Heal-log

つれづれなるままに。

Temples & Reefs journey7-amanjiwo2日目。

2009年08月09日 | Weblog
朝、起床は午前4時15分。
5時にロビーに集合し、コーヒーとデニッシュで軽い朝食を済ませたら、いよいよボロブドゥールに向かって出発だ。

ボロブドゥールまでは車で10分足らず。懐中電灯を渡され、遺跡に上りはじめる。


空にはまだ月が明るい。
写真は明るめに撮影しているが、実際はまだ真っ暗だ。

全部で10層になっている遺跡のてっぺんの東側に陣取り、日の出を待つ。
すでに到着している人々でにぎわっている。




中央に見えるのがムラピ山。8世紀に立てられた仏教寺院は、この火山の噴火でこの寺院は埋もれてしまい、以来18世紀まで発見されなかったという。

夜がだんだん明けてきた。


7層目から10層目までにあるストゥーパ(中に仏像が納められている)も見えるようになってきた。


空に山の陰が映る。


そして、太陽がどこから出てくるのかが分かってきた。
しばらくして、小さく、けれどもはっきりと分かる強い光の一筋が稜線から顔を出した。



一度出てしまうと太陽はぐんぐんと昇る。




もう眩しくて見ていられない。
ここで、日本語を話すガイドのトビーさんが登場。遺跡の解説が始まる。

まずはお参り。
最大のストゥーパの周りを時計回りに3回廻ってお参りするのがお作法。
きれいな朝日(あとで聞くと日の出を見られる確率は高くないらしい)のお礼をしたら、観光開始だ。


朝日と仏像。平和な表情だ。


7層目より上の様子。円形のストゥーパが72個ある。

ちなみに10層のうち、下から3層は煩悩、次の3層は煩悩は絶ったがまだ俗世にとらわれている段階、そして最後の3層+頂上は悟りの世界だそうだ。

悟りの3層にも段階があり、1,2層目はストゥーパの格子がひし形(不安定な状態)、なのだが3層目は長方形(安定した状態)になっている。上の仏像の写真では違いがよく見える。


全景。

1層目から6層目までは四角形をしており、壁面にはレリーフ、壇上には仏像がある。
仏像の数はそれぞれの面に108体ずつ。全部で432体。

さて、これまでに出てきた数字にはある共通点がある。
72、108、そして432。どれも各桁を足すと「9」になる。
ジャワ人にとって特別な意味を持つ9という数字に全てを合わせているんだとか。
ちなみにamanjiwoの部屋数も36。お見事。

全景を見たら、次はレリーフを見学。
1層目は煩悩中の煩悩ばかりで、4枚を除いては建築の基礎部分と共に封印されている(子どもの教育上よろしくないものが多いらしい)。
残る4枚は因果応報を表している。


噂話ばかりすると来世は不細工になり、よい行いをするとお金持ちになるの図。

3層目には仏陀が生まれてから、悟りを開くまでのレリーフが並んでいる。


村娘スジャータに牛乳をもらうシーン。
この流れが良く分かった時、高校の宗教の授業に感謝した。


悟りを開いた成道の瞬間。



遠くから全景を眺める。
これだけのものが1000年も埋もれていたとは驚きである。

発見されたとき、この遺跡は崩れかけていたそうだ。
その後、仏像だけが国外に流出するという負の歴史を経て、20世紀の半ばに大規模な修復が行われる。
全ての石を一度解体し、補強しながら組み直す作業を経て、現在の姿となった。
修復の際に新たに組まれた石は400個あまり。その全てに印がうたれており、どの部分が新しい石かは一目で判るようになっている。

その後もテロでストゥーパが爆破されたり、地震で遺跡が破損したり。
これ以上の災難がないことを祈るばかりである。



すべての見学が終わって大満足。八嶋さん似のトビーさんに感謝。
これだけ見ても、まだ8時前だ。ここからは朝ごはんピクニックに出発。
ボロブドゥールが見渡せる丘の上で、


