はじめまして

今回、新しくブログを開設しました。

漸く秋の訪れを感じるホシガラス

2010-09-27 10:18:43 | Weblog
 9月24日  今年は秋が来ないかと案じていましたが、漸く涼しい風が吹いて
秋の訪れを感じるようになりました。
 勝手なもので、こうなるとあの暑さが懐かしくなって来ます。本当に喉元過ぎれば
熱さを忘れるです。
 外出には上衣が必要になりました。秋支度で鎌倉芸術館での演劇鑑賞会の企画説明会
へ出掛けました。
 2010年の感想と、2011年の企画説明です。来年も楽しみな演劇が企画されて
います。感想の始めに指名されてしまいました。大要は機関誌に書いた通りで、それに
沿って述べておきました。

 2011年の中では文学座の、長崎ぶらぶら節が期待です。

 9月25日  台風12号が過ぎ去って正に台風一過、秋の日射しが眩しいくらいです。

 午前中は、吹き矢です。最初に10mで35点の満点が出て嬉しくなりました。
 その後も順調で、4段の合格点をクリアーしましたが、まだまだです。

 午後は昨日も行った芸術館で開催される、フラダンスの発表会を見学します。
 第54回鎌倉文化祭協賛とのことです。
 ハワイアン音楽もホシガラスの趣味のひとつです。CDだけでも50枚ほど
コレクションしています。
 暑い夏には納涼に、ゆったりと聴いています。至福の時間です。
 それでもハワイには行きたいと思いません。

 或る教室の発表会なので、上手下手が有ります。中には目を覆いたくなるような
演者もいました。気の毒に思います。13のクラスが出演しました。




 フラダンスは手と指の滑らかな動きと腰が大事です。この点、日本の地唄舞の手指
の動きに似ているように思います。踊りはいずれも、身体の動きで物語りを美しく表現
するものです。これが観客に判るように又、観客もそれが理解出来るようでなければ
踊りの鑑賞にならないと思います。
 14時半開演で休憩を挟んで30曲が演じられ、17時近くに終わりました。

 まずまず楽しい半日でした。

 9月26日 今日も秋晴れです。鷹の渡りの季節です。グループで三浦半島中部の
湘南国際村へ出掛けました。

 ここは嘗ては、子安の里として自然豊かな里山が展開していた場所です。
 我々ネイチャー派の反対が退けられ1989年から開発され1994年に25億円
かけた会議場を含むセンターのオープンと同時に国際村としてオープンしました。
 総面積は188.3haで、センターの他には住宅街も拡がっています。

 その中の小高い200m程の丘に登って観察しました。
 途中でカヤキリを見付けました。♀でした。



 アキアカネでしょうか?道路の水溜まりで産卵しています。





 遠くに相模湾と佐島の岬が遠望されます。



 東に標高241mの大楠山が見えます。



 10時半頃、カラスが騒ぎます。見るとハチクマ(体長57~61Cm 翼開長
121~135Cm)がモミングされています。











 肝腎のサシバは、さっぱり現れません。江ノ島方面を眺めます。



 今日は海も静かで、相模湾には多数のヨットが浮かんでいました。
 11時半頃、観察場所から降りました。途中の草にはササダニが居るので気を付けます。
 下で見ているとサシバが現れました。とても高くて写真にはなりませんでした。
 スコープや双眼鏡で見ると13羽でした。

 上空に雲が出て来ましたので13時頃、一応引き揚げました。
 アカボシゴマダラが止まっていました。



 午前中、観察していた丘です。高さ200mぐらいですが急傾斜を登りました。



 近くに、鎌倉・三浦古木50選に選ばれているタブノキが有るので見に行きました。
 遠くからでも樹冠が見えます。



 近くに行くと余りの大きさで200mmのレンズではどんなに離れても入れません。
 樹肌からご想像下さい。





 近くにヒガンバナが楚々として咲いていました。



 秋です。名前の判らないキノコも出ていました。直径13Cmぐらい有りました。



 マヒワが大好きな、オオバヤシャブシは大きな実を付けています。



 今日の見聞きした鳥は17種となりましたが、半分くらいしか確認していませんでした。

 鷹の渡りは、前日の天候と当日の風向きと天候が大きな要因になりますので難しい
です。この辺りのベスト条件は前日・前々日が雨降りで、当日快晴となり東風で上昇
気流が発生する日となります。条件に合った日に遭うのは大変です。

