戦場で心が壊れてー元海兵隊員の証言―(2006年9月30日)
海兵隊員としてベトナムに従軍した著者は、任務を終えて母国である米国に戻ってくる。しかし帰国後の彼は、独立記念祭の花火・爆竹の音・ネズミの匂い等で敵の襲来に対する防御体制を辺り構わず取る。魚釣りの餌がベトナムでのヒルに似ているので、餌を付けられない。夜は突如として、銃撃戦の殺戮が脳裏に出て来て、恐れで目が覚めて暴れ回る。異常な行動が彼の日常生活を脅かす。家族からも彼の日夜の行動は恐れられ、ホームレスの生活を余儀なくされる。
彼は、ベトナムで多くの人、その中には、「サーチ・アンド・デストロイ」作戦で、ベトコン兵士だけでなく、女性そして子供をも殺していたのである。その光景が何かを切っ掛けにしてフラッシュバックされる。正に彼は過酷な経験のためにPTSDに罹っていたのである。しかし彼は勿論そのことを知る由もない。
ある時に、彼は友人の紹介で、スラム街の小学校でベトナム戦争の話をする。そこでは、通り一遍の話をする。最後の質問で、「ミスター・ネルソン」「 あなたは人を殺しましたか?」と児童に聞かれる。その時に彼はその講演で一番肝心なこと、それは彼がもっとも思い出したくないこと、もっとも嫌なこと、そして、もっとも大切なことを、話していないことに気付く。何時もそのことでフラッシュバックに悩まされているからこそ、誰にも話せないで居るそのことを。その質問で頭が混乱する中で、暫しの時間の後、彼は「イエス」と答える。その彼を子供達は温かく抱擁する。
それを切っ掛けにして、彼は治療を受ける。最初の治療は投薬治療であった。彼の症状に応じた幾つもの強い薬が処方される。しかし、薬を飲まないと同じ様な症状が出て来る。投薬治療は決して根本的な治療ではないことを知る。その様な時に、彼の人生に大きな影響を与える医師に巡り会い、カウンセリングを受ける。そこで彼は初めて自分がPTSDに罹っていることを知る。彼だけでなくベトナム帰還兵には多い病気であること。古くは朝鮮戦争の帰還兵にも見られたこと。戦争体験だけでなくショッキングなことに出くわすと、誰でも罹患することがあること。その治療には時間が掛かり、その効果が出るかどうかは不明であること。等を教えられる。
その医師は薬を使わない。医師と彼との一対一のカウンセリングとグループセラピーを週一回づつの治療である。カウンセリングは医師は専ら聞き役である。彼が話したいことを話し、医師は聞き役であった。グループセラピーは24人のベトナム帰還兵が輪になって、人生とか、苦悩とかをお互いに話す。それは苦痛でもあった。毎回カウンセリングで医師は「あなたは何故人々を殺したのですか?」と彼に聞く。彼はもっともらしい理由を話す。医師は「分かりました。では来週に」で終わっていた。決して、押しつけたり、あなたは間違っているとかは言わないで、専ら医師は聞き役であった。その質問は何時もはカウンセリングの最後であった。
ある時、その時はカウンセリングを始めて9年ほどたっていたが、医師はその質問を最後に聞くのではなくて、いつもと同じような口調で最初に「あなたは何故人々を殺したのですか?」と聞いた。それまではその質問には共産主義は正義に反するから、上官の命令だから、戦争だから、自分が生き延びるためだから等々自分を合理化することだけを理由付けて話していた。その時もいつものようにそう言う理由を言うと、その日の医師は、再度・再度「あなたは何故人々を殺したのですか?」と繰り返し繰り返し聞いた。繰り返される同じ質問に彼は逃げ場を失って、自分と本当に対峙する。そして「殺したかったから」と核心に触れたことを言う。医師は「よく気が付きましたね。・・・これからは自分のしたことを忘れずに、勇気を持ってそれと一緒に生きていくのです。」
その後も治療は続いた。その治療は今までと違っていた。自分を許すための、見つめ直すための学習・手助けだった。彼の育った貧困でドメスティックバイオレンスの環境、海兵隊での人を殺すことを正当化する教育。それらは正に暴力的であった。彼は自分の人生を真正面から見つめ、自分の持っている暴力性に気付いていく。