朝ごはん。
ご親切にも水彩セットも用意されていて、にわか画伯となる。
出来上がった絵は封印。

ホテルに戻ったのは10時半ごろ。


センスの良い"private"の札をかけたら一眠り。
その後は本を読み、屋外にあるバスタブでお風呂に入り、スパでマッサージ。
なんともぐうたらな生活を続けると、コーランが聞こえる時間になり、日が暮れた。


一日の締めは、名物のチョコレートスフレで。
一応大きさを聞いて「小さいよ」というから2つ注文したのに、結構大きかった。
とはいえ、全部食べてしまったのだけれど。

長い一日もあっという間に過ぎてしまう。それが休暇というものだ。
amanの生活も、のこり一日。

Temples & Reefs journey6-amanjiwo1日目。

2009年08月08日 | 

amanjiwoの生活は、まだ静かなプールサイドでの朝食から始まった。


インドネシア風おかゆ。チキンやナッツ、スープをお好みでかけて頂く。
お腹がいっぱいになったら、しばし散歩に出かける。
昨日着いたときにはすっかり暗かったので、周りの緑の多さにびっくりしてしまった。


昨日と同じ回廊からの眺め。
ボロブドゥールのてっぺんが見える。

一歩リゾートの外に足を踏み出せば、そこはもう畑作地。
栽培されているのはタバコだと聞いた。




振り返ってamanjiwoの全景を見てみる。
後ろの山に同化して目立たない建物。ボロブドゥールになじむように建てられたリゾートは、不思議なくらい周りの景色を損なっていない。

海の景色も大好きだけれど、癒されるのはやはり田園風景。
育っている作物がちがっても、木の種類が違っても、やっぱり私の原風景は田園と山だ。
原風景がないという都会育ちの相棒も懐かしいと言う。
こういうものを祖先の記憶というのかもしれない。


午前中を比較的のんびり過ごしたら、午後はRice Terrace、つまり棚田を見にセログリヨというところへ連れて行って貰った。
棚田=段々畑=斜面=山道。
その図式を忘れていたことと、移動時間を聞かなかったことが災いし、こっぴどく車酔い。
ガタガタの山道を走ること1時間。もう限界、というところで車が止まった。


計算されたかのような規則性と自然の不規則性が合わさったような棚田の景色。
脂汗もひく美しさだ。

体調も少しマシになったので、車に戻り、さらに10分ほど移動。
小さな小さな集落の一角に車を停めさせてもらい、そこからは徒歩で移動する。
集落を抜けたところで景色が開ける。


先ほどよりも急な斜面も、見渡す限り棚田が広がっていた。
聞くところによると、この辺りは「三期作」が可能らしい。
なるほど、手前の稲は収穫を待っているし、向こうのほうには田植えを終えたばかりの苗も見える。


この谷の斜面を田に開墾するには、どのくらいの労力が必要なのだろう。
途中の道で出会う人、農作業をしている人、今でも機械を使っているようにはとても見えない。
車に乗ってきたくせに、酔ってフラフラの自分がなんだか情けない。

右手に棚田を見下ろして、あぜ道を歩くこと30分。小さなヒンズー寺院に到着。


石造りの門。お寺に行くのに階段を上るのは、どこの国でも一緒だ。


到着。このお寺は8世紀ごろの建造物だそうだ。仏像の頭部はなくなっていた。

帰り道、今度は左手に棚田を見渡しながら集落に戻る。
到着する少し前から、コーランの声が聞こえてきた。
仏教寺院で有名なこのあたりも、現在では住民の多くがイスラム教徒なのだ。
スピーカーから流れるコーラン、家の軒下でくつろぐ人々、そして道を駆け回るニワトリたち。

ノスタルジックな気分に浸りつつも、H5N1がインドネシアで発生(トリ→ヒト感染)する理由に納得したり、お隣で飼っているニワトリと自分の家のニワトリはどうやって区別しているのだろうと心配したり、余計なことを考える。
私はどうも詩人にはなれないらしい。