 それでも楽しい一日でした。



ホシガラスの俳句探鳥会

2010-09-23 21:11:00 | Weblog
 9月23日  台風12号は遠い小笠原諸島の更に南に有りますが、その影響でしょうか
予報では朝からの雨が予報されていました。

 所属している鳥の会が一年に数回催す鳥を見て俳句を詠むと言う優雅な会の日です。
 特に雨天決行とは報じられていませんが、句会はインドアなので出掛けました。
 これまでも雨の中を歩き、傘越しに鳥を探してから句会に臨みましたので今日も、その
つもりで参加を予定していました。所が結果的には午前中、遂に雨に遭いませんでした。
 
 場所は三浦半島の中央部、葉山上山口の谷戸です。9時にJR逗子駅集合なので間に合う
ように家を出ました。鎌倉駅で同じく参加される俳句の先輩女史に遭いご一緒しました。

 逗子駅には既に本日の幹事役の方が待っていました。
 9時12分のバスで、上山口小学校下車、それから谷戸に入ります。
 早速、モズの♀がヒマラヤスギの頂で高鳴きしています。ちょろちょろ流れる川では
ハクセキレイが飛んで行きます。高い屋根にイソヒヨドリの♂が止まっていました。
 今年はヒガンバナの開花が遅いようです。暑かった夏の影響でしょうか?
 ムクゲの花は満開です。



 谷戸に入る前にお師匠さんが、山の学校とモズの高鳴きで既に句材が出来てますと教えて
下さいました。成る程これで12文字なので後、5文字を考えれば良いことになります。
 やがて、谷戸に入りました。



 小さな土手にヤブツルアズキの黄色い花が慎ましく咲いていました。マメ科ササゲ属だ
そうです。



 湿地にはガマの穂が色づいていました。



 曼珠沙華も、所々に咲いていました。今日9月23日の誕生日の花はマンジュシヤゲ
と朝のラジオで言っていました。



 小さな畑にはシソが群れています。花穂の先を少しつまんで嗅ぐと良い香りです。
 先日も、吹き矢の会員の方が皆さんへとどっさり持って来られましたが良い香りで
刺身のツマから、お刺身そして更に一杯と連想が広まりました。



 谷戸歩きですが、鳥の姿はさっぱりです。花と虫に目が行きます。
 別の場所でのヒガンバナです。



 コガネグモが網にかかった蝗らしき虫を食べると言うより体液を吸っていました。



 集落に戻ると、酔芙蓉が少しピンクになっていました。まだ、ほろ酔いのようです。



 先ほどの川に戻るとキセキレイもいました。見聞きした鳥は13種だけでした。
 バスで葉山小学校へ戻り、葉山町の集会所で午後から句会に入りました。
 参加者13人で3句づつ投句し5句を選び、最後に師匠さんの講評を頂きます。
 女性6名、男性6名にお師匠さんとで13名と良いバランスです。



 私は、

 谷戸の径 秋呼ぶ風の さわさわと   4点句  ぐらいで後の2句は不振でした。

 終わってから有志で反省会をして(さっぱり反省にはなりませんでしたが)解散
しました。楽しい一日でした。



ホシガラス東海道のほんの一部を歩く

2010-09-22 14:22:09 | Weblog
 9月19日 又、暑さが戻ったと言うより延々と続いている感じです。

 東海道のうち、神奈川県内だけ歩くと言う会があり、興味深く手頃でもあるので
参加しました。今日の行程は藤沢宿から平塚までとの事で暑さにもめげず出掛けま
した。午前9時に藤沢駅北口に集合して出掛けました。
 初参加でしたが、知り合いが三人いるので心強いことです。
 出発前の準備体操です。これが肝腎な事でお陰で一日疲れずに済みました。



 9時20分、出発です。まずは藤沢宿です。馴染みの場所で遊行寺付近が火災の多
かった江戸時代の防火対策としての広小路が設けられた所とリーダーの方が説明され
ました。



 近くには現在は紙問屋になっていますが、宿場の一つとして藤沢市の史跡とされて
います。昔話のある町とされています。事実、藤沢にも茅ヶ崎にも多くの民話が伝え
られています。今日は嘗て遊郭の有った町筋は通りませんでした。



