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紅葉坂について

2016-07-16 17:08:57 | 日記

 横浜市内には結構坂道があります。そこで、今回から坂道について投稿して行きたいと思います。先ずは、JR桜木町駅から神奈川県立図書館や能見堂へ行く上り坂である「紅葉坂」(「横浜の坂」著者小寺 篤 発行 今野 繁光)によると次のような記述がありましたので、投稿いたします。
明治ころは、山王山と云われており官宅がおおくあり、また、伊勢山皇太神宮への参道になっていた。この坂道を紅葉坂とは云われるが、それは名ばかりで、桜の並木であった。このため、青葉の時期になると毛虫が繁殖しぶらさがることから、洋傘を離せないという人もいたりして、道端の子供達が“おじさん雨降ってないよ”とのぞき込み注意をしてくれると記述があった。
一方、横浜港の東水堤防波堤と北水堤防波堤は、神奈川県が雇った外人H・Sパーマーの設計監督によって、明治29年に竣工し、併せて、乾船渠の築造工事も完成している。
この近くに横浜船渠会社の事務所があった。当時、給仕の少年達は、新しく越したばかりの野毛山町2丁目裏通りの格子戸を出花咲町から錦橋をわたって朝早く出勤せねばならなかった。それは、後から出てくる社員たちに茶を出すのが、先ずは第一の仕事であったからだ。それからの一日は、絶え間なく用を言いつけられて、人を呼んで来たり、手紙を持っての使い走り、中でも昼の弁当運びというのが一番嫌な仕事であった。食べ終わった空になった箱をまた運ばねばならなかったからである。
ところが、弁当運びを専門にやっている商売もあって、襟に会社の名を染めた印ハンテンを着て、彼らは、25歳までに偉くなる誓いをたて、紅葉坂を行き来していた。
当時は、信仰の盛んなころには参詣の人通りがあり賑やかであったと思われるが、現在は、図書館へ通う学生たちの通路であり、音楽堂へ行く若い男女たちののぼる坂である。音楽通りというのができている。このため、この坂もやがてぱ音楽坂などと変ってしまうのではないか。
追伸、紅葉坂は、夕日の美しい坂である。特に、冬の日、一直線に打ひらいたあかるい頂上の真上に落ちる。それをまともに頭上にふりかぶって坂の上に佇むと、サイコロ工法のみかげ石の綺麗な舗装の模様に、木枯の影が黒々と描き出され、以前はその下に水の流れていた紅葉橋をとおして、チンチン電車の行き交う姿が望まれた。‥という記述もありました。

(紅葉坂付近の案内図)

(国道16号線を跨ぐ紅葉橋)

(国道16号線からの紅葉坂)

(音楽堂)

(伊勢山皇太神宮)