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私の平均余命83.846歳(厚生労働省H28年度データ)を24時として、私の生きて来た人生は上の通りです。後残り時間は?

阪神大震災1995.1.17.am5:46:52

2022年01月17日 10時58分07秒 | 阪神大震災



「もう27年にもなり、平成・令和生まれの人にとっては、
          歴史教科書の一部になっているんでしょうね。」


東北の地震の時も衝撃的でしたが、こちら、関西にとっても忘れられない出来事になりました。

関西人にとっては、忘れられない災害で、知らない関西人も時代と共に多くなり、こうゆう災害があった事実と、今後起こりうる地震災害の予備知識として以前書いたブログですが、本日再表示させました。




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関西人にとって、誰もが地震なんて縁のない災害と思っていたんですよね。
だって、火山がないからっと高を括っていましたよね。
まさかの出来事に、「なんでやねん・・・・」っと・・・・
神様からの天罰なんでしょうか?


私は大阪府の北部、北摂にある箕面市に当時住んでいました。
2階建て借家ハイツの1階、すぐ揺れに感じて目が覚め、長く揺れ思わず「あぁぁぁ・・!」と唸っていたのを思い出します。


こんなに揺れるのは、初めての経験でした。
そして、キッチンの食器棚が倒れ、ガラスだらけになってしまいました。


何が起こったのか、理解が出来ず呆然として、取りあえずTVを付けたら、神戸が震源地だとわかりました。


実家の東大阪の両親が気になって電話をしたら、無事でなんともなかったそうで安堵しました。


そう、神戸寄りの大阪、北摂地方が断層がつながっており被害があったみたいです。
箕面市は後の観測で地盤が数センチ動いていたそうであります。


TVを観ていると、次々と被害状況が映り、空からの映像では空爆があったかのような(戦争未経験ですが・・)モクモクと黒い煙と炎が中継されておりました。


一番驚いたのは、仕事でよく通る阪神高速神戸線が、倒れている事や三ノ宮の銀行がグシャっと真ん中の階が潰れて、重みでビルがへしゃげている様子や阪急や阪神電車の線路がぐにゃぐにゃになっている事の映像は映画のワンシーンかと思うくらいでしたね。


千里中央に会社があり、とりあえず出社しました。(マイカー通勤だったんで行けたんですが、電車の方は大変だったと思います)


友達が大阪の茨木市に住んでおり、神戸の会社に行くのに歩いて行ったそうです。
大阪市内も目立った被害が見受けられないですが、得意先の住宅金融公庫のビルの壁に大きなヒビがはいっておりましたね。


大阪市内のどのビルもエレベータが止まっており、荷物を運ぶのに階段を使うのはむっちゃしんどかった思いがあります。


神戸の友達もいましたが、運よくみんな家も崩れず助かったそうでありました。
神戸が被害地なのに、大阪のコンビニ、私は江坂のコンビニに行ったら、ほとんど物がなかったのにも驚きましたね。


いつでも24時間物が有り、不自由しない時代なのに、どのコンビニやスーパーに行っても物がない現実を知りましたね。


物が無くなるって、こうゆう事なんやと思いましたね。


特におにぎり関係や飲み物はすぐなくなったそうですね。
被災地に届けようとして買い占めた人も多かったんでしょうね。


食器棚のガラスが割れて、入れて貰おうと電話したら、学校の窓ガラスが先と言われ、2週間くらい手に入らなかったですね。


箕面市の小中学校のガラスも多数被害があったそうですね。



私はボーっとしている性格なんですが、この震災でちょっとの地震でも、揺れを感じたらビクっとなり、数年トラウマになってしまいましたね。


神戸の人だったら、言葉にできない恐怖を味わい、トラウマもハンパないと思いますね。

そんな当時の様子の写真の雑誌が押入れから見つかり、当時を忘れない為に載せてみました。

































































































































あれから23年、徐々に記憶が薄れて、東北大震災の方が記憶に新しくなって来ていますね。


あの東北震災の時も、大阪でも揺れを感じたくらい凄い地震だったんでしたよね。
津波の怖さを全国に伝わった災害でしたよね。

TVに釘付けでしたね。
車、船舶、家が流される様子は、映画でしか見られなかった映像。

宇宙に行く科学の時代になっても、江戸時代と同じ、災害には手も足も出せない人間の無力さを感じされられる思いでしたよね。