はじめまして

今回、新しくブログを開設しました。

ホシガラスの酒匂川探鳥会

2011-02-28 14:45:00 | Weblog
 2月27日  強い南西の風が吹き荒れ気温は15℃を上回りました。

 ホシガラスにとっては106回目の酒匂川探鳥です。参加者は11名でした。
 相変わらず鳥の影は少なく、飯泉堰の上のダム湖は余りにも水深が浅くなった
ので浚渫作業が始まっていました。昨年9月の台風の影響が今になっても続いて
います。

 何もいない川の上をアオサギが悠々と飛んで行きました。



 突然キジの甲高い声がしました。堤防の影から♂のキジが現れ直ぐに飛び去り
ました。ファインダーを覗かず闇鉄砲にシャッターを切りましたが矢張り駄目でした。





 堰にはダイサギがぽつんと佇んでいるだけです。



 ダム湖の彼方にカワアイサの♂が見えますが余りの遠さに写真は諦めました。
 先ほどから盛んに澄んだ金属的な声が聞こえるので振り向くとセグロセキレイ
が取水場のコンクリートの上を歩いていました。



 フェンスに遮られて溜まったゴミの中に、はきだめの鶴ならぬヨシガモの家族が
います。折角の綺麗な羽が台無しですが折しも大陽の光を浴びてメタリック調に
輝いていました。



 浚渫された土砂がダム湖に積み上げられています。川砂なので建築用には良い
材料になることでしょう。





 鳥の姿が少ないので11時には休憩場所にしている勝福寺に着いてしまいました。
 早めのお昼です。

 飯泉橋を渡ると凄い風が吹いて来ます。春二番です。汗ばんで来ました。

 干潟にはマガモの♂二羽に♀一羽が休んでいましたが♀は、そそくさと川へ入って
行きました。



 浅くなったダム湖にはセグロカモメの群れが三々五々休んでいます。
 魚も上がって来ないので餌にも不足している事でしょう。





 ダム湖は幅が300m位有りますが、その真ん中辺にカワアイサの♂が見えます。





 嘗ては冬になると水面一杯に鴨達が泳いでいて楽しみの場所でしたが、隔世の感
です。

 河口へ下っていくと何時も場所にハヤブサが見えます。換気口の上が余程気に入った
と見え、昨年秋頃から見られます。



 河口付近に来ても何時ものように鴎類も鴨類も皆無です。沢山居るオオバンも
見えません。ハシビロガモが寂しそうに泳いでいるだけでした。



 相模灘の水辺にやっと鴎の群れを見付けました。セグロカモメ、オオセグロカモメ
ユリカモメ、カモメ、シロカモメ、ウミネコが混じっています。





 風も強いし、鳥も少ないので14時に切り上げました。それでも種類だけは54種
となりました。常連のカワセミも出ませんでした。冬鳥は、この処の暖かさで北へ向
かったり高地へ上がって行ったのでしょう。来月も少ないと思いますが夏鳥がシギ・
チドリを主体に訪れ、コアジサシが飛び交うのも間近で楽しくなります。

ホシガラス横浜のこども自然公園へ行く

2011-02-26 12:11:48 | Weblog
 2月25日  気温は20℃で春一番が吹いた日、横浜市旭区の、こども自然公園
       へ出掛けました。ここは自然公園と言われるように適当な起伏も有り
       子供ばかりでなく大人も楽しめる公園でバードウォッチングの場所です。

 相模鉄道の南万騎が原駅に9時半集合で男女8名が参加しました。
 駅から10分程歩くと公園になります。今日は風が強いです。
 予報では20℃になると報じられていますので薄着で出掛けました。

 園内に入り間もなくコケラ、ヤマガラの声がします。見ると目の前でコゲラが幹を
叩いています。風が有るので耳の後ろの赤色が見えないか期待しましたが駄目でした。





 無心に幹を叩きます。虫は出て来ないようです。

 エナガが巣材を集めに来ました。口いっぱいに苔を銜えています。一生懸命、巣材を
集めて自分では理想的な新居をつくり、お嫁さんを迎えるのでしょう。



 マヒワもやって来ました。♂♀の混群?ですが3羽だけでした。
 写真は♀しか撮れませんでした。最近、目が悪くて他の人が居る居ると言っても暗い
と判らず悔しい限りです。



 天気が良いので幼稚園の遠足にも出逢えました。賑やかなことです。



 公園には池が有り、キンクロハジロを主体にマガモも一羽だけ泳いでいます。



 散歩に来た人がパン屑などを与えるので人が池に近づくと餌が貰えると思い
寄って来ます。我々が何も与えないと判ると、詰まらない!!と言わんばかりに
冷たく去って行きます。
 野鳥は人に頼ってはいけません。野鳥は野に有る物で生きて行くべきです。
 
