民法709条は禁止規範か。
禁止規範ってのは、〜するな、っていう規範。基準。
家庭連合の過料裁判の地裁判決は、民法709条が禁止規範か、ってう問いに、
YES
と答えた。
果たしてそうか。
※ 民法709条
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う
家庭連合の過料裁判の地裁判決は、この709条から、同条が前提として、違法に権利侵害するな、という禁止規範を含む、とした。
へえ。
私は弁護士を20年近くやっています。司法試験の勉強を始めて、法律の世界に入ってきたのは30年くらい前です。
この30年、民法709条とか、民法が、禁止規範だ、というのは聞いたことない。
禁止規範は、刑法の文脈で勉強します。
法曹のみなさん。お手元の民法の本で、「禁止規範」で検索してもらえますか。ヒットしないはずである。
※ 潮見佳男さんの本ではヒットします(この点はいつかフォローしたい)
日本に法曹は5.1万人います。弁護士4.5万人、検察と裁判官は3000人ずつ。
その5.1万人の法曹で、「民法709条が禁止規範を含む」と教わったことがある人は、一人もいないはずである。
仮に709条から「違法に権利侵害するな」という禁止規範を読み込むとしよう。
※ たしかに、特に地裁判決が出た今、「権利侵害するな」という禁止規範を読み取ることは、あまり抵抗感がなくなった?
でも、709条から禁止規範を読み取るとすると、民法の、ほとんどの条文で、禁止規範と命令規範が溢れることになる。
例えば、、、
この民法709条の、後半の「損害を賠償する」という文言から、権利侵害した者は損害を賠償しなければならない、という命令規範が読み取れちゃう。
つまり、709条は、前段で「違法な権利侵害するな」の禁止規範、後段で「権利侵害したら賠償すべき」の命令規範を読み取るってことになる。
民709条前段:禁止規範
民709条後段:命令規範
い、忙しい。
5万人の法曹で、709条の前段後段でそれぞれ違う規範が読み取れる、と教わった方は一人もいないはずである。
そう理解して実務に就いている人も、1人もいないんじゃないか。
他に民法の条文を頭の方から探ってみると、、、
第五条 未成年者が法律行為をするには、その法定代理人の同意を得なければならない。
→同意を得なければいけない、という命令規範。
同意を得ずに法律行為をしてはいけない、という禁止規範。
第二十二条 各人の生活の本拠をその者の住所とする。
→みんな「生活の本拠」を有さないといけないという命令規範。
フーテンの寅さんになってはいけない、という禁止規範。
第三十六条 法人及び外国法人は、この法律その他の法令の定めるところにより、登記をするものとする。
→法律の定めに従い登記すべきという命令規範。
未登記であってはいけないよという禁止規範。
第九十六条 詐欺又は強迫による意思表示は、取り消すことができる。
→「詐欺とか強迫するな」という禁止規範。
第百十九条 無効な行為は、追認によっても、その効力を生じない。
→無効な行為はしてはならないという禁止規範。
第二百七十六条 永小作人が引き続き二年以上小作料の支払を怠ったときは、土地の所有者は、永小作権の消滅を請求することができる。
→永小作人は2年以上小作料の支払いを怠ってはならないという禁止規範。
………キリがないのでやめます。
こういうふうに、「民法の条文から、禁止規範とか命令規範が読み取れます」って教わった法曹は、現在の法曹だけで5万人、かつての法曹含めて20万人くらい、ひっとりもいないはずである。
歴史上の法曹のだれもが考えたこともなかった「民法のあらゆる条文から命令規範と禁止規範が読み取れる」って解釈をもたらしていいんでしょうか。
「民法にも、会社法にも、何百何千もの、禁止規範と命令規範が溢れる」世の中を招来していいんでしょうか。
百歩譲ってこう解釈できるとして、それがそもそも何のためになるのか、、、
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これって、公法と私法の区別、って問題なんですね。公法は、刑法とか行政法。秩序維持。
私法は、民法が端的にそれなんですが、私人間の利害調整。
例えば、リーディングケースとされる平成5年3月24日大法廷判決は、以下のように宣言しています。
〜〜〜以下引用〜〜〜
不法行為に基づく損害賠償制度は、被害者生じた現実の損害を金銭的に評価し、加害者にこれを賠償させることにより、被害者が被った不利益を補填して、不法行為がなかったときの状態に回復させることを目的とするものである。
〜〜〜引用終わり〜〜〜
上記には書いていませんが、不法行為の制度趣旨ってのは、要するに、「損害の公平な分担」。これは5万人の法曹がみんな教わる。
でも、「民法の各条項からは禁止規範や命令規範が読み取れる」とは、日本の法曹5万人が、だれも教わってないはずである。
その、誰も教わってないことを、過料裁判の地裁判決は、書いた。
この、「誰も教わってない理論」が、高裁や、最高裁で承認されるのでしょうか。
ニッポンを、「私法中に、禁止規範と命令規範があふれる」世の中に変えるのか。
鈴木謙也裁判長は、大胆にも、ルビコン川をお渡りになった。
賽は投げられた。
高裁では、鈴木裁判長の「ルビコン渡河」の是非が問われる。