 やがて本町の常光寺に詣ります。ここには神奈川名木100選に選ばれる大きな
カヤの木が有りました。樹齢700年との事です。





 白籏神社を望む交差点の近くに義経の首を洗ったとされる井戸が史跡として残って
います。暑い時期に奥州平泉から何日もかけて運ばれて来た義経の首が正しいものか
甚だ疑問ですが、それを腰越の海岸に捨てられ波によって打ち上げられ更に川を遡って
この地まで辿り着いたとは、川筋から見ても到底納得出来るものでは有りませんが、
ここにも義経善人説が現れている事は面白い事です。





 間もなく交差点から白籏神社が見えてきます。前方のこんもりした森が神社です。



 建久9年(1198年)相模の国一之宮寒川神社の御分霊として勧進され、後に宝治
3年(1249年)義経が祭神に加えられたとのことです。

 県道44号線沿いに小さなお地蔵さんが有りました。女性の願い事なら何でも聞いて
下さると言う、おしゃれ地蔵です。





 時折、涼しい風が吹きますが暑い日射しの下をひたすら歩きます。



 藤沢宿から約一里の地点に右 大山 左 東海道 となる別れ道があります。



 江戸時代の庶民が楽しみの一つとして又、信仰の対象として大山詣でが盛んに行われ
たようです。落語にも大山詣りが有ります。
 近くに東海道と大山道が交差する四ッ谷辻に不動尊を祀る不動堂がありました。



 間もなく一里塚です。



 良く判りませんが庚申塔と二つ家稲荷です。





 歩き始めてから一時間半、11時に藤沢市を抜け茅ヶ崎市にはいりました。



 振り返ると当然のことながら藤沢市です。



 茅ヶ崎市に入って間もなく、ここにも神奈川名木100選の大きなタブノキが
有りました。然し、ここは個人の家の中なのでリーダーさんが交渉して邸内に入れて
頂き間近に見学する事が出来ました。樹齢500年とのことです。





 通りに出ても亭々と聳えています。



 水嶋家はこの付近では由緒ある旧家のようで家紋の入った立派な門構えです。



 上正寺の木陰で小休止です。



 近くに牡丹餅茶屋の旧跡が看板だけ建てられていました。茶屋は跡形も有りません。



 東海道の松並木は自動車が通る事で、その排気ガスと虫害で殆ど無くなっていますが
茅ヶ崎市には一部残っていました。海岸性のクロマツだけにアカマツよりは少し強いよう
です。







 嘗ては、このような松並木が延々として続き、その下を草鞋に振り分け荷物を
背負った旅人がいろいろな思いを抱きながら京へ江戸へと急いだ事でしょうが、
今ではその面影を偲ぶ縁は全く見られません。

 以前、スポーツ吹き矢第三回湘南オープンの会場となったTotoの工場がちらりと
見えて来ました。

 藤沢宿から一里でここにも一里塚が有りました。



 江戸時代に徳川幕府がお江戸日本橋を起点に東海道を一里ごとに道標を設置し、
この茅ヶ崎の一里塚は江戸から14番目になるとのことです。56Kmになります。
 昔の飛脚なら一日の行程でしょうか?マラソンより少し長い距離になりますので
その日の内に大礒ぐらいまで走ったかも知れません。

 暑い最中なので休憩と水分補給に留意したので予定より遅く12時25分に昼食
の場所にしていた茅ヶ崎中央公園に着きました。やれやれです。



 13時まで思い思いの涼しそうな場所で休み、お昼にしました。

 13時、出発前に準備体操をします。平塚まで後7Kmです。



 午後は先ず、鶴峯八幡宮に寄り、ここでも神奈川名木100選の大銀杏を見ます。
 参道は長い道でした。





 八幡太郎義家が奥州征伐前九年の役に戦勝祈願として植えたとされていますので
1062年の事になります。948年になりますが本当でしょうか?
 鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の大銀杏が今年の春に倒れましたが、それすら700年と言われ
ています。銀杏は丈夫な木とされていますが1000年も生きるとは鶴か亀並みです。
 それでも言い伝えは大きければ大きい方が良いし、珍しければ珍しい程貴重なので
逆らわず信ずる事にします。



 鶴峯八幡宮の参道を戻り、大鳥居の手前の民家の庭に弁慶塚が有りました。
 頼朝は猜疑心の強い人間で義経め・弁慶に対して冷たい処遇をし、最後には藤原家の
お家騒動を利用して殺したものの、少しは良心の呵責に攻められてもいたのでしょう。
 川崎の領主、稲毛三郎が亡妻の冥福を祈って相模川に橋を架け、その渡り初めに
頼朝が来てその帰りに平家とも義経・行家とも言われる亡霊が現れ、その為に頼朝の
馬が棒立ちとなり頼朝が落馬し、それが元で翌年頼朝が死ぬ羽目になりました。

