ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

中途半端は対立を招く

2017-12-30 08:13:03 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「覚悟」12月26日
 『公立小中学校 教員業務を明確化 文科省 規則モデル作成へ』という見出しの記事が掲載されました。文科省が、『教員が担うべき業務を明確にするため、市町村教育委員会が定める学校管理規則のモデルを作成する』ことを決定したと報じる記事です。このことについては、先日もこのブログで取り上げ、学校に実態に対する無知を感じる部分があると批判しました。
 今回は違う観点から論じたいと思います。記事によると、『登下校に関する対応▽放課後や夜間の見回り、児童生徒が補導されたときの対応▽給食費などの徴収・管理▽地域ボランティアとの連絡調整-の四つを地域住民や自治体、保護者が担うべき業務と位置付けた』そうです。もうその内容については何も言いません。注目したいのは、こうした内容を『地域住民や保護者と共有するよう市町村教委に促す』という記述です。
 大変的を射た指示です。新業務モデルが機能するためには、学校を取り巻く住民や保護者の理解が欠かせません。例えば、登下校時に不審者が現れ、警察に確保されていない状況が発生したとします。子供の安全確保のために、通学路に見張りを立たせることになります。そのとき、保護者や住民から「私たちも協力するけど、子供のことをよく知っている先生方にも一緒にやってほしい」という声が上がる可能性があります。その声に応えて校長が、「学校でも有志を募り、協力可能な教員だけでも一緒に立ちたい」と言ってしまえば、新モデルは「絵に描いた餅」になってしまいます。
 仮に教員たち自身から「勤務時間の始まる前の15分間くらい協力できます。保護者の願いを無視できません。信頼を得るためにも協力したいと思います」というような殊勝な申し出があったとしても、絶対に応じてはいけないのです。もし、1校がそうした声に応じることがあれば、他校でも「○○小学校の先生は協力してくれたのに」という声が湧き上がり、それは無言の圧力となってその自治体全ての学校にプレッシャーを与えることになるからです。そして協力しない学校、教員に対して「子供への愛情がない」などという非難の声となり、新モデルはなし崩しにされていってしまうからです。
  校長は自分が悪者になってでも、「地域の皆さんでやってください」と要望を断る覚悟が必要です。一人一人の教員にも、同じ覚悟が求められます。「蟻の一穴」ではありませんが、保護者受けを狙って、一人でも「私は皆さんと一緒に」と言ってしまえば、総崩れとなってしまうのです。もちろん、教委も議員などからの圧力に対して防波堤となる覚悟が必要です。
 しかも、「規則がそうなっているので」「私個人は協力すべきだと思っていますが、文科省が煩いので」というような「言い訳」をするのではなく、教員の働き方改革の意義をきちんと説明し、教員が授業に集中することのメリットを説き、新モデルが子供のためになるということを納得させるだけの理論武装が必要なのです。
 それができないというのであれば、新モデルは中途半端に学校や教員と地域を対立させるという負の効果しかありません。

 

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