宗教法人が解散になると、みんな「ゼロ」になる、ってブログを先日書きました。
メディアとかでも、「宗教法人が解散しても、税優遇がなくなるだけ」というデマを流す方がいらっしゃるようですね。
そこで、解散命令が来たら、宗教法人は「一巻の終わり」ということを、改めてもう少し丁寧に説明します。
- 宗教法人が解散になると、清算法人になります。
- 清算法人とは、財産(債権債務とか)の整理のためだけに存続する法人です。
- それ以外の、宗教行為は、一切、できません。
これは宗教法人法48条の2に書いています。
48条の2
「解散した宗教法人は、清算の目的の範囲内において、その清算の結了に至るまではなお存続するものとみなす。」
この解釈として、『逐条解説 宗教法人法』(ぎょうせい)の287頁には:
「清算法人が従来の目的たる活動を復活させることは目的の範囲内に入らない」
って書いています。
このように、法律と注釈に、「解散したら宗教活動できない」ってことが書いてあるんです。
だから、「宗教法人の解散によって、当該宗教団体は、その有した財産の一切を失う」ことになるんです(『宗教法人解散後の宗教活動』櫻井圀郎 ←リンク貼れませんが、ググれば誰でもダウンロードできます)。
つまり、「宗教法人」の解散後、信徒たちが、新たに、別個、宗教活動をしたいとしても、「鉛筆1本、紙1枚も持たない」んです(前掲櫻井133頁)。
<財産的には「ゼロからの再出発」とならざるを得ない。>
んです。これも櫻井133頁。
この、「鉛筆1本、紙1枚も持てなくなる」「ゼロからの再出発を強いられること」が、信者個々人の信教の自由の侵害になりうることは、オウム真理教最高裁判例も、
憲法の保障する精神的自由の一つとしての信教の自由の重要性に思いを致し、憲法がそのような規制を許容するものであるかどうかを慎重に吟味しなければならない。
って述べています(こちら・裁判所サイト)。
つまり、実質的には、「解散によって信教の自由が侵害される」ことを、最高裁判所も、認めているんです。
このように、解散命令が来ると、宗教法人として、一巻の終わりなんです。このへんまでを理解した上で、本当に「解散することが必要最小限の手段なのか」を吟味しなければいけないんです(LRAの基準、こちら参照)。
国民皆様のご参考のために。
宗教法人ではなくなった宗教団体の宗教活動の場合は制約を受けないと思いますが、どうでしょうか。