 人間が可愛いと思って人工物を与えると動物の身体に良くない成分が入って
いて長い間には思わぬ弊害となります。特にポップコーンやえびせんなどは油
を使っていますので鳥の身体には良い事は有りません。

 猫柳は穂を出しています。



 暖かい陽を浴びて、ミシシッピーアカミミガメが小さな石の上で休んでいます。
 この亀たちも無責任に輸入して売られたものが、飼育に飽きたのか飼えなくな
ったのか、これ又無責任に放されて外来種でも生命力が強いので忽ちの内に各地
で繁殖し日本の古来種を駆逐し生態系を乱しています。



 急に暖かくなったので、ルリタテハも飛び周ります。



 梅も白・赤とも綺麗に咲いていました。





 松林ではキクイタダキの金属的な細い声が聴かれますが、高い梢なのと忙しなく
動き回るのでなかなか見られません。暫く眺めていましたが、ちらりと見えただけ
でした。

 マンサクも咲き出しました。



 シロハラがやって来ました。





 ツグミが居ませんねーと言っていると、やっと現れました。



 風が強いので梢は絶えず激しく揺れていますので、鳥達もゆっくり止まっていられ
ません。

 それに個体も少ないです。ここで見られるカケスやカワラヒワも今日は出て
来ません。コジュケイも一度、さーっと道路を横切っただけでした。

 再び池に戻りました。キンクロハジロの繁殖羽が目立つようになりました。

 間もなく、あらゆる生物が躍動する春が来ます。秋の物寂しさも生命の大切さ
を感じさせますが春は春で希望を感じ年齢を忘れさせて呉れます。



 10時少し前から歩き始め、14時に見るべき場所は全部見たので恒例の鳥合わせ
をしますと、普通種23種だけでした。

 汗ばむ程の陽気でした。それでも楽しく過ごしました。


葛西臨海公園へ行くホシガラス

2011-02-20 19:03:53 | Weblog

 2月20日  今の日本の現状と同じ暗い夜明けの日です。

 日本の現在・将来を決める大事な政治の世界は混沌として先の見通しも立ちません。
 そんな政治家を選んだのは日本の国民とは言うものの時代の流れは短期間で動かせる
ものでは有りません。
 戦後60年の政治は或る面では大きな成果を挙げて来ましたが、最初の戦後20年は
復興と言う目的に向かって政治家も国民の殆ども真剣に努力して来ました。
 
 その成果で日本は世界の一流国にまで立ち上がりました。然し、その間に大事な教育
が疎かになったきらいが有ります。復興と言う大義名分に紛れて人間性が喪失し経済優先
となり、心より金の世界に移行し個人主義が優先し協調性は何処へやらで日本古来の家族
主義は崩壊し老幼の秩序まで失われてしまいました。

 その時代に育ち、成長して来た人達が今の日本をリードしている為に温故知新の反省
も無く、政党は国の為、国民の為より自党の事しか考えない貧しい政治感覚で単に議事
堂の中をうろうろしているだけの存在になり果てています。

 これでは日本は良くなりません。それでも国民の多くは他の貧困国とは比較にならな
い裕福な生活が出来るので政治には全くの無関心て゜マスコミの面白おかしさだけの安易
な記事を受け入れてその日その日を刹那的に送っているだけになっています。

 これから日本はどうなるのでしょうか?私は個人的には日本は後、50年で過去の存在
になると思っています。これが本当に杞憂である事を願っています。

 いろいろと考えると憂鬱になりますので今日は気晴らしに曇り空を気にしながら出掛け
ました。

 以前から関東では珍鳥となるムクドリ科のギンムクドリが飛来しているとの情報を聴き
東京都の最東部に位置する都立葛西臨海公園へ出掛けました。
 参加者は寒い曇り空にも拘わらず18人にもなりました。大人の集団でも団体行事とも
なると一応は責任者として絶えず人数の把握に気を使い疲れます。

 さて、目的の珍鳥ギンムクドリがまだ滞在しているか心配でしたが意外と簡単に出て
呉れました。普通のムクドリの群れの中に唯の一羽で一緒に飛び回り餌を漁っていました。

 大きさはムクドリと同じ、体長24Cmでやや白っぽい感じです。
 中国からモンゴル地方にかけて棲息し日本では主に沖縄で見かけます。
 私も西表島で電線に並んでいる姿を見ています。

