川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

金持ちで死ぬのは恥である(カーネギー)

2024年07月14日 | 宗教
◆ 金持ちで死ぬのは恥である 
 鉄鋼王・カーネギーの言葉。
 カーネギーホールとかで有名な慈善事業家

◆ Die with Zero
 去年流行ったビジネス本。
 カーネギーの考えと同じく、財産を使い切ってゼロにしてしなないと、無駄に働いたことになるよ、って本。

 
◆ 児孫のために美田を買わず
 西郷南洲の言葉。

この辺は、おなじみの、

◆ 金持ちが天国に行くのは、ラクダが針の穴を通るより難しい
 It is easier for the camel to go into the eye of a needle than the rich to go to the kingdom of heaven 

という、マタイ19:23   マルコ10:25  ルカ18:25 の3つの共観福音書に書かれている考えから来ている。西郷も聖書を読んでいたそうですし。ま、西郷の考えが聖書そのものから来ていないとしても、このラクダ…の考えと似ている。

先日、最高裁で、念書の効力が否定された老婦人も、こういう考えを持っていたかもですね。いや、持っていた可能性が高いですね。

私ですら持ってますから。子に財産を遺すよりかは、どこかに寄付して死のうと思っています。子に財産を遺すことは災いの始まりですから、、、

最高裁判事は、この老婦人の気持ちまで、想像していたかどうか。
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西郷隆盛は赤貧であった

2024年07月14日 | 歴史
西郷隆盛の妻。

◆ イトさん。
正妻。上野の西郷像を見て「ウチの人はこんなじゃなかった…」とぼやいた方。

◆ 愛加那(あいかな)。
徳之島の妻。置き去りにされた。ちなみに戸籍上は「アリカナ」だと、沖永良部島の西郷南洲記念館の館長がおっしゃっていた。

この2人は広く知られている。

しかし、正妻イトさんは、西郷の、3人めの妻。

実は西郷は、20代で一度結婚しているが、離婚している。

赤貧すぎて、妻のほうが実家に帰った。

大西郷も、「妻が逃げ帰る」ほど、赤貧でした。

小川さゆりさんとか鈴木みらいさんとかは、「親と一緒にディズニーランドに行けなかった」程度のことを「被害」と言い募っていますが、、、

天を怨みず
人を尤(とが)めず

こんな論語精神を、新紙幣の渋沢栄一あたりから学んでいただきたいものである。
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最高裁老婦人念書公序良俗違反事件 -3行の重み

2024年07月14日 | 法律・海外法務
先日、最高裁が、家庭連合老婦人が書いた、公証役場で認証を得た「念書」を公序良俗違反とした。

その「念書」の3段落目には、こう書かれている。

私の寄付等について必ずしも快く思わない私の親族らや相続人らが、後日無用の紛争を起こすことがなきよう、私の意思をここに明らかにする

最高裁は、この老婦人が、必死に、懸命に書いたこの3行を無にしたんですね。

これは信仰の蹂躙に等しい。


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偽名人による損害賠償請求は認められない

2024年07月14日 | 法律・海外法務
先日、「偽名人の主張には信用性が低い」と書きました。


さらにこの「偽名人・匿名人ががなり立てる被害」について、筆を進めます。

(顔も出さない)偽名人が申し立てる「被害」を認めていいのだろうか?

という疑問・問題提起です。

____________

「鈴木みらい」っていう偽名の家庭連合元信者2世が、「信仰を強制された!」と言って、家庭連合に対し1000万円の慰謝料請求をしている。

この「みらい」氏(女性)が、小川さゆりみたいに、嘘八百を言い立てているっぽいという情報を得て、いろいろ調査中。。 実際、いくつかの嘘は発見した。

SNS一般で偽名・匿名が悪いとは言わない。匿名にもそれなりの良さはある。

しかし。

偽名の衣に隠れて、嘘を言う。偽名であることをいいことに、あることないことを言う。

どうやら「鈴木みらい」はそういう御仁のようである。

そんな人の主張を認めていいのだろうか。世界の法実務は、それを認めていない。公開法廷の原則で。

真実は、顔と実名を公衆に晒して、適正な手続のもとで、堂々と明らかにすべきだ、というのが、人類がたどり着いた公開法廷の原則。

つまり、偽名人の主張には信用性が低い。偽名の盾に隠れたままでは、真実の主張ができない。偽名の隠れ蓑に隠れたままで、「アタシの言っていることが真実です!」って言い募ることは、人類が歴史的に許容していない。

