西郷隆盛が2度目の遠島(正確には3度目?徳之島の次。最初の奄美大島は、遠島の刑というよりは、匿われただけ)に遭った沖永良部に行ってきました。
西郷が流刑に遭った、吹きざらしの座敷牢を見に。
「吹きざらしの座敷牢」を見るためだけに沖永良部に行く人は、あまりいないと思う。
いろんな人が西郷伝を書いているが、「あ、この人、沖永良部に行っていないな」というのは、沖永良部の座敷牢あたりの表現を見れば、すぐわかる。
そんな沖永良部に行く前に、機内で、いくつか重要な西郷伝を読んで思った。
西郷は「死者と同化する能力」が高い。「死者を自らに生かす」能力というか。要するにエンパシー。Empatheticである。
西郷の前に、西郷に思いを託すように、非業に斃れた人たちの、思いを受け取る力が強かった。
- 平田靱負(薩摩義士。岐阜の堤防で切腹した人)
- 赤山靱負(久光⇆斉彬の内紛で、西郷の父親が介錯した。その赤山の血染めの衣服を西郷は大事にした)
- 島津斉彬
- 月照(一緒に入水自殺して西郷だけ生き延びた)
- 無参禅師(禅の師匠、特に非業に斃れたというわけではない)
- 藤田東湖(地震で母を救おうとして圧死)
- 橋本左内(西郷は、左内からの手紙を城山で死ぬまで肌身離さず持っていた)
そう。
明治6年の政変で下野した以後の西郷が「巨大な空洞」で、岸田首相とか東條英機に似ている、と書きましたが
こちら 、やや訂正します。
明治6年以前も、ずっと、西郷は、巨大な空洞ではなかったか。
自らを無にして、本来無一物の禅の境地に立ち、天を相手にして、敬天愛人、有神無我、無欲恬澹、自らを空虚にする。
西郷が聖書を学んでいたのはもう定説のようですが、聖書的に言えば、The more submissive we are, the stronger we will be.
神に従順であればあるほど、我々は強くなる。自分を無にして、宇宙と一体化して、神とか天に近づこうとするほど、力が発揮できることがある。
西郷は、「欲をなくすこと」を説いた。これは沖永良部の座敷牢あたりでしっかり教わった。
↑ 「欲ヲ離ル」「欲ノ一字」が見える(沖永良部の西郷南洲記念館、座敷牢の脇に立つ)。
この西郷の教えは、沖永良部に行かねば知らなかった。沖永良部最大の収穫の一つ。
欲を離れる、、、ほとんど「宗教家」の西郷。ガンディーそっくり。
華美軽薄な明治政府に厭気が差して下野する前も、維新の英雄として八面六臂の活躍をしていたときも、西郷は無欲で「巨大な空虚」なのではなかったか。
周りが良き人であれば、その空虚に、良きエッセンスが入る。
周りがダメな人であれば(西南戦争で暴発した薩摩男児)、その空虚に、ダメなエッセンスが入る。
大西郷の偉大さと、愚かさは、その「偉大なる空虚」に由来するのではないか。
そんな仮説を立てています。
〜〜〜
後記
空白に「死者」を容れた時代は良かった。維新の英傑。
空白に「生者」を容れたらダメだった。西南戦争。
やはり我々は、死者と共に生きて、100年・1000年の時間軸を持たねばならない。
我々にインストールすべきは、1000年の篩にかけられて風雪に耐えてきた、太くたくましい軸。
令和ニッポンの、一時的で刹那的で享楽的な価値観ではなく。
この辺を見極めるのが、不易流行ですね。