米国一人旅(22)街の中で(9)日常生活(5)
律儀な日本人
チップを受け取らない人も居ました。ヨセミテの日本の旅行会社が催行している
帰りの現地ツアーのドライバーです。この場合も矢張り、ドライバーが案内をする米国流です。写真を撮って貰ったり、日本人によく分かる様に日本の事例などを加えてする説明等サービスに努めています。非常に嬉しく思います。観光バスの経験もありますし、その私の気持ちがチップの原点と思い下車する時に「ここは当然」と、チップをそっと出すと「又今度来た時に」と言って婉曲に断ります。社内規定があるのかも知れませんが「郷には入れば郷に従えば良いのに」と思う日本人ドライバーでした。実に幅広い常識が必要です。
少々高額のチップは本当に喜ぶ気持ちを率直に出します。これはなかなか日本人には出来ないことです。次のサービスも違います。ヒョッとして日本人旅行者からはチップが貰えないと思っているのかも知れません。そこは、お互いの習慣の違いなのでしょう。外国と日本との物価の比較が行われますがその場合に、受けたサービスに対するチップはどうなっているのか?税金の申告の時にお互いにどのような処理をするのか?実に下らないことが気になります。サービス業に従事する人は決してチップで生活費の全てを補っているのではないのでしょうが、かなりの部分を占めているのは確かなことの様です。
ファーストフード
食事の話です。どうしても食べなければ動けません。3食付きのパックツアーと違います。食事をすることにが、こんなに面倒であるとは思いもよりませんでした。シカゴでの最初の買い物の苦い経験もあり、その後も困ったのはファーストフードでした。そこなら注文は簡単・値段は安いだろうと思い、最初二回ほど行ったのですが、旨く行きません。注文に色々とオプションが多くて困りました。後ろを見ると列が出来ています。注文した品物の出来上がりが「ファースト」だけでなく、店員のしゃべる速度も私には「ファースト」です。お客もせかせかしていて、これも「ファースト」です。「店員がお客に合わすのではなくて、お客が店員に合わす必要がある」と言葉の分からない私には思えてなりません。
そう言えば、私は日本でもファーストフードにちょくちょく行く年齢ではありません。それに日本のファーストフードに比較して高そうです。それに何でも大きすぎるのです。コーヒーを飲むにしても、バケツとは言いませんが、丼位ありそうなカップです。そこで、両手で縮める手振りをしますと、少し小さいカップを出して「これ?」という感じです。更に同じ手振りをしますともう少し小さいカップを見せます。そこでおもむろに「OK」となります。偶々かも知れませんが、「大・中・小」と有りそうです。勿論、その大きさで値段が違う筈です。背の高さだけでなく、体型も大柄な米国市民の原因がよく分かります。
米国一人旅(23)街の中で(10)日常生活(6)
食堂
と言う訳で、その後は、少し高くつきましたが、きちんとした食堂で、座って、メニューをゆっくり見て、注文することにしました。と言ってもこれとあれと指をさすだけで、何が出てくるかはお楽しみです。食堂では、間違って別に「コーヒー」を注文しても、メニューにあるそのコース(と言っても定食のような物ですが)の「コーヒー、紅茶」を指さしながら、店員は「コーヒーはこのコースに入っております。」と多分言ってくれているのでしょう。おもむろに私は「アイ シー コーヒー プリーズ」と言うような余裕が食堂にはあるのです。
昼抜きです。「食べ過ぎて体調を崩さない」と言う大義名分の他に「面倒」も有ります。ですから夕食の食堂ではほぼ二食分相当を食べます。と言ってもこれで漸く、米国人の一食と同じ位の量という訳です。
食堂ですが、入って席が空いていると、自分の座りたい席に直ぐに行ってしまう様な場末の小さな食堂でも、ドアーを開けて、そのまま席に着くことは御法度です。そうすると制止されます。店員が来るのを待ちます。この流儀は我が国のファミリレストランでよく見受ける手法です。アメリカナイズされた手法であったと今更ながらに理解します。しかしその後は少々違います。
店によっては、支配人らしき人がどの店員を行かすか采配を振っています。来た店員が「お一人ですか?」と指を1本出して聞きますので「はい」と言い、店員が案内する席に着きます。私はその店員のお客になったと言うことになります。
