川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

岡山県はすごい

2024年07月07日 | 社会・時事など
岡山県はすごい。

いままであまり縁がなかったですが、教育の県。文化の県。民度が高い。

古くは、、、

■ 和気清麻呂
 道鏡の時代に天皇を守った。だから皇居周りにデカい銅像がある。
 皇居周りの銅像はこの和気清麻呂と楠木正成だけ。
 楠木より和気清麻呂の方が、皇居に遥かに近いところにある。
 ちなみに和気清麻呂は明治30年に紙幣の顔になっています。

■ 吉備真備
 カタカナを作ったとの伝承もある。

■ キビ団子
 桃太郎伝説。桃太郎の「キビ」団子は、吉備真備とかの、国宝・吉備津(きびつ)神社 こちら とかに関連する。
 岡山の空港は「岡山桃太郎空港」です。

■ 法然、栄西

■ 陽明学
 山田方谷、熊沢蕃山
 方谷は、私が敬愛する河井継之助の師匠。

 
 JR西日本の「方谷駅」は、JR唯一の人名を冠する駅。
 「下の名前が駅名になっている」のは、JR縛りのみならず、全ての私鉄路線を見ても、この方谷駅だけでは。

 熊沢蕃山は、陽明学の祖・中江藤樹に弟子入りした人。
  憂きことのなほこの上に積もれかし
   限りある身のちから試さん
 が刺さる。

 私が司法試験を受けるかどうかを迷っていたとき、神渡良平さんに手紙を書いたら、神渡さんが偉い達筆な巻紙で、熊沢蕃山の言葉を書いてくれた。その言葉に誘われるようにして、私がこの法曹の世界に来た。

■ 三宅精一
 点字ブロックを発明。世界75か国に展開。

■ 大原孫三郎
 実業家・篤志家。
 日本初の民間美術館。コレクション点数がすごく多いらしい。

 
■ 石井十次
 篤志家。クリスチャン。
 
■ 人見絹枝
 日本女子で初の五輪メダリスト。
 800メートルの決勝の最後で、「ここで気合と根性出すのが大和魂でなくてなんであろう」みたいなことを言った。

■ 有森裕子
 その人見絹枝の「大和魂」を受け継いで、人見以来、64年ぶりに陸上日本女子でメダルを獲得した。
 同郷の先人が後世の人間を刺激した好例。

■ 岡山東商業高校
 秋山登・土井淳 明治→大洋の黄金バッテリー、昭和35年優勝
 平松政次 甲子園優勝して200勝した唯一の選手
 八名信夫 プロ野球引退して俳優に
 美木良介 ロングブレス(私の赤坂のオフィスのそば、先日体験レッスンで美木さんに会った)

こんなに、私が知っていた/縁がある方々がいらっしゃる。

岡山に足を運ばねば知らなかったことも多数。

何事も足を運んでみるもんですね!
 

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批判する者になるな、批判される者になれ

2024年07月07日 | 言葉
札幌シンポジウムで、札幌の方々に話をするのに、私の中の「札幌」ネタを探すと、、、

やっぱり内村鑑三。

20歳のころ、何かの本に、内村鑑三の言葉

批判する者になるな、批判される者になれ

を見つけた。刺さった。片時も忘れたことはない。

この言葉に導かれるようにして、批判の強い案件を引き受けた。

言葉が人生を導く。

いい言葉がいい人生を築く。

悪い言葉は悪い人生をもたらす。

最近知ったのは、アフガンの医師・中村哲さんも、内村鑑三の

人の嫌がることをなせ
人の嫌がる道を行け

に導かれるようにして、アフガンに赴いた。

いい言葉を覚えましょう。


 
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岡山 後楽園

2024年07月07日 | 旅行記
岡山の平和シンポジウム前に、30分だけ、日本三名園の、後楽園を。


家庭連合2世の小嶌希晶さんと。














36℃の暑さでしたが、とても癒されました!
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札幌

2024年07月07日 | 旅行記
札幌で人権シンポジウム。

観光する時間ありませんでしたが、ガラナ飲んで元気になりました!

ガラナ大好き❤

札幌ラーメン


美味でした!
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岡山の「金棒」

2024年07月07日 | 旅行記
岡山といえば桃太郎。

吉備国の伝説から生まれた桃太郎伝説。

吉備の国だから、「キビ」団子🍡なんですね。初めて知った、、、

岡山市の、市中の、ガードレール的なチェーン⛓️をかけるポールも、「金棒」デザイン。

鬼退治の、鬼に金棒だから。

凝ってますね!