その治療の中で彼は、この経験と苦しみをみんなに伝えることが、暴力はいけないことだと伝えることが、彼の責務であると考えるようになる。彼は海兵隊の教育を受けた沖縄を訪問する。そこでは昔と同じ基地と荒んだ海兵隊があった。そこで、平和の大切さ、非暴力の大切さを講演する。彼は日本の市民団体と共にベトナムへ行き、心からの謝罪をする。そして、彼は日本の平和憲法に今までないと言うか、彼が求めていたもの、加害者としての日本が戦争という暴力を否定しようとしている社会の生き様を見つける。そして、今その憲法を守ることが日本にとって大切であることを説いている。
この読書感想は、あらすじと感想に分けた。この本をお読みでない方はこの記事はその感想編である。
若い方は余りご存じないかも知れないが、私の世代は直接ベトナムと戦ったのではないが、そして、ベトナム戦争をどう捉えるかは別にして、避けて通ることは出来ない戦争であった。イラク戦争と違って我が国は直接派兵はしなかったが、沖縄の米軍基地は物資・兵の派遣基地でもあった。
我が国でも「ベ平連」が組織され、広く共感をもたらし、毎日、新聞・テレビで大きく取り上げられた。文化的にも反戦フォークソングが巷で聞かれた。「平和とは?」「米国とは?」と考えた時代である。「反戦」が世界的にに高揚した時代でもある。
その、ベトナム戦争に海兵隊として従軍し、帰還後PTSDに罹った著者のその後の生き方には感動を覚える。又、これは関係がないかも知れないが、彼は所謂「アフリカン・アメリカン」である。ジャズとブルースへの興味から、奴隷制度や公民権運動に関心を持った私には、どうしても彼の出自が未だに引っ掛かっている。そう言う彼が平和について語ることの重たさを改めて感じてしまう。もう少し私のアメリカの理解を進めようと思っている。
PTSDは、最近、子供達が犯罪に巻き込まれた時、阪神大地震のような大きな災害が有った時に、問題となり、我が国でも漸く認知されつつある。そして、治療と予防のために著者が受けたようなカウンセリングも行われている。その治療は非常に長く掛かるものであることを始めて知った。医師も患者も根気強く、ヒョッとすると一人の患者に医師の生涯が掛かることもある。正に、医師と患者との信頼関係に基づく共同治療である。その方法から見て、一人の医師が治療できるのは精々数十人。私どもが日常眼にする医療とは全く違った世界に驚く。実は、このような治療を可能にしたのは、「復員軍人援護局」と言う米国の機関である。そう言う機関が有ればこそこのような少人数・長期の治療も可能であったのでは?と思ってしまう。そして我が国ではどのように扱われているのか気になる。今行われているPTSDのカウンセリングが少人数・長期に行われることを念願する。
今ゲーム機で相当リアルな戦争ゲームもあるように聞く。戦争をリアルにシミュレーションするゲームである。ゲームの戦争化なら未だ許されるのかも知れないが、「戦争のゲーム化」が進んでいるのではないかと思うとやりきれない気分になる。彼がPTSDに罹ったのは海兵隊という特殊な敵と向かい合った戦闘部隊の一員であった故なのかも知れない。例えば、ミサイルの発射ボタンを押す人、爆撃機で爆弾を投下する人。彼らは直接には敵と正面に向かい合う戦闘ではない。敵や見方の死体に直接触れることもない。戦争のゲーム化である。そこには、単なるエンジニアとしての人があるだけである。戦争の暴力的な側面が隠されている。実際にはその方が犠牲者は多いのであるが。さらに、そう言う行為を正当化する政治家とその指示を受けた軍将校。彼らこそは決してPTSDに罹ることはない。
彼は今の日本の状態を国がPTSDに罹っているのではないか?と捉える。我が国の過去の侵略戦争を正面から見ていないのではないか?と捉えている。このことは韓国・中国などから言われることである。それは、国と国との関係での主張であると実は聞き流していた。しかし、そのことを改めて米国市民から言われると、その重みをズッシリと感じてしまう。もう一度「平和とは?」「九条とは?」と考えてみたい。それと同時に、イラク戦争は米国のPTSDではないかと思ってしまう。しかし、ベトナム戦争の時もそうであったように、政府の手に拠ってではないが、徐々にイラク戦争の真実が明らかにされつつある。又、彼は講演の時に、ギターを持ってブルースやゴスペルを演奏する。これは、アフリカンアメリカンだけでなく、抑圧された全ての人に響くと思っての故である。
私は彼らの米国は未だ未だ捨てたものではないと思っている。
書籍のデータ
書名:戦場で心が壊れてー元海兵隊員の証言
著者:アレン・ネルソン
発行所:株式会社 新日本出版社