案内される席ですが、空いていても、殆ど店の奥の方に案内されます。年取った、風采の上がらない私としては、やむを得ないかと思いますが、実はそこに根強い人種差別がある様にも思えました。店の目立つ所には概して白人が多い様に見受けます。ホテルで顔を合わすと「ハロー」。道とか地下鉄で少しでも肩が触れあうと年齢・風采・人種に関係なく「エクスキューズ ミー」、「ソーリ」。ドアーでも続いて後に人がいると、必ず開けて待っている。そう言う気遣いの体質と実に対照的に思えます。人種に関しては、未だ未だ不均一な混合と思えました。その気遣いも結局の所不必要な摩擦を起こしたくないためのように思えます。
ただ、ある食堂では「エニホエア 何とか」と言って席の方を示します。「どうぞお好きなお席に」と言っている様に思えたので、好きな席に座りました。これは例外中の例外のようです。
麺類等
食堂は殆ど中華以外のアジア系の店に行きました。ベトナム・タイ料理です。それに「イタリアン」です。最初から「アメリカ料理」は眼中にありません。フランス料理は万が一の「ドレス コード」も嫌です。イタリアンは予想通りの「オイル」の多さに納得です。大袈裟に言えば、「オイルの中でパスタが泳いでいる。」状態の店もあります。要は麺類主体というよりも安めという訳です。お箸で食べる食事はそれだけで、美味しく頂けます。メキシコ料理で懲りた事情も有ります。何でも食する世代の私が「参った。これは食べるものではない。」と思ったのです。
米国一人旅(24)街の中で(11)日常生活(7)
日本食の食堂
サンフランシスコ最後の夜は日本食の食堂でした。日本料理専門店は探せば結構あります。しかし、「回転寿司」は有るはずですが、見つけられませんでした。食い物ではないですが「パチンコ屋」も見つけられませんでした。「ボツボツと和食にも慣れておかないと」との考えです。
日本食の食堂は、日本と同じようにショーウインドウにそのメニューのレプリカが飾られ、値段が表示されている店が多いのですが、その店はそのレプリカもありません。「ちょっとだけ、ましな店」です。本当の高級日本料理店は、高級ホテルにはありますが勿論そこは敬遠です。
日本人客は殆どいません。日本語も殆ど通じません。探せば日本食の食堂でもその様な店があることに驚きます。日本の旅行者や仕事で滞在する人をメインのお客にするのではなく、全く米国人向けです。日本人向けでない店で日本人である私には「お高く、すました」感じの店です。メニューは豊富です。日本食は一通り何でも揃っています。漬け物・みそ汁もあります。無いのは「お茶漬け」くらいのようです。(これはメニューの見落としかも知れません。)取りあえず寿司です。「アナゴ」も有ったので、米国でアナゴも悪くないと、それも注文です。暫くして、日本人スタッフ(多分その人だけがウエイトレスでは日本語が話せるようです。)「すいません。メニューのアナゴは(今日は)ウナギです。」「今日は」に「今日だけなのか?」と疑問を感じながら「分かりました。それではカリフォルニア巻きを。」
升酒があります。産地も幾つか表示されています。それも注文します。この店では「ローマ字が分かって良かった」と変な実感です。注文は広島の地酒です。銘柄は一生懸命思い出しました。確か「SUISHIN」です。黒塗りの升です。その升に、なみなみと、升から受け皿に酒が溢れても未だ入れてくれます。その様にマニュアルにあるのでしょうが、そこは、恰も「駅前の立ち飲みの店」の様で違和感が更に募ります。塩がついていません。「ソルト プリーズ」で升の縁を綺麗に拭いて、塩を角に乗せて、飲みます。
瓶ビール
盛りつけとか味はどちらかというと多国籍向けの感じです。「コース」で頼むとやはり量の多いことに驚きます。しかし、日に二食ですから、何のことはありません。グループのお客さんは大きな声で談笑・議論しています。それだけを見ると何のことはない「和風居酒屋」そのものです。欧米人が不器用にしかし、一生懸命お箸を使っています。勿論中には日本人よりも上手に使っている人も見ます。私もナイフとフォークではその様に見えるでしょう。身体に優しい和食が流行の様に思えます。アルコールはビールが主ですが、日本酒を飲んでいる人も結構居ます。
その瓶ビールですが、殆どの人が「ラッパ飲み」をしているのが可笑しく思えます。麦酒のラッパ飲みは運動会の「麦酒ハヤ飲み競争」以来見る光景です。生ビールらしき物は小さめのジョッキーで飲んでいますが。缶ビール主体の彼らには瓶ビールを飲む習慣がないのかも知れません。そう言えば、私は缶ビールであってもコップに移し替えて飲みます。習慣とは恐ろしいものです。勿論、日本銘柄のビールもあります。しかし、今日は日本酒オンリーです。