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岡山 後楽園(日本三名園)

2024年07月07日 | 旅行記
岡山の平和シンポジウム前に、日本三名園の、岡山の後楽園を散策。

江戸時代初期に、池田藩が。




鶴(タンチョウズル)が六羽くらい飼われている。






























































とっても素敵で癒されました、ご案内いただいたF様ありがとうございました!


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老婆念書軟禁事件 の家庭連合の見解

2024年07月07日 | 法律・海外法務
老婆念書最高裁事件で、家庭連合法務の若手の方が、家庭連合の立場を説明しています。




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憂きことのなほこの上に積もれかし 限りある身の力試さん

2024年07月07日 | 唄・詩・都々逸
岡山の産んだ英雄、熊沢蕃山。

陽明学徒。近江聖人・中江藤樹に懸命に弟子入りした。

その蕃山が残した有名な言葉。

憂きことのなほこの上に積もれかし
 限りある身の力試さん

ドM精神。どん底からの、積極精神。
逆境よ、ウェルカム。

山中鹿之介の「願わくば我に七難ハ苦を与え賜え」と同じ。

この蕃山の短歌は、今日の岡山の平和シンポジウムでも伝えてきました。

家庭連合@岡山の皆さんは、今こそ郷里の英雄・熊沢蕃山の、このドM精神を発揮していただきたい!


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家庭連合は、知れば知るほどいい

2024年07月07日 | 人生
札幌の人権シンポジウムで、取手市議会議員の、細谷のりお(典男)先生と。

ほぼ2年前の(明日でちょうど2年目)、安倍さんの事件以後、家庭連合排除のうねりの中で、取手市議会において、共産党が、家庭連合排除の動きに出た。

信者でもなんでもなく、家庭連合とそれまでなんの関わりも持たなかった細谷先生は、憲法の、基本的人権、法の下の平等、そして適切手続きの観点から、

それはおかしくない?

って声を上げて、本を書いて、ビラを配って、住民・市民に理解されて、ほぼトップ当選を果たされた。

 
その細谷先生と、札幌で、人権シンポジウムに出て、同じホテルに泊まり、同じ湯船に浸かりながら、いろいろお話を伺っていると、

  • 家庭連合の方々って、知れば知るほど、みんないい人
  • 家庭連合とか、世界女性連合の活動って、知れば知るほど、本当に素晴らしい
  • 例えば、「為に生きて、それを忘れる」とか
  • 「世のため人のために何かをする」ことはできても、それをこれみよがしに吹聴するのではなく、「それを忘れる」ってのはなかなかできることではない

なんて話が出てくる。細谷先生の口から。

全く同感。

多くの市民・識者は、遠巻きに、家庭連合を見て、「なんかおかしいけど私にはカンケーないね」「火の粉が飛んでこないように」って、チキン的に様子見をされている。

解散命令請求の手続きはおかしいし、その指摘はするけど、家庭連合の教義や活動の内容までは弁護しない。

その気持は分からぬでもない。教義や活動の内容を把握したり、信者と交流するのには時間とエネルギーが必要だし。

教義の内容や活動を弁護すると、「アイツは家庭連合の回し者だ」「お抱え弁護士だ」「御用学者だ」と言われるし。ツボ弁護士と揶揄される私のように。

みんな人間。

だから、自分の地位、要するにゼニカネ、が大事だ。

しかし。

それでいいのだろうか。

身に火の粉がかかることを恐れて、遠巻きにしか、手続き的なところにしか、家庭連合を論じようとしない。

それは、中島敦『李陵』が言うところの

全躯保妻子(身体を全うし、妻子を保つ)

の、つまり、保身ではなかろうか。

自分が大事。自分の収入が大事。自分が養う妻子が大事。

つまり、生活のために生きている。生きるために生活するのではなく。

要するに、明日の御飯(オマンマ)のために生きている。評判を恐れて、収入が減るのが怖いから。

生きる姿勢が問われている。

私は、今日明日のオマンマのために生きるのではない。

何のために生を享けたのか。

死ぬときにどう記憶されたいのか。

そんな問いを考えてみるのがいいのかもしれません。

ちなみに私は、死ぬときに、「中山達樹はいつもリスクを恐れずチャレンジする人だった」と記憶されたい。
コメント (2)
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