 ここの里人は頼朝の死より義経・弁慶を悼み弁慶塚を作ったと言われています。
 この辺りも義経善人説になります。
 頼朝の馬は、相模川に落ちたのでそれからこの川が馬入川とも言われるように
なったとの事です。





 やがて冬に良く通る千の川の橋に出ました。何時も見る大鳥居が鶴峯八幡宮の入口
と改めて認識しました。



 ここから北西に進みますので、この辺りでは富士山が左に見える事から南湖の左富士
と言われます。
 左富士は、もう一カ所静岡県の吉原にもあります。

 小出川は冬になると鴨類が集まり探鳥地となりますが、今日は皆無でした。

 相模川を渡ると今月3日に第八回スポーツ吹き矢湘南オープンの会場になった平塚
アリーナが見えて来ました。



 相模川では馬入の渡し跡を見ました。最近は総て跡しか残っていません。寂しい
ことです。昔の良い事も少しは残して貰いたいものです。



 平塚市は茅ヶ崎市から相模川を渡る少し手前から始まります。いよいよ最終点に近く
なりました。
 相模川の近くに丁髷塚がありました。

 1838年、国府祭の夕暮れ東海道を帰る途中の寒川神社の御輿を担ぐ若者と
平塚八幡宮の御輿を担ぐ馬入村の若者が、些細な事から喧嘩になり双方に多数のけが人
が出ました。怪我人だけでなく馬入村の若者が寒川神社の御輿を相模川の深瀬に投げ
こんでしまいました。
 時の代官である江川太郎左右衛門の厳しい取り調べで、下手人16人に打ち首を
命じましたが処刑の日に丁髷だけを切り落とし打ち首に替えたとのことで、その
丁髷を埋めて塚を建てた所を丁髷塚として今に伝わっています。





 かくして15時半頃、平塚駅前に無事到着しました。
 ここでも柔軟体操で今日一日の疲れをほぐしました。
 解散後は早速、駅ビルのラスカでビールを飲み乾杯しました。
 距離は約15Kmとのこと。帰宅してから見た万歩計は30188歩となっていました。

 目出度し目出度しの一日でした。来月は平塚から二宮の予定ですが折悪しく酒匂川
の定例探鳥会の為、不参となります。再来月の二宮ーー鴨宮は何とかして参加したいと
思っています。

 9月20日  お彼岸の入りです。田端の亡妻と両親の墓参をし、柏の亡妻の母親
の墓参と梯子しました。
 昨日の体操のお陰で、まるっきり足腰の痛みや疲れはありません。

 9月21日  午前中は体操教室です。午後、早めに出て藤沢へ行き買い物をしてか
ら鎌倉へ出て日本書紀の講座受講と思っていましたが、財布の中に入っている筈の
JCBとスイカが一緒のカードが有りません。きっと昨日着ていったシャツのポケット
とは思いますが気になるので一旦帰宅しました。矢張りクリーニングに出そうとして
投げてあるシャツの中に有りました。飛んだドジです。

 9月22日  天気予報は暑さも今日までと報じていますが、信用しても良いので
しょうか?今まで何回も騙されて来ました今年の暑さです。

 午前中は吹き矢に励みましたが汗だくでした。明日は彼岸の中日です。家の近辺の
曼珠沙華も今年は少なめです。

 今回のメインテーマは東海道歩きなので、この辺で終わります。

 読んで頂いた方には心から御礼申し上げます。



 


 

ホシガラスの9月第3週

2010-09-20 18:17:07 | Weblog
9月13日
 
 夕方、平家物語の講座に出席します。
 平家の総大将であった平宗盛が鎌倉まで連れて来られ頼朝には御簾越しに面接し、話は
比企義員を通じての会話だけで再び京都へ送られる事になり、その護衛は義経が命じられ
宗盛親子と共に東海道を上って行きました。
 宗盛は武士らしからぬ心根で何時斬られるか、びくびくしながら道中を続けましたが
子の右衛門督と共に近江篠原で遂に斬られ、その首は京都に曝されたとの事です。
 義経が付き添った事も景時の讒言によるもので、頼朝・景時ともども早く義経を鎌倉
近辺から追い出したかったのでしょう。