発行年月日:2006年9月15日 初版発行
海兵隊員としてベトナムに従軍した著者は、任務を終えて母国である米国に戻ってくる。しかし帰国後の彼は、独立記念祭の花火・爆竹の音・ネズミの匂い等で敵の襲来に対する防御体制を辺り構わず取る。魚釣りの餌がベトナムでのヒルに似ているので、餌を付けられない。夜は突如として、銃撃戦の殺戮が脳裏に出て来て、恐れで目が覚めて暴れ回る。異常な行動が彼の日常生活を脅かす。家族からも彼の日夜の行動は恐れられ、ホームレスの生活を余儀なくされる。
彼は、ベトナムで多くの人、その中には、「サーチ・アンド・デストロイ」作戦で、ベトコン兵士だけでなく、女性そして子供をも殺していたのである。その光景が何かを切っ掛けにしてフラッシュバックされる。正に彼は過酷な経験のためにPTSDに罹っていたのである。しかし彼は勿論そのことを知る由もない。
ある時に、彼は友人の紹介で、スラム街の小学校でベトナム戦争の話をする。そこでは、通り一遍の話をする。最後の質問で、「ミスター・ネルソン」「 あなたは人を殺しましたか?」と児童に聞かれる。その時に彼はその講演で一番肝心なこと、それは彼がもっとも思い出したくないこと、もっとも嫌なこと、そして、もっとも大切なことを、話していないことに気付く。何時もそのことでフラッシュバックに悩まされているからこそ、誰にも話せないで居るそのことを。その質問で頭が混乱する中で、暫しの時間の後、彼は「イエス」と答える。その彼を子供達は温かく抱擁する。
それを切っ掛けにして、彼は治療を受ける。最初の治療は投薬治療であった。彼の症状に応じた幾つもの強い薬が処方される。しかし、薬を飲まないと同じ様な症状が出て来る。投薬治療は決して根本的な治療ではないことを知る。その様な時に、彼の人生に大きな影響を与える医師に巡り会い、カウンセリングを受ける。そこで彼は初めて自分がPTSDに罹っていることを知る。彼だけでなくベトナム帰還兵には多い病気であること。古くは朝鮮戦争の帰還兵にも見られたこと。戦争体験だけでなくショッキングなことに出くわすと、誰でも罹患することがあること。その治療には時間が掛かり、その効果が出るかどうかは不明であること。等を教えられる。
その医師は薬を使わない。医師と彼との一対一のカウンセリングとグループセラピーを週一回づつの治療である。カウンセリングは医師は専ら聞き役である。彼が話したいことを話し、医師は聞き役であった。グループセラピーは24人のベトナム帰還兵が輪になって、人生とか、苦悩とかをお互いに話す。それは苦痛でもあった。毎回カウンセリングで医師は「あなたは何故人々を殺したのですか?」と彼に聞く。彼はもっともらしい理由を話す。医師は「分かりました。では来週に」で終わっていた。決して、押しつけたり、あなたは間違っているとかは言わないで、専ら医師は聞き役であった。その質問は何時もはカウンセリングの最後であった。
ある時、その時はカウンセリングを始めて9年ほどたっていたが、医師はその質問を最後に聞くのではなくて、いつもと同じような口調で最初に「あなたは何故人々を殺したのですか?」と聞いた。それまではその質問には共産主義は正義に反するから、上官の命令だから、戦争だから、自分が生き延びるためだから等々自分を合理化することだけを理由付けて話していた。その時もいつものようにそう言う理由を言うと、その日の医師は、再度・再度「あなたは何故人々を殺したのですか?」と繰り返し繰り返し聞いた。繰り返される同じ質問に彼は逃げ場を失って、自分と本当に対峙する。そして「殺したかったから」と核心に触れたことを言う。医師は「よく気が付きましたね。・・・これからは自分のしたことを忘れずに、勇気を持ってそれと一緒に生きていくのです。」
その後も治療は続いた。その治療は今までと違っていた。自分を許すための、見つめ直すための学習・手助けだった。彼の育った貧困でドメスティックバイオレンスの環境、海兵隊での人を殺すことを正当化する教育。それらは正に暴力的であった。彼は自分の人生を真正面から見つめ、自分の持っている暴力性に気付いていく。