そう言えるのではなかろうか。

これまでかつて、戦後の日本とか、長い目で見て、「偽名で損害賠償請求して、それが認められた」って事例があるんだろうか。

ないはずである(裁判所が偽名のままでの訴訟提起を認めてきていないから)。

そう。

偽名人の損害賠償請求は認められない。

これが日本の法実務ではなかったか。

鈴木みらい(及びバックにいる霊感弁連)はその「日本の法実務」を変えんとしているのだろうか。

それとも、他者に対しては「偽名の損害賠償請求は認めない」けれども、家庭連合に対してだけは「偽名の損害賠償請求は認められる」とでも主張するのだろうか。

偽名のままでの損害賠償請求は認められない。

公開法廷での反対尋問に晒される覚悟と勇気がない者には、損害賠償請求をする資格はない。

これが世界の法理論なのではないだろうか。

偽名人による家庭連合に対する「集団交渉」を引っ張っている、日弁連の会長を務めた村越進さんに訊いてみたいものである。

 ※ 後記
  鈴木みらいは集団交渉の正式な申立てには実名を使っているのかな?
  そうだとしても、いやなおさらそうであれば、ネット空間で偽名の衣に隠れてあれこれ言い募ることに強い違和感を感じる。

 ※ 後記2
  鈴木みらいは小川さゆりや鈴木エイトとは決定的に違う。
  3者いずれも偽名だが、鈴木みらいだけは顔を出していない。同一性の特定ができない。
  同一性の特定ができないままで、「アタシの言うことが真実です!」って言い切ることはできない。検証できないから。
  実名も顔も晒さない者の信用性は、決定的に劣るのです。
  ちなみにだから私は、「匿名人とは対話しない」ことをここ20年間自らに課しています。  
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「地獄」が宗教の本質?

2024年07月14日 | 宗教
「鈴木みらい」っていう偽名の家庭連合元2世信者が、「信仰を強制された!」と言って、家庭連合に対し1000万円の慰謝料請求をしている。

この「みらい」氏(女性)が、小川さゆりみたいに、嘘八百を言い立てているっぽいという情報を得て、いろいろ調査中。。 実際、いくつかの嘘は発見した。

「嘘」と言えるかどうかはともかく、彼女の書面を見ると、もう頻繁に、1頁に1つくらい、「地獄に堕ちると言われたので…」という強迫観念が出てくる。

彼女は、26歳まではバリバリの信者で、周りを巻き込む人格・行動力もあった。人も羨む一流国立総合大学を出て、結婚し、子供も授かり… 今はアラフォー。

そのアラフォー女性が、かつての篤い信仰時代を振り返って、二言目には「地獄に堕ちると言われたので…」と他責することに、大きな違和感を感じている。

お子ちゃまじゃあるまいに、、、

信者の旦那さんとお子さんとみらい氏の3者が映った、ハッピーハッピーな幸せ満面の写真を何葉も見ている私には、、 

違和感しかない。

そこで、そもそも「地獄に堕ちる」という恐怖信仰があるのか。あるとして、それが(数年単位で)長続きするのか、を調べている。

家庭連合的には、「地獄に堕ちる」という恐怖信仰はないようである。その教義を説いた『原理講論』にも、「地獄」という用語は、「神」の71分の1しか登場しないし。

こんな感じで多くの神学者等と対話するなかで、得られたのは、、、

むしろ、死後の世界を論じる「天国と地獄」ってのは、宗教の本質の一つなのでは、という考えです。

つまり、

  • ほとんど宗教が多かれ少なかれ「地獄」の観念を有している
  • 世界宗教の経典には、例外なく「地獄」の描写が含まれている
  • その教義は信者に相応の恐怖を与えている(ようだ)

ってことです。世界宗教の経典を紐解くと、、、

■ キリスト教
おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である。
(ヨハネの黙示録二一章八節)
 
■ イスラム教
かかる者のあとは地獄があって、けがらわしい水を飲まされるであろう。かれはそれをすするのだが、なかなか飲み込めぬ、また死はあらゆる方向から迫るが、かれは死にもせぬ。なおかれの後ろには容赦のない刑罰がある。
(コーラン一四章一六〜一七節)
 
まことに地獄は、待ち伏せた所であり、法外な者にとって、帰り着く所、
かれらは長い年月、その中に住むであろう。そこでは涼しさも味わえず、煮えたぎる湯と膿のほかには、どんな飲物もない。かれらのためふさわしい報奨である。まことにかれらは、その行いに対する清算を希望しないでいた、またかれらはわがしるしを虚偽だとし、強く拒んだ。われは一切のことを、書冊にとどめている、それでなんじらは自分の行いの結果を味わえ、われは刑罰を増加するばかりである。
(コーラン七十八章二一〜三〇節)
 