 暫くその姿をご覧下さい。







 赤い脚、赤い嘴、愛くるしい目をしています。曇天の下では撮影条件は良く有りません。







 スズメとも仲良くしています。



 やがて仲間と一緒に飛び立ちました。





 目を転ずると入り江の向こうのディズニーランドの火山が噴火していました。白い煙
が上がった後で火が噴き出しました。



 海にはヒドリガモの群れが泳いでいます。



 ノスリがアズマヒキガエルを捉まえました。画面の右下に可哀想な蛙が見えます。



 脚でしっかり捉まえています。蛙のお腹が見えます。





 人口干潟へ行く途中でオオバン三羽が水溜まりで遊んでいました。



 東京湾には無数のスズガモが浮いていましたが、何かに驚いたのか時折の運動なのか
一斉に飛び立ちました。その数、何万羽でしょうか?まさに空を覆うようです。



 枯れ木の枝にシメが止まっていました。番いのようです。





 14時を過ぎて今にも降り出しそうな空模様になって来ましたので鳥合わせをして
解散しました。

 本日、見聞きした鳥は特筆するギンムクドリと共に51種となりました。

ホシガラスの世界にも雪が降りました。

2011-02-15 13:29:12 | Weblog
 2月15日 

 毎年、この時期になりますと雪が降ります。昨年も今頃少し降りました。

 湘南地区は寒の最中は晴天続きで、からから天気になる事が多く豪雪地帯から
は羨ましがられますが節分が来て立春を過ぎると時々雪が降ります。

 豪雪地帯から見ると、おもちゃ見たいな雪ですが滅多に降らないので一旦降ると
大事件です。

 14日の午後から雨になり夕方からは気温が下がり雪に変じました。
 雪は総ての音を吸い取ります。
 静かな夜に深々と降る中を何か魔物が蠢き、何処からともなく雪女が長い黒髪を
なびかせ、白い着物に赤い帯を締め素足に草履を履き駆け抜けて行くようです。
 昨夜も駆け抜けて行ったのでは無いでしょうか。

 朝、外を見ると白い世界でした。



 サンルームの屋根にも残っていました。



 北側の玄関の外には、びしょびしょ雪が溜まっていました。



 兎に角ニュースです。

 午前中の体操教室は足場が悪く欠席の人も出る程でした。それでも13人が
集まり無事に午前中を過ごしました。

 体操の先生から唯一のバレンタインチョコレートを頂きました。
 一日遅れぐらい関係ありません。嬉しいことです。何しろたった一つですから。

 夜は日本書紀の講座です。

ホシガラス品川宿を歩く その2

2011-02-14 19:29:23 | Weblog
 2月13日  風も無く快晴で抜けるような青空ですが、日陰に入ると冷たく感じ
ます。大陽さんの偉力は大変なものです。

 目黒川を渡ると北品川です。川沿いに荏原神社が祀られています。
 被寒桜とも寒緋桜とも言われる沖縄産の桜が満開でした。我が家にも同じ桜が有り
ますが蕾が大分膨らんでいるものの、まだ咲いていません。

 兎に角、咲いている花は美しいものです。人々の心を和らげます。美しい事は美徳
です。





 花の中でヒヨドリとメジロが花蜜を吸っていました。

 ここには立派な狛犬が神様を守っていました。阿の形です。



 これは、吽の形です。



 北品川の商店街に入ります。偶然に知人の家を見付けました。面白いものです。



 寄木神社に寄りました。このお寺は左官の名工伊豆長八(1815-1889)
が左官の鏝で書いた絵が有るとのことでしたが、戸が閉まっていて見られません
でした。お寺の様子だけです。



 品川宿の中心となる本陣跡は現在、聖蹟公園になっています。歌川広重描く
品川日の出がプレートになって園内に展示されていました。





 本陣跡を後にして北品川商店街を歩きます。日曜日でもあってお休みの店
ばかりです。
 おばあちゃんの店が有ったと思っていると今度は、またあした と言う店
がありました。いかにも下町の雰囲気です。人情を感じます。



 江戸時代に三大怪獣?が外国から輸入されたり、陸揚げされたりしました。
 輸入されたものは、麒麟と駱駝ですが国産では台風の末、打ち上げられた鯨です。
 この鯨は1798年(寛政10年)の5月1日の暴風雨で江戸湾に迷い込んだ
ものを品川の漁師が捕獲したが、何しろ体長16,5m 体高1,8mと巨大な
身体でした。品川沖300mの処に繋留され多くの見物人が舟で訪れたそうです。
 又、この鯨に縄をかけ濱離宮まで連れて行き時の将軍、家斉に上覧させたりした
ものの、元々生きた状態で無かったようで次第に腐り始めたので解体して法要した
とのことです。
 そして、ここに鯨塚を作り供養したとのことです。利田神社は、かがたじんじや
と読むとのことです。





