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「広島、長崎原爆投下の模擬練習の爆弾が大阪にも落ちた(1945年7月26日9時26分)」2016.07.21.

2016年07月26日 03時06分52秒 | ぶらり散歩






7月21日に、「デトロイト美術館」(大阪市立美術館)を観た後、前々から見に行きたかった所が、大阪にも原爆模擬弾が投下された場所であります。



場所は、美術館が天王寺にあり、地下鉄谷町線に乗って「田辺」という駅の近所にあります。


                    






こんな話、今まで聞いたこともなくって、たぶん多くの大阪人も知らないでしょう。
私も、3年前のTV番組、「ビーパップ!ハイスクール」を見なければ知らなかったですね。



とは言っても、碑だけなんで、いつでもいいかなっと思っておりました。
もうすぐ、8月に広島、長崎と原爆が落とされた日が近づいて来るのと、この田辺に落とされた日が7月26日だった事で、ちょっと寄ってみました。


                    





                    





                    






1945年7月26日午前9時26分、大阪湾から侵入したB29爆撃機1機が、田辺上空から一発の爆弾を落として帰って行った。



                    



普通編隊を組んで、大量に爆弾を落とすはずが1機だけであった。
それが、原爆投下の練習だったんですね。



高度9000m上空から、落として50秒後の爆発させるのが条件だったんですね。
通常だと、落としてから真っすぐに進むんですが、この原爆の威力が凄いので、自分たちも巻き沿いを喰らう恐れがあり、右150度急旋回する必要があったんですね。



その為の訓練を、アメリカ本土でも練習をし、日本での練習を7月に全国でやっていたんですね。



その目的は、搭乗員の訓練に慣れさせる為と、日本人がB29の襲来に慣れさせる為でもあったんですね。



B29、15機の内、毎回10機が、1機づつ目的地に向かい、TNT火薬1万ポンドを投下していたのですね。(7月10日、24,26,29)
その数、試作として116個造り、50回の訓練を行ったそうであります。






その内の26日が、大阪の田辺だったんですね。
もともと富山の日本曹達会社(化学薬品関係:にほんソーダ)に落とすつもり(原爆は新潟目標に対して、道筋の確認目標?に選ばれた目標)に落とす予定が、天候が悪かったので、急遽「京都、新潟、広島、小倉」以外の都市で、臨機応変に落としてもいいことになっていたので、ここへ落としたんですね。



たまたま、何の目的でもないのに選ばれた大阪ですが、模擬爆弾とは云え、死者7名、重軽傷者73名、倒れた家485戸、被災者1645人の被害が出たそうであります。
全国で同じような被害が出ており、400人の死者を出したそうであります。


                    





                    



その後、本番に8月6日午前8時15分、長崎に9日午前11時2分に投下。
アメリカは、戦争を早く終わらせる為だと言ってますが、B29が日本全国に好き放題に飛び回れるくらい、日本軍自体が、瀕死の状態で、時間の問題である事は、たぶんアメリカ軍もわかっていたはずであります。





                    


               
               





普通に戦っても、いずれ降伏する日本軍であります。
それなのに、こんな強力な爆弾・・・元気な日本だったら、早く終わらせる意味もあるでしょうが・・・



倒れて死にかけの人間に、機関銃をぶっ放すようなものであります。
たぶん、アメリカにとって、今後の兵器としてこの新型爆弾のリアルな実験とその効果を観たかったんだと思いますね。



とは、云え、もし日本軍がこの原爆を先に開発していたら、同じことをアメリカ本土でやっていたでしょう。



アメリカ人にとって、日本が喧嘩をしかけて、日曜日に真珠湾を攻撃した恨みがあります。
(奇襲攻撃をしてハワイの人に恨まれるはずの日本人が、ワイハ!っといってキャッキャと遊びに行く芸能人や日本人が不思議であります。)



この戦争は、なんだったんでしょうね。
日清日ロ戦争で勝利した暴走軍部の成れの果てだったんでしょうね。



(秀吉が、朝鮮に戦争をしかけて、負けたからここで終わったんですが、もし勝ってたら、太平洋戦争と同じように、アジアを侵略して行ったでしょうね。)



この戦争で負けて、初めて日本人は、目が覚めたんですが、平和を愛する国民の多大な人命、財産を犠牲にしたんですね。



歴史の一環のように、戦争を非難する以前に、東条英機のようなA級戦犯と呼ばれる人間を憎むべきのような気がしますね。



今までは、多くの戦死者と同じに靖国神社で供養しても、亡くなったら仕方ないのではと思っていましたが、やっぱりダメでしょう。



ちなみに、自分の家族が殺され、死刑になった犯人と同じ墓地に埋葬されたら、いい気はしないでしょう。



死んだら罪が消えるのではなく、亡くなった人へ謝罪に行くべき一歩であります。
本当に、許しを得られるのは、亡くなった被害者の魂自身で、生きている我々には、許す権限がないように思えますね。



A級戦犯の魂は、同じ戦没者といっしょにしないで、欲しいものですね。
A級戦犯にそそのかされて、嫌も言わさず、非国民だと無理に戦争にかりだし、戦わし、その結果、尊い命を亡くした兵士、家族に失礼でしょう・・・こいつらは、地下深く封印し、簡単に成仏させてはいけないような気がします。



靖国神社への中国や韓国の非難は、行き過ぎのようにカンジてましたが、A級戦犯の取り扱いには、正論のような気がします。

                                                                                    

また、風化しつつある、暑い夏の原爆、終戦記念日と8月にあります。
この先、日本がこのまま戦争放棄でやっていけるのか、はたまた、ロシア、中国の驚異で、アメリカに今まで通り頼って、いいものか?



アメリカにとっては、日本は友好国といいながら、中国ロシアを見張る監視場所しか思っていません。



中国は、そうゆう、うるさいアメリカの出先機関、日本が、目の前にある事が気に入らないんですね。



なんとか、日本に戦争をさせようと日本にちょっかいを出します。
尖閣諸島など・・・日本が本気で出てくれば、中国は、正々堂々と大義名分を得たように、日本に喧嘩をしかけて、アメリカを追い出し、日本を中国の一部に出来るんですね。



弱体するアメリカ、トランプが大統領になれば、単なる日本は子分扱いになるでしょう。
アメリカが、距離が遠い日本に、まして敵国が目の前に居る環境で、目をかけて日本を助けられないでしょう。(義理人情がある国とは思えない、自分自身を守るために銃を持つ権利がある国ですからね)



究極、同じ子分だったら、身近の中国の子分がまだましかもしれません?・・・わかりませんが・・・(敵にするには、あまりにも中国と距離が近すぎるでしょう)



なーんて事を、勝手に妄想してしまいました。



この答えは、今の若い人が決めて行く事でしょう。
時代は、繰り返されると言いますが、出来るだけ意地を張らず、損得はあまり考えないで、武将の戦争(いくさ)のように戦わずに出来るだけ和解に持ち込んで欲しいものでありますね。(^-^)


                                                                                    

それから、ヨーロッパやアメリカでテロが絶え間なく続いていますよね。
恨みが恨みを呼び伝染するかのように、永久に続くんですね。


大きい戦争は、終わりが見えますが、今のようなテロは、終わりのない闘いであります。
それこそ、現代の「リング」で、世界が、人類が、終わりのない呪いにさらされているのかもしれません。





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