律儀な日本人
チップを受け取らない人も居ました。ヨセミテの日本の旅行会社が催行している
帰りの現地ツアーのドライバーです。この場合も矢張り、ドライバーが案内をする米国流です。写真を撮って貰ったり、日本人によく分かる様に日本の事例などを加えてする説明等サービスに努めています。非常に嬉しく思います。観光バスの経験もありますし、その私の気持ちがチップの原点と思い下車する時に「ここは当然」と、チップをそっと出すと「又今度来た時に」と言って婉曲に断ります。社内規定があるのかも知れませんが「郷には入れば郷に従えば良いのに」と思う日本人ドライバーでした。実に幅広い常識が必要です。
少々高額のチップは本当に喜ぶ気持ちを率直に出します。これはなかなか日本人には出来ないことです。次のサービスも違います。ヒョッとして日本人旅行者からはチップが貰えないと思っているのかも知れません。そこは、お互いの習慣の違いなのでしょう。外国と日本との物価の比較が行われますがその場合に、受けたサービスに対するチップはどうなっているのか?税金の申告の時にお互いにどのような処理をするのか?実に下らないことが気になります。サービス業に従事する人は決してチップで生活費の全てを補っているのではないのでしょうが、かなりの部分を占めているのは確かなことの様です。
ファーストフード
食事の話です。どうしても食べなければ動けません。3食付きのパックツアーと違います。食事をすることにが、こんなに面倒であるとは思いもよりませんでした。シカゴでの最初の買い物の苦い経験もあり、その後も困ったのはファーストフードでした。そこなら注文は簡単・値段は安いだろうと思い、最初二回ほど行ったのですが、旨く行きません。注文に色々とオプションが多くて困りました。後ろを見ると列が出来ています。注文した品物の出来上がりが「ファースト」だけでなく、店員のしゃべる速度も私には「ファースト」です。お客もせかせかしていて、これも「ファースト」です。「店員がお客に合わすのではなくて、お客が店員に合わす必要がある」と言葉の分からない私には思えてなりません。
そう言えば、私は日本でもファーストフードにちょくちょく行く年齢ではありません。それに日本のファーストフードに比較して高そうです。それに何でも大きすぎるのです。コーヒーを飲むにしても、バケツとは言いませんが、丼位ありそうなカップです。そこで、両手で縮める手振りをしますと、少し小さいカップを出して「これ?」という感じです。更に同じ手振りをしますともう少し小さいカップを見せます。そこでおもむろに「OK」となります。偶々かも知れませんが、「大・中・小」と有りそうです。勿論、その大きさで値段が違う筈です。背の高さだけでなく、体型も大柄な米国市民の原因がよく分かります。
米国一人旅(23)街の中で(10)日常生活(6)
食堂
と言う訳で、その後は、少し高くつきましたが、きちんとした食堂で、座って、メニューをゆっくり見て、注文することにしました。と言ってもこれとあれと指をさすだけで、何が出てくるかはお楽しみです。食堂では、間違って別に「コーヒー」を注文しても、メニューにあるそのコース(と言っても定食のような物ですが)の「コーヒー、紅茶」を指さしながら、店員は「コーヒーはこのコースに入っております。」と多分言ってくれているのでしょう。おもむろに私は「アイ シー コーヒー プリーズ」と言うような余裕が食堂にはあるのです。
昼抜きです。「食べ過ぎて体調を崩さない」と言う大義名分の他に「面倒」も有ります。ですから夕食の食堂ではほぼ二食分相当を食べます。と言ってもこれで漸く、米国人の一食と同じ位の量という訳です。
食堂ですが、入って席が空いていると、自分の座りたい席に直ぐに行ってしまう様な場末の小さな食堂でも、ドアーを開けて、そのまま席に着くことは御法度です。そうすると制止されます。店員が来るのを待ちます。この流儀は我が国のファミリレストランでよく見受ける手法です。アメリカナイズされた手法であったと今更ながらに理解します。しかしその後は少々違います。
店によっては、支配人らしき人がどの店員を行かすか采配を振っています。来た店員が「お一人ですか?」と指を1本出して聞きますので「はい」と言い、店員が案内する席に着きます。私はその店員のお客になったと言うことになります。