■ 仏教
愚かな輩は人間界で死んだのち堕ちて、幾劫かを満了するあいだ、阿鼻地獄に住む者となり、その後さらに幾小劫のあいだ、かれらはそこで堕落を続けるのだ。地獄界で死んだ後、かれらはさらに畜生界にさまよい、かれらは痩せこけた犬や豺となって、他の人々のなぶりものとなろう。余の勝れた「さとり」を嫌う輩は、そこで色が黒くなり、斑色となり、皮膚に腫瘍が生じ、また疥癬となる。かれらは頭髪が抜け落ち、さらに痩せ衰えよう。かれらは人間たちの間で常に嫌厭され、土塊を投げつけられて悲鳴をあげ、そこで棒で嚇され、飢餓に悩まされ、四肢はやつれはてるのだ。 
(法華経譬喩品第三)
 
■ ヒンズー教
罪深い者達の内である者は薪のようにのこぎりで切られ、またある者は大地に投げ捨てられたり、斧でズタズタにされたりする。ある者は身体の半分を穴に埋められ、頭を槍で刺し貫かれる。またある者は絞り機の真ん中に固定されて、砂糖きびのように圧搾される。ある者は燃えさかる炭に囲まれ、たいまつに包まれ、鉱石の塊のように精錬される。ある者は熱いバターに、またある者は熱い油に押し込められ、フライパンに投げ込まれたケーキのようにひっくり返される。ある者は巨大な狂った象が群れなす道に投げ込まれ、またある者は手足を縛られて逆さまにされる。ある者は井戸に投げ込まれ、ある者は高い所から投げ落とされ、またある者は虫のたくさんいる穴に押し込まれ、それに食べられる。……正当な秩序に従って下界の拷問を経験した後、彼は清められて再びここに帰って来る。
(ガルダ・プラーナ三章四九〜七一節)
 
____________

このように、多かれ少なかれどんな宗教にも「地獄」や「恐怖」がある。以下の高僧は、「恐れ」が宗教を生む、とまで言っています。

「恐れが宗教を生む」(仏教の高僧)
 ・人間の宗教が根本的には「恐怖感」から生まれてきている
 ・怖いと思う気持ちから「信じる心」が始まった

そこで私が考えた仮説はーーーー

私は無宗教(特定宗教の信者とはいえない)なだけに、私には特定宗教が説く「恐れ」はない。

ただ、「恐れ」と「畏れ」は似ている。

私には(地獄に堕ちないようになんとかしようという)「恐れ」はないけど、「畏れ」はある。

つまり、人として敬虔な心というか、造物主(天や神仏)を敬う、ないし「畏れる」気持ちは持っている。

まあ「畏れ」も「恐れ」も大差ないだろうから、「恐れが宗教の本質」と言われても、あまり違和感がない。

「恐れが宗教の本質」をもじれば、「畏れが道徳・倫理の本質」とさえ言えよう。

「誰も見ていなくてもお天道様は見ている」という「畏れ」が道徳とか倫理につながる、というのはみなさんもなんとなくおわかりになるでしょう。

儒教は宗教ではないですが、儒教や漢籍にも「俯仰天地に恥じず」「敬天愛人」「天網恢恢」「天知る地知る我知る子知る…」など、造物主的な「天」は頻繁に出てくる。

「畏れ」のない人間は、傲慢で下品で俗物的だ(思い当たる人がアチラ方面に何人かいますね)。

長くなりましたのでここいらで。本稿は続く。

~~~以下参考サイト~~~
 
こちら(魚谷氏ブログ)
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自己肯定感を上げる工夫

2024年07月14日 | 業務効率化・ライフハック
①毎日できることで、かつ、
②成長を実感・体感できること 

をすると自己肯定感が上がる。

毎日、継続してやっているから、こんなに成長した。
それを実感して体感できれば、自己肯定感が上がらないわけはない。

じゃあ何をすればいいのか。

やっぱり運動・エクササイスが最適。

  • 柔軟性が向上した
  • 体重や体脂肪が減った
  • ランニングの記録が伸びた
など。

私の場合、数ヶ月前からホットヨガのLAVAに通ったり、空手全日本チャンピオン(50歳クラス)を目指している中で、毎日ストレッチして、確実に、柔軟性が向上している。これが私の自己肯定感をバク上げしている。

他に、

①毎日できることで、かつ、
②成長を実感・体感できること 

のいい例があれば、教えて下さいませ!

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