 鯨塚の中には鯨ならぬ金魚が泳いでいました。
 
 傍の利田神社は、この鯨とは関係無いようです。以前は目黒川の河口に祀られて
いた弁天様でしたが明治になってから、この地に移され現在の名になったとのこと
です。



 漁船や釣り船の並ぶ運河の傍を歩いて行くと珍しい光景に出逢いました。

 前景が大正時代の木造建物で、その後ろが昭和時代に建てられた低層のビル、
更に奧に平成の高層のビル群と三時代の建物が一望出来ます。



 品川八つ山坂の手前では嘗て妓楼であった、土蔵相模と通称された相模屋跡が
あります。高杉晋作、伊藤博文などの長州勢や水戸浪士の溜まり場となっていた
店でしたが昭和57年に取り壊されて今では、その面影は完全に消え去りました。





 殆どがマンションになり一階はコンビニエンスストアに様変わりしていました。

 八つ山坂には五十三次の石碑が並んでいました。お江戸日本橋から大津まで
五十三次を90秒で踏破しました。新幹線よりもジェット機よりも早く駆け抜け
ました。気分良いことです。



 品川宿の碑もありました。昔、江戸の庶民はお伊勢詣りと京見物が最高の娯楽
として一生に一度の楽しみにしていました。働いて働いて溜めたお金で、やっと
町内の人たちに見送られて晴れ晴れとして旅立ちしたものの品川宿の飯盛り女の
甘言に誘われて居続けしたあげく、旅金の大半を遣い果たし品川から先に行けず
恥ずかしくて暗くなってから、こそこそと帰って来た例は数限りなくあったそう
です。何とも平和な時代でした。



 本日の最終目的地である、八つ山坂まで到達しましたので引き返して東品川の
観光交流館で昼食休憩となりました。そして今日の目玉である1.2月限定の大森
海苔を皆さんで頂きました。

 昼食後は13時45分頃から有志で品川神社に参拝しました。





 ここにも立派な狛犬が神社を守っていますが、この狛犬は頭に灯りをつけて
燈台の役目もしたとのことです。



 傍に紅梅が匂っていました。



 拝殿の右を下っていくと、お稲荷さんがありました。



 境内には富士塚も有り、山頂まで踏破?しました。これも一分とはかかりません。



 おりしも、てづくり市が開催されていて、地元の人たちがそれぞれに手作りの
品を持ち寄って販売していました。



 昼食後は総てオプションでしたが、品川神社後もオプションで、更に細川家の
墓所と仙台坂にある山内容堂の墓所も見学することになりました。
 次第に参加者が減って来ました。

 細川家の墓所は壮大な規模で、三代目以降の墓が並んでいました。
 最近の方の墓は流石に小規模になっていました。



 ここは京急線新馬場駅に近いので、ここでまた帰る人が出て更に少なくなりましたが
山内家の墓所へ向かいました。
 そこは大井公園に隣接してありました。



 山内容堂の墓は一見、天皇陵の形にみえました。墓標の傍に陵のように土が盛られて
います。



 家族の墓も同じ様式です。



 墓所へは崩れそうな、そして急な石段を上り下りします。



 京急線鮫洲駅の近くなので、そこから帰ることになりました。16時に近く
なっていました。

 今日は好天の下、江戸の昔を偲び東海道のほんの一部ですが歩き、とにもかくにも
五十三次を踏破し、それに富士山にも登る事が出来、満足な一日でした。

 家の近くでは夕陽に映える富士山がうっすらと見えました。



 17時過ぎ大陽が沈む時間となっていました。




 2月14日  昨日とは打って変わって曇り空の夜明けです。

 午前中は何とか陽も射しましたが午後からは雨となりました。

 午前中は市民講座で、鎌倉の神奈川近代美術館の話を聴きました。

 鎌倉の近代美術館は日本で最初の本格的な美術館とのことです。
 1951年に開館するまで、コレクションを持った美術館は国立以外は全部
貸し画廊的な美術館でした。
 国立は有名画家や美術家の作品を買い上げるだけで企画展示の意思を持たず
館長は天下りで、唯その職に座っているだけの存在だったようです。

 鎌倉の美術館にはイサム・ノグチの優れた作品が有り何時でも見られるので
そのうちに行って見ようと思っています。