると黄塵万丈になります。

 グラゥンドゴルフでも何をやるにも暑からず寒からず最適の
シーズンです。
 鎌倉は右を見ても左を見ても桜ばかりです。
 まさに春爛漫です。丘の上にも大きな桜が見事な花を咲かせて
いましたが、ぼつぼつ葉が出始めました。







 4月11日 小学校のクラス会です。

 学校は今では、その名も無くなった東京都豊島区立池袋第五尋常
小学校です。途中から戦時体制で国民小学校となりました。

 池袋西口は行くたびに変化しています。

 戦前から池袋に住んでいて、この小学校に入学する時、母が大雪
の降っている中を手続きの為に出掛けて行った後ろ姿を今でも鮮烈
に覚えています。その日が昭和11年2月26日で、かの二二六事件
の日です。

 家の前では積もった雪を利用してスキーをしている人がいました。

 その日から日本は不幸な道を歩くようになりました。

 昭和10年頃から46年に鎌倉へ移る36年間(途中8年間北海道
ですから実際は26年間です)住み慣れ通い慣れた駅前です。
 今では鎌倉の生活の方が長くなりました。



 今ではすっかり変わった駅前を通り、子供の足では20~30分位
かけて6年間通いました。

 南に面した木造二階建てで、この字型の校舎で六年間学びました。

 地域でも良い小学校と言う事で、学区以外の人は学区内の知り合い
の家に寄留して入学しました。ホシガラスもご用聞きに来る肉屋さん
に頼んで寄留させて貰ったようです。

 電車通学している級友が定期を胸ポケットに入れているのを見ると
何か大人びて羨ましく思ったものでした。

 そんな中で60人が組み替えも無く6年間何時も同じ顔ぶれで勉強
をしました。
 全校各学年6組で各組60人ですから、2100人余いた事になり
ます。

 その学校も昭和20年4月13日(明日で64年目になります)
の山の手を襲った空襲で消失しました。

 学校はその後、前にある立教大学が豊島区から買い取って大学の
施設になり、学校名もいつの間にか無くなってしまいました。

 それでも校門の傍にあった桜が炎の中で生き残り今でも花を咲か
せていました。



 クラス会の会場は池袋西口の中華料理店で60人のうち10人が
集まりました。
 昭和16年に卒業してから68年目ですから、亡くなった人、消息
の判らない人が多く20人くらいしか連絡が取れなかったようです。

 幹事さんが大体の消息を頼りに全国の電話帳から探して、かけまく
り苦労の末やっと何とか名簿作成に漕げ付けたことには頭が下がり
ます。

 何しろ戦災が大きな障害になっています。戦災で焼夷弾の直撃に
遭って亡くなった級友もおります。

 昭和17年、卒業の記念写真ですが判る人は10人くらいです。



 並んでいる後ろの建物は奉安殿で、この中には当時ご真影と言って
天皇皇后陛下の写真と教育勅語が奉安されていて、式日には校長先生
が白い手袋をはめて、恭しく持ち出して生徒の前で読み上げました。

 生徒はその間、下を向いて拝聴ですが子供ですから鼻水が出るので
あちこちから鼻水をすする音が絶え間なくしました。

 クラス会が終わってから久しぶりに周辺を歩いて見ました。

 小学校の6年間と、その後その筋向かいの旧制中学の4年間の
10年間、通い慣れた懐かしい立教大学の建物は今でも変わらず
に残っています。蔦の絡んだ煉瓦作りの校舎です。



 その周辺も変わり、高層のマンションが建っていました。



 所々に昔から有った本屋さん、帽子屋さんが見受けられますが
殆どが新しい店ばかりです。

 昔はいかめしい交番も今では周囲の高層建物に圧されて見逃し
そうでした。左下の白い建物が交番です。



 昔は池袋第一の繁華街であった常磐通りへ通ずる道も広くなって
ごちゃごちゃしています。



 池袋に来ると私にとって見逃せないのが、池袋演芸場です。
 丁度、夜の部が始まる所でしたので早速シルバーチケットを買って
入りました。

 定員は補助椅子まで入れても120人くらいの小さな寄席小屋
です。小屋と言ってもビルの地階です。

 何時もの事ながら、がら空きです。20人くらいしか入って
いません。
 それに出演する芸人は15~16人です。

 これで良く経営が成り立つものと何時も不思議に思い且つ感心
しています。

 20時半に終わりましたが、ここは他の寄席と違って若手の芸人
が多いようです。

 今晩も中トリは寿輔師匠が、死に神 の前編を演じ、大トリは円
丸師匠の干物箱でした。

 それでも気楽な楽しい4時間でした。





 12日は今、住んでいる自治会の総会です。
 総会に出た跡はゆっくりします。






花を見、鳥を見た日。

2009-04-06 15:01:36 | Weblog
 4月5日は、予報では気温19℃になるとの事で薄着して出掛け
ました。

 今日はローカルの野鳥の会の例会です。
 
 公園では桜が満開で8時なのに、もう花見の準備が始まって
いました。ビニールシートを敷いて場所を確保していました。

 今では長屋の花見のように莚の毛氈、大根の蒲鉾、沢庵の卵焼き、
お茶の灘酒は死語になっている事でしょう。

 平和で幸せな事ですが、失われた事も沢山有ります。
 どちらが良いのでしょうか?。



 堤防の桜も満開でした。



 谷戸に入ると西洋サクラソウが咲いていました。
 日本本来の、しとやかな清楚なサクラソウは滅多に見られなく
なりました。



 河川の堤は折角溜まった土と其処に生えていた草が整理され
コンクリート丸出しの人工的な味も素っ気も無い堤となり、鳥も
寄りつかなくなりカワウが佇んでいるだけでした。



 例会が終わってから先日見に行ったアカガシラサギがまだ居て
夏羽に近くなっているとの情報で行って見ましたが、蘆の中に入
っていて2時間待ちましたが、遂に飛んだ瞬間をちらりと見ただ
けでした。

 仕方なく出てきたバン(クイナの仲間です)を撮りました。



 鳥見には良く有ることです。それでも満ち足りた一日でした。