 義経の若さ故の軽挙もあったのでしょうが、この時代の武士に於ける親子親族関係の
何と希薄で命の儚いものであった事を物語っています。
 次ぎも重衛が斬られる条で、後味の良くない話が続きます。

 義経伝説は東北から北海道にかけて多数有りますが、それだけ義経ファンが沢山居た
事になります。この元は室町時代初期に書かれた義経記(ぎけいき)によります。
 人間的には冷酷な頼朝より遙かに温かみのある人だったのでしょう。

 9月14日  

 少し涼しくなったのでグラゥンドゴルフに出掛けました。9ラウンドなので5Km
近く歩いた事になります。結構な運動です。
 
 民主党の代表が従来通り、菅氏に決まりました。このような時代に何故代表者選挙
までして争わなければならないのか不思議に思います。

 夜は日本書紀の講座です。これまで朝鮮との交流の話ばかりで余り面白くなかった
のですが、蘇我氏と物部氏との争いの始まりに入りました。
 仏教が朝鮮から伝来し天皇家も神を祀りながらも仏教を信じはじめた事により疫病
が蔓延し大きな問題となりました。

 9月15日

 午前中はスポーツ吹き矢です。スコアは良く有りませんが珍しく23.27.27.
27.27.27と同じスコアが5回も続きました。

 午後は句会です。5句の中で3句が選ばれただけで終わりました。
 毎日の事ながら平凡な一日でした。

 9月16日 夜来の雨が殆ど一日中降り続き涼しくなりました。

 パリの娘に送ったEMS便が未だに着かないので郵便局に調べて貰いました。
 8月23日に発送し娘の所には26日に着いたのですが日中は不在勝ちの為、
受け取れず、日本と違って不在票をポストに入れていって呉れるサーヴィスは
フランスには無いので、その後何度か配達されたようですが受け取れずにいた
ようでした。普通便の方が簡単にポストに入れられるので善し悪しです。
 そのようなきめ細かいサーヴィスは日本の特技のように感じられます。

 9月17日   涼しい日ですがまだ半袖で出掛けます。

 東京へ行き、まずは目白で鳥切手の仕入れの後、時間があるので久しぶりに上野で
降りて科学博物館の哺乳類展を見学しました。
 5000万年も前の気の遠くなるような時代から、海から陸に揚がった鯨を主にした
哺乳類、また陸から海へ潜った哺乳類の進化の過程が面白く展示されていました。

 今日のメインは東京落語会です。今日の師匠は余り好みの方はいませんでした。
 中トリは円楽で人情噺の鼠穴を五代目張りの口調で演じましたが新鮮みに欠けていた
感じです。
 中入り後のハナは、志らく師匠の新作とも言える鉄拐でしたが、これも談志張りでした。
 トリは可楽師匠の、らくだ でした。最近この、らくだ に凝っていて今日も上方落語
の らくだ のCDを買いました。時間の関係で途中少し端折りましたが最後のオチまで
語って呉れたのは嬉しく思いました。可楽師匠は74歳なのに随分高齢に見えました。
 足腰が不自由なのか珍しく前後に緞帳が下りました。

 いつもの恒例で友人と食事をして、0時25分の終バスに何とか間に合い無事に帰宅
しました。

 9月18日  暑くなりました。午前中は近くの集会所で吹き矢をして、早めに失礼し
町内有志の集まりに参加しました。

 この日は鎌倉坂の下で毎年行われる面掛け行列が有りますので出掛けました。

 神社へ行く途中に酔芙蓉が咲いていました。



神社の拝殿には山頭火の俳句が飾れていました。成る程です。



 お祭りは12時から始まっていましたが既にお神楽は大変な人垣で観られませんので、ひたすら14時半からの面掛け行列に絞りました。
 境内の銀杏には、ぎんなんが生っていました。



