Heal-log

つれづれなるままに。

日常の番外編。

2006年06月24日 | つれづれ
東京の街はとても広いと思っていた。
例えば京都でブラブラしていると、大概は知り合いに遭遇したものだけれど、東京ではそんなことはあまりない。

だから恵比寿駅東口のスタバ付近で、彼の姿を見た時は絶叫した。
人のことは言えないけれど、「恵比寿」で会うことはまず期待しない人。
だって、この間彼に会ったのは、宮古島。
東京に来ていることは知っていたけれど、しかし・・・。

開口一番「ヒロ、恵比寿に詳しいか?」とな。
よくよく聞くと(よくよく聴かないと分からない)、写真美術館を探していたらしい。
丁度、私の待ち合わせの相手も大学の友人だったので、一緒に行くことにする。
そちらも久々の再会で、恵比寿駅改札に絶叫が再び響く。

結局一緒に写真を見て、ハチ公バス(100円)で渋谷まで出て、一緒にゴハンをした。

いやはや、偶然はすごい。
普通の週末だけれど、東京が少し狭くなるという、おかしな経験をした。

それぞれの日常。

2006年06月24日 | 
今年も、いつの間にかこの季節がやって来た。



世界報道写真展2006。東京・恵比寿の東京都写真美術館で開催されている。

この展覧会に行く度に思うこと。
それは「いかに去年の出来事を忘れているか」ということと、「日常とは何だろう」ということ。
結構忘れているものだ。カシミールの大地震も、ハリケーン・カトリーナも。

今年の作品は戦争や殺戮などの残虐なものは少なかったと思う。
争い事が少なかった1年だったとはとても思えないので、恐らくは自然災害の方が目立ったと言うことなのだろう。

瓦礫の山、水浸しの街、燃えさかる炎に血痕。
そのどこかに必ず(生死は関係なく)人の姿が写っている。
綺麗とはほど遠い環境で、日常を送る人々がいるという現実。

人々の姿はそれぞれで(当たり前か)、嘆いていたり泣いていたり呆然としていたり。
その中で「強さ」を感じる写真があって、それがとても印象的だった。
与えられた環境の中で生き抜く「覚悟」とか「凄み」を感じさせるような。


心臓の弱い方、夢でうなされそうな方にはオススメは出来ないけれど、行く価値はあると思う。
感じるものは多分にあると思うから。

東京での開催は、7月30日まで。
7月22日からは、報道写真50周年記念展も同時開催。