夜は近くの村で行われるトランス・ダンスを見て、屋外ディナーを頂くというプランに参加。


広場には屋台が並んでいて、好きなものを好きなだけ取って食べる方式だ。
とはいえ、この一角はamanjiwoのゲスト専用だし、屋台のシェフもamanjiwoのスタッフ。
なんともスケールが大きいというか、欧米のお金持ちが考えそうな趣向である。


デザートコーナーにてフルーツの王様、ドリアンを発見したのでトライする。
カスタードクリームのようで濃厚。結構おいしい。
しかし、そのあと2時間ほどにわたって「餃子の餡のかほりのゲップ(失礼)」に悩まされることになった。

食事が終わると、トランス・ダンスが始まるらしい会場に移動する。


サルやら馬やら獅子舞やら、様々な衣装を身に着けた男性がガムランと唄にあわせて踊りだす。
踊りはだんだん早く激しくなり、一人また一人とトランス状態に入っていく。


左端の彼はトランス中。しまいには組んずほぐれつの大乱闘になってしまった。
このほかにも水をはった盥に頭を沈めたり、花を食べたり、煙をかいだり、よく分からない行動を取る人々。
このダンス、21時前ごろから始まって深夜まで続くとのことだった。

翌朝が早い私たちは22時半ごろにお暇することにした。
ずっと不思議に思っていたことをドライバーのヨーコさんに聞いてみた。
彼らは本当にトランス状態なのか、と。

"They are just acting."
ヨーコさんはこともなげにそう答えたけれど、専門のプロではないという彼らがそろいも揃って迫真の演技が出来るのだろうか。
本当に楽しくなっちゃってるのではないかと、少し疑っている。

Temples & Reefs journey5-移動。

2009年08月07日 | Weblog
とうとうamanwanaともお別れ。


サルも別れを告げにやってきた・・・訳ではなく、どうも餌となる木の実が近くにあったらしい。


3泊したテントにもお別れを。


私たちを乗せていくボートの用意も整ったらしい。
旅の最終日は天気でも悪ければ諦めもつくのかもしれないが、決まって快晴だ。
立ち去りがたいほどキレイな海と空。




スタッフ総出でお見送り。左端がGeneral Managerのケビンさん。

帰りの行程も行きと同じだ。1時間半の船旅に1時間半のフライト。


途中でイルカに遭遇。

スンバワの空港に着いた瞬間、インドネシアに戻る。
のんびりした搭乗手続きに、素朴な空港。


搭乗券はラミネート加工がされた紙。もちろん回収する。
座席が分からないじゃないか・・・と思いきや、なんと自由席だった。
到着したバリ島では、baggage claimのターンテーブルの表示がない。
人々は、先に荷物が出てきた人に便名を聞いて、当たりをつけているらしい。
インドネシア語が出来ない我らは、手分け作戦で挑んだ。

バリからはガルーダインドネシア航空でジョグジャカルタへ1時間のフライト。
到着ロビーでは、amanjiwoのスタッフが待っていてくれた。

ジョクジャカルタ空港からamanjiwoまでは約1時間。
途中、市街地を通る。バリ、モヨ島と人のいないところばかり見ていたので、都会具合に面食らう。

信号待ちでは物売りやギター弾きがやって来て、商売に精を出す。
信号待ちの数十秒の間に何を弾いてくれるのか、かなり気になってしまう。
エアコンつきの車が増えた昨今、さほど儲かっているようには見えないが、信号の度にギタリストが登場するのが不思議だった。需要はあるのだろうか。

