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高齢者になっても、ヒマ・ひま・暇やはり暇

高齢者「さいら」ブログ。リタイヤーから、晴れて高齢者の仲間入り。店名をマイナーチェンジ。内容は以前と同様雑他。

私が売られた日

2006年09月13日 | 本と音楽の話題
私が売られた日(2006年9月13日)

 雨が強く降り、落雷の音が激しく聞こえる奴隷所有者のキッチンからこの脚本は始まる。その日は二日目の奴隷市である。奴隷である主人公「エマ」の所有主は博打で大負けして、農園経営から撤退を余儀なくされた。最後の財産である彼の所有する奴隷を売るための市である。その奴隷市に主人・その娘、そして馬車の御者を務める「エマ」の父親、「エマ」も子守として同行する。

 その奴隷市の様子が生々しく描かれる。そこでは、単なる商品として「奴隷」が競り売りされる。競り人は商品である「奴隷」を高く売ることに専念する。前もって渡される「目録」。競り台に乗せられた奴隷。「本日最初の競りはロット番号98・・・」で始まる競り。「有りませんか、有りませんか、はい売れました。」後は買い主との精算のみ。正に魚の競り売りと同じ風景。

 エマは、競りの目録には入っていなかったが、その競り人の口利きで、エマ自身も、エマの家族にも寝耳に水で売られてしまう。母親との別れの言葉も交わすこともなく、その競り場から買い主の農場へ向かう。一緒にいた父親は勿論、旦那に「売らないでくれ!」と涙で嘆願するが、それ以上のことは何も出来ない。ただ、娘を見送るだけである。

 エマは恋人である「ジョー」・その農園の若い奴隷家族と共に川向こうの自由な州へ、逃亡する。前の奴隷主とその時の奴隷主も、他の奴隷主に比較して、特別過酷な労働を強いたり虐待をしたのではないのかも知れない。しかし、それは問題ではなかった。決して奴隷は「ヒト」ではなかった。ヒトとしての「自由」はない。毎日毎日生活のことを心配してでも、生活が例え安定しなくても「自由」でありたい。人として尊厳されて生きていきたい。奴隷ではなく、一人の人間として生きたい。その気持ちが最優先した。その日も風雨の強い日であったが、逃亡に成功する。

 逃亡の手助けをしたのは白人の雑貨屋店主等の地下組織である。「自由になりたくはないか?」と言われて、不信感と「もし叶うことなら」と悩むジョー。そのジョーと信頼関係を築くために、雑貨屋店主は彼に字を教える。奴隷に字を教えることが罪になる時にである。彼らは「ジョー」との約束を守り、嵐の中を逃亡の道案内をする。

 他にも触れなければならないない登場人物が居る。奴隷制度の考え方の違いから「エマ」の前の所有者の夫と離婚したイギリス生まれの妻。そして、「エマ」を母親の様に生涯慕ったその子供「サラ」。彼女たちは奴隷制度を受け入れなかった人々である。一方、「サラ」の妹は父親と同様、奴隷制度を当然のこととして受け入れる米国市民である。

 しかし、彼女たちよりももっと生き様を問いかける登場人物が居る。若い時に逃亡失敗の経験を持つ奴隷。その失敗の後、待ち受けていた過酷なリンチ。その光景を見て彼を買った奴隷主に、一生忠誠を誓う。従順な奴隷で有り続けることが、そして、それなりに安定した生活を送ることが、奴隷の生き方であると自分自身にも、息子にも、ジョー達にも言い聞かせて生きていく彼。ジョー達に同調した息子の逃亡を阻止しようとして傷を負う。息子家族・ジョー達の逃亡を何も語らないで白を切る。彼にこそ、彼にこそ「自由」であって欲しいと思ってしまう。

 米国では勿論奴隷制度はもうとっくの昔に無くなった。奴隷は解放された。そして、今、黒人・白人を問わず、全ての人は「自由」で「平等」で「尊厳」される社会に米国はなった。そこに到るまでには、奴隷解放運動、公民権運動など多くの犠牲があった。確かに見かけ上はそうなった。しかし、「その理想は完全に具現されたと言えるのだろうか?」・「軋轢を熾さないための表面上の親切・平等・尊厳でないのか?」更に「今も拡大しているように見受ける貧富の差は?」と米国旅行で既に感受性を失いつつある私が街の中を歩きながら、色々親切にして貰いながらも、感じたことを思い出している。

書籍のデータ
書名:私が売られた日(DAY OF TEARS)
著者:ジュリアス レスター
翻訳者:金 利光
発行所:あすなろ書房
発行年月日:2006年7月30日 初版発行


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