すき焼き(22): 具(2) 青ネギ
青ネギの続きである。
何のことは無い、
当時自宅を少し下がった所が九条ネギの産地で、
一面ネギ畑であった。
ネギの根に付いている泥を洗う風景が良く見られた。
中学の頃の職業科の先生が
『この辺り(九条ネギの畑)が工場で一杯にならないと
京都の明日は無い。』と
言っていたのを思い出す。
確かに今はそうなっているが、
果たして明日が有ったのかどうかは
今持ってよく分からない。
今でこそ京野菜と言ってちやほやされるが、
昔は京都で『野菜』と云えば、
京野菜しかなかった。
牛蒡にしても、
トンガラシにしても、
ニンジンにしても、
大根にしても、
茄子にしても
今食べるものとはどこか形・色が違う。
風味が違うと云いたいところであるが、
残念ながらそれほどの舌は
持ち合わせていない。
今でも京野菜が自然に思いだせるところが
不思議と云えば不思議である。
別に拘りが有る訳ではないが、
確かに懐かしさはある。
今、地産地消が言われる。
どうも違うように思う。
昔は、野菜は、特に軟弱野菜は
そうせざるを得なかった。
今の地産地消は広域流通の
残品処理でしかないと思ってしまう。
青ネギの続きである。
何のことは無い、
当時自宅を少し下がった所が九条ネギの産地で、
一面ネギ畑であった。
ネギの根に付いている泥を洗う風景が良く見られた。
中学の頃の職業科の先生が
『この辺り(九条ネギの畑)が工場で一杯にならないと
京都の明日は無い。』と
言っていたのを思い出す。
確かに今はそうなっているが、
果たして明日が有ったのかどうかは
今持ってよく分からない。
今でこそ京野菜と言ってちやほやされるが、
昔は京都で『野菜』と云えば、
京野菜しかなかった。
牛蒡にしても、
トンガラシにしても、
ニンジンにしても、
大根にしても、
茄子にしても
今食べるものとはどこか形・色が違う。
風味が違うと云いたいところであるが、
残念ながらそれほどの舌は
持ち合わせていない。
今でも京野菜が自然に思いだせるところが
不思議と云えば不思議である。
別に拘りが有る訳ではないが、
確かに懐かしさはある。
今、地産地消が言われる。
どうも違うように思う。
昔は、野菜は、特に軟弱野菜は
そうせざるを得なかった。
今の地産地消は広域流通の
残品処理でしかないと思ってしまう。