そのギター引きも姿を消し、しばらくするとamanjiwoに到着。
ここでもGMのショーンさんが出迎えてくれた。


すっかり暗くなったamanjiwoの回廊。
はるか向こうにライトアップされたボロブドゥールが見えた。


amanwanaとは全く趣の異なる、石造りのレストランで食事をして、一日は終了。
明日からは山のアマンの3日間だ。

Temples & Reefs journey4-amanwana3日目。

2009年08月06日 | Weblog

3日目。本日も快晴。
ハネムーンで訪れたamanpuloでは連日暴風雨に悩まされたことを考えると、季節選びは大切だとつくづく思う。
ちなみにインドネシアはただ今乾季の真っ只中。

さて、本日のメインの予定は"Beach drop off"。
リゾートから離れたビーチに3時間ほど「置き去り」にしてくれるプランだ。
桟橋からボートで移動すること約20分、ハネムーンビーチと名付けられたその場所には、すでに日よけのテントとデイベッド、タオルが用意されていた。

ボートから予めお願いしておいたドリンクとランチボックス、緊急連絡用のトランシーバーを置くと、スタッフは手を振って戻っていった。




この海と砂浜を(しばし)二人占め。なんとも贅沢だ。
まずはシュノーケリングに出発。


波打ち際から少し行っただけで、サンゴが広がっている。


下から水面をパチリ。空の色が透けて、マーブル模様のようだ。

この辺りの魚たちは全くの野生で、人が近づくと逃げてしまう。
一匹一匹の大きさも、amanwanaの桟橋で見たものよりもずいぶん小さい。
養殖の強大な力を知った気がした。
ちなみに、桟橋で餌付けされている魚にも餌の好みがあるらしく、バナナケーキが大好物だとか。なんとも贅沢な熱帯魚である。

40分くらいシュノーケリングを楽しんだら、ビーチに戻ってゴロゴロ。
本当は、本を読みながらうたた寝・・・と思っていたのだけれど、どうも不毛地帯が面白すぎて真剣に読みふける。
そのうちお腹がすいてくるので、ランチボックスを開けてみる。


チキンサンド(注:1人前)と、


今回の旅でお気に入りのバナナケーキ(魚たちと同じ趣味らしい)。
このほかにフルーツプレートとジュースが冷えていて、お腹もいっぱい。
一つ残ったサンドイッチは、食後のシュノーケリングに持って行き、魚たちの好みを調べることにした。

ダイビングのときと違い、上から餌を上げる形なので、なかなか思ったように食べては貰えない。
魚たちも警戒しているので、餌をあげる→少し離れて観察、というプロセスを経て彼らの傾向を調べてみた。

一番喰いつきが良いのはパン、次いでチキン、最後にフルーツの順で、スタッフの方の話と同じだった。
ちなみに、ダイビングのときはだいたい「魚肉ソーセージ」をあげていて、かなり喰いつき良い。やはり海のものが良いのだろうか・・・。

そうこうしているうちにお迎えの時間がやってきた。3時間はあっという間だ。
リゾートに戻ってからもまだ遊び足りずに、シュノーケリングをする。
海ガメが見られるという"Turtle street"で40分くらいねばったけれど、結局ウミガメには会えなかった。


代わりにクマノミを発見。


夕方からはJungle cove spaという屋外のスパにて60分のマッサージ。
指圧がメインのマッサージで疲れがほぐれていき、いい風が吹いて、とても心地が良い。
一方相棒のベッドは、日が当たって暑かったそうな・・・。

そんなこんなでTemples and reefs のreefsの部分は終了。
3泊は少し短い滞在かも・・・と思った。

Temples & Reefs journey3-amanwana2日目。

2009年08月05日 | 
目が覚めたら6時だった。
会社がある日も、毎日このくらい目覚めが良いといいのに。
柄にもなく、早朝の散歩に出かけることにする。


早朝の静かな海。


おサルも早起きだ。
amanwanaには野生のサル(こちらは餌付けされていないらしい)が多く、その辺を歩き回っている。テントの屋根で運動会をしたり、窓からのぞいたり、なかなかお茶目である。