案内される席ですが、空いていても、殆ど店の奥の方に案内されます。年取った、風采の上がらない私としては、やむを得ないかと思いますが、実はそこに根強い人種差別がある様にも思えました。店の目立つ所には概して白人が多い様に見受けます。ホテルで顔を合わすと「ハロー」。道とか地下鉄で少しでも肩が触れあうと年齢・風采・人種に関係なく「エクスキューズ ミー」、「ソーリ」。ドアーでも続いて後に人がいると、必ず開けて待っている。そう言う気遣いの体質と実に対照的に思えます。人種に関しては、未だ未だ不均一な混合と思えました。その気遣いも結局の所不必要な摩擦を起こしたくないためのように思えます。
ただ、ある食堂では「エニホエア 何とか」と言って席の方を示します。「どうぞお好きなお席に」と言っている様に思えたので、好きな席に座りました。これは例外中の例外のようです。
麺類等
食堂は殆ど中華以外のアジア系の店に行きました。ベトナム・タイ料理です。それに「イタリアン」です。最初から「アメリカ料理」は眼中にありません。フランス料理は万が一の「ドレス コード」も嫌です。イタリアンは予想通りの「オイル」の多さに納得です。大袈裟に言えば、「オイルの中でパスタが泳いでいる。」状態の店もあります。要は麺類主体というよりも安めという訳です。お箸で食べる食事はそれだけで、美味しく頂けます。メキシコ料理で懲りた事情も有ります。何でも食する世代の私が「参った。これは食べるものではない。」と思ったのです。
米国一人旅(24)街の中で(11)日常生活(7)
日本食の食堂
サンフランシスコ最後の夜は日本食の食堂でした。日本料理専門店は探せば結構あります。しかし、「回転寿司」は有るはずですが、見つけられませんでした。食い物ではないですが「パチンコ屋」も見つけられませんでした。「ボツボツと和食にも慣れておかないと」との考えです。
日本食の食堂は、日本と同じようにショーウインドウにそのメニューのレプリカが飾られ、値段が表示されている店が多いのですが、その店はそのレプリカもありません。「ちょっとだけ、ましな店」です。本当の高級日本料理店は、高級ホテルにはありますが勿論そこは敬遠です。
日本人客は殆どいません。日本語も殆ど通じません。探せば日本食の食堂でもその様な店があることに驚きます。日本の旅行者や仕事で滞在する人をメインのお客にするのではなく、全く米国人向けです。日本人向けでない店で日本人である私には「お高く、すました」感じの店です。メニューは豊富です。日本食は一通り何でも揃っています。漬け物・みそ汁もあります。無いのは「お茶漬け」くらいのようです。(これはメニューの見落としかも知れません。)取りあえず寿司です。「アナゴ」も有ったので、米国でアナゴも悪くないと、それも注文です。暫くして、日本人スタッフ(多分その人だけがウエイトレスでは日本語が話せるようです。)「すいません。メニューのアナゴは(今日は)ウナギです。」「今日は」に「今日だけなのか?」と疑問を感じながら「分かりました。それではカリフォルニア巻きを。」
升酒があります。産地も幾つか表示されています。それも注文します。この店では「ローマ字が分かって良かった」と変な実感です。注文は広島の地酒です。銘柄は一生懸命思い出しました。確か「SUISHIN」です。黒塗りの升です。その升に、なみなみと、升から受け皿に酒が溢れても未だ入れてくれます。その様にマニュアルにあるのでしょうが、そこは、恰も「駅前の立ち飲みの店」の様で違和感が更に募ります。塩がついていません。「ソルト プリーズ」で升の縁を綺麗に拭いて、塩を角に乗せて、飲みます。
瓶ビール
盛りつけとか味はどちらかというと多国籍向けの感じです。「コース」で頼むとやはり量の多いことに驚きます。しかし、日に二食ですから、何のことはありません。グループのお客さんは大きな声で談笑・議論しています。それだけを見ると何のことはない「和風居酒屋」そのものです。欧米人が不器用にしかし、一生懸命お箸を使っています。勿論中には日本人よりも上手に使っている人も見ます。私もナイフとフォークではその様に見えるでしょう。身体に優しい和食が流行の様に思えます。アルコールはビールが主ですが、日本酒を飲んでいる人も結構居ます。
その瓶ビールですが、殆どの人が「ラッパ飲み」をしているのが可笑しく思えます。麦酒のラッパ飲みは運動会の「麦酒ハヤ飲み競争」以来見る光景です。生ビールらしき物は小さめのジョッキーで飲んでいますが。缶ビール主体の彼らには瓶ビールを飲む習慣がないのかも知れません。そう言えば、私は缶ビールであってもコップに移し替えて飲みます。習慣とは恐ろしいものです。勿論、日本銘柄のビールもあります。しかし、今日は日本酒オンリーです。