動物はしゃべらない(2006年8月10日)
雑誌に出て来た極短い書き物ですので、これを読書のカテゴリに含めるのは抵抗があります。そこに出て来る「ハダカデバネズミ」にまず興味がありました。著者は研究のために「ハダカデバネズミ」を飼育しています。如何にも英名を日本名にした様子から分かる通り、日本には生息していません。その名前の通り「前歯」が出っ張っていて、体毛がないネズミです。この日本名は分かりやすいと言えば分かりやすいのですが、余りにも単刀直入で、もう少し工夫が欲しいと思いますが。
形態上のこのような特徴の他に、哺乳動物としては唯一「真社会性」の動物です。繁殖にも社会性が有ります。真社会性の生き物は蜂とか蟻では見られますが、哺乳動物では見られないそうです。又、その生態的な特徴から、ハダカデバネズミの集団間の交雑は余りないそうです。真社会性の動物であるハダカデバネズミはその生涯にわたる分業のために、どうしても個体間の「コミュニケーション」が必要になります。
ハダカデバネズミ生息しているところは自ら掘った地下トンネルです。そのために、コミュニケーション手段としての視覚・嗅覚は余り有効ではありません。と言うことで、コミュニケーション手段は音声に依っています。著者はこの「ハダカデバネズミ」が出す「音声」を生物言語学の立場から研究している訳です。 ハダカデバネズミの写真を掲載しようかと思ったのですが、余り一般受けしそうにありません。
著者は人の「言葉」と動物の「コミュニケーション」について、人の言葉の大切な特徴である「組み合わせにより新たな意味を創出できる機能」は動物のコミュニケーションには入っていないとしています。
観察に依りますと、ハダカデバネズミはその形態的特徴である「デバ」もフル活用して、実に多くの微妙な違いを持った発声をする様です。その発声は色んな階級間・色んな状況で行われるそうです。相当複雑な発声を行い、それによって個体間のコミュニケーションを取っています。「さいら」には真似ができないほどです。
しかし、それらは、「言葉」ではないと結論づけています。その理由としてハダカデバネズミは「これらの発声を組み合わせて、新たな意味を創出することはしていない」からと著者は言います。
そして、人の「言葉」が動物の「コミュニケーション」から発達してきたのか?全く異なるものであるのか?これが著者の一つのテーマである様です。 実はその「人」と「動物」が、「言葉」と「コミュニケーション」に冠として記述されていることにある種の抵抗感があります。ところで、このような範疇から見ると「さいら」のお喋りは言葉とは全く縁もゆかりもない、どちらかと言うとハダカデバネズミほどのコミュニケーションすらしていないことに気付いてしまいます。
又、通常の社会生活でのコミュニケーションは言葉らしきものを遣ってはいますが、「新たな意味を創出する」こととは縁遠いものであると思ってしまいます。
又、このハダカデバネズミは「新たな意味を創出してない」と言いますが、現在に至るまでには、「新たな意味」を獲得していったのではないのか?と思ってしまいます。何れにしても、興味有る研究であり、今後の発展を期待してやみません。
記事のデータ
雑誌名:図書、第688号
記事名:動物はしゃべらない(12頁~15頁)
著者:岡ノ谷 一夫
発行所:岩波書店
発行年月日:2006年8月
雑誌に出て来た極短い書き物ですので、これを読書のカテゴリに含めるのは抵抗があります。そこに出て来る「ハダカデバネズミ」にまず興味がありました。著者は研究のために「ハダカデバネズミ」を飼育しています。如何にも英名を日本名にした様子から分かる通り、日本には生息していません。その名前の通り「前歯」が出っ張っていて、体毛がないネズミです。この日本名は分かりやすいと言えば分かりやすいのですが、余りにも単刀直入で、もう少し工夫が欲しいと思いますが。
形態上のこのような特徴の他に、哺乳動物としては唯一「真社会性」の動物です。繁殖にも社会性が有ります。真社会性の生き物は蜂とか蟻では見られますが、哺乳動物では見られないそうです。又、その生態的な特徴から、ハダカデバネズミの集団間の交雑は余りないそうです。真社会性の動物であるハダカデバネズミはその生涯にわたる分業のために、どうしても個体間の「コミュニケーション」が必要になります。
ハダカデバネズミ生息しているところは自ら掘った地下トンネルです。そのために、コミュニケーション手段としての視覚・嗅覚は余り有効ではありません。と言うことで、コミュニケーション手段は音声に依っています。著者はこの「ハダカデバネズミ」が出す「音声」を生物言語学の立場から研究している訳です。 ハダカデバネズミの写真を掲載しようかと思ったのですが、余り一般受けしそうにありません。
著者は人の「言葉」と動物の「コミュニケーション」について、人の言葉の大切な特徴である「組み合わせにより新たな意味を創出できる機能」は動物のコミュニケーションには入っていないとしています。
観察に依りますと、ハダカデバネズミはその形態的特徴である「デバ」もフル活用して、実に多くの微妙な違いを持った発声をする様です。その発声は色んな階級間・色んな状況で行われるそうです。相当複雑な発声を行い、それによって個体間のコミュニケーションを取っています。「さいら」には真似ができないほどです。
しかし、それらは、「言葉」ではないと結論づけています。その理由としてハダカデバネズミは「これらの発声を組み合わせて、新たな意味を創出することはしていない」からと著者は言います。
そして、人の「言葉」が動物の「コミュニケーション」から発達してきたのか?全く異なるものであるのか?これが著者の一つのテーマである様です。 実はその「人」と「動物」が、「言葉」と「コミュニケーション」に冠として記述されていることにある種の抵抗感があります。ところで、このような範疇から見ると「さいら」のお喋りは言葉とは全く縁もゆかりもない、どちらかと言うとハダカデバネズミほどのコミュニケーションすらしていないことに気付いてしまいます。
又、通常の社会生活でのコミュニケーションは言葉らしきものを遣ってはいますが、「新たな意味を創出する」こととは縁遠いものであると思ってしまいます。
又、このハダカデバネズミは「新たな意味を創出してない」と言いますが、現在に至るまでには、「新たな意味」を獲得していったのではないのか?と思ってしまいます。何れにしても、興味有る研究であり、今後の発展を期待してやみません。
記事のデータ
雑誌名:図書、第688号
記事名:動物はしゃべらない(12頁~15頁)
著者:岡ノ谷 一夫
発行所:岩波書店
発行年月日:2006年8月