本日の予定は、午前にダイビング2本と夕方にボトムフィッシング。合間にマッサージも予約する。
身体を動かすので、朝食からガッツリとナシゴレン。


amanwanaのナシゴレンはシーフードとチキンが選べる。
量は多いけれど、とてもおいしい。

8時半にダイビングショップに向かう。
日本人インストラクターの方が常駐しているので全て日本語でOK。
ボートで20分ほどのポイントに移動してダイビング開始。

エントリーした瞬間、あまりの魚の多さと水の綺麗さに圧倒された。




ツバメウオの群れ。


ツノダシの群れ。

大物はいなくても、サンゴや魚の群れ、地形、流れ・・・とても楽しいポイントだった。


砂地にはエイやガーデンイールなども生息。
ダイビングをしている人が少ないので、水が濁ることもなく快適。


ボートから見た海。水深によって水の色がどんどん変わる。
真ん中は、私たちのダイビングを待っている間、我慢できなくなってシュノーケリングをおっぱじめてしまったスタッフ(笑)。

水面休息の間に、近くの村に案内してもらうことにした。
人口600人、モヨ島で最大の集落 Labuan Ajiにはamanwanaのスタッフも暮らしている。
amanwanaも村の小学校建設に寄付をしたりと、関係も良好だそうだ。
村には子どもたちが沢山いて、とても人懐っこい。


高床の住宅が軒を連ねる。


悠々と散歩する(?)ヤギ。


なかなかワイルドな「魚の干物(一つだけ)」。


ダイビング2本目は流れのあるAngel reefというポイントへ。


魚の群れが多く入るポイントだ。
誰が指揮をしているのか、面白いほど同じ方向に向かって泳ぐ魚たち。
時折、魚のスピードが急に変わる。群れにまぎれているアジやマグロが捕食を始めるのだ。


このときばかりは、魚もなりふり構っていられないらしい。
私たち人間のほうにも逃げてくるのだ。
まさに弱肉強食、食物連鎖。


こんなにのどかに見えても、自然界は厳しいのだ。


自然を離れて久しい我ら、夕方にはボトムフィッシングに出かけた。
インドネシアの昔ながらのボートで出発。




道具はいたってシンプル。
釣り糸には釣り針が2つ。その先にはおもり。それだけだ。
おもりが水底に着くまで釣り糸を垂らして、あとは待つのみ。
かかったのかどうなのか、全然分からない手探りフィッシング。

"Did you feel?"と最初は英語で聞いてくれたスタッフも、私たちが「来た?来たかな?」と言うもんだから、しまいには「キタ?」「キタ!」と日本語大会になってしまった。


何匹も釣って、大活躍の相棒。
私はかろうじて一匹を釣ることができた。
ダイビングでもよく見るアカモンガラだった。


大海原に沈むサンセットを見て、釣り終了。

釣った魚はシェフがディナーに調理してくれる。


ワイルドなグリルは骨だらけ。これをナイフとフォークで食べるのは一苦労だったけれど、素朴な塩焼きはとてもおいしかった。

お部屋に帰るとあとは寝るだけ。
amanawanaにはテレビもステレオもないけれど、全然困らない。
究極に贅沢な「田舎暮らし」がそこにある。

Temples & Reefs journey2-amanwana1日目。

2009年08月04日 | Weblog
一通り、リゾート内の説明を受けたら、3泊を過ごすお部屋に案内してもらった。
amanresortsのお部屋は独立したコテージであることが多いけれど、なんといってもこのamanwanaの特徴は、お部屋が「テント」だということ。

モヨ島は自然保護区に指定されているらしく、本来ならば開発は出来ない。
そこで「20棟のテント、木は伐り出さない」という条件を提示して、許可が下りたと言う。
そのテントがコチラ。


テントとはいえ壁も窓もあり、エアコン・トイレ・シャワー完備。
広いダブルベッドの他に、デイベッドが2つ。
バスタブはなく、他のアマンに比べるとシンプルだけれど、充分贅沢なつくりだ。
全てのテントは全く同じ作りで、場所によってオーシャンテントとジャングルテントに分かれている。
私たちが宿泊したのは#7のジャングルテント。