独特の幟です。




  参道ではお囃子さんが見事に演じています。参道は大変な人出です。





 14時50分頃になって漸く行列が参道から通りに出てきました。先ず西へ向かいます。女の子の先導です。



 お囃子の山車は小さな男の子が曳きます。



 ぴーひゃらどんどん、お囃子が行きます。


 子供達が一生懸命引っ張ります。



 幼い児は引っ張るより触っているだけですが気分は上々です。



犬も豆絞りの鉢巻ならぬ首輪で参加 します。



 いよいよ面掛けの登場です。
 まずは天狗面を被ったサルタヒコの神です。



 次々と子供達を先導に行列が続きます。



 次が獅子頭二頭で、面を被らず枠だけを担ぎます。



それから色々と面が続きます。















本日の主役とも言うべき、孕みっとの登場ですが、守護する取り上げ役です。



孕みっとのお腹に触ると安産すると言われるので触る人もいます。





 どの列も子供達が先導します。



 宝剣と神社の宝物も捧げて行進します。



 西から東に進んでいますので、写しにくいことです。
 こども太鼓も通ります。先刻最先頭のお姉さんが東から戻って来て見守っています。



 一台だけの御神輿が通ります。 一応、担いでいますが行列の時は車に載せて進みます。



 車に乗ったお囃子です。



 西日を受けてサルタヒコの神が戻って来ました。



 女性の関係者は水色の裃を着ています。



 面掛け行列の面々が揃います。



























 孕みっとと、それを守る取り上げ婆さんならぬ女性です。







 東へ向かった行列が戻って来ます。笙篳篥を厳かに演奏します。







 東へ向かっていた行列が神社へ戻って行きます。



 御神輿は参道に入ると車付きの台座から外され担ぎます。



 参道には江ノ電が走っています。極楽寺のトンネルから出た
江ノ電です。


神社に入る御神輿。



 神社の境内では女性も担ぎ手に参加します。



 お囃子はまだ続いています。陰で孕みっとを演じた男性が休んでいます。



 行列の最後の福禄寿は外人さんでした。可愛い子供さんと。


 約一時間に亘ったイヴェントが15時50分に終了しました。
 幟が西日を受けてはためいていました。



 鎌倉坂の下御霊神社の面掛け行列は別に孕みっと祭とも言われるお祭りです。面を被る家筋は嘗ては、面ごとに決まっていたが最近は人手不足のせいか有志に依っています。
 御霊神社では五穀豊穣を祈念して湯花神楽を奉納しています。
 行列に使われる、お面は境内の嘗て国木田独歩が下宿していた辺りに蔵が造られ保管されているとのことです。

 一説によると源頼朝は当時の武将に違わず本妻以外に夫人を抱えていたが、
妻 政子の手前か醜い女を好んだとの事で、面掛け行列の元になったのも頼朝が指名した頭(現在の警視総監)の娘を懐妊させた事により、その償いの為に、この行列行事が始まったとも言われています。

 何れにしても他所では観られない希祭です。毎年9月18日に行われます。


















 







残暑の中のホシガラス

2010-09-13 10:30:22 | Weblog
 世の中は残暑と言っていますが、真夏の気候です。何時まで続くのやら老体が持つのか
不安になります。

 9月9日 少し涼しい感じなのでグラゥンドゴルフに出掛けました。風はあるものの
矢張り汗びっしょりです。着て行った衣類全部を洗濯です。
 午後はシャワーを浴びて家の中で最近読み始めました、浅田次郎の【終わらざる夏】の
上巻を読み終えます。下巻とも900頁近い大作です。
 第二次世界大戦末期の軍の作戦計画とずさんな配置、それに伴って一般国民がどんな
思いで戦場に駆り出されて行ったかと言う国民の側に立っての心情を小説にした作品です。
 1951年の生まれの所謂、戦争を知らない作者が良くもここまで調べて書けたと感心
する作品です。作者は嘗て自衛隊に居たことがあると仄聞していますので或る程度は納得
です。

 9月10日 一応は残暑と言う事にしておきましょう。一日ごろごろで夕方出掛けて
友人と暑気払いです。帰宅は24時近くになっていました。取りあえずバタンキュウです。

 9月11日  朝から熱風が吹き、ぎらぎらの太陽が笑っています。
 近くの集会所での吹き矢です。成績はまーまーと言う処です。冷房完備なのでこの季節
本当に楽です。昨夜の飲み過ぎは完全に解消しました。

 9月12日  久々の探鳥会です。然し、暑い事です。私のマイフィールドでなければ
欠席したいぐらいです。この暑いのに5~6Kgのリュックを背負って歩くのは歳にしては
本心きつい事です。然し、ここでやめては、どんどんと衰えて行く事を考えると止められま
せん。もう体力増進は無理ですが専ら維持に努めるだけです。