その治療の中で彼は、この経験と苦しみをみんなに伝えることが、暴力はいけないことだと伝えることが、彼の責務であると考えるようになる。彼は海兵隊の教育を受けた沖縄を訪問する。そこでは昔と同じ基地と荒んだ海兵隊があった。そこで、平和の大切さ、非暴力の大切さを講演する。彼は日本の市民団体と共にベトナムへ行き、心からの謝罪をする。そして、彼は日本の平和憲法に今までないと言うか、彼が求めていたもの、加害者としての日本が戦争という暴力を否定しようとしている社会の生き様を見つける。そして、今その憲法を守ることが日本にとって大切であることを説いている。
この読書感想は、あらすじと感想に分けた。この本をお読みでない方はこの記事はその感想編である。
若い方は余りご存じないかも知れないが、私の世代は直接ベトナムと戦ったのではないが、そして、ベトナム戦争をどう捉えるかは別にして、避けて通ることは出来ない戦争であった。イラク戦争と違って我が国は直接派兵はしなかったが、沖縄の米軍基地は物資・兵の派遣基地でもあった。
我が国でも「ベ平連」が組織され、広く共感をもたらし、毎日、新聞・テレビで大きく取り上げられた。文化的にも反戦フォークソングが巷で聞かれた。「平和とは?」「米国とは?」と考えた時代である。「反戦」が世界的にに高揚した時代でもある。
その、ベトナム戦争に海兵隊として従軍し、帰還後PTSDに罹った著者のその後の生き方には感動を覚える。又、これは関係がないかも知れないが、彼は所謂「アフリカン・アメリカン」である。ジャズとブルースへの興味から、奴隷制度や公民権運動に関心を持った私には、どうしても彼の出自が未だに引っ掛かっている。そう言う彼が平和について語ることの重たさを改めて感じてしまう。もう少し私のアメリカの理解を進めようと思っている。
PTSDは、最近、子供達が犯罪に巻き込まれた時、阪神大地震のような大きな災害が有った時に、問題となり、我が国でも漸く認知されつつある。そして、治療と予防のために著者が受けたようなカウンセリングも行われている。その治療は非常に長く掛かるものであることを始めて知った。医師も患者も根気強く、ヒョッとすると一人の患者に医師の生涯が掛かることもある。正に、医師と患者との信頼関係に基づく共同治療である。その方法から見て、一人の医師が治療できるのは精々数十人。私どもが日常眼にする医療とは全く違った世界に驚く。実は、このような治療を可能にしたのは、「復員軍人援護局」と言う米国の機関である。そう言う機関が有ればこそこのような少人数・長期の治療も可能であったのでは?と思ってしまう。そして我が国ではどのように扱われているのか気になる。今行われているPTSDのカウンセリングが少人数・長期に行われることを念願する。
今ゲーム機で相当リアルな戦争ゲームもあるように聞く。戦争をリアルにシミュレーションするゲームである。ゲームの戦争化なら未だ許されるのかも知れないが、「戦争のゲーム化」が進んでいるのではないかと思うとやりきれない気分になる。彼がPTSDに罹ったのは海兵隊という特殊な敵と向かい合った戦闘部隊の一員であった故なのかも知れない。例えば、ミサイルの発射ボタンを押す人、爆撃機で爆弾を投下する人。彼らは直接には敵と正面に向かい合う戦闘ではない。敵や見方の死体に直接触れることもない。戦争のゲーム化である。そこには、単なるエンジニアとしての人があるだけである。戦争の暴力的な側面が隠されている。実際にはその方が犠牲者は多いのであるが。さらに、そう言う行為を正当化する政治家とその指示を受けた軍将校。彼らこそは決してPTSDに罹ることはない。
彼は今の日本の状態を国がPTSDに罹っているのではないか?と捉える。我が国の過去の侵略戦争を正面から見ていないのではないか?と捉えている。このことは韓国・中国などから言われることである。それは、国と国との関係での主張であると実は聞き流していた。しかし、そのことを改めて米国市民から言われると、その重みをズッシリと感じてしまう。もう一度「平和とは?」「九条とは?」と考えてみたい。それと同時に、イラク戦争は米国のPTSDではないかと思ってしまう。しかし、ベトナム戦争の時もそうであったように、政府の手に拠ってではないが、徐々にイラク戦争の真実が明らかにされつつある。又、彼は講演の時に、ギターを持ってブルースやゴスペルを演奏する。これは、アフリカンアメリカンだけでなく、抑圧された全ての人に響くと思っての故である。
私は彼らの米国は未だ未だ捨てたものではないと思っている。
書籍のデータ
書名:戦場で心が壊れてー元海兵隊員の証言
著者:アレン・ネルソン
発行所:株式会社 新日本出版社
発行年月日:2006年9月15日 初版発行