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小野光景について

2015-06-13 23:06:58 | 日記
 今日は、小野光景氏の碑がある横浜市民公園に行って来ましたので、その様子を投稿いたします。
 この横浜市民公園は、幕末の激動がようやく鎮まった安政6年(1859)横浜開港の創始者といわれた横浜町名手小野兵右衛門光賢の長男小野光景の広大な別荘地で当時小野公園と呼ばれていた。豪華な洋式別邸は外国使節団等招致の場とされ、開港にかかわる歴史的重要な場所であった。
 明治5年(1872)光景は父光賢の職を継ぎ、次いで明治13年(1880)わが横浜商工会議所の創設を始め、横浜学校の始め壮行、如春の2学舎の開設、横浜正金銀行開設、横浜商法学校設立、新横浜埠頭の建設、八王子横浜間鉄道の新設等々揚げて枚挙にいとまなく主唱者として貢献し、更に、明治16年(1883)には自ら貿易業小野商店を開業するなど、生涯の前半を政治に、後半を実業に捧げて燃えつくし、横浜の地鶴見の総持寺の一隅に、父光賢の墓とならんで葬られている。
 このように、この地は横浜発展の礎を築いた小野光景を偲ぶことのできる場所であり、ここに一碑を建て光景の実績を永く後世に伝えることを願ってやまないものである。平成15年11月横浜商工会議所会頭高梨昌芳と碑に刻まれてあった。
 一方、ネットには、小野 光景(おの みつかげ、弘化2年3月15日(1845年4月21日) - 大正8年(1919年)9月18日)は、近代日本の実業家、政治家 信濃国伊那郡小野村(天領、現長野県上伊那郡辰野町)の名家、小野兵右衛門光賢の子として生まれ、高遠藩藩校進徳館で学ぶ。明治15年(1882年)、横浜商業高校の前身にあたる横浜商法学校を創立。翌16年(1883年)、絹糸輸出商社の小野商店を創業。その後横浜正金銀行(東京銀行の前身)頭取、横浜商工会議所会頭、貴族院議員などを歴任。郷里の小野で小野駅の開設や、私財を投じての学校、図書館、病院等の建設に貢献した。
弘化2年(1845)生まれ
明治11年12月(1878)横浜本町外713カ町戸長
明治12年12月横浜正金銀行創設に参画、取締役就任
明治15年1月 副頭取に就任
明治15年7月 頭取就任
明治16年1月 頭取・取締役辞任
明治16年6月 生糸売り込み問屋を開業
その後横浜商工会議所会頭、蚕糸売込商組合会頭等を歴任

(写真中央が小野光景氏の碑のある公園です。)
 
(小野光景氏の碑)

(小野光景氏の功績)

(小野光景氏邸宅)

(公園に訪れる市民)

(市民公園のある当時の本牧海岸)

(埋立が始まる本牧海岸)

(ベンチで休む市民)