ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

創造こそ魅力

2024-05-10 08:16:43 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「どう見せるか」5月2日
 『若手のやる気「上司次第」 「挑戦しないと意欲低下」61%』という見出しの記事が掲載されました。『会社の若手社員は、いったい何からモチベーションを得ているのか』をテーマにした三井住友海上の調査結果を報じる記事です。
 記事によると、『若手400人の61.8%が「上司・先輩が挑戦していないとモチベーションが下がる」と感じていた。67%は「挑戦している上司・先輩と働きたい」とも答え、上司のチャレンジ精神を感じている若手の79.5%は、「仕事を通じて成長できていると思う」と回答』しているのだそうです。
 まあ、当たり前の話ではあります。今、学校教育行政では、優秀な教員の確保が大きな課題となっています。自分の身近な先輩にあたる若手教員が生き生きと働いている姿をみれば、教員志望の若者は増えるでしょうし、教職に就いてからも意欲的に職務に取り組みはずですから、結果として教員の質も向上していくというプラスのサイクルが期待できます。つまり、若手教員から見て先輩・上司に当たる教員たちをチャレンジングに働かせることが、教員確保及び質の向上という課題を解決する有効な手立てとなるということです。
 では、実態として、現職の教員たちが「挑戦している」のかと言えば、データはありませんが、教職志望者が減り続けているという状況をみれば、そうはなっていないと推察するのが適当であると言わざるを得ません。他の職と異なり、教職志望者はほぼ全員、教育実習という形で教員の働きぶりを目にしているのですから。
 教育行政は、教職調整額の引き上げ、校務軽減のための補助員等の配置、スクールロイヤーやスクールソーシャルワーカーの配置など、労働環境の整備に努めていますが、そうした対策だけでは効果は期待薄です。やはり、職としての魅力の向上が必要です。それは、「挑戦している」働き方の実現なのだと考えます。
 では、教員にとって「挑戦している」とはどういうことなのでしょうか。学校事務の能率的な処理の仕方や校務の進め方なども教員の大切な職務の一部ではありますが、そこに生きがいや魅力を感じる若手は少ないでしょう。やはり、教員の本務とも言える授業における「挑戦」の姿こそが、若手教員のモチベーションを上げると考えるのが自然です。
 私が新卒教員だったとき、校内には「挑戦」していると思えるような上司も先輩もいませんでした。区内有数のいわゆる「拠点校」であり、運動に熱心な教員は多数いましたが、授業への熱は感じられなかったのです。
 もちろん、今冷静に考えれば、30人に及ぶ教員の中には優れた実践家もいたのかもしれませんが、当時は分かりませんでした。それが普通なのです。なぜなら、教員の本務である授業は、一つ一つ隔離された教室で行われ、他の教員の授業を日常的に見る環境にはないからです。
 私は指導主事になって教委勤務を始めるようになったとき、始業から終業まで役所内で他人の目にさらされた環境で仕事をすることになかなか慣れませんでした。教員時代は、授業が始まってしまえば、多くの場合、他の「大人」の目を意識せずに、授業という職務を遂行していたからです。
 つまり、若手教員が、上司や先輩の授業の工夫=よりよい授業への挑戦を知ることができる環境を作ることが大切なのです。それには、共同で行う授業研究の場を作ることが一番の近道だと考えます。
 私は、区教研や自主的な研究会において、数多くの授業研究に参加してきました。1回の研究授業について、4~5回の事前研究会、当日の参会者との質疑応答、事後の研究冊子にまとめるための打ち合わせなど、1回の授業について6~7回の共同研究の場をもっていたのです。当時の区教研では、年間6回(1年生から6年生各1回)の授業研究がありましたから、年間40回ほどそうした機会をもちました。いずれも放課後です。帰宅が遅くなる辛さはありましたが、両親ほど年の離れた先輩も一緒になって熱く議論し合う経験は、大きな充実感を与えてくれたものです。
 そうした授業についての自主研修で上司や先輩と語り合う、それを教職魅力倍増計画として打ち出してみてはどうでしょうか。

 

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