昼食を済ませたあとは、ホテル前でシュノーケリングをした。
ボートが着く桟橋では、魚が餌付けされていて、水面からでも沢山の魚を見ることが出来る。
水中から見てみると・・・。




適当にシャッターを押してもこの状態である。
人に慣れているのか、近寄っても全然逃げない。


もちろんサンゴもきれいに育っていて、少し潜るとこんな景色を見ることも出来る。


少し沖に向かって泳ぐと、砂地。水が澄んでいるので光がよく届く。


Finding Nimoに登場するドリーちゃんも発見。


ダイバーの私にとって、シュノーケリングは正直それほどエキサイティングな遊びではないのだが、この魚の多さには大興奮。

ひとしきり泳いだあとは、ビーチで読書したり昼寝したり、のんびり過ごした。
この旅に私が持参したのは、なぜか山崎豊子氏の「不毛地帯」。
この場所とストーリのギャップが素晴らしいのか、どんどん読み進む。
そのうちに、日が沈み始めた。


美しいサンセット。

ディナーが終わってテントに戻ると、ベッドに蚊帳が吊られていた。


人生初蚊帳に大喜びの私。
一方、「閉所恐怖症やし、僕これ怖いかも・・・」と相棒。

とはいえ、健康的に屋外で過ごした疲れもあって、二人とも23時前にはぐっすり寝入ってしまった。

Temples & Reefs journey1-長い道のり。

2009年08月04日 | 
待ちに待った夏休み、今年はインドネシア方面に足をのばすことにした。
行き先は、amanwanaとamanjiwo、モヨ島とボロブドゥールにあるリゾートホテルだ。
HP上で"aman's temples and reefs journey"というプランを発見したので、それに乗っかることにした次第である。
日程はamanwanaとamanjiwoに3泊ずつ+前泊の7泊8日。

amanwanaのあるモヨ島、ここはお世辞にもアクセスが良いとは言えない。
日本-バリ島の飛行機が夜着なのに加え、

1.バリ島から水上飛行機で1時間(運行は週3回)
2.バリ島から飛行機で1.5時間+ボートで1時間
3.ヘリをチャーター

以上3つの乗り継ぎが必要なのである。
言うまでもなく、3は問題外のため、日程と値段を勘案して2を選択した。


8月3日、定刻通り22:30にバリ島に到着したものの、のんびりした入国審査のお陰で、ホテル到着時には日付が変わっていた。


1泊だけした、Hotel Nikko Bali。
早朝に出発しなければならないのが勿体ないくらい、ステキなお部屋だった。

8月4日、ピックアップは7時半。ということで5時半に起床。


まだ夜明け前。
朝食はルームサービスをお願いした。


小洒落たバナナ。この旅でもっとも美味しいバナナであった。


食べている間に日が昇り、いよいよamanwanaに向かって出発である。


デンパサールから乗ったTransnusa航空。
バリ→ロンボク島→スンバワ島の経由便である。
デンパサールでは辛うじて搭乗機までバスで運んでくれるけれど、ロンボク・スンバワでは機内とビルを徒歩にて往復。

到着地ではちゃんとamanresortsのスタッフが待っていてくれて、一切合切の手続きを済ませてくれる。
到着地スンバワでも、案内された車の中で冷えたミネラルウォーターを飲んでいる間に、スーツケースを回収して運んできてくれた。
うーん、ダメ人間になりそう。
車で移動すること約15分、amanwana専用の桟橋に到着。


周囲の喧騒から切り離された雰囲気。amanwanaがここから始まる。


貸切のボートで移動すること1時間15分・・・。


海岸まで迫るジャングルの合間に、amanwanaの白いテントの屋根が見えてきた。

"Welcome to amanwana!"
桟橋ではGeneral Managerが自らお出迎え。
カバンまで持ってくれちゃったりする。
束の間の、ラグジュアリーな休日のはじまりはじまり・・・。