 藤沢では私以外は一人だけの参加です。途中駅の辻堂から三人が乗りやれやれです。

 それにしても暑くて今日は完歩出来るかと不安になります。
 何時ものように8時半過ぎにJR鴨宮の着き、酒匂川の堤防まで歩きます。

 途中の図書館の庭で準備をしていると二人増え、七名になり探鳥会としての形が整いました。

 8日の台風9号では大分な被害が出ましたが三日経っているので納まったかと思いました
が、その爪痕はまだ強烈に残っていました。
 河川敷の芦は総てなぎ倒され流木も所々に散乱しています。時々、異臭が漂います。



 新幹線の鉄橋越に箱根の山々も暑さに喘いでいます。



 河口方面も川幅が広く、滔々と濁流が流れています。



 サワグルミの実が大分大きくなっていました。



 参加者の一人が茂みのなかにコサメビタキを見付けましたが、動きが速く直ぐに
葉の陰に隠れるので写真に撮れませんでした。

 カワウの編隊が飛んでいきます。総体に鳥の姿は少ないです。



 小田原市の鳥とされているコアジサシの説明看板も無惨にもゴミに埋まっていました。



 飯泉堰の下に、やっとイカルチドリを見付けました。



 そして堰の下には、上流から流されて来た軽自動車が水没しゴミに覆われています。



 時折、川風が吹いて涼しい感じもしますが異臭も一緒なので逃げ出したくなります。
 堰の上のダム湖のフェンス(?)にゴイサギの幼鳥ササゴイが佇んでいました。



 イソシギも尾を揺すりながら歩いて来ます。



 酒匂川は二級河川なので神奈川県が補修しなければならず、財政難の折りから河川敷
の復旧には時間がかかるのでは無いでしょうか。



 鳥も少なく予定していた鴨類もカルガモ以外は皆無で探鳥の歩みも自ずと早くなります。
 大休憩場所にしている勝福寺の境内には11時に着いてしまいました。少し早めですが
昼食休憩にしました。



 ここには以前にも書きましたが大きな銀杏があります。人の身体と比較して見て下さい。



 涼しい木陰でゆっくり休んで11時50分に出発します。
 飯泉橋から見ると中州のような場所に中古のクルマが集まっています。恐らくこの中
の一部が先日の台風で流されたようです。



 酒匂川から別れる狩川(?)の合流点の堤も大きくえぐられて細くなっていました。



 右岸にはゴイサギとその若鳥ホシゴイが40~50羽が並んで休んでいます。
 遠くなので写真では、はっきり見えません。



 赤く濁った水面にカイツブリが浮いて、時折潜ります。



 飯泉橋を渡って右岸に出ます。ここにも台風の被害が現れています。フェンスも滅茶滅茶
に壊されて水草が絡まっています。



 堤防には10~20Cm程の小魚が干からびて無数に散乱しています。先刻からの異臭は、
これが原因だと判りました。浅瀬で泳いでいるうちに、急に水が引いて取り残され、ここ
二三日の暑さで腐敗し異臭を放つようになったのでしょう。このような残骸が各所に見られ
ました。



 オンブバッタか、トノサマバッタか良く判りませんが、この暑いのに子孫繁栄の為に
努力しています。雄が遙かに小さい(雌42mm 雄25mm)所から恐らくオンブバッタ
と思います。



 台風の大水で中洲は殆ど流されてしまいましたが岸の近くには浅瀬が有ります。
 トウネン(体長15Cm)が餌漁りをしています。







 イカルチドリ(体長21Cm)も飛んで来ました。



 河口近くの中洲の先端ではチュウシャクシギ(体長42Cm)が一羽佇んでいます。





 その後、チュウシャクシギは三羽になり、河口付近を飛び回っていました。
 14時半に鳥合わせをしますと、コサメビタキ・アジサシ・アオアシシギ等この時期
にしては珍しい種を含めて37種となりました。

 河口の砂丘も消えて海岸ではサーファーが波乗りを楽しんでいました。

 一国の橋下に幼い燕が蝟集していました。のどがヒリヒリと渇いた一日でした。



 9月13日 暑さも今日までと言っていますが、本当にそうでしょうか?

 NHKのTV番組の、あさいちで複式呼吸についての特集を放映しました。
 その一環として、スポーツ吹き矢も報道されました。我々が常々教えられ、学び、
心がけている事がアナウンスされました。明後日の15日に活用出来るでしょうか?