[糸トンボ]
虫たちが朝日に目覚めて跳び出した。蛙もトカゲも朝日をきらきらまとわせて、跳び出した。まるで彼らが朝日になったみたい。みんな朝日の雫になって散らばった。雫は小さいけれど、一粒一粒の輝きは、朝日と変りない。
それなら私にもなれるかもしれない。大きくはなれなかった私だけれど、小さくなら、なれるのでは。だって、家でも、学校でも、会社でも、いつだって小さくなれたのだから。別に苦労なんかしなくても、自然に具わっているみたいに、小さくなっていられたのだから。
小さくなるのはいいけれど、ミミズにだけはなりたくない。道に這い出たミミズは、お日様に焼けて、ヒジキみたいになっている。かわいそうに。熱かったでしょう。いくら虫達が朝日に跳び出したって、あなたは出てきてはいけなかったのよ。土の中の生きものなんだもの。
やっぱり、蛙とか雀がいい。雀だったら、子雀がいい。
糸トンボもいい。羽に露をつけたみたいに透明に澄んで、葉に留まっている。一日中、ひと叢の草木に頼って、そこを永遠の住まいみたいにしている糸トンボがいいな、私は。
私の周りをたくさんの水玉が回っている。まるで水槽に入れられたお魚の周囲を、水泡が漂っているみたい。
そうだ、私は熱が出て、会社を休んだのだわ。それでベッドにいたんだっけ。でもそういつまでも寝てはいられない。明日からは、お茶汲み、お掃除、葉書や封書も出しに行かなきゃ。それに頼まれたコピー。お土産配り。これは吉井さんの新潟からのお土産でーす。これは国見さんがカナダからよ。
水玉が多くなってきた。私は口をぱくぱくさせて、水泡を飲み込もうとする。パクパク、水玉の多い方へ、多い方へとさ迷っているうちに、表に来てしまった。
紫陽花が咲いている! 小さな顔がいくつも集まって、まったくもう、うちの会社のグループ写真みたい。横っちょに、小さくいるのが私かな。
でもこの花は賑やか過ぎる。私はもっとひっそりと咲いている花のほうがいい。
目をさ迷わせていったら、あった。寂しげに咲いている額アジサイ。私には、賑やかな紫陽花より、この花のほうがいい。
そう思ったとき、少ない花びらの一つに、すーっと糸トンボが来て留まった。ああ小さくて頼りない羽の動き。透明で、目を凝らさなければ見逃してしまいそうな、かすかな気配。小さな生きもの。糸トンボ。
おまえは私なの。それとも、私がおまえ? 私好きよ、あなたが。
了
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