自分自身の不遇を他の誰かのせいにして幸せになった人はいない。
『一億総他責社会』で片田珠美が喝破する。
小川さゆりたち自称被害者の家庭連合2世に伝えたい。自責しないと幸せになれない。
他責する君たちはともかく、匿名で他責する親の君の背中を見て育った子供がどうなるか。
話題の、ジャーナリストの条件。
ジャーナリストの役割とは、人々への特別な種類の関わり方 -物事を知らせること- に献身することであり、何かの側に立って、運動家の役割を直接果たすことではない。
「Anti Cult Activist」として活動し、その名刺を作っていた鈴木エイト氏に、是非読んでほしい。
都内某所で、東京都知事選の、期日前投票をしてきました。
週末の選挙日には、岡山で講演をしてるので、期日前に。
恥ずかしながら、選挙権を持って約30年、期日前投票は初めて。
正直、今回の都知事選は、「最も投票したい人がいない」選挙なので、わざわざ足をちょっと遠くに運んで期日前投票するのには、ハードルが高かったんですが。
でもなぜ私が期日前投票するに至ったかと言うと、私が、日ごろ、宗教関係のシンポジウムで、「実らずとも、各々にできることをやりましょう」と言っているから。
人に偉そうなことを言っておきながら、自分が、都民として、簡単にできることとして選挙権の交渉をしないのは、良くないなと。
投票率が低ければ、現職の小池百合子さんが当選することは間違いない。
私は、小池さんは、カイロ大学を卒業していないと思っている。
学歴を詐称してる人が、都知事にこのままのさばるのは良くないと思っているので、小池さん以外に投票せんと思って、投票してきました。蓮舫さんは共産党寄りのようなので、蓮舫さんにも投票していません。
渋沢栄一の「論語と算盤」にも書いていますが、論語的価値、道徳的価値というのは、「成敗を考えない」にあるんですね。
成功するからやる。失敗するからやらないというのではなく、そういう、名利とか、世俗を離れた価値観を持つ。
それが、「論語と算盤」で、渋沢栄一が説きたかったことの1つ。
西南戦争中、西郷はほとんど語らず、犬と共に暮らし、軍議にもロクに口も挟まない。
壮大な沈黙のみを残した。巨大な空白を残した。
それが西郷を神格化させることにつながった。
めちゃ詳しいこの小川原正道『西南戦争』でも、西南戦争中の西郷の心中は、数少ない発言から推し量ることしかできない。
沈黙が、空白が、自らを死後に最も活かすことを分かっていたのだろうか。
挙兵という過ちを犯したことを知った西郷は、一切の言い訳をすることを拒んだ。
そこに彼の美学があったのだろうか。
一切の言い訳をせず、賊臣としての批判を甘んじて受け入れる。そんな負けっぷりの良さ、諦め、諦観、往生際の良さにも、西郷の戦略と魅力を感じる。
自分がその立場にあったらどうするか、を考えつつ、「あいまいさ」「見えにくさ」のみを残した西郷の胸中を探っている。
ーーーーーー
前原一誠は、萩の乱で、「諫死」をした。華美と奢侈に流れる軽薄な明治政府に対して。
西郷も、西南戦争で、兵士丸ごと、時の明治政府に対して「諫死」をしたんだろう。あわよくば東京に辿り着けば、、という野望ももちろんあっただろうが、熊本城が落ちないあたりの段階で、諫死のための死地を追い求めていた。
薩軍は、熊本城を落せず、そこから鹿児島にすぐ戻ったのではなく、大分近くまで行ってから、鹿児島の城山に戻っているんですね。こんな長い道の敗走を続けたことは知りませんでした。