後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

日本人のロシアへの感情とロシア正教の布教の関係

2009年11月06日 | 日記・エッセイ・コラム

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このブログの11月4日の記事に書いたように、私はお茶の水のにコライ堂でロシア正教のある聖職者の方にお会いしました。彼は以前はカトリックでした。ロシア正教の方がイエス様の傍へいるような気がしたので宗派を変えたと言いました。

1549年に日本へカトリックを伝えたイエズス会のザビエルの教えを信じていた人が1861年(明治維新の6年前に)に日本に来たロシアのニコライの教えへ従う事にしたのです。鑑真を尊敬していた人が親鸞の方をもっと好きになる。こういう事はよくあることで驚くべきことではありません。しかしニコライ堂での会話は私へ一つの新しい問題を提起したのです。外国の宗教の、その宗派の隆盛は日本人のその外国への国民感情によって左右されるのでは無いか?、という大問題です。

日本人の多くはロシア政府、そしてロシア人が好きでないかも知れません。日露戦争やシベリア出兵、ノモハン事件などで、ロシアは常に日本の敵国でした。その上、第二次大戦の終期に日本が弱り目祟り目の敗戦6日前にロシアは卑怯にも満州へ攻め込んで来たのです。そして55万人もの日本兵を酷寒のシベリアへ抑留し5万人を殺したのです。そして戦後も国後、択捉、などの北方四島を不法にも占領し、日本と平和条約も結んでいません。

そんなロシアが日本へ持ってきたロシア正教というキリスト教の一宗派を信じる人が居るのでしょうか?居ます。東京の駿河台にあるニコライ堂へ行ってみると日本人信者が沢山居るのが分かります。

日本へロシア正教を持ってきた偉大な人はニコライです。本名、イオアン・デミトリヴィチ・カサートキンは1836年8月13日に生まれました。生まれたところはロシア帝国スモレンスク県ベーリ郡ベリョーザ村です。彼は傑出した宣教師でした。

万里の波濤を越えてはるばる日本へやって来たザビエルのように、鉄道も無いシベリアを馬車で横断し、樺太の北の対岸の港から船で函館にやって来たのです。彼が伝えたロシア正教と日本での布教の事などを少しずつ書いて見たいと思います。(続く)


マイフレンドの陶芸家の尾張裕峯さんが新聞に出ました

2009年11月06日 | インポート

このブログの11月2日掲載記事でご紹介しました、マイフレの陶芸家の尾張裕峯さんが今日の新聞に出ました。大変嬉しい出来事なのでその記事の写真と尾張さんからのお手紙を以下に掲載いたします。

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以下は尾張さんからの今朝の手紙です。ご参考までに付記します。

========尾張さんから藤山へ==============

おはようございます。先日、取材のありました中日新聞に四段抜きのカラーで私の陶芸教室開講の記事が載りましたので、まず、第一に藤山様にご案内申し上げます。
新聞後で、各方面に案内しますので、受講生はこれからですが、今まで会得した技術も継承する人が現れることを願っております。
本日は全国的に小春日和が期待できそうです。よい日をお楽しみください。
まずは ご報告まで、           尾張裕峯拝

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